投稿者コメント:
SEALDs や朝日新聞を相手にしているのかと錯覚する程に意見が暖簾に腕押し状態なので、言い返したい事は多々御座いますが、敢えて何も申し上げません。私の腹の中に在るモノは、すべてが些事に御座います。
<中略>
では、これにて終了 ~~~。
管理人コメント:
今回の投稿者コメントにも「前回までの管理人コメントにその回答が有る」という様なコメントも多々あるし、僕からもまだまだ反駁したい事は山ほどありますが、もう本当にキリが有りませんので予告通りまとめに入ります。そもそも互いに半世紀もかかって己の価値観を構築し信念に従って(?)生きて来たのだからここでいくら膨大なコメントを繰り返したところでその半生を覆すに至らないのは当然と言えば当然ですからね。実際、互いに相手を納得させる事が出来ていないのが現実なので、以下半強制的に整理します。

投稿者さんの主張;
<野鳥の飼育>
我々は「資源を不当に浪費する簒奪者」だ。
我々は「存在自体が悪」だ。(あくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は悪でも何でもない)
だから今更、飼う為の条件を整える迄に犠牲となるかも知れない幾つかの個体が可哀想だなんて綺麗事だ。
[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
野鳥を所有したいという欲望を否定するためには相応の説得力のある“理由”が必要。
法律的には結構色々な野鳥を飼う事が可能。
野鳥には鳥権が無いのだからストーカー行為も監禁も等しく同じだ。
ありふれた狩猟鳥を飼ってはならないという理由は無い。


<王道のバードウォッチング>
猛禽類や狩人のような捕食者しか居ない環境と、其処へ更に観測者と云う余計な恐怖対象が加わった環境を同一視することはできない。捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題。
人権ならぬ鳥権が認められたなら、バードウォッチングもまた、法律で禁止される行為と成り得る。


<邪道のバードウォッチング>
鳥に対する迷惑行為をやっておきながら、スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けで鳥を集める行為を咎めるべきではない。「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も大同小異である。
スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けを迷惑と感じているのは、“王道のバードウォッチャー”だけ。
邪道のバードウォッチングを否定されるなら科学的根拠を寄越せ。違法行為をしていない者なのだから、誰にも責める権利はない。
スマホで囀りを鳴らせば、野鳥は異常な挙動を示すに違いない、人の手から餌を貰えば、野鳥は不自然な体型になってしまうに違いないというのは妄想だ。
狭量な人物の行為に対しては、重箱の隅を穿り返して難癖を付ける様なイチャモンが纏わり付くのも致し方のないことだ。
野鳥が近くへ寄って来れば、長玉を構えて遠方の野鳥を捉えることが出来ない観光客は喜ぶ。「観光客が好む様な、観光客にとって都合の良い社会秩序」が維持されるべき社会秩序。
ミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは社会秩序を乱す行為。


<ストーカーやパパラッチ>
バードウォッチングとストーカーやパパラッチとは同じだ。

管理人の主張;
日本における法律がどうであるかにかかわらず、
① 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり(野鳥から見て) 何の問題も無い。
② 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって迷惑である。

<野鳥の飼育>
自然界のハンター(原始人や猛獣や猛禽)は鳥をペットとして飼う事は無いのだから、
[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは「あるがままの自然」の姿から程遠いと言わざるを得ない(「あるがままの自然」から遠いほど野鳥に与える影響は予測が困難である)。
本来野に在る鳥を本来の生態とは異なる環境に置いている時点で個体としての野鳥に何も弊害が無いとは言い切れない。
未来永劫人間と共存して行けるのか未知数である限り種としての野鳥にとって果たしてプラスなのか誰にも分からない。
野鳥を飼いたい人こそ上記に対抗する科学的根拠が必要。
ペットを飼育したい人にはペットロスを覚悟してペットを飼育するかペットロスを回避するために飼育を断念するかという二者択一が迫られているが野鳥ファンにはバードウォッチングするか大型モニタで観る動画で辛抱するかという二者択一を迫られる動機が無い。
ペット飼育を希望しない者にとって既にペットと成っている種が野生種からペットに至る過程を許容しなければならない理由は無いのだから今現在の野鳥に同じ苦痛を与えてはいけないと主張しても(存在自体が悪という罪とやらを度外視すれば)何ら矛盾は無い。
バードウォッチングをストーカーに例えるのであれば飼い鳥は監禁でありストーカーと監禁は等しく同じではない。
上記にかかわらず既に飼育下に有って復元困難なものは最期まで飼育されるべきだ。野鳥は誰の所有物でもない。よってどうしてもペットを飼育したい人は既存のペットの中に活路を見出すべきである。
野生種をペット化するという事はその遺伝子を人間に依存しなければ生きて行けない様に改変する事になる。故に安易なペット化は避けるべきである。

<王道のバードウォッチング>
捕食者も運悪く獲物が獲れない状態が長引けば延々とハンティングを継続するはずである。捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては「元々そこに有る恐怖」だから、頻度に関わらずどこにも問題は無い(野鳥がストレスが原因で死滅してしまったという話は聞かない)。
どこにも問題は無いのだから上記が頻繁に起こるとしても「新たな(人工的な)恐怖」などではない(「前提条件が変われば結論が変わる」などという事象はどこにも生じていない)。
ただし野鳥が迷惑しているのは事実だろうから「極力影響を与えない」様に心掛けるのは間違いではない。

<邪道のバードウォッチング>
上記①の通り「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も(野鳥から見て)何の問題も無い。だとしても、
スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けを科学的に否定する事は困難だが状況証拠と目撃体験から、常識的に度を越せば問題有りと認識している。
餌付けも度を越すとペット化と同じであり種の弱体化を招く。
一方で迷惑している人が居て一方で迷惑をかけている人が居たらそれはやはり迷惑だと言われても仕方がない。法律に抵触しているかどうかの問題ではない。何事も程度問題である。
人間社会によって自然界の生態系がどういう形であれ維持されているのだとしたら、我々が「自然」と捉えているものも社会秩序の一部であると言える。だとすると社会秩序を乱す事はすなわち生態系を乱す事にも繋がる。人間界の社会秩序が維持されなければ自然界に多大な悪影響を及ぼす。

<ストーカーやパパラッチ>
人間界のストーカーやパパラッチは被害者より元々上位に位置する存在ではない。従って野鳥ファンをストーカーやパパラッチに例えるのは根本的に間違っている。

イタチの最後っ屁ではありませんが投稿者さんの直近コメントに少し回答しておかねばなりません。
野外のフィールドにおける社会秩序には一般常識で容易に類推出来る様な事柄(総則)と、野鳥ファン同士やトレッカー同士などそれぞれのジャンル(社会)において形成されている事柄(細則)とが有る様に思います(もちろん明文化はされていませんが)。野鳥ファン以外の人に野鳥ファンの社会秩序を押しつける事は出来ないという意見は一見するともっともな事の様ですが細則は総則とかけ離れた特殊なものではなく一般常識の延長上に有り総則に内包されている性質のものです。よって常識的に判断すれば「こんな事をしていたら野鳥ファンが迷惑するだろう」と予測する事は可能だと思われます。立場が変わっても社会一般の常識が大きく異なるとは思えません。仮にその予測が出来なかったとしても、野鳥を見たいという強い動機の無い「野鳥は運が良ければ見られる程度のオマケ」としか思っていない一般観光客がスマホでおびき寄せられた野鳥を見て喜ぶなどという社会秩序は未だ存在していない様に見受けられます。もしそんな社会秩序が形成されているとしても邪道のバードウォッチャーが王道のバードウォッチャーに迷惑を掛けているという事実は消えません。また「ミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは社会秩序を乱す行為」という社会秩序も存在していません。そんな細則は総則の中に内包されているとは思えません。つまり常識的に判断して「こんな事をしていたら一般ピープルが迷惑するだろう」と予測する事の出来ない事象です。野鳥ファンは一般ピープルよりも少し大き目の荷物を背負っているだけでありウロチョロしているのは一般ピープルも同じだからです。恐らくその社会秩序は投稿者さんの理屈の中にだけ存在するものでしょう。また仮に鳥を見たいという動機が有れば「確実に鳥が見られる」という社会秩序が存在する動物園へ行けば良いのです。或いは本来の「あるがままの野鳥」を見たいという動機が有るのならスマホでおびき寄せられた野鳥を見ても希望が叶えられたとは言えません。地上の自然界が巨大な鳥籠だとしても「あるがままの野鳥」に最も近いものを求めるしかありません。(少なくとも野鳥ファン同士の)社会秩序を乱してまであからさまに手を加えられた飼い鳥同然の姿を見るくらいなら動物園へ行った方が無難というものです。
なお、
巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にする。
とのご指摘が有りましたが、実はこれはバードウォッチャーが最も注意しなければならない事なのです。野鳥の繁殖を邪魔すると営巣放棄により雛や卵が死んでしまう危険性が高く、実際そういう事例が少なからず有るものと思われます。ここでの議論から人間は元々捕食者なのだから問題無いと言っても良いのですが野鳥に極力影響を与えないというモラルが普遍的なものであるならばそのモラルに反するとも言えます。故に営巣の観察には最低限の知識と細心の注意が求められます。

これにて終了です(やっと終った・・・)。「文明至上主義」についてはテーマから遠退きましたので割愛しました(場所を変えて継続してもいいですけど)。ここまでの激論を以ってしてもテーマに関して結論めいたものは残念ながら得られませんでした。あとは読者の人がどう思うかです。人により価値観は千差万別です。理屈が通っていても他人が納得するとは限りません。ただ今回の激論の結果、僕個人の考え方はだいぶ整理出来ました。有り難うございました~。
このまま管理人のコメントで終るのは管理人のモラルとしてどうかと思います。まだ何か言いたい事が有れば冥途の土産にどうぞ・・・
投稿者コメント:
では、これで最後だという話を信じて、気を取り直して論破開始と行きましょう♪

>文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも 「自然を遮断」 して実験して頂く以外に道は無いのです。

  素晴らしい迄に話が噛み合いませんな。
  <中略>
 さて、此処に至って漸く何故齟齬が噛み合わないのか、の片鱗が垣間見えた様に思われます。
 どうやら貴殿は、文明至上主義で自然を徒に浪費することによって、資源が枯渇する事を危惧するが故に、当方へ向かって
   自然を遮断して暮らせ
 と、お仰って居られたみたいですね。
 漸く理解が出来ましたよw
 でも、それ、意味がありません。
 そもそも、日本人を含む先進諸国の生活は自然を余りにも浪費し過ぎていて、どの道、先は長くありません。 しかも、今は“グローバル化”という美名の下に、途上国の人間に先進国の生活を教えて、 新たな消費者として育てることでマーケットを拡大する方向へ舵取りされています。
 資本主義経済の本来在るべき姿は、「皆で幸せになろうよ」 ではなく、日本を含む一部の先進諸国 が最大限に豊かで文明的な生活を享受するために、多数の途上国に貧困と飢えを押し付ける物だった筈です。
 それが経済活動の行き詰まりから、途上国へ中途半端に豊かで中途半端に文明的な生活を与えてしまいました。これは、地球の資源が有限であることを考慮すれば完全に誤った選択です。
 地球の資源が有限である事を前提に、世界中の人が“自然と文明のいいとこ取り”をしようと思ったら、我々の生活レベルは恐ろしいレベルで下方修正されることになります。 もちろん、その引き換えに、今現在に貧困と飢えを押し付けられている途上国の人達は、今よりは幾許かマシな生活を手に入れることができるでしょう。 でも、一旦、資本主義経済格差社会の上位に居た我々日本人が、生活インフラもマトモに整備されておらず、ちょっとした農作物の不作で飢え死するのが当然の生活になんか戻れません。
 貴殿は自身の生活ポリシーを“いいとこ取り”と仰っていたと記憶にありますが、世界全体から見れば 日本人の平均的な生活は全然“いいとこ取り”なんかじゃありません。 途方もない浪費です。
 中国13億人が平均的な日本人と同等の生活を得る為には、地球がもう一つ必要だと言われています。 つまり、浪費を罪と感じない私はおろか、中庸を貴ぶ貴殿に於かれても、貧しい国に住む人達から見れば同じ 「資源を不当に浪費する簒奪者」 でしかありません。
 そもそも、故意に資源を浪費しようとしたところで、オイラが如き個人には大したこと等できません。
 水道を開きっ放しにして、水資源を浪費しようとしたら 「 水道代ガー 」 と嫁からグーパンチが喰らわされますし、無人の部屋に冷暖房をガンガン掛けて石油資源や天然ガス資源を浪費しようとしても、やはり 「電気代ガー」 と嫁からグーパンチが喰らわされます。
 ( というか、暑い日に「だけ」掛けているエアコンに掛かる電気代でさえ、ぶーぶー文句言われています )
 オイラの趣味は車道楽ですが、次々と新車を乗り換える程の甲斐性はなく、新車で買えば十年以上は乗り続けますので、“文明至上主義”を名乗るには稼ぎが足らなさ過ぎる様な気もします。
 ぶっちゃけ、オイラの“文明至上主義”ってのは、“存在自体が悪”と同じ次元の話でしかありません。  日本人に生まれただけなのに、百年前の人が見たら
<中略>科学万能の時代に、科学の恩恵を受けて安穏と暮らしているという後ろめたさ故に、自分で自分にネガティブなレッテルを貼っているに過ぎません。
 オイラが少々、無理して故意に資源を消費したところで大勢に影響など微塵もありませんし、貴殿が 中庸の範囲で慎ましく暮らして資源を温存しようとしたところで大勢に影響など微塵もありません。
 そして、無理して故意に資源を浪費しようとしているオイラはもちろん、中庸の範囲で慎ましく暮らして資源を温存しようとする貴殿も、文明とは程遠い世界で暮らす人達から見れば同じ 「資源を不当に浪費する簒奪者」 です。
 貴殿が途上国から送り込まれたテロリストに銃を突き付けられた時に
 「 違う。 私は、この投稿者さんと違って自然の資源を浪費しない様に勤めて暮らしてきた 」
 なんで弁解しても、鼻で笑われてトリガーを引かれますよ。


>「存在自体が悪」 という土俵で交わして来た過去の激論が全て覆ってしまうと思うんですよね。
 <中略>
 それならそれで 「存在自体が悪」 という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事になりますよ。

 そか、それはすまなんだのう。
 <中略>
 ( ゚д゚)はて?
 実際に罪を犯しているという前提であっても、概念上の ( 現実の法で裁き様が無い ) 罪を犯しているという前提であっても、等しく意味は変わらないと思うんだが。
  ( 人間の知能の範囲で想像する ) 人よりも高位な存在から見て許しがたい犯罪行為に当たるであろうと思われる自然破壊や喰う目的以外の殺戮によって生かされている我々は、その人よりも高位な存在から見れば犯罪者、もしくは、共犯者であろう。
 そういう意味で
   「 大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で言うべきではない 」も
   「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」も
   「 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない? 」も
   「 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。 」も
   等々・・・
 も決して翻ることはないと思うのだが。


>野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。時間軸は関係有りません。

 ま、この辺は、どうにも会話が通じていないので書くだけ無駄だと思うのですが、一応。
 『御野鳥サマ』 の部分を 『まだ人に飼われる歴史を持っていない時代の野生の犬』 や 『まだ人に飼われる歴史を持っていない時代の野生の猫』 に置き換えても意味は同じです。
 遥かな昔に、最初に○○という野生動物を飼おうとした者が居て、連綿と続く試行錯誤の歴史の結果、今現在に人の環境下でペットとして暮らす○○が存在する。
 これがどうして○○の中に『野鳥』の二文字が入ってはならないのか。
 既に、文鳥も十姉妹も鸚鵡も同様の道を歩んできたというのに。
 ・・・ というだけの話です。


>ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・
  <中略>
 それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。それが妥当な解決策です。

 “許し難い行為”と見做していないというのであれば、貴殿は”許し得る行為”と見做しているという理解で宜しいですね?
 では飼わせて頂きくことにしましょうかw
 実際問題、( どこまで環境破壊になるのかはともかく ) 野鳥のペット化は ( 法律違反ですが ) そこかしこで普通に行われている行為であって、飼い主がトンデモナイことをしなければ、普通に飼える様に思われます。
 雀なんかは、「あれ? いつの間に飼う事が解禁になったんだ?」と思う程、飼っている事例がweb上 に満ち溢れています。

   <中略>
 もちろん、「 『鳥獣保護法』 で禁じられているのに 」 という余計な御節介をする外野に備えて、動物病院の指示を仰いでいるだの、役所に届け出はしてあるだの、予防線は敷いてありますが、基本的 に、してはイケナイ筈の野鳥飼いを勝手にしています。
 ( ※ 『してはイケナイ筈の野鳥飼い』 というのが、法律を曲解した都市伝説であることが分かりました。 後述します )


>なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?

