投稿者コメント:
・・・ 長げぇ (゚д゚ )
かつて、『走り屋&ドリフト』 の 『教えて&教えます』 に於いて、長文書きで名を馳せた(笑)このオイラが 「うひゃあ」 と思って凄いぞw
でもまぁ、知らないことばかりで面白かった。
雑学好きとして純粋に礼を言っておこう。ありがとう。
とはいえ、いささか論旨がズレているような気がするので、元の軌道に戻そうか。
もともとの議題は、
「 空を飛ぶ鳥を生存確率数パーセントというグレートハンティングから隔離して保護することは、
―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか 」
だったはずだ。
この議題に返れば、話としては至極簡単なんだと思うんだが、いかがだろうか。
「本人が嫌がることを強いるのは良くない」 なんて言い出したら、受験生のMYガキンチョなんか、ゲー ム三昧、深夜アニメ三昧、YoutubeMAD動画三昧で堕落するから不許可。
だいいち、「本人が嫌がることを強いるのは良くない」 なんて言い出したら、誰よりも私が毎日13時間 も拘束される施設事務員を辞めて、引き篭もりの生活を始めますから不許可ですって
( 実を言うと、さすがに毎日毎日通勤と就労に13時間も費やす日々に嫌気が差していて、本気で辞め たくなっているんだがw )。
ガキンチョが嫌いな勉強をすることは、本人の将来の為だし、オイラが楽しくも無い仕事を続けること は家族の生活の為である。
つまり、ガキンチョに於いては、
重要:[ 未来の人生 ] >>> [ 今の勉強から逃げて楽になる ] :重要ではない
であり、オイラの施設勤めに於いては、
重要:[ 家族の生活 ] >>> [ 仕事を辞めてニート生活を満喫 ] :重要ではない
であると言える。
これをそのまま鳥類に当て嵌めた時に、
管理人は、
重要:[ 飼われるストレス ] >>> [ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] :重要ではない
になると主張していて
オイラは
重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではない
になると反駁している。
これはどちらも成り立つと思う。
<中略>
鳥自身に、飼われる事が、弱肉強食のグレートハンティングの連鎖からの開放であるということを理解できるだけの知能が存在しない以上、当の鳥さんにとっては、人間に飼われる事は、捕食者に捕まったという認識しか持てないだろう。だから、その場合には管理人の主張通りに
重要:[ 飼われるストレス ] >>> [ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] :重要ではない
で正鵠を射ていると思う。
だがしかし、 [ 飼われるストレス ] が犬猫並みに小さいのであれば、
重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではな い
が成り立つから飼っても良いと言っているわけだ。
さてみなさん。
<中略>
飼い主と一緒に外を散歩するスズメまで実在するみたいで ( ^ω^ )
飼われていても強いストレスを感じることがなくて、人間と良好な関係を保てており、屋外に出てさえ人から逃げないんだから、これ等のスズメたちは、犬や猫と変わらないのではないでしょうか?
まさに、野鳥でも人間に慣れてしまえば
重要:[ グレートハンティングの連鎖からの開放 ] >>> [ 飼われるストレス ] :重要ではない
が成り立つワケで。
要は<中略>拉致みたいなのは不可だけれども、本人 (というか本鳥) が、自ら望んで人間に庇護下に入るのであれば(何を以って“自らの意思”と見做すのか?という疑問は残りますけれども
)それは可なんじゃないでしょうか。
まぁ、飛ぶ鳥を部屋で放し飼いにするのは、糞の始末が大変だろうと懸念しますが。
管理人コメント:
相手を論破するとか言い負かすのが目的ではなく純粋に何らかの答を出したいだけなので一応「激論」を継続しますね。往々にして変人と紙一重の人間が一見無駄な努力の様に思えるひねくれた事を考え出した時に何かが発見されるのかも知れません。
渡り鳥が毎年正確に越冬地に辿りつき繁殖地に戻るのは「記憶」によるものだと言いきれるのかという根本的な命題を提示しましょう。
我々人間の主観では
「親鳥が越冬地を知っているから幼鳥も越冬地について行く。その記憶を代々受け継いで行くから毎年同じ所に同じ冬鳥が集まる。
帰巣本能により自分の生まれ育った場所に戻り繁殖する」
と考えてしまいがちです。
ところがこの方程式では説明のつかない事が現実には起きています。
いつだったか忘れましたが豊岡のコウノトリ放鳥個体が数羽別々に移動し、なぜか滋賀県の某所に別々に飛来し再集結したことが有りました。レンジャー曰くなぜそんな事が可能だったのか全くの謎との事でした。
またその豊岡には数年前(間違い無く海外から)野生個体が飛来し放鳥個体との繁殖に成功しました。しかもこの個体を含めて1999年以降過去3例も野生個体が飛来しているのです。
なぜ携帯電話やナビシステムなど持たない彼らが長距離を移動しピンポイントでそこに仲間が居ると分かったのでしょうか?いくら視力が優れていても数百km以上も遠方の仲間を見つける事は不可能です(日本の上空はそれほど澄んでいません)。それとも当てずっぽうに飛び回っているうちに偶然見つけたのでしょうか?