 飼いたいからですよ。
 もし、 
<中略>タイムマシンを開発して、猫でも兎でも何でもいいですから、タイムマシンで過去へ行き、最初に野生種をペットとして飼おうとした人にこう訊いたとしたら、どんな返事が得られると思いますか。
   貴方はどうしてその○○(野生種)を飼おうとするのですか?
 常識的に考えて返事なんか貰えないでしょう。
 「 ( 何言ってんだ、コイツ ) 」 という目で見られて、棒で追い払われるのが関の山でしょう。
 飼いたいから飼おうとするのです。 感情に理屈なんかありません。


>人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから
 無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?
 文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから
 犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。

 「 フェラーリ348GTB(1989年 ~1994年)や同F355(1994年~1999年)が欲しいよぉ 」
 と言っているクルマヲタクに向かって
 「 んじゃトヨタ・MR2(SW20 / 1989年~1999年)で我慢しなよ 」
 と返すのを妥協案とは申しません。
 文鳥や十姉妹で我慢できるなら、疾うの昔に文鳥や十姉妹を飼っているでしょう。


>ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。 それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしかありません。

  では貴殿もバードウォッチングに代えて、大型モニタ ( または、ヘッドマウントディスプレイ ) で観る動画で御辛抱なさいませ。

>ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたままその姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事にはならないんじゃないですか?眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。

  バブル景気の真っ只中に <中略>求人広告にこんなのがありました。
 虚覚えですが、
 「 
<中略>○年間の給料で新車のフェラーリが買えます」
 ( すいません、○に入る数字はド忘れしました)
 「でも乗る時間はありません」
 「それでも、自宅へ帰ってガレージに佇む愛車を見る度に『明日も頑張ろう』とやる気が起きます」
 ・・・ こんな感じの広告でした。
 眺めて楽しむだけの結果にしか成らなかったのだから、彼はフェラーリを買うべきではなかったのでしょうか? 眺めて楽しむだけなんだから、帰路の途中で外車ディラーに寄って、閉店済みのガラス越しにフェラーリを眺めれば其れで良かったのでしょうか?
 違いますよね。
 「所有する」 と 「所有しない」 の間には大きな隔たりがあります。
 それは所有欲が満たされるか否かの違いです。
 だから、バードウォッチングは鳥を飼う事の代わりには成り得ません。
 それに、懐かない鳥は別にして、懐く鳥は野鳥でも手に乗ります。
 スズメを飼った話とか鴉を飼った話などを読むと、体や頭を撫でると犬や猫のように喜ぶという描写が書かれています。 さすがに頬ずりをして溺愛というワケに行かないかも知れませんが、其れに近い 愛玩行為は出来ます。


> 科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は 不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。

  ( ゚д゚)は?
 そんなことを言い出したら、全ての科学的な進歩は否定されてしまいますよ。
   科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能
 なのではありません。
   科学的根拠を得る為に最初の一羽を飼う必要がある
 のです。
 クドいようですが、話のスリ替えは止めましょう。


>結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのに わざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。

  飼いたいと希望する人が存在するからです。
 文明が進化してきた原動力は欲望です。
 欲望を叶える為に行動する事は、文明人の基本的原則です。
 今まで散々っぱら、インフラ整備や資源開発の為に彼らの棲家と生活圏を奪い、食料として狩って喰い、あるいは、狩って羽根を毟り取った後で、旨くない死肉を不遜にもゴミとして捨てきた歴史を歩んでおきながら、今更、飼う為の条件を整える迄に犠牲となるかも知れない幾つかの個体が可哀想だなんて、よくもまぁ
、<中略>綺麗事が言えますね。
 いいですか、
 ① 野鳥を飼ってはイケナイという法律がない
   ( ※:実は『鳥獣保護法』が「保護する際は許可を得よ」と規定しているのは、
      狩猟鳥以外の野鳥であって、狩猟鳥には規定がありません。
      したがって、身近にありふれた狩猟鳥を飼う事を禁止している法律は存在しません。
      ⇒ 後述します )
 ② 野鳥を飼いたいと願う人が存在する。
 ③ Youtube や webページ 等を見ると、既にスズメやヒヨドリ,鴉等で、ほぼぺット化に成功していると思われる例が幾つも見られる。
 ④ 既に人間は、犬や猫を始めとして鳥類もペットとして飼っており、少なくとも人の目に見て、 良好な関係を築いていると言える。
 ⑤ 今までに飼おうと試みて失敗した種に再チャレンジするというならマダしも、
   まだペットとして普遍的な地位を確立していないだけの種 ( ③で挙げたような種 ) であれば飼う事が常態化すれば、十分にペットとして確立する可能性が高い。
 此処まで揃っているんだから、( 少なくとも希少種ではないありふれた身近な野鳥に関しては ) 「 絶対に飼うべきではない 」 という主張の方がオイラには異常に思えます。
 別に絶滅危惧種を飼おうってんじゃないんだからさ。
 いいんじゃねーの?


 >野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
 だと主張されるなら
 野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
 野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
 餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
 スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
 ですね。

  自分の都合の良い様に話をすり替えないで頂きたい。
   ×:野鳥を観察する事 = ストーカー行為規制法違反
   ○:野鳥を観察する事 = ( 人間にとっての人権に類する法律が鳥に与えられているなら )ストーカー行為規制法違反
   ( 人権に類する法律が鳥に与えられていない現状は ) 単にバードウォッチングです


>そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、
 もし投稿者さんの様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば
 単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。
 もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが 「等しくほぼ同じ」 とは言えないでしょう。

  いや、それ、既にオイラが言うてるやん。
  <中略>
   『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、 前者 が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。
   が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。
 ただし、人間の場合は、人を捕らえて喰えば○○君ですからね。
 そりゃもう、拉致監禁やストーカーとは罪状が違います。
 しかし、鳥に対して人が行う行為に関しては、『鳥獣保護法』や『動物愛護法』のような法律しか存在なくて、狩猟鳥になるようなありふれた身近な野鳥に関しては、保護するための規定がありません ( 「一旦飼って、人に依存させてしまったら野に還すな」 という規定はありますが )。
 ですから、人が人に対して行う行為に関しては罪の重さに順位が付けられますが、人が鳥に対して行う行為に関しては罪の重さに順列が付けられません。
 ですから
   等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
             ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
             ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
             ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じなのです。


>ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。
 最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。

 ところが、ですね。
 「 野鳥を飼うのは鳥獣保護法によって禁じられている 」 という大前提が“常識”として周知されているが故に、今まで疑問にさえ思っていなかったのですが、実は、その“常識”というのが、都市伝説の類である可能性が出て来ました。
  
<中略>
 野鳥を飼う時に役所に申請しなければならないという思い込みは、
   「 許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、
    その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない 」
 を曲解した都市伝説だったのです。
 あくまで
   対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は
 であって、
   対象狩猟鳥獣を飼養しようとする者は
 ではありません。
 『狩猟鳥』 というのは、

    <中略>
結構色々な野鳥を飼う事が可能であるように思われます。
  <中略>

>だからその 「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」 というのが 「何の問題も無いよ」 と言った前言を覆していると言うのです。

 前提条件の追加によって結果が分岐するのは極々普通の事であって、覆しているのではありません。
 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」
 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 ↓ ↓
 B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めるような視点に立つのであれば」
 b:「王道のバードウォッチングもまた、狭量な視点から咎められ得る重箱の隅突きが可能」
 「A」to「a」と「B」to「b」は等価に成立します。
 何も覆って等おりませぬ。


>僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、その責任を放棄してもいいんですかね?

 貴殿は、「前提条件が変われば結論が変わる」 という至極アタリマエのロジックが御理解できていらっしゃらないが故に、矛先違いのお怒りをなさっておいでなのです。
 当方に取り下げなければならない主張など存在しません。


>激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく
 意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。

 いやいやいや。
 そもそも、こんなことろで、僅か二名の閑談で何らかの妥協点が見い出せたトコロで、世の中は何も変わりはしませんよ。
 我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥は飼ってヨシ 」 という結論が 出たトコロで、「 如何なる『種』であろうとも、野鳥を飼う事は決して許されず、一時的な保護であっても然るべき機関の許可が要る 」 という都市伝説が消えることはなく、都市伝説の元凶になっている法律 が改正されることもなく、今まで通りに、
他人に知られない様にひっそりと隠れて飼う人が居続けることでしょう。
 逆に、我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥でも飼うべきではない 」 という結論が出ても『以下同文』です。 な~~~~んにも変わりはしません。
 ですから、
>でなきゃ後に何も残りませんよ。
└→ こんなものは、ディペードの模擬戦でしかありません。


>ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。

 そりゃもう双方歩み寄りの余地なく『ああ言えば上祐』状態ですからね。
 さすがに徒労感が半端ない。
 さっさと終わらせましょう。


>それはそうと 「新たな(人工的な)恐怖」 って具体的に何の事ですか?
 今なお謎です。捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?

 ですから、自衛隊の訓練を例に挙げて説明致したのですが、御理解頂けませんか。

>捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?

 違いが無いから問題だと申し上げているのです。
 鳥は捕食者と観察者を区別できません。
 したがって、鳥は不審に近付く人間を発見する度に回避行動を取ります。
 観察者という存在がいなければ、( 観察者が居る場合に比べて ) 鳥は平穏な時間をより多く持つことができます。
 つまり、捕食者とは別に、観察者という存在がいることによって、鳥は余計な警戒をしなくてはならないということです。
 ウチのガキンチョで喩えて言うなら。
 学校の休みの日に母親が買い物に出掛け、「 さぁ、この隙にゲームすんぞ 」 と思ったのも束の間、 父親 ( =オイラ ) が自室から出て来て 「 コラ、この糞ガキ。宿題終わらせる前にゲームなんかするんじゃねぇ 」 と怒るような 『迷惑な存在』 ・・・ それが野鳥にとってのバードウォッチャーです。
 ガキンチョにしてみればゲームが後回しになるだけの些細な悲劇ですが、鳥にしてみれば下手をすれば死に直結するサバイバルですからね。 そりゃ願わくば、そういうのは止めて欲しいんじゃないですか?


>そうだとしても
 その後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは
 厳然たる事実です。

 ですから、それは
 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」
 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 です。
 自身が鳥に対する迷惑行為 ( ただし合法 )をやっておきながら、スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けで鳥を集める様な、貴殿が迷惑に感じる行為 ( ただし合法 ) を咎めるのであれば、卓袱台がひっくり返されるのは仕方がありません。


>その結論を踏まえてコメントしているので
 「 『元々そこに有る恐怖』 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』 だよ。」
 などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。反駁している様に見えるだけです。

 ですから、早い段階からバードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという主張を当方がしていたにも関わらず、
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 という妥協点を見い出したからには、理由があったと考えるべきです。
 理由ではなくて前提条件ですが。
 もともと、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道理がありません。
 だから、バードウォッチャーが野鳥にとって恐怖の対象であっても
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 のです。
 しかし、その論で言うなら、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で呼び寄せたりする行為もまた、罪に問われるモノではありません。
 これを貴殿が認めるのであれば、オイラと貴殿の間で ( 実に意味のない狭い範囲の話ですが )
 バードウォッチングは
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 が成立します。
 しかし、貴殿は
   B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めてしまう視点に立っても」
   a:「 ( 自分がやっている ) 王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 と仰られる。
 さすがにそれは、ご都合がよろし過ぎるのではありませんか ・・・ と申し上げているのです。


>結論:「 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
      野鳥にとっては 『元々そこに有る恐怖』 なんだから何の問題も無い 」
 で宜しいですね。

(※1)
 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。
 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。
 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。
 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。
 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。
 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うのです。
 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように思います。
 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。
 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体数を減らそうが、知ったこっちゃありません。
 でも、だからこそ。
 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

(※2)

>投稿者さんの 「問題は無い」 というのは
 バードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので
 「問題は無い」 だった筈。
 「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」 と認めれば 「問題は無い」 ではなかった筈です。
 同様に 「存在自体が悪」 に比べれば 「微罪」 だから 「問題は無い」 でもなかった筈です。

 極言するなら、そもそも前提条件があろうとなかろうと何も問題はありません。
 普遍的なありふれた野鳥( 狩猟鳥 ) が狩られ過ぎて絶滅危惧種になってしまうような大量殺鳥でもやらかさない限りは、絶滅危惧種でも何でもない狩猟鳥に対する行為に於いて、他者から咎められる謂れは何も存在しません。
 だから、バードウォッチングを問題視すようとするなら、条件で縛る必要があります。
 その一つは、人と絡む事に因る環境の変化、つまり、鳥が 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、 近くまで寄っても安心だね♪ 」 と捉えるようになってしまうことで、狩られ易くなる。 あるいは、人に飼われたスズメを見た野生のスズメが 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、近くまで寄っても安心だね♪ 」 と捉えるようになってしまって、人の威を借りて天敵のスズメを避けていたツバメが危機的状況 に追い込まれる ・・・ こういう変化の可能性です。
 最初に掲げていたのはコレです。
 コレは解決されたワケではありませんが、バードウォッチャーが鳥にとって悪い奴であるならば、鳥は 「 あ、やっぱり人間って怖い存在なんだな。近付かないでおこう 」 ということになり、問題はクリアされたことにされました。
 これで最初の縛りは一応の解決を見た形になりました。
 で、話を終わりにしても良かったのですが、
  思い起こせばその一つ前、
<中略>頂戴した反駁の中に
フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、
   手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして
   野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ (フォトギャラリー第212回参照)
   個人的に快く思っていないため特にそういった事を意識したコメントになりました。
   僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。
   野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますが
   そんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。
 とありましたので、
 「 え~、そんな些細な事を問題視するなら、そもそもバードウォッチングという行為自体が
  そんなに褒められた代物じゃないと捉える事も可能じゃん 」
 という思考でこう書きました。
   ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて
   彼らを危険に晒しているが如き主張を、オイラは書いたのか。
   それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが
   野鳥に及ぼす影響が、オイラが書いた
   「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」
   と大同小異な杞憂なのではないか?と問いたいのです。
   そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的に
   ドミノ倒しの 影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで
   悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと断言することが出来ません。
 で、この後に、科学を思い込みで判断すると間違いに辿り着く例を挙げ ( 人工甘味料否定 )、
 「 邪道のバードウォッチングを否定されるなら科学的根拠を寄越せ 」
 と求めたのです。
 その後は、御自身も覚えておられると思いますが、「科学的に」 という要求に対して 「常識ガー」 とか 「常識に科学的根拠なんてフヨウ」 とか言って煙に撒こうとされて今に至っております。
 前の議題をすり替えたのではありません。
 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしているのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。
 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」
 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」
 と。
 それだけの話です。


>新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、自らも認めた 「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」 という前言を覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。それは例えば 「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」 という根拠でなくてはなりません。つまりこの理論の根幹である 「元々そこに有る恐怖だから」 という根拠を崩さねばならないのです。それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。

 元々其処に在る恐怖であっても、捕食者だけから受ける恐怖と捕食者プラス観測者(=バードウォッチャー)から受ける恐怖では、恐怖の頻度が異なります。
 恐怖の頻度が増えれば、野生動物は生活時間を奪われる事になります。
 したがって、猛禽類や狩人のような捕食者しか居ない環境と、其処へ更に観測者と云う余計な恐怖 対象が加わった環境を同一視することはできません。


>なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」 は <中略>単に他人の迷惑です。
 因みに 「バードウォッチャーが善い奴」 であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり投稿者さんも反駁されていません。

 ですから、大局的な物の見方をするなら、法で禁止されていない行為をする限りに於いて、法的な問題など生じ様が御座いません。
 解禁期間内に特定の場所ならば狩猟して喰う事も許され、狩猟鳥のリストに在る物に関しては飼うことも可能。 なのに、バードウォッチング如きが咎められる道理はありません。
 ですが。 だからこそ。
 自分の気に入らないという極めて低次元な理由で、他人の行動を制限しようと考えるのは止めるべきでしょう。
 そういう狭量な人物の行為に対しては、重箱の隅を穿り返して難癖を付ける様なイチャモンが纏わり付くのも致し方のないことです。


>① 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も
   野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり
   (野鳥から見て) 何の問題も無い。
 ② 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は
   非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって迷惑である。

 まず、①。
 貴殿の事だから 「 また新説ガー 」 って火病られるのでしょうけれども、実は以前にも
   たとえば、エゲレスの王室を追い回すパパラッチが5人居て、
   そこに6人目のパパラッチが加わった らとしたら、
   それは 「元々そこに有るパパラッチ」 でしょうか? 違いますよね。
   新たに加わったパパラッチですね。
 と触れたことがあるように、数が増えるという問題は厳に存在します。
 バードウォッチャーという観測者の存在は、( 鳥にしてみれば ) 捕食者や猟師のような 『本当に警戒しなければならない敵』 と区別できない 『敵もどき』 であり、そういう存在が加わる事に因って多大なストレスを受けるハズです。
 したがって、何も問題は無いというのは、あくまで、喰ったり防寒着の材料として羽根を毟って殺したりすることさえも問題ではないのだから、バードウォッチング如きは問題にならない、であってバードウォッチングという行為に如何なる些細な問題も生じてはいない、という意味ではありません。


>「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記②)に対する反駁が成立していません。

 「 俺が迷惑だと言ってるから迷惑なんだ 」
 にどう反駁するんですか。
 あくまで個人の感想じゃないですか。
 そういう話で終わりなら、それはそれで結構です。


>「ストーカーやパパラッチ」 は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま同じコメントを繰り返されています。

 いやいやいや、法律を抜きにすれば、ストーカーやパパラッチは個人に対する迷惑行為であり、バードウォッチングは野鳥に対する迷惑行為であるというだけの話を貴殿が御理解して下さらないので 「 大切な事なので二回言いました 」 状態になってしまっただけです。
 「 いや、バードウォッチングは、ストーカーやパパラッチとは違う 」 と仰られるなら、どのような点が違うのか具体的に御指摘下さいませ。
 なお、ストーカーは、感情の高ぶった犯行者から暴行を受けたり強姦されたりする可能性を秘めていますが、ストーキング自体は物理的な被害を与えてはいません。 パパラッチにしても、不倫現場や恋愛の縺れからの修羅場だの泥酔して狼藉を働いただの、そういう劇的瞬間を写真に撮られてしまう迄は、周囲に集る蠅のような存在であり、物理的な被害は生じておりません。
 したがって、ストーカー行為やパパラッチ行為というのは、それを取り締まる特別な法律や迷惑行為禁止条例などの法的な制約で抑止できない場合には、単なる迷惑行為でしかありません。
 それは、鳥類に十分な知能があった際に、バードウォッチャーに対して感じるであろう嫌悪感と何も変わらないだろうと思われます。


>「ストーカーやパパラッチ」 であっても 「何の問題も無い」 という事(上記①)に対する反駁が成立していません。

 おおらかな心で大局的に見れば何の問題もありませんが、スマホで囀りを鳴らすのが許せないだの、餌で誘き寄せるのが許せないだのという狭量な心で見るならば、バードウォッチャーの存在は野鳥にとって大変迷惑な存在であるという点を見逃すワケにはいかなくなります。

>「人が生まれながらにして持っている原罪」 という旗は降ろしたんではないですか?
 また都合良く復活ですな。

 ( ゚д゚)は?
 旗を降ろした? 誰が? オイラですか? とーんでもございません。
 森林を薙ぎ払い、河川を埋め、鳥獣の棲家と生活空間を奪い、人類の終焉まで到底持たないペースで資源を無駄遣いし続ける人類。 その人類に生まれ、生まれた時から文明の恩恵を甘受して、今後 も死ぬまで自然と資源を搾取し続ける ・・・ これが『(先進諸国の) 人が生まれながらにして持っている 原罪』でなくて何だと仰られるのでしょうか?
 もちろん、貴殿が 「 私はそんなことを罪だとは微塵も思わない 」 のであればそれはそれで構いません。

  <中略>お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中で はな 」 ということです。

>「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記①)というのが現時点での結論です。

 他人の合法的な行為を許さない狭量な心を持つ者は、やはり他人から狭量な物の見方をされなくてはならないとオイラは考えます ( 貴殿に於かれましては、オイラのこの考え方は間違って見えるのかも知れませんが )。 そう考えると、たかがスマホで囀りを鳴らすだの餌で誘き寄せるだのという些細な行為に眉を顰めるような狭量なバードウォッチャーに対しては、
 「 バードウォッチングは元々野生に存在していた恐怖にプラスされた余計な恐怖であるのだから、野鳥にしてみればトンだ迷惑行為である 」
 という烙印を捺さざるを得ません。


>「存在自体が悪」 であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り
 野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。

(※1~※2くりかえし)
(※3)
 つまり、
   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い
 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。
 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?
 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまうと、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期間以外は禁止されているのではありませんか?
 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。
 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来ているのです。
 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでしょう。
 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でしたし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだと思われます。
 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは
   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い
 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。
 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。
 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の問題もありません。
 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

(※4)

>またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう投稿者さんの悪い癖ですね。
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。

 自然界に有ろうが / 無かろうが、人工で無かろうが / 有ろうが、苦痛は苦痛です。
 温泉で受ける放射線被曝や放射性花崗岩などによるバックグラウンド被曝は、天然の被曝だから健康に良いというサヨクのトンデモ理屈じゃあるまいし、自然だから良くて人工だから悪いと云う発想は狂っている様にしか見えないので止めましょう。
 自然なら良いというのであれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に、野鳥が嵌り込んで、 脱出不可能になったとしても、それは自然だからOKということになりますよ。
 そりゃあ、農薬や食品添加物を忌避する自然教の信者にしてみれば、そう見えるのかもしれませんが、当の野鳥にしてみれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に嵌り込んで、餌が獲れずに飢え死にするくらいなら、人工の鳥籠に捕らえられて衣食住と安全が保証される方が余程マシでしょう。
 ・・・ とはいえ、当の野鳥は知能が低いので、そういう判断は期待できないんですけどね。


>バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。

 (※1~※2くりかえし)
 (※3~※4くりかえし)

>しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGという激論を交わしたばかりです。

 それが双方の合意に至った話ですか? 違いますよね。
 オイラの意見は、あくまで 「ペットとして飼おうとも構わない」 であり、それは揺らいでおりません。


>スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間( 少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのもこれまで繰り返しコメントした通りです。

 だから法的に抑止する事が出来ない行為であり、スマホが鳴らす囀りや御馳走に誘き寄せられて野鳥が近くへ寄って来れば、( たとえ王道のバードウォッチャーにとって不快であろうとも ) 長玉を構えて遠方の野鳥を捉えることが出来ない観光客は喜びます。
 観光客にとって、山林を歩くことのメインは運動であって野鳥観察ではありませんが、それでも、とある山林へ行けば野鳥が近くに寄って来るという噂が立てば、観光客の増加が期待できます。そうなれ ば、地元の観光産業も潤うことになるのですから、これはもう、win - win の関係でしょう。


>あと、これは見逃せないのですが
 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
 という僕の理論は存在しません。
 「 人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが
  ( 狩猟して喰うのさえ) 『それが元々』 」 という理論なら存在します。

 あー、ま、なんだその。
 (※1~※2くりかえし)
 (※3~※4くりかえし)
   狩猟して喰うのは
   『それが元々』
 ですが、バードウォッチングは
   『それが元々』
 ではありません。


>だから 「捕まえて」 まではともかく 「ペットとして飼おうとも」 の部分はNGなのです。
 微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。
 あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに
 投稿者さんの根本的な誤謬が有ります。
 自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。

 鷹匠がスズメを愛玩動物として飼っている例を前のページで挙げているんですけどネw
  <中略>
 スズメを狩る際の囮として、生きたスズメを飼っている例です。
 他にも ( スズメ以外でも ) 狩猟鳥を誘き寄せる囮として生きた狩猟鳥を狩っているハンターは居ると思いますねぇ。 まぁ、囮は愛玩対象ではありませんから、厳密な意味ではペットとは違いますが。


>結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
 で宜しいですね。
 あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。

 ( ゚д゚)は?
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 は、貴殿の結論であって、オイラの結論ではありませんよ。
 オイラは、最初から今に至るまで ( そして、おそらくこの先も )
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OKOK!
 であり、一歩も譲った覚えはありません。
 まさしく、
   勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけません
 ですね。
 それに、そもそも、譲らなきゃならなくなるような隙のない完璧な理論武装を貴殿から見せて頂いた記憶も御座いません。
 「 既にペットになっている種が在るのに、わざわざ野性をペットにする理由がない 」
 という子供の我儘みたいな屁理屈武装しか拝んでおりません。
 単純な愛玩動物がペット化された時と同じ理由 ―― 単純に可愛い動物に癒されたいから飼うのです。
 ところが貴殿は、其れに対して 「 では、バードウォッチングで代用しろ 」 と仰る。
 見るだけで我慢しろ、って小中学生にオモチャを買ってやらない親の良い分そのまんまじゃありませんか。
 先に、
<中略>述べた通り、人の所有欲を無視した理論に意味なんかありません。
 欲しいという欲望に「No!」を突き付ける為には相応の説得力のある“理由”が必要です。

 <中略>狩猟解禁期間内に、自宅の敷地内で飛び道具以外の手段で狩猟鳥を捕まえて飼う事に法的な制限はあません ( 正直、ちょっち意外でしたが )。
 もちろん、この事実は、今回明らかにされた物であって、前回の段階ではオイラも貴殿も知らなかったのですから、これを切り札にはしませんが、ありふれた狩猟鳥を飼う事を許さない法的な根拠は存在しません。
 どうか、( 絶滅危惧種の類ではない ) ありふれた狩猟鳥を飼ってはならないという“理由”をお聞かせ下さいませ。
 既にペットと成っている種が、野生種からペットに至る過程を今現在の野鳥に与えてはいけない理由 ―― リスクの可能性があるから等と云う糞みたいな屁理屈ではなく ( 動物のリスク如きの為に、人間 の欲望が抑制されなければならないなんて不条理は受け入れられません ) 同意せざるを得なくなるような説得力のある理由を ―― お聞かせください。
 ・・・ って、ああ、そういうば、今回で終わりなのでしたね。


>そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。

 はい、もう一回。
(※1~※2くりかえし)
(※3~※4くりかえし)
   狩猟して喰うのは
   『それが元々』
 ですが、バードウォッチングは
   『それが元々』
 ではありません。


>おっと、「新たな(人工的な)恐怖」 の説明をして頂く前に、前述の通り 「問題は無い」 という前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。

 - - ちょっち上からのコピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 前の議題をすり替えたのではありません。
 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしてい るのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為 を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。
 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」
 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」
 と。
 それだけの話です。
 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ちょっち上からのコピペ此処まで - -


>そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。

 なんで食中毒で腹が膨らむんだよ。
 食中毒を起こしたら、毒素を一刻も早く体外へ排出する為に酷い下痢を起こすだろ。
 食中毒なら痩せなきゃおかしいじゃん。


>それはさて置き投稿者さんが科学的根拠を要求されたから止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言( もし裁判なら重要な証拠になり得る ) を添えて紹介したまでです。

 食料が食べ放題である状況下で、しかも飛翔能力を有する鳥にとって最もカロリーを消費する行為を制限されている鳥 = ペットとして飼われている鳥が肥満体にならないことから、飛ぶ為に特化している ―― つまり、重量物を体に貯め込み難い身体構造に成っている ―― 飛ぶ鳥は安易に太ることは 起こり得ないと考えるのが理に適っています。
 また、以前にオイラが示した通り、たかだか邪道のバードウォッチャーが連日持ち込む小さなタッパに詰めたワーム如きで、( その邪道のバードウォッチャーが居ない時間帯や来ない日は、自力で餌を捕らなければならないのに ) 野鳥が餌撒きで太るということは、ロジック的に考え難いことです。
 したがって、実際に太っている鳥 ( 飛翔能力を持つ鳥 ) の存在を以て否定する為の証拠とするためには、そういう例が普遍的である事を示さなくてはなりません。
 此処は個人同士の言い合いの場ですから、そこまでの下衆の勘繰りはしませんが、もし裁判でこんな一羽の写真だけで反論の根拠にしようとしたら、それこそ
 「 異議あり!
  この画像の鳥が特別なクスリを配合した餌で無理矢理肥えさせられていたり、
  あるいは、画像を加工たりしている可能性があるので、証拠として採用はできません 」
 と言われるでしょうね。


>少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし
 鳥類とかけ離れた魚類の例 ( しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス ) より少しはマシな根拠です。

 ネットから拾ったからエビデンスが低い ・・・ 正気ですか?
 別に金魚でなくても腹が膨らむ病気に罹れば、腹が膨らみます。
 それこそ酷い便秘をすれだけで、人間のお腹は膨らみます。

  <中略>
 便秘だけではありません。
 女性では、卵巣嚢腫や卵巣癌,子宮癌,子宮筋腫,子宮内膜症などでお腹が膨らむ症状が現れます。
 男女問わずでは、肝硬変,大腸癌,腸下垂などでお腹が膨らむ症状が現れます。
 ですから、人間と違って、中年太りした野生種の鳥やペットの鳥がそうそう見られないにもかかわらず、お腹が出ている野鳥の画像を見て 「 これは邪道のバードウォッチャーが撒いた餌を食い過ぎて太ったに違いない 」 と考えるのは、変なフィルターが掛かった人だけです。
 そう、貴殿の様な、ね。


>病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。
 投稿者さんは動物実験でもしなければ入手不可能な高レベルの科学的根拠を要求されているのです。

 そもそも当方の主張は、鳥類は飛ぶ為に特化した進化を遂げており、また、飛ぶこと自体が異常なまでにエネルギーを消費する為に非常に太り難い、に主軸を置いている。 実際に、餌が食い放題で、 飛ぶ機会に恵まれない籠の鳥 ―― 文鳥や十姉妹など ―― でも人間の中年太りのような体型に成る個体はほぼ存在しない。
 したがって、人間の中年太りのような体型に成った個体が目撃された場合は、食い過ぎで太ったという推測よりも病気で体型が変わったと推測するのが妥当である。
 また、鳥類と魚類では身体の構造が大きく異なるが、それでも金魚に多く餌を与えたからと云って太ってしまうという例は寡聞にして知らない。 ガキンチョが幼稚園児や小学校低学年の頃は、夏祭りの 金魚掬いで持って帰ってくるモノだから、何度も飼わされた ( しかも、水槽の掃除という一番面倒臭い 仕事がオイラの分担という理不尽 ) が、餌をやり過ぎて太った事は一度もない。
 金魚の場合は、餌を多くやれば早く大きくなって早く死ぬ ・・・ 基本的にそれだけだった。
 そしてネットで調べれば、案の定、人間の中年太りのような体型に成った金魚は病気であるという情報が得られた。 だから反駁として掲載した。
 何が気に入らぬのか分からないが、一応、ロジックの基本は踏んだつもりだぞ。


>投稿者さんが朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て投稿者さんが積み残しになってしまったとします。 そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても何ら文句を言わないのでしょうか?

 異議あり!と云うか待った!と云うか。
 その手のマナー違反に関しては、他でもないオイラがやらかしているんでね。
 なんせ、最寄駅が終点のホン手前なんでね。
 web上じゃ悪逆卑劣厚顔無恥の極みみたいに言われている“折り返し乗車”をしています。
 マナー違反の際たる物だと思いますが、実はコレ、合法です。
 通勤定期の場合、( 経理課に領収書を提示しなければならない厳しい会社を除いて普通は ) 不足分を自腹で叩いて、終着駅から目的地までの区間の定期券を買ってしまえば、鉄道事業法上も鉄道営業法上も折り返し乗車を規制していません。 最寄駅から目的地までの通勤定期で折り返し乗車をすればキセルになりますが、ちゃんと乗る区間全体の定期券を持っていたら、法的に文句を言われる筋合いはないんですw
 ちなみに、マナー的には弩級のアウトなので、例えば阪急烏丸駅などでは、乗車位置よりも一旦手前で電車が停止して、乗客を全員下ろしてから正規の乗車位置に移動して、待っている客を乗せるという荒業で“折り返し乗車”を拒否しています。
  ちなみ、この場合の法的な根拠は、
  鉄道の運営上、車掌の権限を大きなものにしてある → だから車掌の言うコトには従え、
  という割と無茶なモノです。

    <中略>
 オイラ自身がこういう『悪いコト』 をやっとりますんで、横から割り込まれて積み残されても笑って済ますしかないわいなw

>大阪以外の読者の人は 「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」 という
     マスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。 決してそんな事は有りません。

 いやいやいや。
 首都圏の電車待ちの行列は、ナチス軍でも斯くや有らんと思うレベルで、アレを基準にされたら、関西人の電車待ちの行列は無法地帯に見えても仕方がないと思いますよ。
 関西は、待ち列はグチャグチャで、乗るのはムッチャクチャに詰め込みますからね。
 もう三十年ばかし前に、名古屋の某特殊鋼メーカーにコネ入社した際、格好ばかりの面接を受ける為に東京の地下鉄に乗った時の話なんですけどね。 大阪だと本当に物理的に乗車が不可能になるまで乗り続けますけど、東京は ( 関西の感覚で ) 一つのドアあたり余裕で後5人は乗るだろうという時点で、もう誰も乗らなくなるんですよ。 関西人から見ると 「 なんでやねん。 まだまだ乗れるやんけ、もっと奥、詰めろや 」 って感じなんですけどね。 諦めが良いのか、恰好を付けているのか、無理に乗ろうとしないんですよ。 関東一帯で四千万人も人が住んでいるのに、あんな格好付けマナーで、交通機関がよく回るよな、と不思議に思いますよ。
 まぁ、三十年も前の話なので、今は昔と違って、東京も大阪と大差のない待ち列グチャグチャ&ムッチャクチャ詰め込みに劣化しているのかも知れませんが。


>人間界のストーカー被害者に向かって
 「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」
 などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。

 そもそもパパラッチはともかく、ストーカーは法に抵触する犯罪行為です。
 したがって、此処で話し合っている内容を前提にした仮定を一切抜きにして、単純に
 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」
 と無辜の第三者に問えば、そりゃあ予想される返答は、
 「 ストーカーとバードウォッチングは違う 」
 になるでしょう。 至極あたりまえの話です。
 しかし、ストーカー行為は、被付き纏わられる側に対して物理的な接触 ( 手紙やプレゼントの送付から、実際に腕を掴んだり抱き寄せたりする、あるいは、それ以上 ) に至らない限りは、周囲をうろちょろするだけであり、付き纏わられる側にトラウマになるような記憶が無ければ、鬱陶しい存在でしかありません。
 もちろん、ストーキングされるに至るまでの経過に於いて、付き纏われる側に思い出したくもないおぞましい体験があれば、ストーキング行為は、( たとえ物理的な接触に至らなくても )付き纏わられる側 にとって、紛れもない犯罪行為です。
 これを取り締まるのは、『ストーカー行為等の規制等に関する法律』 という 「 ヒトがヒトの為に作りし、 人の行動を制限する法律 」 です。
 一方で、人間に対する人権に類する権利が鳥に対しては認められておらず、絶滅危惧種の類でない ありふれた野鳥に関しては、狩猟解禁期間内に規定された場所で許可された方法で狩るのであれば、 狩って殺すことさえ許されており、人が人を殺せば問答無用で殺人罪と云う重罪犯になるのとは余りに扱いが異なります。
 もし、人間に対する人権に類する権利が鳥に対して認められていたらどうでしょう?
 野鳥にとって人間は、人が狩りを始めた太古から連綿と続く捕食者であり、その姿を見ただけで背中に張り付いた死を覚悟させる恐ろしい存在です。 もちろん、バードウォッチャーは単なる観測者であり、鳥を狩る者ではありませんが、鳥から見れば狩人も観測者も見分けが付きません。
 したがって、もし、人権ならぬ鳥権が認められたなら、狩猟解禁期間外に狩猟鳥に対して狩られる恐怖を与える行為は法律で禁止されるでしょう。 そうなれば、当然の事ながら、バードウォッチングもまた、法律で禁止される行為と成り得ます。
 ・・・ という解説を無辜の第三者に対して行った上で、
 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」
 と問うたのであれば返答が、
 「 もしかしたら、ストーカーとバードウォッチングは相似しているかも知れない 」
 となる可能性は決して低くないハズです。
 何も知らない無辜の第三者に対して、犯罪行為と犯罪行為以外を比較させたら、犯罪行為だけが避難されるに違いない。 だから、犯罪で無い行為は完全無欠に何の問題もない ・・・ というのは、物事の本質を度外視した詭弁です。
 そもそも、法に触れるから / 法に触れないから、であるならば、疾うの昔に結論は出ています。
 現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、餌で野鳥を誘き寄せようが全く無罪であると。
 それに対して貴殿が
   「 それでも、やっぱり邪道のバードウォッチングは許し難い 」
 と仰るから、
   「 んなこというなら、王道のバードウォッチングだって目糞鼻糞じゃねーか 」
 と当方が申し上げているのです。
 其れに対して、
   何も知らない第三者に問うたならば、
   犯罪行為が有責と返答され、犯罪以外の行為は無責と返答されるであろうから
   ストーカー行為は悪だが、バードウォッチングは悪ではない。
 という理屈で反駁して来るのは意味がありません。
 なぜなら、合法 / 非合法の話であれば、
   現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、
   餌で野鳥を誘き寄せようが全く無罪
 で終わっているからです。


>ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。

 はい、もう一度。
(※1~※2くりかえし)
(※3~※4くりかえし)
 Is there anything unclear to you?