ここからは飽くまで僕個人の突拍子も無い珍説ですが、
「彼らは自分の行きたい方向に行きたい距離を飛んだだけ」
という事です。
豊岡でコウノトリが飼育されているのは過去にそこに野生のコウノトリが生息していたからです(飼育個体・放鳥個体はロシア系の子孫ですが)。つまり彼らの多くが「自分の行きたい方向に行きたい距離を飛んだ」結果として誰が決めた訳でもないのに豊岡に居た訳です。そこへ別の野生個体が飛来したのは偶然ではないと考える事は出来ませんか?日本の個体群が絶滅したのは1971年だから、この野生個体はまだ生まれてもいません。つまり誰に聞いた訳でもなく豊岡に飛来したのです。かつて豊岡に飛来した個体群と共通の遺伝子を持っていると考えれば漠然とですが納得出来ます。
放鳥個体の件も同様です。コウノトリ個体群が共通して持って生まれた遺伝子からの指令により示し合わせた様に同じ方向に同じ距離を飛んだ(しかも同じ時季に)と考えれば謎解きのヒントになると思うのです。そうして景色を見下ろしながら飛んでいるうちに「お!この辺はいい所だな・・・」と感じて降りてみたら同じ趣味趣向の仲間が居たという経緯は有り得ない話ではありません。
アホウドリの移住計画の例も述べておきましょう。繁殖地の伊豆大島の鳥島が噴火したら絶滅してしまうと考えた研究チームが350kmも離れた無人島に雛だけ数羽を人為的に運んで人工飼育し放鳥しました。巣立った島に戻って来るという習性を利用して新たな繁殖地を形成させるのが目的で、実際狙い通りに戻って来て繁殖に成功しましたが、ここで僕が注目したいのは繁殖地に戻って来た事ではなくて、その前にアホウドリの越冬地として定着しているベーリング海へ渡っていた事実です。なぜ幼鳥だけで餌の豊富な越冬地が分かったのでしょうか?何故わざわざ冬にアラスカ沖へ向かおうと思ったのでしょうか?単に暖かいところを目指していたならまず有り得ない現象です。これも偶然と片付けてしまっていいのでしょうか?それとも南下の途上でたまたま北上する近縁種の大群と遭遇し何となくついて行ったら何やら餌の豊富な海域に到達したのでしょうか?そういう「偶然」なら充分有り得ると思いますが想像の域を出ません。何とも奇跡的な偶然という感じです。
野鳥たちが渡りを開始する時季については諸説有り解明されていません。餌が減ったり気温が変化したから移動するとは限らないのです。暖冬や冷夏の年でも移動しますから。実際、バードウォッチングをしていると、まだまだ餌が有るのに抜けてしまう事は珍しく有りません。また群れからはぐれた第1回冬羽の個体(渡り初体験)が単独で行動している所を見る事も有ります。渡って来てから親とはぐれたり独り立ちした可能性も有るし、「あの鳥たちについて行けば何となく安心だ」と判断して同種の群れあるいは他種と混群になって一緒に行動しつつ渡って来たというケースが大半でしょうけど。もとより、渡りのほとんどは群れの中の経験者の記憶により決定されているという考えを否定するものではありません。ただそれは誰もが考える普通の答であり、それだけを結論にして皆と同じ様に納得してしまったらこのコーナーが存在する意味が有りませんし、何より上記の疑問に対する解答にはなっていません。
そこで個人的な珍説の続きです。
先祖の「記憶」は遺伝しませんが「この時季になったらこの方向に移動したい」というかなり具体的な欲求は遺伝しないとは限らないと考える事は出来ないでしょうか?少なくとも否定は出来ませんね。人間でも近親者の行動パターンは似ている場合が有ります。また「帰巣本能により自分の生まれ育った場所に戻り繁殖する」のは記憶による行動と思われがちですが、それでは説明のつかない事も明らかとなりつつあります。上記のアホウドリの例の様に渡りは必ずしも「冬は南へ移動し夏は来た道を戻って北へ移動する」という様な単純なものではなく、キョウジョシギなどの標識調査により春の渡りルートと秋の渡りルートが大きく異なる種が存在する事が明らかとなって来ています(迂回型)。その事は実際にバードウォッチングをしていても感じる事が出来ます(秋には頻繁に観察出来るのに春にはほとんど見られないソリハシシギなど)。地図を持たない野鳥たちは異なるルートを辿って何故自分の故郷へ戻る事が出来るのでしょうか?宇宙空間にでも出なければ日本列島全体を俯瞰して見る事は出来ません。この疑問については後述の「星座説」で説明が不可能ではありませんが・・・
先祖の中にたまたまそのルートを飛びたいと思って、それがたまたま最適に近いルートだったお陰で生き残った者が居て、同様の具体的欲求を子孫たちが受け継いでいて同じ様に飛んでいるという図式が考えられます。その欲求を受け継がなかった者は最適ルートから逸れてしまって淘汰され、受け継いだ者は生き残ってその遺伝的習性を補強する。もちろんその他にも様々な要因が複合しているはずですが、こう考えると全て一応の説明はつきます。ただ勿論この考えにも別の疑問は有ります。先述のコウノトリが何故海外へ渡らないのかという疑問です。遺伝的に大陸と豊岡とを往還する性質が有るのであればその様な個体が登場しても良さそうなものです。実は豊岡の放鳥個体と野外巣立ち個体は個々に把握されていてその所在が有る程度追跡調査されています。その中には1年以上行方不明という者が有り、死亡した可能性のほか人知れず大陸方面に渡った可能性も考えられています。仮に大陸で豊岡出身のコウノトリが発見されたらこの仮説の弱点を補完する材料くらいにはなるものと期待しています。但しコウノトリの飛翔能力は高く、既に沖縄で発見されているほどだから大陸に至る者が出て来ても偶然だろうと言われるのは目に見えていますが。なお、個体数の多い種においては様々な方向へ渡った中から最適ルートを選んだ者が生き残るので毎年同じ越冬地に同種の野鳥が飛来する様に見えるのだと言えるかも知れませんが個体数の少ないコウノトリにおいては、そう考えるのには確率的に無理が有ります。
地球という惑星は公転軌道に対して自転軸がいい感じに傾いているせいで、その表面の大気層に無視出来ないほどの季節変化をもたらしています。その惑星で進化した生物は皆大なり小なり季節変化に影響を受け、或る者は順応し利用する事により生き残って来たと言えます。鳥類も例外ではなく「星座の位置を見て渡りのスイッチが入る」とか「星座を見て渡りルート(現在地)を把握している」などという説も有るほどです(かなり有力な様ですが)。
ところで野鳥の渡りは人間社会における通勤と同種の物でしょうか?人間が通勤する動機は我々が一番よく知っていますから今更ここで論じる事はしませんが、野鳥の渡りは謎に満ちており単純に比較出来るものではないでしょう。家畜も驚く様な東京の通勤地獄と比べると大阪のそれは屁みたいなものですが、それはさて置き野鳥が飛ぶ事にそれほど大きな苦痛を感じているとしたら何故渡りをやめないのでしょうか?
ここで鳥が飛ぶ動機について整理してみましょう。
① 季節移動:気候帯が異なるほどの遠方まで移動する手段として最も効率の良い手段として飛ぶ。
② 外敵などからの避難:飛べない外敵から逃れる最終手段として飛ぶ。あるいは最も素早く避難する最適な手段として飛ぶ。
③ 食料を発見し入手する:食欲を満たす効率的な手段として飛ぶ。
④ 障害物を乗り越える:いちいちよじ登ったり泳いだりするよりも手っ取り早い方法として飛ぶ。
⑤ 飛んでいる状態が普段の姿だから動機もクソも無い。
まあこんなところでしょう。②は高等動物に共通する自己保存欲による行動であり我々人間にも容易に理解出来る行動です。特に飛び立つ瞬間は大きな瞬発力が要求されますから②や③④の場合は出来れば飛びたくないでしょう。⑤はアマツバメの場合です。まあ特異なケースですがこんな鳥が居るくらいですから鳥にとって飛ぶ事はさほど辛い事でもない様に思えます。問題は①ですね。何千何万kmという移動は走ったり泳いだりしていては何日かかるか分かりませんから飛翔という手段は有効であろうと思われます。もし走ったり泳いだりする方が楽なら野鳥たちももっと頻繁にそうしている姿が目撃されるはずです。つまり季節移動する限り野鳥は飛ぶ事をやめないと考えられます。こうして見て来ると短距離を飛ぶ場合と長距離を飛ぶ場合とでは少し事情が違う様に思います。
さて、「野鳥は渡る必要が無くなれば渡らなくなる」という説はどうでしょうか。この思考実験なるものは「人間の思考」に過ぎませんが、人為的にそういう環境を作ればそうなるかも知れません。「鳥は飛ぶのが好きだから飛んでいるのではありません」その通りでしょうね。必要に迫られて飛んでいるんだと思います。ただ、飼い鳥が飛ばなくなる理由は野鳥と比べて圧倒的に飛ぶ機会が少なく筋力も落ち体重も増えてますます飛ぶのが辛くなって飛ばなくなるのだと思います。飛翔に大きな苦痛が伴いなおかつ鳥籠に監禁されている事に何ら苦痛を感じていないのだとしたら「野鳥は渡る必要が無くなれば渡らなくなる」というのも有りでしょう。実際、籠脱けして野生化した外来種はほとんど移動しません(元々季節移動しない種が飼いやすいから飼い鳥として定着したのかも知れませんが)。考えてみれば上記のコウノトリの人工繁殖はこの思考実験の例に似ていますが、これについては後述します。
野鳥が渡りをする動機としては、投稿者も指摘されている通り餌が減って空腹に耐えられなくなり食欲を満たす為、あるいは繁殖地に渡って子孫を残したい為、これらの欲望との釣り合いの中で渡りを決意するに至っていると考えるのが自然です。しかしそれだけでは長距離の移動を説明するのには充分ではありません。単に空腹を満たす為なら漂鳥がそうしている様にもう少し近場でも良さそうなものですし、もっと小刻みに移動した方が負担が少なくて済みそうです。既に番いの相手を見つけているならわざわざ遠方の繁殖地に戻る必要は無いはずです。日本列島から離れる為には海を渡らねばならないとしても、アオアシシギなどはその日本列島を遥かに通り越し10日間ほどで1万kmも移動すると言われます。もし飛ぶのが嫌いなら尚の事そこまでするのは他に「季節移動欲」とでも言うべき「強い動機」が有るからだと考えねばなりません。渡り鳥が渡りをするのは「それが最適だから」であり、結果的にたまたま最適化した者の生き残りが現在の渡り鳥の姿そのものだという事ではないでしょうか。この疑問に多分正解は有りません。ただこれだけは言えます。「飼い鳥は自らの意志で飼い鳥になった訳ではなく人間が強制しているに過ぎない」という事です。彼らがどう感じているか何も分からないのにも関わらずです。
我々もそろそろ着地点を探しましょう。前述の「具体的な欲求」が遺伝しないという前提で考えて親から子へ代々渡りルートが受け継がれているとして、その伝承がどこかで断たれた場合渡りルートはリセットされてしまうかも知れませんが、沖縄まで飛んだ放鳥コウノトリの行動を見れば分かる通り少なくとも渡りそのものは無くならないでしょう。ほとんどの鳥類には渡り(季節移動)をする性質が備わっており、その自由を奪う事になる鳥籠は飼い鳥に想像以上の苦痛を与えているかも知れないと考えます。
鳥は飛ぶのが好きだから飛んでいるのではありません
投稿者コメント:
論破開始
いやいやいや。
だからネズミと変わらない知性しか持たない鳥類を過大評価するのは止めようよ。
そもそも渡り鳥がどうして季節季節に長距離の移動をするのか考えてごらんよ。
渡り鳥が“渡る”のは、生まれ持った本能でもなければ、神が最初から渡り鳥として造って与えられた 特殊能力でもない。
なまじ飛ぶ能力を有しているから、遠い御先祖様が外気温や餌などの環境の変化に我慢強く耐えることをせずに、さっさと新天地を求めて長距離の移動をしたに過ぎない。
そして、たまたまその時期に温かくなって餌も豊富で、かつ捕食者の少ない土地を見つけて、移り住んだ奴等が居た。
(もちろん、日本未満の環境の土地にしか辿り着けなかった奴等は死滅した )
そこが、外気温や餌などの環境が変化しない土地だったら、そのまま住み着いて日本になんか帰って来ない。 ⇒ つまり、渡り鳥になんか成らない。
でも、不幸なことに、その土地もまた外気温や餌などの環境が変化する土地だった。
おなじ状況で人間だったら、終の棲家を捜しに新天地へ行こうとするだろう。
だが、鳥はバカだ。
バカだから、渡り鳥になる前に、日本で何度か寒さに凍え、あるいは何度か灼熱に耐えた記憶を辿って、日本に戻れば、また温かい、あるいは涼しい環境で暮らせると考えて日本へ戻ってしまった。
こうして、この時点から、季節毎に行き来をする渡り鳥の生活が始まった。
これだけだよ。
だから、幼鳥も親鳥と一緒に飛んでコースを覚える。
なんのソースも示さずに
渡り鳥のうち親鳥からはぐれた幼鳥も全てかどうか分かりませんが
誰に教わる訳でもないのに渡りをしていると思われます。
って書いているけど、“渡り”が生まれて初めての挑戦になる幼鳥が、親鳥を含む渡りの群れからはぐれたら生存の確率は完全にゼロです。 それこそ偶さか漁船の上に堕ちて、優しい船員から釣り用 の餌を分けて育てて貰いでもしない限りゼロです。
思考実験をしましょう。
新天城ドーム、有明コロシアム、こまつドーム、但馬ドーム、豊田スタジアム、御崎公園球技場(現:ノエビアスタジアム神戸)、北九州メディアドーム(小倉競輪場)、大分スポーツ公園総合競技場(現:大分銀行ドーム)・・・まぁ、どれでもイイんだが、でかいドーム施設を買い取って、エアコンで温度調節して、沢山の餌を与え、渡り鳥を飼うとする。
飼育最初の年に渡りを始めようとする個体が出れば、実験は失敗に終わるが、気温が渡り鳥の希望する最適な温度で、日照時間も水銀灯のON/OFFをタイマー制御しているんだから、季節の移ろいは把握できない。だから、高い確率で飼い殺しモードが遂行できると思われる。
危険がなく餌を食いっぱぐれない環境だと雀でも十年以上生きると言われているから、何年後になるかは分からないが、“渡ったことが一度でもある”個体が死滅するまで待てば、ドーム内に居る個体は 全て“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体だけ。
さて、同種族が渡りを開始する時期にエアコンを切ってドームの天井を開け、餌を回収したらどうなるか?