>「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く
 「スマホで囀りを聞かせる」 のは他人が迷惑すると言っているのです。
 物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。
 毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。

 毎回同じ様なコメントを繰り返しているのは、オイラの主張が貴殿の主張によって論破されたとは到底思えないからです。
 そもそも、上で書いた“折り返し乗車”という凶悪なマナー違反であっても、
   車掌に見つかって
   電車の運行を妨げる行為だと車掌が判断して
   車掌が一旦降車して、待ち列の最後尾に並ぶように命じる
 というパターンに嵌らない限り、( 車掌以外の誰も ) 私の“折り返し乗車”を阻むことは出来ません。
 「スマホで囀りを聞かせる」 のも 「餌で誘き寄せる」 のも、例え貴殿がそれらの行為に対して、どれほどトサカに来ようとも行為者を制する権限を貴殿は持ちません。
 以前にも書きましたが、「 ( 法的な根拠は何も無いが ) 迷惑だから止めろ 」 という主張が通るので あれば、「 そのミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは目障りだから止めろ 」 もまた成立する主張となります。
 「 そんな馬鹿な主張をする奴が居る筈がない 」
 なんて戯言は止めて下さいよ。
 基本的にオタクは嫌われるんです。
 一般乗客の動線を邪魔して、ちょっと鉄道が好きな一般乗客の視界を遮って、ホームに入って来る電車を見えないようにしてしまう鉄道ヲタクは、「 いやいや、そこまで嫌わなくても 」 という位に世間一般から嫌われています。 それはもちろん、一部の鉄道オタクの行動が常軌を逸していて、その所為で 無害な鉄道オタクまで十派一絡げで嫌われているのですが、鉄道オタク全体が嫌悪の対象になっていることは事実です。
 キャンペーンガールやコスプレイヤーを撮るカメラ小僧も嫌われ者です。
 改造車ショウは、改造車を披露してその技術力をアピールし、改造を依頼する顧客を集める為のショウです。 ところが、それだけじゃ盛況に成らないから、マスメディアが取材に来た時に閑古鳥が鳴いていたら恰好が付かないので、オヘソ丸出しのキャンペーンガールを立たせて精子タンク満杯のアンチャンや古女房に欲情しなくなったオッサン連中を集めています。 もともと、改造車好きの人間が来るの で、改造車を撮るという目的でのカメラの携行は規制されておらず、その延長としてキャンペーンガールを撮る事も規制されてはいません。 しかし、それを幸いとカメラ小僧が来るわ来るわ。 キャンペーンガールが現われると通路にカメラ小僧が鈴生りになって、通路は完全に機能を失います。 純粋にクルマを見に来ている客にとって、迷惑千万な存在であることは明白です。
 ( 斯く言うオイラも最近はカメラ小僧と化していて、ショウに来るまともな客に迷惑を掛けまくりです )
 コスプレイヤーを撮るカメラ小僧も同じ。毎年春に行われる大阪日本橋の 『ストリート・メッセ』 は、 年を追う毎に来訪者が増え、二つの大通り、延べ2キロメートル未満の歩行者天国に数十万人がひしめき合います。そんな中で、そこいらじゅうで、コスプレイヤーの周りに空間を置いてカメラ小僧が終結するのですから、満員電車に車椅子やベビーカーが入ってくるようなモノ。
 コスプレイヤーの写真を撮るのではなく、単に眺めに来ただけの観光客にしてみれば、やはり、迷惑千万な存在でしょう。
 まぁ、さすがに野山に居るバードフォトグラファーが、鈴生りになって道を塞いだり、野鳥を取り囲んでコロニーを作ってしまうようなことは ( フォトグラファーの人数的に ) 起こり得ない事だと思いますが、 それでも他の観光客からすれば、バードウォッチャーは異質な存在です。
 波風が立てば排斥される側であることを重々承知された方が宜しいのではないでしょうか。


>「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」 迷惑だからやめてくれと言える事に変わりは有りません。

 迷惑と感じているのは、“王道のバードウォッチャー”だけですよ。
 貴殿もご自覚しておられる通り、野鳥というのは、基本的に人の居る所へ寄っては来ません。
 趣味として捉える限りは、そういうハードルの高さ故に遣り甲斐があるのでしょうけれども、趣味じゃない一般の観光客にしてみれば、スマホで囀りを聞かたり、その場限りの餌付けを行ったりすることで、 野鳥の方からコッチへ寄って来て、リアルタイムに生の囀りを聞かせてくれて、御姿を間近に拝見する ことが叶うのです。
 其処に “迷惑” の二文字は存在しません。
 迷惑と感じているのは、貴殿等“王道のバードウォッチャー”だけです。


>「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから
 「境界線」も存在しません。因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。

 それは失敬。

>居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりもバードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。

 ま、この話と慰安婦問題は全く関係がないので簡潔に。
 慰安婦は存在します。
 慰安婦は七十余年前に、売春も管理売春も合法だった時代に、侵略 ( 侵略ではないのですが、まぁ、便宜上 ) した土地を統治しなければならなかった日本帝國は、兵士が強姦をしたのでは、統治に支障をきたしかねないので、業者に委託して慰安所を営業させました。 この慰安所という名の売春宿で働いていたのが“慰安婦”という名の売春婦。 七割がたは日本人で、貧乏な東北の農村から売られてきた女性です。
 七割がたは日本人 ・・・ ということですから、日本人以外の慰安婦も居ました。
 大半は日本人と同じ境遇で、貧乏人は飢饉が起これば死ぬしかなかった時代に家族全員が飢え死から逃れるために、親に、あるいは、夫に売られてきた女性でした。
 ( 実際に、今は 「日本兵に攫われて慰安婦にされた」 と言って憚らない自称元慰安婦の婆さまも
  最初は 「親に売られて慰安婦になった」 と証言していました )
 で。
 「 お前等、以前は 『親に売られた』 って言ってたじゃねーか 」
 って突っ込むと
 「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」
 と返ってくるんですな
<中略>
 なんだか、似てませんかw ・・・ という話です。


>言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。

 よかったですね。
 それが棲み分けです。


>そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は時々刻々と分かっているはずです。

   「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」
 が存在するなら“邪道のバードウォッチャー”じゃなくても、同じ場所に居る貴方達“王道のバードウォッチャー”にも
   時々刻々と分かっている
 んじゃないんですか?
 スマホで囀りを鳴らしたり餌を与えたりする立場で無いにしても、貴殿達は、同じ野鳥を邪道のバードウォッチャーと同じ様に観測しているのではありませんか? そんな貴殿等が、杳として掴みあぐねている野鳥の変化を、どうして、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしている当事者なら掴んでいる に違いないと断言できるのでしょう?
 逆に、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしても、野鳥は異常な挙動を示す事も体型が不自然になってしまうこともない ・・・ だから、貴殿等にも邪道のバードウォッチャー達にも野鳥の変化が掴めないのだ。
 ↑こう考えるのが普通でしょうに。
   スマホで囀りを鳴らせば、野鳥は異常な挙動を示すに違いない。
   人の手から餌を貰えば、野鳥は不自然な体型になってしまうに違いない。
 残念ですが、それは妄想です。


>「眺望に立ちはだかる壁」 も 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。 これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?

 「眺望に立ちはだかる壁」 は、壁に成っている人にとってはどうでもいい話であり、壁に眺望を阻まれていない立ち位置に居る人にとってもどうでもいい話です。それは、壁に眺望を阻まれている人にとって『のみ』問題になる話です。
 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも同様に、往来する通路に留まっている人にとってはどうでもいい話であり、通路を通ろうとしない人にとってもどうでもいい話です。これもまた、 通行の邪魔をされた人にとって『のみ』問題になる話です。
 同様に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 もまた、それを迷惑と思っている人と思っていない人がいます。
 そして、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に於いては、単純に運動の為に歩きに来たり、風景を愉しむ為にハイキングに来ている人にとって迷惑でも何でもありません。それどころか、むしろ、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に因って運良く野鳥が間近に寄って来てくれれば、彼等、観光客にとって嬉しいハプニングに成ります。
 つまり、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 を迷惑と思っているのは、少数という捉え方ができると思います。
 もちろん、少数だから間違っている / 多数だから正しい、とは申しません。
 しかし、改造車ショウに群がるカメラ小僧が排斥されないのも、ストリートフェスタに群がるカメラ小僧 が排斥されないのも、主催者側の意図とカメラ小僧の存在が合致するからです。 改造車ショウに群がるカメラ小僧の存在は 『枯れ木も山の賑わい』 であり、取材に来るマスメディアに盛況であることを見せる材料になりますし、ストリートフェスタで撮られた画像は ( 建前上、主催者側は 「画像や動画を webやSNSへ上げないで下さい」 というスタンスを取っていますが ) webやSNSへ上げられる事によって、こういう愉しい事をやっていると広報する結果となり、次回の客が増える要因になり得ます。
 だから、カメラ小僧が看過されるどころか、 カメラ小僧が居なくなったら困るというのが本音です。
 野鳥の居る山林にしても、
<中略> 食堂や土産物屋でお金を落してくれる観光客が神様です。
 野鳥が遥か彼方にしか居なくて、エンターティメント性に欠ける山林と、なぜか野鳥が向こうから寄って来て、その鳴き声を聞かせ、姿を見せてくれるというエンターティメント性に富んだ山林。
 観光客の目に魅力的に映る山林は、果たしてどちらの山林でしょうか?


>非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。

 「悪いことをするな」 という呼び掛けは、あくまで 「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せるZ行為 」 が ( 不法ではないけれども、普遍的な観点から見て許し難い ) マナー違反であるという前提でしか成立しません。
 もちろん、貴殿達、“王道のバードウォッチャー”にとって、“邪道のバードウォッチャー”の行為が許し難いというのは重々承知しています。しかし、それは普遍的な物の見方ではありません。
 実際問題、オイラ達のような ( 自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルが、「野鳥なんか遥か遠くに居るだけの山林」 と 「野鳥がなぜか向こうから寄って来て、近くで鳴き声を聞かせてくれて、 枝から枝へ飛び交う野鳥の姿が見られる山林」、どちらへ行きたいですか?と問われれば、断然後者 です。
 そう考えれば、( 少なくとも自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルから見れば、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達」 が “目に余る悪い行為” をしているのではなく、 むしろ、逆に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達に対して、止めろと呼び掛け をしている人達」 の方が ( 目に余る悪い行為ではありませんが ) 「余計なことをして、野鳥が寄って来 ないようにしている嫌な奴等」 に見える可能性を憂慮すべきではないでしょうか。


>バードウォッチングに限らずどの社会においても
 「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは
 人間社会の持つ当然の行動です。
 <中略>「非常識」 とは 「社会秩序を乱す行為」 ですから
 社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。

 果たしてそうでしょうか?
 これは、オイラが異常な偏見に基づいて脳内で創り上げた幻想なのかも知れませんが、何の知識も持たない無垢な一般ピープルにとって、歓迎すべきは 「野鳥が遥か彼方で囀っていて、影も形も見えない、《自然にあるがまま》」 ではなくて、「野鳥が向こうから寄って来てくれて、その囀りを近くで聞くことが出来て、あまつさえ、その姿までも拝むことが叶う」 ような山林だと思います。
 もし、オイラの幻想が正鵠を射ているのであれば、「(観光客にとって都合の良い) 社会秩序を乱す行為」 をしているのは、野鳥が寄って来ない方向へ変化させようとしている貴殿達の方になるでしょう。
 絶対的な視点から観察した絶対的な『正』と『邪』などというモノは物語の中にしか存在しません。
 同じモノを見ても、立場が変われば見えるモノが変わります。
 山林に於ける 「社会秩序」 が 「野鳥が寄って来ない、本来在るべき秩序」 であるなら、貴殿の仰られる通りに、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為」 を行っている輩は悪であり、排除され るべき存在でしょう。 しかし、野鳥に興味がない人にとって野鳥は、追い求めるハードルが高ければ高い程に燃える趣味の対象ではなくて、たまたま運動不足解消の為にやって来た人やハイキングでやって来た人にとっては、「わぁ、野鳥がスグ近くまで寄って来たよ。可愛いなぁ」 という素敵なパプニング が再々起こってくれる状態の方が好ましい 「社会秩序」 となるでしょう。
 そう考えるなら、「(観光客が好む様な、観光客にとって都合の良い)社会秩序」 を維持する為に排斥されるべきは、“邪道のバードウォッチャー”ではなくて“王道のバードウォッチャー”ということになります。


>前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。
 これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。
 「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。

 だから、再三に渡って、その 「常識」 とやらがバードウォッチャーにとっての 「常識」 だと指摘させて頂いておる。
 閑静な野山でスマホを鳴らす行為自体は、非常識と捉えて間違いはなかろう。
 しかし、その結果、本来であれば、余程の幸運に恵まれない限り、その囀りを間近で聞くことも、その 御姿を間近で拝見することも叶わない野鳥が、なんと!向こうからコッチへやって来て、リアル生囀りを 聞かせてくれて、肉眼で拝見を賜ることが叶うのだ。
 これを歓迎しない一般ピープルが居るでしょうか?
 「 野鳥なんて、本来は遥か彼方に居て、囀りが微かに聞こえるのがデフォルト。
  姿なんて見えなくて当然。
  囀りの聞こえる方向へ向かって歩いて歩いて歩き倒して、それでも出会えないのが普通で。
  でも稀に、努力の結果、近くに野鳥の姿を捉えて、囀りも真傍で聞くことが出来る事がある 」
 ↑こんなストイックな趣味、普通の人は御免被りますよ。
 普通の人は、野鳥の為に努力なんかしたくないんだから、向こうからやって来て、近くで鳴き声を聞かせてくれて、その御姿も肉眼でしっかりと見せてくれる方が良いに決まっています。
 これが、貴殿達、野鳥ファンとやらが把握してない、一般ピープルの野鳥に対する 「常識」 です。


>自覚しておられる様に、
 この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだから
 サーキットに行く事をお勧めします。

 そう。 その通り。
 違法行為をしている者に、遵法行為をしている者を責める権利は無い。
 しからば
 スマホで囀りを鳴らすとか、餌で野鳥を誘き寄せる様な“邪道のバードウォッチャー”は、違法行為をしていない者なのだから、誰にも責める権利はない。
 のですよ。


>本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとってスマホの囀りなど騒音でしかありません。
 ライブコンサートの客席でラジカセの音声を流す様なものです。

 その例はオカシイ。
 ライブコンサートの会場の席は、これから始まる登場するアーチストを待っている席であり、その席で ラジカセを鳴らそうが鳴らすまいが、開演時間に成ればアーチストが登場して演奏が始まる。
 しかし、山林にあっては、基本的に野鳥の囀りは、余程の幸運に恵まれていない限り、近くで囀りを聞くことはできない。 遠くの方で囀っているのを、閑静な環境で耳を澄まして聞くのが精一杯だ。 ところが、スマホで囀りを鳴らせば ( どのくらいの確率なのかは知らないが、少なくともそうしないよりは高 い確率で ) 野鳥の方からこちらへ寄って来て、リアル生の囀りを聞かせてくれる。
 これをライブコンサートに喩えるなら、
   ライブコンサート会場外の駐車場で、ラジカセ(死語)の音声を流していたら、
   なんと! アーチストがやってきて歌いだした!!!
 という状況です。
 遠くに在って聴き取り難い野鳥の声を、間近で聞けるようになることに対して、不快感を催すのは“王 道のバードウォッチャー”だけです。


>更に 「一例」 を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。
 そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。

 だから、それは、“王道のバードウォッチング”側の理屈だっちゅうの。
 「 なんか、アッチの方から鳥の囀りが聞こえて来る 」
 といっても、『アッチ』 というのが、整備された道路沿いでなければ、鳴き声を間近で聞いたり、御姿を間近で拝見することは叶いません。 『アッチ』 というのが整備された道路沿いでなくても、せめて近くから聞こえてくのであれば、まだブッシュに足を踏み入れる覚悟があれば、近付くことが叶います。 でも、深い谷の向こう側から聞こえて来るような状況では、“王道のバードウォッチング”は諦めることしか出来ません。
 ところが。
 それが “邪道のバードウォッチング”という魔法の手に掛かれば、野鳥の方からコッチへ来てくれるのです。
 なんと素晴らしい! ハラショー!!
 無垢な観光客に言わせれば
   探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かり?
   ・・・ 知らんがな。
   そういうマニアックなことは、一般観光客の居ない場所で、マニアだけでやってろ。
 だと思いますよ。


>まだ 「一例」 を言いますか?

 あるならどうぞ ・・・ と言いたいところですが、このディペード模擬戦を終わりにしたいというお申し出 があり、当方も其れに同意しますので、もう終わりにしましょう。

>「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。

 なんで観光客が野鳥を見に来ている前提なんだよ。
 都会の喧騒を離れて精神的にリフレッシュとか、会社の健康診断でメタボを指摘されて運動不足の解消とか、単に友達と、あるいは、親子でハイキングとか、そういうのが 「観光客」 だろ。
 観光客にとって野鳥の存在は、
<中略> 決してメインキャラクター<中略>じゃない。 野鳥は、運が良ければ見られる程度のオマケだ。
 逆に、貴殿達 ( 王道も邪道も ) バードウォッチャーが山林に求めているのは野鳥。

 <中略>観光客にとってはそうではないのだよ。
 変な思い込みは慎みたまえ。


>既にネット上などで餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を認識する機会は有るはずです。

餌付け等を批判する意見が散見されているからといって、其れに従わなければならないという道理は何処にも存在しません。
 それに、餌付け等をしてはイケナイという科学的な考証を、現時点で貴殿が何一つ挙げることが出来ない事から推測して、その批判する意見もまた、感情論に終始している 『聞く価値のない意見』 である 事が明白である。
 ( ちゃんと科学的・統計的根拠があって餌付け等をしてはイケナイと批判しているサイトが存在するなら、疾うの昔に貴殿は、其処から得た情報でオイラに邪道のバードウォッチングが責められる科学的な根拠を突き付けているでしょう )
 子供の躾けじゃないんだから、何の根拠も示さずに、合法な行為を勝手な思い込みで制限する権利なんか誰にもありません。


>謂わば 「鳥類写真愛好家」 が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。

 誰に迷惑を掛けているんですか?
 観光客ですか?
 既に説明させて頂いた通り、観光客にとって、そういう 「本来なら肉眼で見ることが困難な野鳥を間近で見させてくれる 」 のは、“迷惑” じゃなくて “歓迎” ですよ。
 それとも、バードウォッチングの初心者ですか?
 そりゃあ、初心者を王道のバードウォッチング側へ引き込みたい人間にとって、そう考えるのは当然だと思いますが、邪道がなぜイケナイのかを誰も科学的・統計的に説明できていません。
 したがって、初心者が王道を選ぶのか、それとも邪道を選ぶのか、は彼自身が決める事です。
 もしかしたら、広角レンズを装着したカメラを三脚にセットし、レンズの直前に生き餌を仕込み、レフ板まで敷いてリモート撮影している 「鳥類写真愛好家」を見た初心者が、「 ああ、あれイイな! よし、俺 も 」 と考えたとしても、誰にも彼の行動を制止する権利はありません。
 ・・・ 結局のトコロ、邪道のバードウォッチャーを迷惑だと思っているのは、貴殿等王道のバードウォッチャーだけです。
 貴殿等が、囀りを鳴らしたり餌で誘き寄せたりする行為を迷惑だと思って白眼視することは構いません。それも個人の自由。 妨害する為に相手の腕を掴んだり、罵詈雑言を浴びせる様な違法な手段 に訴えない限りは、頭の中でどう想おうが自由です。
 しかし、それはあくまで貴殿等にとっての正義でしかありません。
 普遍的な正義であるが如き言い様は止めましょう。


>「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為にボランティアでお仕事をされているんでしょうか?