もちろん、ドームの近くに今まで毎年渡り続けていた同種族は居ないと仮定して、だよ。
これまでの主張から憶測すると、貴方の回答は、
「それでも“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体もまた渡りを開始して迷うことなく目的地に到着する 」
なんだろうけど、其れっておかしくないか。
遺伝子は体の設計図だ。脳の記憶 ―― つまり、記憶する事で変化する脳神経の構造 ―― は、 一切記憶されない。
( 記憶は全く何も引き継ぎませんが、記憶以外なら引き継ぎます。
たとえば人間の赤ん坊は、飢えている時にクチの中へモノを入れると舐めます。
舐めて母乳が出たら吸って摂取しようとしますが、これは“記憶”ではなく“反射”です )
前回の返答で、「雀を食う習慣がない国土に住む雀は人から逃げない」 とまるで遺伝子が記憶するかのように書いたが、アレも良く考えたら、親や同族が人から逃げるのを真似ているだけの可能性が高い。というか、確実にそうだろう。
だから、私は、思考実験に対してこう答える。
「それでも“渡ったことが一度もない温室育ちの”個体は、初めての状況にどうして良いか判らず、そそままドーム内に留まって、親鳥は死なないが、環境の変化に耐えられない雛鳥の多くが 死んで個体数を減らすだろう。
あるいは、渡りを開始する可能性も考慮されるべきだが、
その行先は、“渡ったことが一度でもある”個体が知っている目的地ではない。 新天地である。
( もちろん、“偶然に”、同じ場所へ辿り着く可能性もある )」
です。
それと、
大空を飛ぶこと自体が鳥の本能であり幸福 (原始的な幸福感かも知れませんが)であろう
と書いておられますが、広くて飛ぶ空間が十分にあっても施設で飼われる鳥は、あまり飛びません
空を飛ぶことは莫大なエネルギーを浪費しますから、腹が減った際に確実に餌にあり付けると限らない自然界の鳥こそ飛ぶことを控えて、腹が減った際に確実に餌にあり付ける飼われた鳥こそ盛大に飛んで飛んで飛びまくる筈ではありませんか。
でも現実は逆です。
だから、貴方が絶対に譲らない思考の原点が間違っているんです。
鳥は飛ぶのが好きだから飛んでいるのではありません。
飛ぶ能力を有する事で、飛ぶ能力を有しない者たちとは違う餌の獲り方や、捕食者からの逃げ方を得たから、“生きる為に”飛んでいるに過ぎません。
そもそも長距離を飛んでいる姿を見て、「渡り鳥は、“渡り”行為自体が欲望 」 とか 「飛ぶ事は鳥類の持つ強い衝動である」 とか、そんなことを言うならオイラはどうなるよ。
貴方だってそうだったと思うけど、オイラは早朝に家を出て1時間以上も公共の交通手段を乗り継いで大阪市内へ行き、10時間以上も働いて、同じだけの時間を掛けて家に帰っている。 毎日だ!
これを観察した人知を超えた高度生命体から
「○○という個体は、自分の近くで労働者の募集があるにも拘らず、ああして毎日毎日遠い地まで 労働する為に移動しておる。
『○○という個体にとっては、電車やバスを乗り継ぐ行為自体が欲望なのだ』
あるいは、
『公共交通機関を乗り継ぐのは、○○の強い衝動である』
なのであろう 」
なんて言われたら、たとえ相手が人知を超えた高度生命体であっても、助走を付けてブン殴るぞ。
マトモな賃金を払ってくれる会社に再就職できるだけの能力を持たない無能だから、土地を貸している先にコネ入社して、失職したら生活レベルがとんでもないことになるから、往復で3時間近くも掛けて コネ入社先へ通ってるんだ。
渡り鳥だって同じだ。 季節の移ろいがあると生存が難しいから ( 特に子育てが難しい )、飛びたくもない長距離を飛んでいるだけだ。
渡り鳥に人並みの知能があって、インターネット環境があって、貴方の書いた文章が読まれたら、貴方、渡り鳥に横ッ面、ブン殴られますよ。
あと、最後に。
自然界が宇宙旅行とは比較にならないほど危険だとしても
鳥たちを人間の愛玩用として籠の中に閉じ込めておく理由にはなりません。
だから、それを決めるのは、アオラでも無けりゃ貴方でも無いよ。
当人が決める事だ。
だけど、当人は基本的にバカしか居なくて人間を保護者として認識することさえ出来ない。
だから、答えなんか出ないと言ってる。
仮説が根本から間違ってる
管理人コメント:
知能の低い動物が幸福や不幸を感じるか?というのは永遠の謎でしょうが、こう考える事は出来ないでしょうか。
投稿者は性欲に限定的に論じられていますが、少しでも多く(長く)自分のやりたい事が出来るのが幸福だと置き換える事は出来ないでしょうか?譬え野鳥に幸福を感じる知能が無いとしても欲望を満たせないより満たせる方が快楽を感じる事が出来るはずです。だからこそ動物は「行動」するのだと思われます。その結果生き残った者が遺伝子を後世に残しその欲望を受け継いで来たと思われます。当然性欲はその中の一つであり子孫繁栄に不可欠な条件ではありますが全てではありません。ほとんどの野鳥が命懸けで渡りをするくらいですから多くの野鳥にとって「季節移動」は性欲や食欲と同じく子孫を後世に受け継ぐ為に用意された強い欲望の一つであると思われます(渡りをしない人間には想像もつきませんが)。渡り鳥のうち親鳥からはぐれた幼鳥も全てかどうか分かりませんが誰に教わる訳でもないのに渡りをしていると思われます。先祖代々渡りをして来た結果として生き残り遺伝子を受け継いで来たのだから敢えて名付けるなら「飛翔欲」とでも呼ぶべき強い欲望の一つであると考えるのが合理的です。多くの局面で野鳥たちはやむを得ず大きなエネルギーを消費しつつ「飛ぶ」様に見受けられます。飛ぶ必要の無い時には飛ばないのも鳥の持つ性質だと思われます。しかし長距離を移動する場合においては様々な障壁や危険を乗り越えて「飛翔」する事は大変有利であり鳥類の繁栄ぶりを見れば効率の良い移動手段である事に疑いは有りません。上昇気流や季節風などを利用して長距離を飛翔する事は費用対効果の高い手段であると思われます。もちろん野鳥たちはそれを計算している訳ではないと思いますが本能に従った結果として遺伝子が生き残って来たのであれば、すなわち「飛ぶ」事は鳥類の持つ強い衝動であると言えます。
むしろ知能の高い動物ほどしばしば本能に従わない傾向が有ります。人間と比べて知能の低い鳥類だからこそ本能に従って生きる方が幸福と見る事は出来ないでしょうか。すなわち大空を飛ぶこと自体が鳥の本能であり幸福(原始的な幸福感かも知れませんが)であろうと推察するものです。
有史以前に人間と共生して生き残る道を選択した犬や猫の遺伝子と昨日今日人間に捕獲された鳥の遺伝子とを同列にペットとして扱うのは自然の摂理に反しており自然界が宇宙旅行とは比較にならないほど危険だとしても鳥たちを人間の愛玩用として籠の中に閉じ込めておく理由にはなりません。
投稿者コメント:
そもそも当の御鳥様に意見を訊かずに憶測であーでもないこーでもないと語っている時点で結論なんか出るワケが無い。
では、当の御鳥様に意見を訊くべきなのか? 答えはYESだ。 だが不可能だ。
鳥に人と会話する知能は無い。 もっとも人に近い猿でさえも、ピカピカの小学一年生が出来る足し算が関の山である。
<中略>
会話に至っては、関係者が誤認しているだけで、猿でも実際のコミュニケーションは成立しない。
<中略>
もちろん、鳥は猿よりも知能が遥かに劣る。
空を飛ぶ鳥は、その質量を徹底的に軽量化するため、翼を構成する骨まで中空化している。
もちろん、脳も例外ではない。
こういう動きをすれば餌が貰える ・・・ つまり、芸を覚えさせることさえ鳥類には困難な事です。
そんな鳥類に、幸せを感じる知能があると見做す時点で誤っているのはないでしょうか。
犬は簡単に芸を覚えるし、猫は機嫌の良し悪しを明確に表すから、おそらく犬や猫は我が身の置かれている状況に対して、幸福だとか不幸だとか感じている可能性が高いと思う。 しかし、鳥は違うだろう。
そこに考えを及ばす時、鳥類に対して
意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか
というクエスチョンを設定した事が間違いだと気付くべきであった。
そう考えて、「意に反した~」 を取り除けば、残るのは、自然の摂理に逆らって人が餌を与えたり、保護したりするのは正義か否か、というクエスチョンだけだ。
だが、そうなれば、これはもう個人の見解から出ることは不可能。
お互いに、いわゆる、『お前がそう思うなら、そうなんだろう、お前の中では、な』 ということです。
>自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い 不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。
そもそも知能が蟲よりも少しマシなレベルに留まる鳥類に対して、自然の摂理に従って生きることが 幸せだと感じるという発想自体が既に、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。
昆虫でさえも危険から逃げます。
脳ですらない神経節しか持たない原始的な昆虫でさえも危険から逃れるのです。
なぜでしょう?
生き延びたいからですね。
では、なぜ生き延びたいのでしょう?
どうせ一年かそこらで死ぬのに。 死ぬ状況次第では、神経が発する苦痛を脳が受け取る前に神経節ごと潰されて死ぬことだって小さな昆虫では珍しくないのに。
答えは、やや観念的な概論になってしまいますが、生き物の正体が 『遺伝子の容器』 だからです。
生き物は遺伝子を未来へ繋ぐ為に世に生まれます。
ご飯を食べたいと思うのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも、「あーセックスしたい」 と考えるのも、 セックスして気持ち良いと感じるのも、<中略>眠たくなるのも、十分な睡眠が心地良いのも、すべて、遺伝子を未来へ繋ぐ為に仕組まれた 『遺伝子の罠』 です。
ついでに書いておきますと、人間がわざわざ危険な行為に及んでスリルを愉しむのも、生きている事を強く実感して、セックスに励むように仕向ける為の 『遺伝子の罠』 と捉えることが出来ます。
だから、自然界に居るにせよ、人に飼われているにせよ、自分の置かれている状況が幸せかどうか 考える知能がない蟲や脳の小さな動物であっても、遺伝子の目的 ―― ほんのちょっとだけ変化させた自分を未来へ繋ぐ ―― が高い確率で叶う環境が幸せであると捉えることが出来るのではないでしょうか。
そう考えれば ( あくまで遺伝子にとって、ですが ) 幸せとは、[ セックスして出産(産卵)が叶う環境 ] に居る事であり、不幸とは、 [ セックスして出産(産卵)が叶わない環境 ] に居る事という事になるでしょう。
であるならば、(遺伝子にとって)最高に幸せな環境とは、外敵の心配がなく、飢え死のリスクもなくセックスして出産(産卵)が可能なパートナーが居る状況であり、(遺伝子にとって)最悪に不幸な環境と
は、外敵とか、飢え死のリスクなんか関係が無くて、単純にセックスして出産(産卵)が可能なパートナーが居ない(今後も現れる可能性がない)状況という事になります。
つまり、知能の劣る生き物に対して、その幸/不幸を客観的に判断するために、『遺伝子が幸せかどうか』 を判断基準にするならば、異性を交えた多頭飼いが最高の幸せであり、異性を交えない多頭飼い、もしくは単頭飼いで飼い殺しにされるのが最悪の不幸ということになると思います。
え? 遺伝子レベルの話じゃない、って?
んなこと言っても、最低限のコミュニケーションさえ成立しない程に知能が低いんだから、あーでもな い、こーでもないと勝手な憶測を走らせるよりは遥かに建設的だと思いますけどね。
>またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。 確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、 例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも 自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。
まぁ、大気圏を出た後は、終始、ガンマ線のシャワーを浴び続けるので、黎明期から今まで有人宇宙飛行が危険で在り続けているのは事実ですが、初期の宇宙飛行士でも死ぬ確率は、狩られる側の野
生動物に比べたら“絶対安全”と言い切って良いレベルですよ。
<中略>
ほとんど死んでいません。
一方で自然界に生きる狩られる側の野生動物は哺乳類で数十,鳥類で数百,魚類で数万もの子を 産み育てますが、その中でさらなる未来へ遺伝子を遺すまで生き続けられる個体は数匹。
死ぬのがアタリマエどころか、死なないのがオカシイといわざるを得ない死亡率です。
それに、ソビエト時代の宇宙飛行士は、一般大衆が寒冷地のコルホーズで使い捨ての労働を強いら れていた時に、本人と家族の衣食住を国抱えで養って貰えるエリートでした。 アメリカの場合は、他に就ける仕事は幾らでもありましたが、其れ等と違って宇宙飛行士はずば抜けた名誉職です。宇宙飛行士だって誰にでも成れる職業ではありませんが、アポロ時代の宇宙飛行士は、生還すれば時の人。 どんな映画俳優も合衆国大統領も存在が霞んでしまう時の人。 それでいて、生還率は上述の高さ。
そりゃあ、成れるモンなら成りますよ。
狩られる側の野生生物と比較するには余りに例として不適切です。
>高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?
誰が失敗程度で終わるような話をしてるんですか。
宇宙飛行士の死亡率が九割を超えていて、成功して生還しようが、失敗して死のうが誰にも知って貰 えないとしたら、誰が宇宙飛行士になんか成るもんですか。
被曝のリスクはあるにせよ、大多数が五体満足なまま生きて還って、報酬を受け取ってヒーローにな れるから挑戦するんです。
>なお、犬や猫を引き合いに出されていますが 彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た 途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬Ⅱ世として生まれた犬であっても 「人間になつく」 という 遺伝子が強いと思われます。 これをもって 「きっと野鳥も同じだろう」 と考えるのには無理が有ります。
は?
そもそも鳥類が人に懐かないのは、飼われた歴史がないからではなくて、知能が低いからだぞ。
猛獣は人に飼われた歴史を持たないが、知能が高い猛獣は人に懐く。
<中略>
鳥類だって、頭が賢かったら、飼われる/飼われないの歴史なんか関係なしに、懐くと思いますよ。
現実の鳥類はバカだから、そう憶測するしかありませんが。
>野生のオオカミが容易に飼い慣らせるならニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。
いや、飼い慣らせたと思うよ。
ただ、農家にとって狼は、生活を脅かす天敵中の大天敵。
殺しても気が収まらないような相手を飼おうとする奴が居なかっただけだろうね。
>なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。 それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも 「餌が出て来る便利な動物」 くらいに認識して寄って来るものと思われます。 しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると 判断するのは早計に過ぎます。 自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから 鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり 安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。
・・・ それじゃ最初にループしちゃうんだけどさ。
押し付けかどうかは当の御鳥様に訊かない限りは憶測の域を出ないワケで。
だいいち、ネズミ程度の脳しか持たない鳥類が籠の中に居て、それが自分が意に反した生活を強いらている状況だと理解できるのだろうか。
彼らが大空を飛ぶ姿を見て、さぞかし気持ちが良いのだろうな、と妄想するのは人間の価値基準に 照らしているに過ぎない。 前にも書いたが、毎日確実に餌が貰える環境に置くと、鳥は余り飛ばなくなる。 これは鳥にとって飛ぶという行為が快楽を伴うモノではなく、単に食う為にやむを得ず行っている
辛い労働であることの証左だ。
だから、私はこう結論付ける。
鳥に猛獣並みの知能があれば、人に懐くだろうし、飼われる歴史を重ねれば人から逃げなくなるだろう。 ( 余談ですが雀を食う歴史を持たない国の雀は人が寄っても逃げません:ニューヨークの公園 ) だが、現実の鳥類はバカでネズミ程度の知能しかない。 だから、飼われている時に 「此処は安全で 飢えないから幸せだ」 とか、逆に大自然の大空を飛んでいる時に 「飯には不自由するが、好きな雌を選んで犯したい放題。 ああ、自由って素晴らしい」 とか考えることはないでしょう。
だから、勝手な憶測で [ どう在れば幸せなのか? ] なんて考察は意味がないんですよ。
~以上、反駁終了。
籠の外は、日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会
001
管理人コメント:
どうやら正解の無い領域に踏み込んでしまった感があります。そもそも当初から意見がかみ合っていない様に思います。元々このコラムを記述した意図は「意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか」という疑問に発しています。人間に飼育された経験の無い野生動物は何の経験則も無しに籠の中に入って来て自ら錠を下ろす様な事はしません(多分)。籠の中が本来の生息地ではないからです。生まれながらに籠の中という飼い鳥は自然界を知りませんが、一見すると満ち足りた様でも本能を封印された生活で幸せなのかという話です。なるほど確かに毎日の様に充分な食べ物が出て来る快適な空間かも知れませんが「長生きイコール幸せ」というのは人間の価値観の押し付けに過ぎないのではないかと思います。案外「せっかく鳥に生まれて来て空を飛べないくらいなら死んだ方がマシだ」と思っているかも知れません。いかに生きたかではなくどれだけ長く生きたかに重きを置くという価値観は人間同士の間でさえ評価の分かれる所です。果たして飼い鳥が長生き出来て幸せだと思っているのか誰にも分かりません。自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?