 ( ゚д゚)は? 何言ってるの?
 邪道のバードウォッチャーが、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりするのは、アタリマエだが、自分の為だ。 自分が省労力で野鳥の生の囀りを聞いて、その御姿を拝見する目的でやっているに過ぎない。
 ただ、その行為の結果として
   野鳥は飢えから解放され、
   邪道のバードウォッチャーは、願望通りに、野鳥の生の囀りを聞いて、野鳥の御姿を拝見でき、
   偶然居合わせた観光客も、普通だったら囀りが遠くに聞こえるだけで、姿なんか見えやしない
   野鳥の生の囀りを聞いて、その姿を見ることができる
 のである。
 win -win ならぬ、win - win - win の関係である。


>大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません。潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。

 そうか。 大阪南港にある野鳥園の干潟は、野鳥の為にゴカイ等の多毛類を人工的に撒いてはいなかったのか。 それは知らなかったわ。
 とはいえ、まぁ、まるっきり自然状態というわけでもなさそうだけどな。

<中略>
 ここまで整備してるというのは、ある意味、餌を撒いているのと変わらないような気がしますけどね。

>出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが
 僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って
 江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。
 カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います。

 江戸時代から続いている似たような事に関してはクチチャックで、今から始めるのは咎めるってのも、ちょっとご都合が宜しすぎやしませんか。
 それに、どの程度管理された餌付けなのか知りませんが、鶴の首にドッグタグを付けているワケじゃないでしょうから、同じ鶴が何度も飛来して餌をたらふく食っていても、「 あ、こいつ、また来てやがる。 追い払え! 」 とは成らないでしょう ( 幾ら専門家でも鳥の顔が見分け出来るとも思えませんしw )。  フードファイターみたいに食ってる個体が居る可能性だってあると思います。
 更に言えば、人から鶴へ手渡しで餌を配っているなら良いのですが、餌を干潟に撒いているのだとしたら、鶴以外の野鳥にも其れを啄むことが可能ですから、それでは邪道のバードウォッチャーがやって いる餌撒きと何も変わりません ( 数量が大きい分、コッチの方が悪質かも知れません )。
 しかし、現実には、餌を配られた鶴も、お零れを頂戴した他の野鳥も、肥大化したり不自然な体型に成ったりはしていません。
 これが意味する事は、フォアグラの生産に見られる様な強制給餌でも行わない限り、自由に飛翔して 自由に活動することが出来る野鳥は、労せずに餌を食べられる環境に置かれたからといって、肥大化したり不自然な体型に成ることはないという事です。
 自然界の限られた量ではなく、人工的に与えられた餌を食うと太って飛翔能力に影響が出ると言われても、北海道や鹿児島県の鶴センターで発生していないんだから杞憂だと捉えるのが常識的な考え方だと思いますよ。


>普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」 などとは言っておらず、むしろ 「プロがそんな事をしていいのか」 という問題提起である事が読み取って頂ける筈です

 幾ら脳に障害が残るような病気をやったからといって、オイラは、さすがに其処まで読解力がなくなっ たワケではありませんよ。
 そうではなくて、そういうことをプロがやっているという現実を、邪道のバードウォッチャーが見たら、
 「 ほらほら、プロがやってるんだから、俺達がやってダメな理由なんかないじゃん♪ 」
 と考えるのは当然でしょう。
 また、バードウォッチングの初心者が見たら
 「 お♪ そんな手があるのか、こいつは楽チンだね 」
 と考えるでしょう。
 そんな風に考える邪道のバードウォッチャーや初心者に対して、
 「 そういう行為はマナー違反だから止めろ 」
 と諭そうとしたところで、
 「 俺にヤメロという前に、あそこでやってるプロに文句言えよ、糞チキン 」
 と返されるのがオチだ。
 ・・・ と申し上げているのです。


>こういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。

 T豚Sですね、知ってますw
   <中略>

>「主人公」 が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。

 で?
 貴殿が 『こう在るべき』 と考えるバードウォッチングが、艱難辛苦の道程であることは判ったよ。
 だからなに?
 これこそが唯一無二のバードウォッチングだから、“邪道のバードウォッチング”なんかすべきではな い、と。 そう仰りたいの?
 いやまぁ、貴殿が艱難辛苦の道程を求めるのは構わないよ。 凄いね、大変だね、と思うよ。
 でも、それは、「 お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな 」 でしかありません。
 全然話が違いますが、例えばオイラはクルマのトランスミッションに関して所謂 『MT派』 です。
 「 ちょ~、おめ~、自分名義のクルマがATじゃねーか 」 という厳しいツッコミが入ることは覚悟しています。 正直、サブスロットルが余計な電制をされると知っていたらTC-SST仕様なんか買いませんでしたよ。 ああ、MTにしておけば良かった ( 激しく後悔 )。
 でも、だからといって他人がクルマを買う時に、「 免許が限定じゃないならMT買え、MT 」 なんて野暮なアドバイスはしません。 やれ、ヒールアンドトゥだの、クラッチ蹴りだの、シフトロックだの、普通の 人はそんなことしませんもの。 クルマが趣味の対象ではなくて、タダの道具でしかない人にとってはM Tなんて疲れるだけのクソですからね。
 でも、だからといって、オイラはATユーザーを貶しはしません。
 余程の好き者か、お金持ちでなければ、一家に二台も三台もクルマは買いません。
 ( オイラは異常な好き者なので複数台所有です。 安い国産車ですけどw )
 一台限りのクルマが日常使いで、しかも、嫁さんも運転するとなれば、そりゃあ、MT車なんか買えません ( 稀に奥様がクルマニアで、旦那がAT車を買おうとするのを制止して、無理矢理MT車を買った という微笑ましい逸話もありますが )。
 普通は買うならAT車。 MT車なんて好事家だけが買ってりゃイイんです。
 バードウォッチングも同じではないでしょうか。
エビデンスは低いかも知れませんが、既知の情報から類推する限りに於いて、スマホで囀りを鳴らす事も、餌を用いて誘き寄せることも、統計的有意なレベルで野鳥に悪影響を与えているとは考えられません。
 で、あるならば、ライトなバードウォッチャーは、省労力でバードウォッチングを愉しめる方法を採れば良くて、ヘビーなバードウォッチャーは、艱難辛苦の上に成し遂げる喜びが得られるような方法を採れば良いのではありませんか。
 自分達にとって、バードウォッチングというものが、ハードで高尚な物だったとしても、其れを他人に強 いることは間違っているとオイラは思います。


>前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。
  もちろん次回コメントは投稿者さんの言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。
 それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。 <中略>
 これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割には
 そのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・

 人類の将来を左右するも何もw
 貴殿が折れて、野鳥のペット化を認めたからといって、それで 「野鳥を飼う」 という項目が欠損している 『鳥獣保護法』 が補完されるわけでもありませんし、貴殿が折れて、邪道のバードウォッチングを認めたとしても、他の王道のバードウォッチャーが白眼視する状況は全く変わらないでしょう。
 逆に、オイラが折れて、野鳥のペット化を諦めたとしても、今まで通りに飼いたい奴は飼うでしょうし、 オイラが折れて 「邪道のバードウォッチングはダメだ」 という主張に与したとしても、山林でスマートフォンを鳴らしたり、ジプロックから多毛類を取り出して野鳥を誘き寄せる輩は出没し続けるでしょう。
 結果なんか出したって何も変わりはしません。
 延々とやってきて、今更言うのもアレですが、こんなもの、完全に時間の無駄ですよ。
  ・
  ・
  ・
 で.“落し所” って話なんですけど。
 そんなものは要らないと思いますよ。
 「野鳥を飼って善し」 と 「野鳥を飼うのは許されざる」 の中間点に、「ドーム球場を買い取って、野鳥 が自由に飛び回れる環境を用意するなら飼っても善し」 なんて落し所を用意しますか?
 そんなもん、だれもせんでしょw
 今でもそうですけど、飼いたい奴はこそこそと狭いゲージに入れて飼うでしょうし、飼いたくない奴はそ もそもどんな条件であれ飼いません。
 「スマホで囀りを鳴らし、餌で誘き寄せる」 と 「そういう省労力目的な姑息な手段は一切禁止」 の中間点に、「スマホの代わりに『バードコール』、餌はワングループに50グラムまで」 って制限を掛けましょうか?
 そんなもん、だれが守るんすかw
 スマホを鳴らそうが、バードコールを鳴らそうが、どちらも合法である以上、より効率の良い法を使います。 量の制限なんて 「もうちょっとあったら、もっと寄って来たのに」 というシチュエーションが一回で も有ったら、誰も守らなくなるに決まってます ( とはいえ、重いので無制限だからって何キロも持って来 るワケではなく、どの道、常識レベルに収まると思いますが )。
 こんな ( 余程の暇人以外 )誰も訪れないようなところで、老いさらばえたオッサン二名が言い合っただけなのですから、もう 「そういうことがあった」 でイイじゃないですか。
 こういうのが、死ぬ間際に走馬灯のように流れる記憶の一コマに成るんですから、下手に弄らないで 《あるがまま》 にしておきましょうや。
 さて、綺麗にオチたところで、これにて終了。
 それでは皆さん。 さ~~よ~~う~~な~~ら~~
<以下略>
管理人コメント:
>「 自然を隷属させて搾取する結果、自然が破壊されようが、これっぽっちも省みることが無い 」 という意味での 『自然破壊主義』 ですよ。
<中略>
>クルマのタイヤは消耗品だ。走り屋にとってタイヤは削ってナンボの存在。減らないように大切に使うなんてアリエナイ 」という認識で居ます。

<中略>
自然を浪費しなければ文明が成り立たないのに、文明至上主義を標榜する相手に向かって
   文明が至上なら、自然を遮断して暮らせ
 と言うのは、話のスリカエでしかありません。


仰る通りだとしても、タイヤは消耗しても交換すれば済みますが自然はそういう訳には行きません。消耗したらそれっきり、いずれタイヤの無い車になってしまいます。そうなっても大丈夫なのか自然を浪費し尽くす前に確認しておいて頂く必要が有ります。つまり文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも「自然を遮断」して実験して頂く以外に道は無いのです。しかも「資金的に出来ない」などと言われては、全人類が「自然を遮断」して(自然の恩恵無しに)生き残る事は資金的に無理だという事になってしまいます。たった一人に出来ない事がどうして数十億人に出来ましょうか。実験証明出来なければ「文明至上主義なんて絵に描いた餅だったね」という事になるだけです。話のスリカエでも何でもありません。切実な問題です。

>人は、人の造りし概念上の善悪に照らして、『善』 であったり、『悪』 であったりする。
 オイラが言う 「存在自体が悪」 の意味もまた、人が造りし概念としてのみの 『悪』 である。
 もし、人よりも遥かに高次元な存在が居て、彼が人を裁く機会を持つとしたら、我々が 『悪』 として捉えている行為のいずれも裁かれはしないだろう ・・・ と言っているのです。


いえね、主張されている理屈は分からないでもないんですけど、それなら「存在自体が悪」という土俵で交わして来た過去の激論が全て覆ってしまうと思うんですよね。僕も投稿者さんが作った「存在自体が悪」という土俵にわざわざ上ってコメントして来た訳だし梯子を外された気分です。そんな軽いノリで前言を覆されてはこれまでの激論が何だったのかという話になるんですよ。それならそれで「存在自体が悪」という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事になりますよ(今さら過去に戻って議論をやり直す気はさらさら有りませんが)。
以下、今さら取り下げて頂く事になるコメントの数々↓沢山振り回してくれましたなぁ・・・
「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で言うべきではない」
「人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった」
「悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?」
「オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。

等々・・・

>長く飼われ続ける ← もはや御野鳥サマから習性が喪失して、タダのペットと化す。

こんな詭弁には真面目に返すのも馬鹿馬鹿しいですが、前回コメントした通り野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。時間軸は関係有りません。

>どうして犬や猫,十姉妹,文鳥,その他、既にペットや家畜になってしまった物達は、人が飼って良くて、まだペットや家畜になっていない物達は、どうして飼ってはイケナイの?
>野鳥もペットとして飼い続ける内に、その生態が知り尽くされれば何も問題はありませんね。

<中略>
それは犬や猫,齧歯類,文鳥,十姉妹,鸚哥などで、それぞれが歩んできた道です。野鳥を飼う時だけ特別扱いするのはオカシイですよ。
>“悪魔行為”でなくとも、貴殿が“許し難い行為”と見做していることは事実ではありませんか。


ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・これのどこが「“許し難い行為”と見做している」になるんでしょうね。既にペット化されてしまったものは今さら犠牲になった個体を元には戻せないから止むを得ないでしょう。だから、どうしても野鳥を飼わねばならないのなら代替案としてそうすればいい(文鳥やら十姉妹を飼えばいい)のではないでしょうかと言っているのです。それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。それが妥当な解決策です。

>犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとして飼われる環境」 が整えられたハズです。同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのか?
>その “比較的飼育実績の有る鳥種” さえも元は野鳥なのではありませんか?
 どうして『過去の野鳥』なら良くて、『今現在の野鳥』はダメなのでしょうか?
>今現在に誰にも飼われていない野鳥であっても、今から試行錯誤して飼うことに挑戦して行けば、人間がその習性も生態も犬猫以上に知り尽くす様に成って、種として未来永劫人間と共存して行く可能性は十分にあるのではありませんか?
>今現在に野鳥である鳥類の如何なる種にも成し得ないとする根拠は何なのでしょうか。


では質問を変えましょう。なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。

>遥か彼方に居て、近付いてくれさえしない野鳥がそのままでペットの代用になど成り得る筈がありません。

バードウォッチング未経験の人にこういう世界も有りますよと紹介するのがそんなにイケナイ事なのでしょうか?ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしかありません。どちらを選ぶかは本人次第です。
ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたままその姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事にはならないんじゃないですか?眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。

>鳥以外の動物を飼う際にクリアしなければならない条件さえクリアできるなら、野鳥を捉えて飼うことに問題は無い
<中略>
飼っても問題が無いということの科学的根拠を示せと仰られますが、よろしいのですか?その科学的な根拠とやらは、実験的に飼ってデータを集めて検証することが前提になりますよ。
>そもそも今現在にペットである動物も鳥も、元を正せば野生だったんだから、手順を踏むならアリだろ


「科学的な根拠」が不可欠という前提で考えると、実験的に飼ってデータを集めなきゃ科学的な根拠を入手する事が出来ないという事は飼ってみなけりゃ分からないという事であり、少なくとも最初の1羽を飼うより前に「科学的な根拠」を入手する事は不可能、つまり科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。

>なぜ犬猫を除くのでしょう?

また「本質論」で犬猫と野鳥を一緒にしようとされているのだと思いますが犬猫など誰が飼い始めたか分からないくらい歴史が長く飼育法も確立されています。野犬や野良猫などの問題が有る事は承知していますがペットの中では最も飼いやすい事は確かです。過去に誰かが多大な犠牲の上に犬猫をペット化したからと言って今さら彼らを裁く事は出来ませんし、だからと言って多大な犠牲を払ってまでして同じ事を野鳥に対して行っても良いという理由にはなりません。結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのにわざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。

>オイラにとって鳥に関わるということは、
   [野鳥を観察する事] ≒ [野鳥をペットとして飼う事] ≒ [野鳥を獲って喰う]
 です。

<中略>
等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
          ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
          ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
          ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ
 でしかありません。


ここまで来ると新作落語の世界ですが、
野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
だと主張されるなら
野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
ですね。
そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、もし投稿者さんの様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが「等しくほぼ同じ」とは言えないでしょう。

>貴殿が家畜の肉を喰らおうが喰らうまいが、そんなことで 「野鳥を捕らえて飼う事」 が許されたり許されなかったりする道理はありません。

そうですよ。そもそも不毛な議論に過ぎません。「貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる」と言われたので「家畜の肉を喰らう」事においては対等だと言ったまでです。

>『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 ( 俗称:鳥獣保護法 )』 によって、鳥獣の 捕獲も飼養も極めて限定されているのですから、『無し』 に決まっています。

ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。

>グレートハンティングがアタリマエの野生のフィールドに於いて、貴重な生活時間を侵食するような人間の存在は織り込み済みではありません。
>「元々そこに有る恐怖」なんかじゃねーよ。『新たな(人工的な)恐怖』だよ。
 と返した迄です。


だからその「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのが「何の問題も無いよ」と言った前言を覆していると言うのです(後述します)。僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、その責任を放棄してもいいんですかね?それをOKにしてしまったら毎回好き勝手な事を言い合う事になってしまいます。人間なんだから間違ったり見落としたりする事は有りますよ。でも間違いに気付いたならその前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて頂かねばなりません。その手順をすっ飛ばして新たなアイテムを繰り出されても話が混乱する一方です。激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。でなきゃ後に何も残りませんよ。ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。
それはそうと「新たな(人工的な)恐怖」って具体的に何の事ですか?今なお謎です。捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?観察者が心の中で思っている目的が(野鳥から見て)外見に現われるとでも言うのでしょうか?僕に違いが理解出来ないのですから野鳥にも理解出来ないでしょうね(つまり仮に「新たな(人工的な)恐怖」だったとしても何の問題も無いという事です)。

>「新たな設題を投げかけてはならない」 のであれば、議論はおろか会話すら成り立ちません。
>バードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという当方の主張は、かなり早い段階から在りました。


そうだとしてもその後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは厳然たる事実です。その結論を踏まえてコメントしているので「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。『新たな(人工的な)恐怖』だよ。」などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。反駁している様に見えるだけです。これまでの激論をないがしろにして唐突に新たなアイテムを出して来られた事を問うているのです。「新たな設題を投げかけてはならない」とは言っていません。一度決着を見た事柄について蒸し返す様に前言を覆すのはこれまでの激論を反故にし、それこそ基本的な会話のキャッチボールを放棄しているのと同じです。こんな事を繰り返していたら収拾がつかなくなり永久に議論が終りません。反駁が成立していないという事はこの件につき決着がついたと見なさざるを得ません。
故に、
結論:「僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
で宜しいですね。

>だから問題は無いんだと申し上げております。 “王道のバードウォッチング”も“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪であるというオイラの主張を貴殿が呑んで下さるのであれば、問題は何もありません。