なお、犬や猫を引き合いに出されていますが彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬Ⅱ世として生まれた犬であっても「人間になつく」という遺伝子が強いと思われます。これをもって「きっと野鳥も同じだろう」と考えるのには無理が有ります。野生のオオカミが容易に飼い慣らせるならニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも「餌が出て来る便利な動物」くらいに認識して寄って来るものと思われます。しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると判断するのは早計に過ぎます。自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。
投稿者コメント:
>鳥の気持ちは鳥にしか分からないので飽くまで推測だが、少なくとも自ら望んで籠の中に入って来て 飼い鳥になる野鳥は居ないだろう。
<中略>
それは鳥に「飼われる」という概念が理解できないからに過ぎない。
もう少し賢い獣になると、飼われるという事が理解出来て自ら飼われようとすることがある。
犬や猫などで、敵ではない人間が存在することを理解した個体の中に、自ら人間に身を摺り寄せて飼ってアピールをする者が居る。
鳥にももう少し知能があれば、飼われようとする者もあらわれるだろうね。
>逆に飼い鳥は籠から抜けるチャンスが有れば出て行ってしまうだろう(帰巣本能によって戻って来る伝書鳩はその様な本能を人間が利用しているに過ぎない)。
逃げるのは単純に弱肉強食の世界で生き残る為に必要な本能に従っているに過ぎない。
ただし、高く飛んで餌を探さなくて済む生活に慣れた個体は、餌の貰える環境へ戻ろうとする傾向がある。
<中略>
たしか、ヒヨドリだったと思うが、西区九条の駐車場で翼を傷めた個体を見つけて保護したことがある。
「蟲しか喰わないんだろうなぁ」と思って、釣り道具屋でゴカイを買って、カッターナイフで刻んで食わせた。
どうせ羽根が治ったら自然へ還す予定だったので、鳥小屋は、新聞紙を敷いた上に洗濯籠を被せただけの簡易仕様。
ひと月くらいだっけか、洗濯籠の中を飛び回る様になったので、庭に放ったら、あっという間に視界の彼方へ。
お礼の挨拶くらいして欲しかったが、畜生にそれを望むのは無理なので諦めたら、半日くらいして鳴き声が。
どうも単純に腹が減った際に、この辺で努力しないで飯が食えていたことを思い出したみたいだ。
とはいえ、人間の姿を見たら逃げるので、捕まえて飼うことも出来ず(そもそも、飼うのは違法だが)、数日したら来なくなった。
先述の犬や猫もそうだ。 (犬の場合は保健所がヤバイので公道で放し飼いは無理だが)野良猫歴のある猫は、腹が満たされたら外へ出たがる。
でも、腹が減れば帰って来る。 繁殖期にメスを追いかけて遠くへ行ってしまい、帰って来れなくなるバカ猫も居るけど、基本的には帰って来る。
>野鳥 たちは長い者では片道3万km以上も季節移動する。 それが彼らの本能であり遺伝子に組み込まれ た強い衝動なのだ。
いやいやいや。
片道3万km以上も季節移動するのは、他の種と餌を奪い合う事無く子を産み育てれられる環境を求めて移動するだけの事。
「本能であり遺伝子に組み込まれた強い衝動」であるから、ヒヨドリのように簡単に洗脳できるとは思わないけど、目的地よりも手前に似たような環境の理想郷を見つければ、そこが新しい目的地になるだろうし、(物理的に可能かどうかは別にして)新しい目的地を次々に用意して、飛行距離を短くし続けたら、おそらく渡り鳥ではなくなるだろうと思われる(あくまで憶測ですが)。
ちなみに、巨大な植物園などで、鳥を放し飼いにしている場合、餌台を置いて、獲物を狩る必要のない生活が続くと、鳥は木に停まってばかりで、ほとんど飛ばなくなるんだそうな。
渡り鳥も、遠距離を飛ばなくても食って子孫を遺せる環境が続いたら飛ばなくなると思うよ。
>人間の主観かも知れないが懲役刑が刑罰として成立するのは多くの囚人にとっ て自由を奪われる事それ自体が苦痛だからだ。インドア派の人が部屋に閉じ籠って生活する事を選 ぶのはそれがその人の欲求であり自身の自由を謳歌している事に他ならないのではないか。たとえ その結果運動不足で寿命を縮める事になるとしても本望だろう。仮出所無しの終身刑で三度の食事 に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生と、自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生とどちらを選ぶかと問われれば、僕は迷わず後者を選ぶし鳥たちにも選ばせてあげたい。
いやいやいや。
仮説が根本から間違ってる。
・囚人⇒仮出所無しの終身刑で三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生
・囚人じゃない⇒自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生
これは間違っていない。
だが、
・飼われ鳥⇒三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される鳥生
だとしても
・野鳥⇒日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会。 しかも、明日どころか今日の飯さえ保障されない。
ですよ。
野鳥の弱肉強食リスクを人間の仕事レベルに希薄させるのはアカンでしょ。
囚人の人生を以て、野鳥を語るんじゃなくて、野鳥が負っているリスクを人間に喩えて、人は野で生きることを選ぶのか?を考えなきゃ比較としてフェアではない。
たとえば、とある国のとある所に、経営破綻して廃園となった動物園があるとする。
何故か貴方の家がその動物園のサファリツアーの入り口に建っている。
玄関ドアはサファリツアーコースに向いている。
仕事をしたり、飲み屋や風俗に行ったり、恋人に会う為には廃園となって、腹を空かせた猛獣が待つサファリツアーコースを抜けて外へ出るしかない。
一方、ドアを開けずに引き籠っていれば、何処からか粗末な衣服や不味い食料が湧いて来る・・・とする。
さて、ドアを開ける気になるかい?
ちなみに野菜を採らない猛獣は、内臓を食べることで栄養のバランスを取っているから、必ずしも頸動脈を噛み千切って早く楽にしてくれるとは限らないよ。
私なら、生きたまま腸を食い散らかされるくらいなら家に引き籠りたいね。たとえ、妄想072くらいしか娯楽が無いとしても。
>登山家が危険を冒してまで山に登るのはそれがその人の欲求であり、命あっての物種とは言え危険だから山に登るなと強制されたら果たしてその人は長 生きして幸せな人生だと言えるだろうか。
え? 登山家って猛獣と闘いながら山を登ってるの?・・・という次元の話なんだがね。
アタリマエの話だけど、弱い種ほど多産だ。
小魚などは一度に十万以上も産卵して孵化する。 鳥も哺乳類とは比べ物にならない程多く産卵して孵化する。
しかし、その中で成魚/成鳥まで育つのは、ホンの僅かだ。
基本的に全部死ぬ。
死ぬために生まれてくる。
圧倒的に死ぬ個体郡の中に、小魚ならちょっとした宝くじの特等並みの確率で、鳥だったらビンゴ大会の一等賞並みの確率で、生き残って未来へ命を繋ぐ個体が存在する。
それ以外は全部死ぬ。
だから、もし、孵化する前の幼魚や幼鳥に
「これから先は、ほぼ100%生きたまま他者に喰われてもがき苦しんで死ぬ魚(鳥)生が待っています。生まれたいですか?」
と訊けるとしたら、
(相手に知能があるなら)「生まれたくない」
と答えるでしょう。
私も、(私が魚や鳥だったら)そう答えます。
魚や鳥は、産まれてしまったから仕方なく生存競争に加わっているだけです。
たとえば、競争率20倍の大学があって、合格すれば人生勝ち組確定だとしても、落ちた奴は全員死刑・・・なんて受験があったら誰が受けるだろうか。
そういうことなんですよ。
野生のリスクは登山家のリスクとは比べ物にならない。
毎年毎年、登山家の九割が遭難して死ぬというなら、比較として成り立つが、登山家が死んだだけで新聞の記事になる程度の温いリスクで、野生動物の生存競争リスクに喩えてはいけないよ。
>鳥たちは籠の中が比較的安全だとは理解してないだろう。結果的に長生き出来る確率が高いに過ぎない。但し飼い主の家が火災になっても自ら逃げる事は 出来ないから絶対安全とは限らないし野外だから短命に終るとも限らない。近年オナガガモの標識 調査で10年前に足環を付けられた個体が生存していた事が確認されている。
それは飼われ鳥に於いては、偶然に運の悪い個体が存在し、野鳥に於いては、偶然に運の悪い個体が存在したに過ぎない。
要は餌が確保できて、外敵に襲われず、日陰や人間の熱源などで極端な寒暖から逃れられれば、野鳥にだって長生きは出来る。
先述した通り、そもそもこの世に生れ出て、成鳥まで無事に育つ個体自体が既にレアケースである。
さらにレアケースな『長生きした野鳥の例』に意味は無い。
「誰もがそんな鳥に成れるとは限らない」どころの話じゃなくて、ほとんど誰も成れないレア中の弩レアケースだからだ。
野に生きれば、九分九厘が生きたまま喰われて死ぬか、あるいは飢え死や凍死する。
人に飼われれば、(飼う人にもよりけりだが)九分九厘が鳥生を全うする。
これは厳然たる事実である。
>我々は自由主義国日本に生まれ自由が当たり前過ぎてその尊さに気付きにくい傾向が有る。その一方で安全が当たり前過ぎて危険に対して鈍感な面も否めないのだが。
いや、日本がイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよりも遥かに安全だとしても、
アフガニスタン,パキスタン,ソマリアでさえも、野生の弱肉強食に比べたら超安全なぬるま湯だよ。
幾ら何でも、野生動物みたいに、新生児の九割以上が未成年の間に死んじゃうんじゃないからね。
それでも、AK47を乱射してヒャッハー!なイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよりも遥かに安全な日本に生まれ育ったことを感謝するって言うのなら、
もし、鳥籠の鳥に言語を操って喋る知能があったなら、
「雌鳥の尻尾を追い回してヒャッハーな鳥生は謳歌できませんでしたが、野生よりも遥かに安全な環境で育てて頂いて感謝します」
と言うとは考えられないかな。
頭を撃ち抜かれて死ぬのでさえ十分すぎるくらいに嫌なのに、生きたまま腸食われてのたうち回って死ぬんですよ。
嫌すぎません?
<中略>
登山家の件は、こうも考えられるよね。
基本的に登山は、安全で簡単な低い山から始めて、少しずつ難度を上げて行く。
だけど、野生の生き残りを賭けた闘いは違う。
生まれた瞬間がアンナプルナだ。
何故なら、肉は若ければ若い程美味く、逃げ足は若ければ若い程遅いからだ。
たとえば、アフリカ奥地の村を、人肉の味を覚えた猛獣が襲う場合、成人男性は後回し。
喰われるのは女子供。
だから、野生の生存競争のリスクを登山に喩えるなら、最初の登山がアンナプルナであるという前提でなくてはならない。
と考えれば、世界屈指の有名な登山家だって、初登山がアンナプルナで登山家の成ろうなんて思うだろうか。
思わないよね。
バイク乗りだって、初運転がマンクスTT
ならバイクに乗ろうなんて思わないし、
クルマ乗りだって、初運転がパイクスパークヒルクライム
ならクルマに乗ろうなんて思わないだろう。
どっちもほぼ確実に死ぬもんな
管理人コメント:
フォトギャラリー第214回余録;キバタン
鳥の気持ちは鳥にしか分からないので飽くまで推測だが、少なくとも自ら望んで籠の中に入って来て飼い鳥になる野鳥は居ないだろう。逆に飼い鳥は籠から抜けるチャンスが有れば出て行ってしまうだろう(帰巣本能によって戻って来る伝書鳩はその様な本能を人間が利用しているに過ぎない)。野鳥たちは長い者では片道3万km以上も季節移動する。それが彼らの本能であり遺伝子に組み込まれた強い衝動なのだ。人間の主観かも知れないが懲役刑が刑罰として成立するのは多くの囚人にとって自由を奪われる事それ自体が苦痛だからだ。インドア派の人が部屋に閉じ籠って生活する事を選ぶのはそれがその人の欲求であり自身の自由を謳歌している事に他ならないのではないか。たとえその結果運動不足で寿命を縮める事になるとしても本望だろう。仮出所無しの終身刑で三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生と、自分で生活費を稼がねばならずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生とどちらを選ぶかと問われれば、僕は迷わず後者を選ぶし鳥たちにも選ばせてあげたい。登山家が危険を冒してまで山に登るのはそれがその人の欲求であり、命あっての物種とは言え危険だから山に登るなと強制されたら果たしてその人は長生きして幸せな人生だと言えるだろうか。鳥たちは籠の中が比較的安全だとは理解してないだろう。結果的に長生き出来る確率が高いに過ぎない。但し飼い主の家が火災になっても自ら逃げる事は出来ないから絶対安全とは限らないし野外だから短命に終るとも限らない。近年オナガガモの標識調査で10年前に足環を付けられた個体が生存していた事が確認されている。我々は自由主義国日本に生まれ自由が当たり前過ぎてその尊さに気付きにくい傾向が有る。その一方で安全が当たり前過ぎて危険に対して鈍感な面も否めないのだが。
投稿者コメント:
籠の外は、日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会。
しかも、明日どころか今日の飯さえ保障されない。渡り鳥などは、飢えから逃れる為に何百/何千/何万キロも海を渡って移動する。当然、移動中に多数が墜落して溺れ死ぬ。
「狭い部屋に閉じ籠って暮らす位なら、サファリ砂漠の弩真ん中で猛獣に食い殺されるリスクを選ぶ」
という 選択肢は必ずしも正解ではない。
少なくとも私なら、サファリ砂漠の弩真ん中で猛獣に食い殺されるリスクを背負う位なら、狭い部屋に閉じ籠ってゲーム三昧/深夜アニメ三昧を愉しむ生活を選ぶよ。たとえそれが終身刑であっても。
冠羽を逆立てながらこの世のものとは思えない奇声を発していた。日本には分布しないオウムの仲間で明らかに籠抜け。苦笑いしながら撮影した。飼育下では70年も生きる長寿だとか。籠の中の鳥は安全で喰うに困らず長生き出来て幸せそうに見られがちだが僕から見れば終身刑と同じであり、人も鳥も狭い所に閉じ込められて生かされるより野外で自由に生きる方が幸せなんだと思う。
管理人コメント:
フォトギャラリー第213回余録;キバタン
野鳥王国フォトギャラリーの余録に始まり途中までフォトギャラリーに掲載していたものの更に投稿頂き議論が過熱してきたのでフォトギャラリーから切り離し新コーナーとして独立することにしました。激論に参戦したい方は当ギャラリーの趣旨およびサイトポリシーの免責事項等をご理解いただいた上でペンネーム等を添えて下記メールアドレス宛て投稿下さい。管理人にて内容を確認した後、掲載させて頂きます。
ただし全ての投稿には対応出来ない場合が有ります。また管理人にて一部編集等する場合が有ります。
→メールアドレス:birdskingdomjapan@yahoo.co.jp
「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」(タイトルは管理人にて後付け)