投稿者さんの「問題は無い」というのはバードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので「問題は無い」だった筈。「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」と認めれば「問題は無い」ではなかった筈です。同様に「存在自体が悪」に比べれば「微罪」だから「問題は無い」でもなかった筈です。スリ替えはいけません。
新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、自らも認めた「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」という前言を覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。それは例えば「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」という根拠でなくてはなりません。つまりこの理論の根幹である「元々そこに有る恐怖だから」という根拠を崩さねばならないのです。それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。
なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」は以前からコメントしている通り(元々そこに有る恐怖であるかどうかに関わらず)単に他人の迷惑です(後述します)。
因みに「バードウォッチャーが善い奴」であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり投稿者さんも反駁されていません。

>鳥にとっては迷惑な行為に及んでおきながら、一般人から見て大差ない行為 しかしていない “邪道のバードウォッチャー”を殊更に悪く言うのは止めましょう ・・・ と申し上げている のです。
>野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。
>何としてでも 「自分は微塵も悪くない」 という風に話を持って行こうとするから、オイラは、「何言ってんだ、コイツ」と反発しているのです。

<中略>
人が生まれながらにして持っている原罪に比べたらバードウォッチングなんて罪は微罪にすぎないというフォローをしているんです。
>“王道のバードウォッチング”と“邪道のバードウォッチング”の違 いは、“味噌”と“糞”ではありません。“白味噌”と“赤味噌”、もしくは、“目糞”と“鼻糞”です。


これまでの我々の激論を整理しましょう(「非常識なレベルで餌付けしたりスマホで囀りを流す人」を「邪道のバードウォッチング」と置き換えます)。
① 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も野鳥から見れば「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」であり(野鳥から見て)何の問題も無い。
② 上記にかかわらず「邪道のバードウォッチング」をしている人は非常識な人の事であり少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって迷惑である。
細かい部分で互いに言い分は有るでしょうが、これまでの激論で概ね上記の事実が確認出来ました。勝手に「何としてでも 『自分は微塵も悪くない』 という風に話を持って行こうと」している訳ではなくこれまでの激論の結果こういう内容に落ち着いたのではありませんか。
これら(①と②)と相違する投稿者さんの今回コメントはこれまでの激論をないがしろにしており反駁が成立していません。
「“邪道のバードウォッチャー” を殊更に悪く言うのは止めましょう」と言われますがこれまでの激論(上記②)の通り野鳥と無関係に「(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって)迷惑である」から「悪く言う」のであってバードウォッチングが「鳥にとっては迷惑な行為」「一般人から見て大差ない」「目糞鼻糞」なのは百も承知です(後述します)。従って「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記②)に対する反駁が成立していません。
「ストーカーやパパラッチ」は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま同じコメントを繰り返されています。「ストーカーやパパラッチ」であっても「何の問題も無い」という事(上記①)に対する反駁が成立していません。
「人が生まれながらにして持っている原罪」という旗は降ろしたんではないですか?また都合良く復活ですな。「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記①)というのが現時点での結論です。「存在自体が悪」であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。

>「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である 」という理論を振り回すのであれば、オイラも其れに相乗りさせて頂くことにしよう。
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、捕まえてペットとして飼おうとも人間の勝手である
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、スマホや餌で誘き寄せようとも人間の勝手である


またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう投稿者さんの悪い癖ですね。
人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGという激論を交わしたばかりです。スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのもこれまで繰り返しコメントした通りです。
あと、これは見逃せないのですが
「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
という僕の理論は存在しません。
「人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが(狩猟して喰うのさえ)『それが元々』」
という理論なら存在します。だから「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGなのです。微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに投稿者さんの根本的な誤謬が有ります。自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけませんし前回までの激論を忘れてはいけません。「スリ替えはイカン」のではなかったですか?「反日サヨクのような手を使うのは止めましょう」と言われたのではなかったですか?
なお、ここでも投稿者さんの反駁が成立していないので、
結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
   すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
で宜しいですね。
あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。

>同じ場所でバードフォトグラファー同士が横一列に並ぶ程居るんでしょ?そういう状態と同じ様に、原始人もまた、鳥を見る為に日本中のあちこちの山林で、群れを成していたというなら、原始人の存在を以てバードウォッチャーの弁護に使うことが出来るでしょう。

そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。もしかしてこんなものが「新たな(人工的な)恐怖」なのでしょうか?
おっと、「新たな(人工的な)恐怖」の説明をして頂く前に、前述の通り「問題は無い」という前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。

>そういう個体を見たというだけではエビデンスになりません。
<中略>
 そのオオルリも病気に罹っているのではありませんか?

そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。
それはさて置き投稿者さんが科学的根拠を要求されたから止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言(もし裁判なら重要な証拠になり得る)を添えて紹介したまでです。少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし鳥類とかけ離れた魚類の例(しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス)より少しはマシな根拠です。病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。投稿者さんは動物実験でもしなければ入手不可能な高レベルの科学的根拠を要求されているのです。しかしこの激論をした結果前回あの画像を公開する事になった訳で、その意味では誰かが問題を認識してくれたかも知れないので無駄ではなかったのだと納得しています。

>一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からないような、スマホで囀りを流すとか、その場限りの餌付け等に、いちいち苦言なんか呈さなければ良い。
>なんだ。ゴマメの歯軋りかよw
>所詮マナー違反はマナー違反。制止する権限なんか誰にも無い。


また「0か100か」ですか。(注意喚起を)「やるならやる。やらないならやらない。」というのは投稿者さんの生き方なのかも知れませんが僕は中間が有ってもいいという考えなので「やりたい時はやるし、やりたくない時はやらない」ただそれだけです。投稿者さんが朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て(※)投稿者さんが積み残しになってしまったとします。そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても何ら文句を言わないのでしょうか?それとも駅の端から見張っていてそういう人を見掛けたら片っ端から注意喚起して回るのでしょうか?もしそうだとしても自分の生き方を他人に押し付けてはいけません。出来る事なら小学生でもわきまえている様な常識をいちいち言いたくはありませんよ。面倒くさい。ただ余りにも目に余る行為を目にした時は文句を言う資格くらいは有るでしょうし、Web上でマナー向上を呼び掛けてもとやかく言われるほどの事は無いでしょう。
なお、「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」とのご指摘については後述します。
(※)大阪以外の読者の人は「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」というマスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。決してそんな事は有りません。どこの出身者か分からない一部の非常識な人を除き僕が知る限りきちんと列になって並んでいます。

>野鳥に知恵があって、人に付き纏われる事を嫌だと感じているなら、( 人間から見てどうであるか、ではなくて、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は) 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。

僕が「人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです」と言った事に対する反駁になっておりません。つまり人間界のストーカー被害者に向かって「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。

>バードウォッチングが鳥にとって迷惑かどうかなんて本人ならぬ本鳥にしか分からないでしょうに。 どうしてそうも確信めいた表現で「私は無罪」と言えるのでしょうか。
>そういう解釈をする場合は、スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも同様に無罪です。
>「極力影響を与えない」 と標榜されていても、バードウォッチャーが、他の捕食者と違って腹が減っているワケでも、食料を備蓄するワケでもないのに、貴重な生活時間を脅かす存在であることは、揺らがない事実です。


ここでも投稿者さんの反駁が成立していません。「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く「スマホで囀りを聞かせる」のは他人が迷惑すると言っているのです。物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。
「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるのは事実だろうから「極力影響を与えない」様に心掛けるのはせめてもの良識であり飽くまでモットーです。極端な話、ここでの激論とは何の関係もありません。「極力影響を与えない」を仮に放棄したとしても誰に批判される謂れも無く、尚且つ依然として「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」迷惑だからやめてくれと言える事に変わりは有りません。もちろん実際には「極力影響を与えない」を放棄するつもりは有りませんが。

>横一列に並ぶって ( 呆
 それじゃ、一般の観光客に対して、眺望に立ちはだかる壁になっているんでしょうに。
>以前にあった 「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」ってのも、その境界線とやらを絶対に侵さない距離を保ってたの?


だからバードウォッチングの現場を知らずに頭の中だけで観念的に考えるからそういう的外れな発想になるんです。野鳥ファンなら誰でもイメージ出来ていると思いますよ。「眺望に立ちはだかる壁に」なる様な立ち方にならない様に配慮するのもまた「常識」の範疇です。もしそういうシチュエーションでうっかりではなく「眺望に立ちはだかる壁に」なっていたらそれこそが非常識でしょう。その事を言っているのです。投稿者さんの空想の世界の住人を批判されても困りますので是非実際の現場に足を運んで自分の目で確かめてからコメントして下さい。
僕は道から逸れて藪の中に立ち入る事はほぼ有りません。里山においては大抵そこは私有地ですから。仮に公園内などでそういう場合も他人に迷惑が掛かる様な状況であればやるべきではありませんし、状況次第では諦める事も当然有ります。くどい様ですが通行の邪魔になる様な立ち方も以下同文です。上記の「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから「境界線」も存在しません。因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。

>「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」 ですか

はー・・・慰安婦問題まで飛躍しますか・・・
居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりもバードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。自分の目で確認出来ますし。

>すごすごとその場を去って、そんな邪道のバードウォッチングなんかする奴が居ない山林へ行って孤独にバードウォッチングを愉しむしか他に手はありません。

言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。

>だから
   行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
   本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
 ↑こういう根拠のない、可能性の話に意味なんかないんだよ。

<中略>
ほうほう。 ではそうなってしまったスポットを教えてくれたまえ。
   異常な挙動を示した野鳥の動画と不自然な体型になってしまった野鳥の画像でも構わんぞ。


科学的な根拠を示す事が難しい事を承知の上で僕なりに乏しい画像を紹介したのだから「そういう可能性も有るなぁ」と考えて教訓とするのは非科学的ではないでしょう。そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は時々刻々と分かっているはずです。
なお、非常識の例としては図らずも投稿者さんが示してくれました。「眺望に立ちはだかる壁」も「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」のも非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?それと同じです。非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。
しかし投稿者さんご指摘の通り「制止する権限なんか誰にも無い」のですから飽くまで「呼び掛け」するしか有りません。そもそもマナーに無頓着な人が簡単に他人の声に耳を傾けるとは期待出来ません。これは「ゴミを捨てるな」という立札みたいなものです。そんな立札が立っていたとしてもゴミを捨てる様な人は捨てるでしょう。

>確実に迷惑を被っている人と云うのは他の誰でもない“王道のバードウォッチャー”ということになります。
 結局、“王道のバードウォッチャー”が“邪道のバードウォッチャー”を嫌って排斥しようとしているだけ でしかないのではありませんか?


バードウォッチングに限らずどの社会においても「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは人間社会の持つ当然の行動です。前々回のコメントで「社会秩序維持の為に法律や条約が有り、明文化する必要性が低い事柄が『しきたり』や『ならわし』であり、その根底に有るのが『常識』や『良識』であったりする訳です」と述べたのが正解だとすると「非常識」とは「社会秩序を乱す行為」ですから社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。

>一般車両の運転者に向かって「お前は邪魔だから、此処から出て行け」なんてクチが裂けても言いませんよ。

自覚しておられる様に、この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだからサーキットに行く事をお勧めします。

>スマホでも検索はできますから、検索して、呼び寄せる音声データを選んでダウンロードしていると思いますよ。

それは投稿者さんの希望的観測に過ぎませんし、僕が指摘したのは飽くまで想定し得る弊害の「一例」です。想定し得る弊害の全てをいちいちここで検証しますか?「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」とのご指摘を頂きましたので、もう一つ「一例」を言えば以前コメントした通り本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとってスマホの囀りなど騒音でしかありません。ライブコンサートの客席でラジカセ(死語)の音声を流す様なものです。更に「一例」を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。まだ「一例」を言いますか?

>だいたい自然なんかツマランもん。
 邪道のバードウォッチングのおかげで、退屈なハイキングにエンターティメントが加わるならありがたいこっちゃ。
>ベテランと素人は求めるモノが違うのです。


話を整理しましょう。
まず「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。世界中の珍鳥が確実に見られますから。そういう人にハズレの多い自然界は残念ながら向いていません。ただし「観光客」がフィールドに足を踏み入れてはいけないと言うつもりは毛頭ありません。実際野外ではトレッカーと出会う事が多いです。常識的なトレッカーとは軋轢を経験した事がほとんど有りません。互いに常識をわきまえ相手を気遣っていれば何の問題も無いのです(必死にカメラを構えてシャッターを切っている時に執拗に話しかけられて閉口した事は有りますがそれも気遣いや常識の問題ですね)。
「初心者」の人は動物園では満足出来ない人でありバードウォッチングを今後本当に体験したい人と仮に定義しましょう。こういう人たちが野鳥ファンの間で認識されている暗黙の了解について良く把握出来ていなくても止むを得ないでしょう。しかし常識さえわきまえていれば郷に入っては郷に従えではありませんが、誰しも初心者の時は自分は新参者だという意識で周囲の空気にアンテナを張り「やっちゃマズイ事」を覚る様に気配りするものです。それは結局「他人に迷惑を掛けない」とか「常識で考える」という事に尽きます。たったそれだけの事です。
「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は、どうすれば野鳥をおびき寄せられるかを知っているのだから、少なくともそこそこ経験者の人です。右も左も分からない様な「観光客」や「初心者」とは明らかに別物であり本来ならば「やっちゃマズイ事」のボーダーラインが分かっていなくてはならない人です。仮に全く常識の無い人であっても、既にネット上などで餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を認識する機会は有るはずです。
中には「鳥類写真愛好家」とも言うべき大ベテランも見受けられます。何と望遠ではなくて広角レンズを装着したカメラを三脚にセットしレンズの直前に生き餌を仕込みご丁寧にレフ板まで敷いてリモート撮影している人も居ます(機材の扱いぶりを見ればとても「観光客」や「初心者」とは思えません)。ここまで来ると完全に野鳥を私物化しておりペット化していると言っても過言ではありません。こういう謂わば「鳥類写真愛好家」が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。

>それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいい
 なんですよね?


「観光客」レベルの人がたまたまそこに居て喜んだというのなら「観光客」には責められる謂れは無いという意味です。いちいち解説しなきゃ分かりませんかね?それとも「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為にボランティアでお仕事をされているんでしょうか?

>そもそも歩道が整備されている山林へ野鳥を見に行くこと自体が、『(自然に)あるがままの野鳥を見る』 という行為ではないような気がするんだがね。
>全く以て人工の環境に在る 「不自然な野鳥」 を観て撮って悦んでいますよね。


ひょっとして投稿者さんは僕がその程度の事にも気付かずに今までバードウォッチングして来たとお考えですか?今さらこんな次元で勝ち誇られても、一言で言って(関西弁で)「難儀やなぁー」ですわ。まさかそんなとこから話さなきゃならんのですか?先が思い遣られますわ・・・気が重いですがもう少し頑張ります。
以前コメントした様に日本には純然たる自然はほとんど残っていないと言わざるを得ません。巷の人々が「大自然」と呼んでいるのは大部分が初歩的な「勘違い」です。「あるがままの自然」などほとんどどこにも見当たりません。本物の自然が無いのだから泣こうが喚こうが仕方が有りません。もちろん里山や埋立地の干潟も例外ではなくむしろ典型的な人工物でしょう。しかしそこに集まる野鳥はその環境に適応した自然界の生き物です。もちろん「あるがままの自然」そのものではありませんが、それなりに命懸けの本物の生態系です。
因みに大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません(これについては鳥の巣箱も同様だと思います)。潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います(投稿者さんはお得意の本質論で同じじゃないかと言うでしょうが)。むしろここは「観光客」の人にお勧めの手軽な観光地と言って良いでしょう。また、ここが事実上「動物園」みたいなものだとしても野鳥ファンが「動物園」に行って喜んではいけないという道理は有りません。これはこれで貴重な体験だと思います。このへんの僕の考え方はフォトギャラリー第99回などで触れた事が有ります。

>プロなら良くて俺達はダメなのかよ

普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」などとは言っておらず、むしろ「プロがそんな事をしていいのか」という問題提起である事が読み取って頂ける筈です(逆に「アマなら良い」と言うつもりも有りませんが)。
「そんなに都合良くカメラの前に獲物が飛び出し、そこに都合良く主人公が登場して狩りなどしたりする訳が無い」(フォトギャラリー第219回参照)
まだ話が飲み込めない人が居たらいけないので、折角だからこの話を展開させて頂きます。テレビ番組などでよくこういうシーンが放映されますが、現実の自然界はそう簡単に素顔を見せてくれません。日常的に自然界に接している野鳥ファンなら誰しもうなずけると思いますがこういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。つまりあらかじめ餌付けされた主人公に狙いを定めておいて、カメラの前に犠牲となる小動物を仕込み狩りをさせているのではないかという疑惑です。飽くまで物的証拠の無い疑惑レベルではありますが特定のチャンネルの特定の番組を名指ししている訳ではありませんから名誉棄損にはならないでしょう。一度でもバードウォッチングを経験してみれば実感出来ます。まず「主人公」自体が簡単には見つかりません。何日も続けて空振りというのが当たり前の世界です。そしてようやく見つかっても「主人公」はカメラマンを警戒し一瞬で姿を消してしまいます。それが猛禽類であっても同じです(フクロウ科はそれほどではありませんがタカ科は対人警戒心が非常に強いです)。カメラをカモフラージュするなら先回りして待ち伏せ出来る状況でなければなりません(神出鬼没の野鳥が相手ですからその方が難しいはずです)。「獲物」も野生ですから簡単には姿を現しません。付近に猛禽が居ればなおの事です。その状況で「主人公」が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。

追記:
どうにも投稿者さんとコメントのキャッチボールが上手く行ってない様に感じます。一つのテーマで投稿と回答を繰り返すうちコメントが尋常ではないほど長文になり訳が分からなくなって来ているのも原因かと思います。前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。まだまだ言いたい事はいっぱい有ると存じますが何が何でも相手を論破するんだという事ではなく意見の擦り合わせをして行きたいと思うのですが如何でしょうか?このまま続けてもどぉーせ互いに「ああ言えばこう言う」に決まっていて決着なんてつきませんよ。もう少し早くこの事に気付くべきでした。もし人類よりも知能の高い宇宙人がこのコーナーをモニターしていたら「地球人ってアホやなぁ・・・」という評価になっている事でしょう。もちろん次回コメントは投稿者さんの言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。それで差し支えが有る様でしたらそのご意見もコメント下さい。そんな段取りでぼちぼち締めたいと思います。これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割にはそのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・
(野鳥を飼育することは有りか無しか)
投稿者コメント:
んじゃ早々に反駁行きます。

>自然なんか破壊し尽くして文明だけで生きて行けるのならば
 徹底的に自然を破壊して頂きましょうか。
 但し 「こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪する」 というのは
 取りも直さず 「いいとこ取り」 なのであって 「文明至上主義」 ではないんじゃないでしょうか。
 「自然破壊主義」 を徹底するなら自然を利用してはいけません。 破壊しなくては。
 <中略>
 擬似的に再現する方法として以前コメントした様に 「自然を遮断する」 という手段を
 用いて頂く事になりますが宜しいですね。
 
 いやいやいや。
 『自然破壊主義』 つーても。「 自然の破壊のみが目的であって、自然を活用する気なんかサラサラねーよ 」 って話じゃなくて、「 自然を隷属させて搾取する結果、自然が破壊されようが、これっぽっちも省みることが無い 」 という意味での 『自然破壊主義』 ですよ。
 だから、
   「自然を遮断する」 という手段を用いろ
 というツッコミは的外れでしかありません。
 ・・・ でまぁ、一応反駁終了なんですけど。
 こういうのは、これが初めてではなく、同じ様な事を何度も書いているのですが、オイラの説明が悪いのか、管理人の頭が悪いのか、コチラの主張が全く通じていない様子。なので、適切かどうか微妙 だと思うのですが、クルマオタクらしい喩え話で説明しますね。
 オイラは元走り屋で、一時期はドリフトもどきみたいな事もやっていましたから、「 クルマのタイヤは消耗品だ。 走り屋にとってタイヤは削ってナンボの存在。 減らないように大切に使うなんてアリエナイ 」 という認識で居ます ( ほぼ引退状態にある今でもそう思います )。
 この考えをクチに出した際に、走り屋でも何でもない人が
 「 タイヤを作る為には沢山の資源とエネルギーを消費する。
  そんなタイヤを公道でのドリフトなどという違法行為で使い潰すのは許せない。
  投稿者さんはタイヤの無いクルマに乗るべき 」
 なんて言ったら、どう思われます? その通りだと思いますか?
 
<中略>
 自然を浪費しなければ文明が成り立たないのに、文明至上主義を標榜する相手に向かって
   文明が至上なら、自然を遮断して暮らせ
 と言うのは、話のスリカエでしかありません。
 反日サヨクのような手を使うのは止めましょう。


>あらまー ・・・ ここへ来て 「存在自体が悪」 の旗をさり気なく降ろしますか ・・・ ?
 それをされちゃこれまでの激論は一体何だったのぉ??? という事になってしまいますよ。

 は? もしかして、こんな簡単なことが理解できない?
 それとも、オイラの説明が壊滅的に下手で意味が通じていないのか?
 人は、人の造りし概念上の善悪に照らして、『善』 であったり、『悪』 であったりする。
 オイラが言う 「存在自体が悪」 の意味もまた、人が造りし概念としてのみの 『悪』 である。
 もし、人よりも遥かに高次元な存在が居て、彼が人を裁く機会を持つとしたら、我々が 『悪』 として捉えている行為のいずれも裁かれはしないだろう ・・・ と言っているのです。
 当然の事ながら、その場合でも、人の造りし概念上の善悪に照らして、『悪』 であるであろうオイラを含む大勢の人の“罪”が、人の造りし概念上の善悪から 『善』 であると見做されるワケではありません。


>投稿者さんのヘンテコロジックからは「籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う=OK」 という結論は導き出せません。
 投稿者さんに悪意は無いと思いますが、人の発言をバラバラに切り取って継ぎはぎ全く別の意味に再構築するというのは悪徳マスメディアが誰かを陥れる時に好んで使う常套手段ですね。 我々善良な一般市民はそんな反社会的勢力の邪悪な反則技に手を染めない様にしましょう。

我々善良な一般市民はそんな反社会的勢力の邪悪な反則技に手を染めない様にしましょう。
<中略>
 なんという『おまゆう』w
 ま、それはイイや。
   籠に入れた途端 「野鳥の姿をした別の生き物」 に化けるという意味ではないにしても、籠の中で長く飼われる事に因って、
   野鳥の習性を殺している姿
 に見えるように成ってしまうのですから、野鳥を飼うという行為は
 ① 御野鳥サマを人間が捕まえる ← 野鳥は高貴な“御野鳥サマ”のまま
 ② 御野鳥サマを籠に入れる ← 入れて間もなくは、野鳥は高貴な“御野鳥サマ”のまま
 ③ 御野鳥サマを籠の中で飼い続ける ← 御野鳥サマの高貴な習性が次第に殺されて行く
 ④ 長く飼われ続ける ← もはや御野鳥サマから習性が喪失して、タダのペットと化す。
 ですよね。
 これって、犬や猫など四足の動物や十姉妹、文鳥などの鳥が、『最初にペットにされた時』 と同じ道を歩んでいるだけでしょ?
 どうして犬や猫,十姉妹,文鳥,その他、既にペットや家畜になってしまった物達は、人が飼って良くて、まだペットや家畜になっていない物達は、どうして飼ってはイケナイの?
 十年後、二十年後には人に飼われるのがアタリマエの動物に成っているかも知れないのに、どうして 可能性そのものを放棄してしまうのでしょうか?


>またまた。物事を一面からしか見ずに味噌も糞も一緒にして結論を急いではいけません・・・
>「社会常識的な根拠」 なら有ります。 <中略>「常識」 や 「モラル」 は既に最大公約数の人が理解しているのだから 「ちゃんとした根拠」 は必要だとしても「科学的な根拠」 は必要不可欠ではないでしょう
>前回コメントした通り僕にとって 「自然を慈しむ」 というのは
 何も 「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」 という事ではありません。
 <中略> 野鳥から見れば個々の人間の存在は太古の昔から折り込み済みなのです。

 確かに、捕食者としての
   人間の存在は太古の昔から折り込み済み
 かも知れません.しかし、グレートハンティングがアタリマエの野生のフィールドに於いて、貴重な生活時間を侵食するような人間の存在は織り込み済みではありません。
 なぜなら、太古の昔から存在する中型の雑食動物は、喰う目的でもないのに、鳥に忍び寄るなんて 行為はしないのですから。
 腹が減ったら狩る。 或いは、次の食事に備えて狩っておく。 それが捕食者の基本行動であり、食物連鎖の下位にいる者に対する危機です。 それは、逆に捉えれば、捕食者が腹を空かせていなかったり、食料を貯えようとしない時間に、鳥は (文字通り) 羽根を休めて、性行為に及んだり、眠ったりすることが出来るということです。
 バードウォッチャーは、この危険ではない貴重な時間を削ぐ嫌な存在です。
 貴重な生活時間を邪魔されることを歓迎する奴なんかいません。
 たとえば、貴殿が自衛隊に入ったと仮定しましょう。
 入隊体験漫画等で有名になりましたが、自衛隊では ( 自衛隊に限らず、世界中何処の軍隊でもやっていることだと思いますが ) 予告なしに深夜の睡眠時間に緊急の召集を掛けて、一定の時間 ( といってもホンの数分間 ) 以内に装備を整えて出撃可能な状態で集合できなければ、腕立て伏せや腹筋運 動などの懲罰が課せられます。
 そんな自衛隊に於いて、貴重な睡眠時間中に安眠妨害をする奴が現われたらどうなりますか。
 幾ら温厚な貴殿であっても、営倉入り覚悟でブン殴るのではありませんか?
 別にオイラは、バードウォッチングなんか止めろ、と言う気はサラサラ御座いません。
 ただ、常識的に考えて、鳥にとっては迷惑な行為に及んでおきながら、一般人から見て大差ない行為 しかしていない “邪道のバードウォッチャー” を殊更に悪く言うのは止めましょう ・・・ と申し上げている のです。


>野生動物たちの中に人間が混ざってはならないと言うなら
 僕も貴方も自分の生存権を放棄して地上から消えねばならない事になります。

 上述した通り、野生のフィールドに於ける貴重な生活時間を侵食するバードウォッチャーという存在 は、
   太古の昔から折り込み済み
 の人間ではありません。
 もちろん、そうだとしても、
   生存権を放棄して地上から消えねばならない
 ような犯罪ではなく、精々が 「 御野鳥サマの平和な時間を奪ってゴメンなさい 」 と心の中で謝罪すれば済まされる様な微罪です。
 それを何としてでも 「自分は微塵も悪くない」 という風に話を持って行こうとするから、オイラは、「 何言ってんだ、コイツ 」 と反発しているのです。
 「存在が悪」 というのも、どうにもちゃんと受け取って頂けないみたいですが、人が人類と云う種が安寧に暮らせる様にする為だけに自然を破壊して、喰う為だけではない目的の為に幾多の命を奪って、 資源を浪費しているという“罪”を設定することに拠り、
   人が生まれながらにして持っている原罪に比べたら
   バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない
 というフォローをしているんです。
 これぐらいは察してくれるだろうと思って、敢えて解説しなかったんですけどねぇ。
 ( 解説するのが恥ずかしい )


>現代人(野鳥ファン)が人工的な身なりをしているからと言って野鳥にとっては原始人(捕食者)が素っ裸または毛皮をまとい棍棒を持って立っているのと大差無いというのも既に論じ合って来ました。

 だとしても、原始人は狩る必要もないのに野鳥のテリトリーを侵食することはありません。
 いえ、娯楽が存在しない時代でしたから、もしかしたら好奇心に駆られて、あるいは、より効率良く狩りをする為の研究として、野鳥を観察した人間が居たかも知れません。
 だとしても、それは今の日本に存在するバードウォッチャーの数に比べたら、居ないも同然でしょう。
 貴殿が今回にお書きになられていますが、同じ場所でバードフォトグラファー同士が横一列に並ぶ程居るんでしょ? そういう状態と同じ様に、原始人もまた、鳥を見る為に日本中のあちこちの山林で、群れを成していたというなら、原始人の存在を以てバードウォッチャーの弁護に使うことが出来るでしょう。 しかし、現実にそんな過去が有ったという証拠は何もありませんし、そもそも常識的に考えれば、 原始人にそんな暇があるとは思えません。
 ですから、
   バードウォッチャーの存在は、鳥から見れば原始人が居るのと変わらない
 という抗弁は、無理があるのです。


>従って 『新たな(人工的な)恐怖』 なるものは、これまでの激論をないがしろにして
 投稿者さんが今回唐突に創出して来られたアイテムに過ぎません。

 「新たな設題を投げかけてはならない」 のであれば、議論はおろか会話すら成り立ちません。
 そもそもバードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという当方の主張は、かなり早い段階か ら在りました。
 それに対して、貴殿が
   バードウォッチングは 「元々そこに有る恐怖」
 という反駁をされるので、
   「元々そこに有る恐怖」 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』 だよ。
 と返した迄です。


>僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
 これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?
 この問い掛けに投稿者さんは 「問題は無いよ」 とお答えになりました。
 その後に続く但し書きらしきものは 「バードウォッチャーは<中略>鳥を襲わない善い奴」 だから問題有りとされているだけですから仮に野鳥が野鳥ファンに恐怖やストレスを感じているとしても
 (それが本来あるがままの自然に近い姿なのだから) 問題無しと結論が出ているのです。
 これに対して 「問題は無いよ」 と言った前言を撤回されるのかされないのか
 明確な返答を頂いてません。

 だから問題は無いんだと申し上げております。
 “王道のバードウォッチング”も“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪であるというオイラの主張を 貴殿が呑んで下さるのであれば、問題は何もありません。
 それなのに貴殿は、 『自分も鳥に迷惑を掛けている』 にも関わらず、スマホで囀を聞かせたり、その場限りの餌付けをするような“邪道のバードウォッチング”を殊更に敵対視して断罪しようとされるので、
   そういう風に仰られるなら、そもそも王道のバードウォッチングだって同罪じゃねーか
 と申し上げているのです。


>僕は研究者ではありませんから根拠としては薄いかも知れませんが、
 僕が実際に目撃したオオルリを載せておきます。

 そういう個体を見たというだけではエビデンスになりません。
 そういう物を根拠資料として出して来るのであれば、こちらにはこういう資料が出せます。

<中略>
  金魚です。
<中略>
 病気に関する知識を誰も持っていなかったとしたら、
   誰だよ、バカみたいな量の餌をやった奴は
 ということで犯人捜しが始まっていたでしょう。
 そのオオルリも病気に罹っているのではありませんか?


>ペットの生態を知り尽くし家族同然に飼う事を 「徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる」 とは言えないでしょう。

 では、野鳥もペットとして飼い続ける内に、その生態が知り尽くされれば何も問題はありませんね。
 ただ、最初の何羽かは、未確認な生態の所為で病気に罹ったり、死んだりするかも知れませんが。
 でも、それは犬や猫,齧歯類,文鳥,十姉妹,鸚哥などで、それぞれが歩んできた道です。
 野鳥を飼う時だけ特別扱いするのはオカシイですよ。


>なお、ペットロスにその様な深刻な問題が有るのであれば
 なおの事ペットの飼育については慎重に考えなければなりません。
 <中略>
 いずれ訪れるペットとの別れに耐える自信の無い人に対し
 ペット飼育に代えてバードウォッチングを提案するのは間違いではないでしょう。

 そういう話をされるのであれば、バードウォッチングも高画質なテレビモニターに映し出される動画を観て済ませば良いのではありませんか?
 普通の人はペットロス程度の悲しみで後追い自殺なんかしません。
 ペットロスで後追い自殺するような人は、ペットとの関係に依存してしまう心の弱い人です。
 ペットに依存するという事は、依存するだけの関係がなくては成立しません、
 多くの場合、ペットとは、触ることが出来る存在で ( アクア系のペットは、触ると死んじゃいますが )、 語り掛けることが出来る存在で、寝起きを共にする存在 ( 徹底した夜行性の動物は無理ですが ) な のですから、遥か彼方に居て、近付いてくれさえしない野鳥がそのままでペットの代用になど成り得る筈がありません。


>本来あるがままの自然からかけ離れた事をするからには
 それこそ科学的に解明した上でする必要が有るのではないですか?
 どうしても科学的根拠を示さねばならないのだとしたら野鳥を飼おうとする人の方でしょう。

 コチラの主張は、
   寄生虫や感染症の問題など、鳥以外の動物を飼う際にクリアしなければならない条件さえクリアできるなら、野鳥を捉えて飼うことに問題は無い
 です。
 四足は勿論、鳥類に於いても既に幾多の種がペットとして飼われており、他のペットと同様に何の問題もなく人間との関係が維持されています。 現状から鑑みて、未だにペットとして飼われていない野鳥 をペットとして飼っても問題は無いだろうという類推です。
 さて、
   飼っても問題が無いということの科学的根拠を示せ
 と仰られますが、よろしいのですか?
 その科学的な根拠とやらは、実験的に飼ってデータを集めて検証することが前提になりますよ。


>「個体」 としてすら 「最期まで責任を持って飼うのであれば」 が出来ていない事例が
 現実に有る事を無視する事は出来ません。
 <中略>
 「種」 としても犬猫を除き未来永劫人間と共存して行けるのか不確定要素が多過ぎます。

 なぜ犬猫を除くのでしょう?
 犬も猫も 「最期まで責任を持って飼うのであれば」 が出来ていない事例が現実に有っていて、それに 伴う野犬や野良猫という問題が発生しています。
 野鳥も他の動物と変わりません。
 病気や寄生虫,鳴き声の騒音や糞など、飼っている間に想定し得る問題は、野鳥も他の動物も同じです。
 唯一、飼い切れなくて野に放した際に、( オイラの手から離れたヒヨドリと思しき小鳥がそうであった様に ) 人から餌を貰えるという環境に戻りたくて住宅街をウロウロして、その行動を見た他の鳥が真似ることで、野鳥の野生性が失われる虞は、憂されるべきでしょう。
 しかし、以前に紹介しました鷹匠が飼っている手乗りスズメみたいな極端な例を除けば、( オイラの手から離れたヒヨドリと思しき小鳥がそうであった様に ) 人から餌を貰える環境に戻りたくても怖くて人間に近寄れませんから、結局は自分で餌を捕りに行かなければ成らず、やがて ( なんせトリアタマですからw ) 人から餌を貰える環境なんか忘れて野に戻るでしょう。
 そう考えれば、別に飼い飽きて野に戻したって何も問題は起こらないのかも知れません。
 しかし、一方で、問題が生じる可能性も払拭できない。
 だから、「 飼い殺しなら良いんじゃね? 」 と申し上げているのです。


>この図式を投稿者さんに当てはめると

 少しはマシ:[野鳥をペットとして飼う事]
        > [犬や猫をペットとして飼う事]
        > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
        - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
        > [単に野鳥を観察する事] :マシではない
 じゃあ、ござんせんか。

 オイラにとって鳥に関わるということは、
   [野鳥を観察する事] ≒ [野鳥をペットとして飼う事] ≒ [野鳥を獲って喰う]
 です。
 もちろん
   [単に野鳥を観察する事] = [スマホや餌で野鳥を誘き出して観察する事]
 ですよ。 こちらは、nearly equal ではありません。 厳然とした equal です。
 ですから、犬や猫,家畜が絡んだところで、
 等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
          ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
          ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
          ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ
 でしかありません。


>「肉を食べる」 という事において投稿者さんと僕とは対等の関係です。もし投稿者さんがベジタリアンならこの構図は成り立ちませんが、そうでないならこの構図で僕は 「家畜の肉を喰らう」 からと言って 「野鳥を飼うのは如何なものか?」 とさえ言えない立場なのでしょうか?
 それと投稿者さんが忘れてはならないのは僕が前回コメントした事です。
 相対的に 「少しはマシだ」 と論じるのであれば
 味噌も糞も一緒にする様な本質論による決め付けは取り下げねばなりません。

 貴殿が家畜の肉を喰らおうが喰らうまいが、そんなことで 「野鳥を捕らえて飼う事」 が許されたり許されなかったりする道理はありません。
 今現在に 『ペット』 というモノが存在していないというならマダしも、犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとして飼われる環境」 が整えられたハズです。
 同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのか?
 納得の出来るご説明を頂きたい。 ← 国会での野党の質問風に♪


>ペット業界の合法的な経済活動だというのは百も承知ですが、 誰も名前も知らない様な飼い慣れない動物を店頭やメディアで宣伝して何故わざわざそこまでして飼わせようとするのか疑問です。

 重複に成りますが、大切な事なので二度書きます。 ( 嘘です。コピペです )
 今現在に 『ペット』 というモノが存在していないというならマダしも、犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとし て飼われる環境」 が整えられたハズです。
 同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのでしょうか?


>百歩譲って、諸般の事情で犬猫を飼えないペット不可マンションや団地に住んでいて
 どうしても鳥を飼わざるを得ない人であれば比較的飼育実績の有る鳥種を飼えば済む話です。

 その “比較的飼育実績の有る鳥種” さえも元は野鳥なのではありませんか?
 どうして 『過去の野鳥』 なら良くて、『今現在の野鳥』 はダメなのでしょうか?

<中略>

>人間が犬猫に次いで習性を知り尽くしていて種として未来永劫人間と共存して行く可能性が高く「最期まで責任を持って飼うのであれば」 何もかも全てを問題視なんかしませんよ。

 ですから、今現在に誰にも飼われていない野鳥であっても、今から試行錯誤して飼うことに挑戦して行けば、人間がその習性も生態も犬猫以上に知り尽くす様に成って、種として未来永劫人間と共存して行く可能性は十分にあるのではありませんか? ・・・ とオイラは問うておるのです。

>また 「個体」 の話と 「種」 の話を混同されてますね。
 犬や猫は「種」としては半永久的に人間社会と共存して行くと見て間違いは無いでしょうと言っているのです。各「個体」はブリーダーが繁殖させているのだから一般の飼い主だけを見て論じても木を見て森を見ずです。

 これに関しては「個体」も「種」も同じ事です。
 犬や猫に可能だったことが、今現在に野鳥である鳥類の如何なる種にも成し得ないとする根拠は何 なのでしょうか。
 知能と云う点で鳥類が不利であることは事実ですが、それでも例えば鴉などは、非常に知能が高く、人の顔さえ見分けてしまうので、飼い慣らせば実に良く懐くのだそうですよ。
 ( さすがに猛禽類一歩手前の鴉を肩に乗せて散歩するのは、目玉を抉られそうで怖いですが )

<中略>

>そもそもHPに下手な写真を載せているだけのいち野鳥ファンの僕が何から何までフォローしなきゃならんのでしょうか?Web上に野鳥の写真を載せているからと言って人間界のモラルのレベルの話をそこまでしなきゃならない理由が思い当たりません。

 であるならば、一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からないような、スマホで囀りを流すとか、その場限りの餌付け等に、いちいち苦言なんか呈さなければ良い。
 「 あいつ等の行為は気に入らん。 マナー違反だ。 だが、如何なるマナーに違反しているかは教えない。 このwebサイトの何処かにあるから今読んでいるお前が探せ 」 ・・・ ん~、さすがに不親切ではないですかね。


>やれと言ってみたりやるなと言ってみたりバラバラですね。 結論は出ています。そもそもやってもやらなくてもいいんです。

 なんだ。 ゴマメの歯軋りかよw

>「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるのは罪でもなく「大同小異な行為」でもないからそんな罪など犯していないと言ってるんです。

 バードウォッチングが鳥にとって迷惑かどうかなんて本人ならぬ本鳥にしか分からないでしょうに。
 どうしてそうも確信めいた表現で 「私は無罪」 と言えるのでしょうか。
 もちろん、鳥に知能があったら殺してやりたい位にバードウォッチングが迷惑な行為であっても、鳥に対しては鳥獣保護以外の司法は及びませんからね。そういう意味で無罪というなら、それはもう完全無欠に無罪です。ただし、そういう解釈をする場合は、スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌 付けを行うのも同様に無罪です。


>「極力影響を与えない」 というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って味噌も糞も一緒には出来ないでしょう。

 上でも説明しましたが、貴殿が幾ら 「極力影響を与えない」 と標榜されていても、バードウォッチャー が、他の捕食者と違って腹が減っているワケでも、食料を備蓄するワケでもないのに、貴重な生活時 間を脅かす存在であることは、揺らがない事実です。
 オイラのような部外者から見れば、“王道のバードウォッチング”と“邪道のバードウォッチング”の違 いは、“味噌”と“糞”ではありません。 “白味噌”と“赤味噌”、もしくは、“目糞”と“鼻糞”です。


>「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」 ってどこからそんな解釈になるのですか?
 それは一体誰の発言ですか?僕は何度も 「ペットを目の仇にしている訳ではありません」 と言っています。「空を飛ぶ鳥(野鳥)を保護(飼育)する事は有りか無しか」 は正に今検証中ではありませんか。

 “悪魔行為”でなくとも、貴殿が“許し難い行為”と見做していることは事実ではありませんか。
 もっとも、正直な話、
   「空を飛ぶ鳥(野鳥)を保護(飼育)する事は有りか無しか」
 に関しては、議論の前に答えは出ています。
 『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 ( 俗称:鳥獣保護法 )』 によって、鳥獣の 捕獲も飼養も極めて限定されているのですから、『無し』 に決まっています。
 ただ、法的には無しだが、そんなに悪いことか?という質疑を設定する時に、オイラは、「 そもそも今現在にペットである動物も鳥も、元を正せば野生だったんだから、手順を踏むならアリだろ 」 と主張しているのに対して、貴殿は 「 あえて野鳥を飼う理由がないからアウト 」 という斜め上な主張をお寄越しなのでで御座いますよ。


>人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが(狩猟して喰うのさえ)「それが元々」です。食物連鎖の観点から言えば人間の方が上位です。

 「 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である 」 という理論を振り回すのであれば、オイラも其れに相乗りさせて頂くことにしよう。
   人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、捕まえてペットとして飼おうとも人間の勝手である
   人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、スマホや餌で誘き寄せようとも人間の勝手である
 なんだ。 議論が終わってしまったではないか ( 呆


>そもそもこれを同じだと言うのは人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです。

 そうだよ。
 野鳥に知恵があって、人に付き纏われる事を嫌だと感じているなら、( 人間から見てどうであるか、で はなくて、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は ) 人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。


>浄土真宗の教義など持ち出されても、一括りに 「悪」 と言われた人類も投稿者さんご自身も、どっちもどっちである事に変わりはありません。
 ここは宗教の正邪について議論する場ではありませんからこれについては打ち切りたいと思います。

  フ━━━( ´_ゝ`)━━━ン あっそ。

>バードウォッチングの現場では 「カメラを構えている人の前に出ない」 というのは
 常識的なマナーとして認識されています。誰が教えなくとも大多数の人がわきまえている事です。観光地などで誰かがカメラを構えていたらその前を横切ったりしないでしょう。

 じゃあ、カメラを構えている人が居たら、観光客はその前に出ちゃイケナイの?
 いやまぁ、オイラでもカメラの前は横切らないし遮らないけどさ。
 そういうのは、自分がすることであって、他人に求めるモノではないと思うよ。
 でね。
 肉眼か、あるいは倍率の低い双眼鏡しか持って来ていない観光客に対して、600mmとか1000mmとか って長玉を抱えたバードフォトグラファーって、明らかに観光客よりも遠景を見られるんでしょ。
 ※:肉眼をフィルム換算焦点距離50mmと仮定すると、600mmは肉眼比倍率12倍。
   1000mmは肉眼比倍率20倍に相当。
 それでね、


>後から来た人はその横に立つから自然と横一線に並びます。 

 横一列に並ぶって ( 呆
 それじゃ、一般の観光客に対して、眺望に立ちはだかる壁になっているんでしょうに。
 肉眼か、あるいは倍率の低い道具しか持たない観光客を前に出して、君たちバードフォトグラファーは、遠慮して、高倍率を頼りに後方から撮るべきなんじゃないの?


>そこには誰が言うとも無く見えない暗黙の境界線が引かれている訳です。ところがその境界線をズカズカと踏み越えて野鳥に接近する人がごく稀に居て顰蹙を買う事が有ります。この人が非常識な人の例です。

 え?
 以前にあった 「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」 ってのも、その境界線とやらを絶対に侵さない距離を保ってたの?
 ブッシュには入らないで、人工的に整備された通路からしか撮らないのがモットーなの?
 だったら、前言撤回だ。
 人が往来する通路に留まって、野鳥の棲む領域へ近付かないバードウォッチャーならば、野生動物 にとって脅威でも恐怖でもない。 もちろん、ストーカーでもない。
 観光客の邪魔をする mob だわ。


>これはバードウォッチングが初めての人でも分かるマナーです。
 分からない人は非常識組の仲間入りです。

 え? バードウォッチングなんかしないオイラも非常識組の仲間入りなのか。
 知らない間に、知らない人のグループに入れられちゃったよ。
 バードウォッチャーの思考って怖いなぁ。


>一度そういう現場を見られたら野鳥ファンならずとも分かると思いますよ。
 見ずに議論されるから噛み合わないのだと思います。

「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」 ですか、そうですか。
 でもね。
 邪道のバードウォッチングを批難する側から見た 「バードウォッチャー以外の人はこう思う筈だ」 という憶測に意味はありません。
 シンナーで歯が溶けたヤンキーとか、服の袖から紋々が見えてる893とか、手の指の数が足らないと か、そういうヤバイ人がスマホを鳴らしたり、餌を置いたりしているんじゃなくて、普通のオッサンやアンチャンがやっているのに、誰も注意しないってのは、所詮はその程度の迷惑だってことだよ。
 所詮マナー違反はマナー違反。 制止する権限なんか誰にも無い。
 やられて迷惑だと思っても、罰則付きの法で縛られていない以上、止めさせることなんかできません。
 すごすごとその場を去って、そんな邪道のバードウォッチングなんかする奴が居ない山林へ行って孤独にバードウォッチングを愉しむしか他に手はありません。もちろん、場所は内密に。 webでも非公開で。


>飽くまで程度問題ですがこういう行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
 本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったりしたら
 「あるがままの野鳥を慈しみたい」 と思っている他の野鳥ファンが迷惑する事になります。

 だから
   行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
   本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
 ↑こういう根拠のない、可能性の話に意味なんかないんだよ。
 もし、オイラが邪道のバードウォッチングを愉しむ人だったと仮定して、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を置いて野鳥を誘き寄せようとしている時に、王道のバードウォッチャーから
   行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
   本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
 なんて言われたら、
   ほうほう。 ではそうなってしまったスポットを教えてくれたまえ。
   異常な挙動を示した野鳥の動画と不自然な体型になってしまった野鳥の画像でも構わんぞ。
   どうした? 早く出せよ。
 と言って虐めちゃいますよ。


>餌付けやスマホのお陰で簡単に観察出来たから良かったとはならないのです
 ( それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいいです )。

 んじゃそれでエエやん。
 だいたい自然なんかツマランもん。
 邪道のバードウォッチングのおかげで、退屈なハイキングにエンターティメントが加わるならありがた いこっちゃ。


>簡単に観察出来ないからこそ (それが本来の姿だから) 面白いのだとも言えますし、
 観察出来た時に感動するのだと思います。

 そりゃバードウォッチングを趣味にしている人ならそうでしょうよ。
 たとえば、ゲームみたいにボタンを押したら自動的にドリフトして、ステアリング捌きやアクセルワーク等の微妙な操作も機械がバックアップしてくれるクルマがあったとしたら、走り屋は誰も乗りたがらないでしょうね。 そんなクルマでドリフトしても愉しくないからです。でも、腕に覚えのない標準的な普通の運転免許所持者だったらどうでしょう? 
<中略>雲の上の存在にしか出来 ないような高等技術 ( ・・・ 練習したら誰でも出来る様になるんですけどね、そりゃまぁ、テッペンを目指 すと大変な世界ですが ) が成す世界を自分でも体験できるのですから、そりゃあ乗りたいんじゃないで しょうか。
 これと同じでしょう。
 ベテランと素人は求めるモノが違うのです。 バードウォッチングの有名スポットは、スマホも餌付けもアリにして、貴殿のような玄人衆は、素人の来ないスポットでバードウォッチングを愉しんだら良いので はないでしょうか。


>一部の野鳥ファンにしか分からない事だと言われるかも知れませんが、一方で迷惑している人が居て一方で迷惑をかけている人が居たらそれはやはり迷惑だと言われても仕方が有りません。

 通れば遠回りにしかならない峠に上がってきて、制限速度の倍も出せない一般車両は、我々 ( といっても私なんぞは半ば引退したようなモノですが ) 走り屋にとって非常に迷惑な存在ですが、一般車両 の運転者に向かって 「 お前は邪魔だから、此処から出て行け 」 なんてクチが裂けても言いませんよ。
 まぁ、我々は犯罪者なんだから、言えた立場じゃないんですけどね。


>スマホで野鳥が寄って来るとは限りません。 間違って縄張りを主張する声や警戒を呼び掛ける声などを流したら野鳥を遠ざけてしまう可能性が有ります。 そうなるとまた周囲の野鳥ファンに要らぬ迷惑がかかります。

 さすがに其の可能性は低いんじゃないかな。
 スマホでも検索はできますから、検索して、呼び寄せる音声データを選んでダウンロードしていると思いますよ。
 一方で野鳥に影響を与えない様に息を殺している野鳥ファンは
 多勢で横一列になって、ミルク缶みたいなバカデカいレンズを構えていて、“息を殺している”もへったくれもないわw


>(少なくとも息を殺している事によって) 他人に何ら迷惑をかけていませんから、
 あながち
 「バードウォッチャーが自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない常識」 を
 押しつけているとは言えないでしょう。
 単に 「他人に迷惑をかけるな」 と至極もっともな事を言っているだけですから。

   「他人に迷惑をかけるな」
 誰に?
 他の観光客?
 でも、
   それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいい
 なんですよね?
 もちろん、喜んでいる観光客以外に、不快に思っている観光客が居る可能性も考慮すべきかも知れませんが、居るのか居ないのか分からない存在を居ることにして話をするべきではないでしょう。
 となると、確実に迷惑を被っている人と云うのは他の誰でもない“王道のバードウォッチャー”ということになります。
 結局、“王道のバードウォッチャー”が“邪道のバードウォッチャー”を嫌って排斥しようとしているだけ でしかないのではありませんか?


>前後の脈絡から分かると思いますが、 法律や条約は常識や良識の下地の上に合意形成されているものでしょうという話の単なる前置きであって 「常識とは何か?」 の引き合いに出した訳ではありません。
>どうでもいいんですが 「殺人が何故罪に問われるか」 に対する回答にはなっていませんね。

  フ━━━( ´_ゝ`)━━━ン あっそ。

 >人間界の社会秩序が乱されれば自然界も無関係ではいられない事の例として示しただけです。 ただでさえ長文化がエスカレートしているのに新たな争点を掘り起こさないで下さい。
 伏してお願いします。

   人間界の社会秩序が乱されれば自然界も無関係ではいられない事の例
 ↑ これこそが不必要な“新たな争点”を投入したことなのではありませんか?


>「 『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』 を考えるべき 」
 と無茶振りコメントされたのは野鳥ではなく投稿者さんですよ。
 投稿者さんの問い掛けに真摯に回答して批判されるとは心外です。
 自分で相手に求めた事を忘れてはいけません。

 おお、そうか、そういわれたら、そうだな。
 すまんかった。
 発覚が遅れた慢性硬膜下血腫の後遺症で阿呆になっているから仕方がないと思ってくれたまえ。


>「あるがままの自然ガー」 と自然破壊を嘆いているのではなく(僕なりに)「あるがままの野鳥を見る(見たい)」 というバードウォッチングに対するスタンスや考え方を述べたまでです。

 うんうん。 そうだね。
 でも、それを言い出すなら、そもそも歩道が整備されている山林へ野鳥を見に行くこと自体が、『(自然に)あるがままの野鳥を見る』 という行為ではないような気がするんだがね。
 ( ゚д゚)はっ!
 此処まで書いて気が付いた。 いや、何で今まで気が付かなかったんだろう?
 「あるがままの野鳥」 って言っている貴殿が、全く以て人工の環境に在る 「不自然な野鳥」 を観て撮って悦んでいますよね。
 そうです、南港の野鳥園です。
 あそこなんかは、全然 あるがまま じゃありません。
 人の手によって用意された餌場に引き寄せられてやって来るという “邪道のバードウォッチャー”が やらかすその場限りの餌付けよりも性質が悪い恒久的な餌付けです。
 阿寒国際ツルセンターや鹿児島県出水市ツル観察センターなんかもそうでしょう。
 こういう場所で野鳥を観て撮って悦んでいる時点で、“邪道のバードウォッチャー”がやらかすその場限りの餌付けを非難する資格はないんとちゃいまっか?
 ついでなので、更に申し上げましょう。 
 先日の記事、
   2016年3月10日 [ 第219回 ] ルリビタキ
 から引用しますね。
   テレビ番組などで野生動物の記録映像を観る機会は多いが、いつも思うのは「 そんなに都合良くカメラの前に獲物が飛び出し、そこに都合良 く主人公が登場して狩りなどしたりする訳が無い 」 という事だ。
 ・・・ つまり、プロがスピーカーから獲物の鳴き声を聞かせたり、餌で捕食者を誘き寄せたりしていると いうことですね?
 だとしたら、“邪道のバードウォッチング”に諭す事なんか不可能でしょう。
 「 プロなら良くて俺達はダメなのかよ 」
<中略>
 と返されたら二の句が告げませんよ。

>高齢者などは、ペットロスで後追い自殺をする人が少なくありません。

例示されているのはペットと言うより介助犬やセラピードッグなどに近いですね。ペット全般を示す例としては不適切です。それじゃまるで僕が介助犬を批判しているみたいです。それに何度も言っていますが僕はペットを目の仇にしている訳ではありません。ペットの生態を知り尽くし家族同然に飼う事を「徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる」とは言えないでしょう。
なお、ペットロスにその様な深刻な問題が有るのであればなおの事ペットの飼育については慎重に考えなければなりません。野外でバードウォッチングをしている分にはそういう事を体験する懸念はほぼ有りません(稀に野鳥の死を目撃する事は有りますがペットロスに該当する程の感情はほぼ無いと言えます)。いずれ訪れるペットとの別れに耐える自信の無い人に対しペット飼育に代えてバードウォッチングを提案するのは間違いではないでしょう。

>なぜ人が野鳥を飼ってはいけないのか?という疑問に対して、科学的に納得できる答えを出していません。

我々は全知全能の神ではありませんから人類が解明出来ていない事柄について科学的根拠を示す事は出来ませんし、生物学者でもありませんから科学的根拠を示す事には限界が有ります。科学的根拠を示せないからと言って科学的思考を停止する必要は無いと仰るのであれば科学的に思考するのはやぶさかではありませんが、単純に考えて本来野に在る鳥を本来の生態とは異なる環境に置いている時点で個体としての野鳥に何も弊害が無いと言い切れるのか?という疑問と、未来永劫人間と共存して行けるのか未知数である限り種としての野鳥にとって果たしてプラスなのか誰にも分からないという疑問を提示しているのです。本来あるがままの自然からかけ離れた事をするからにはそれこそ科学的に解明した上でする必要が有るのではないですか?どうしても科学的根拠を示さねばならないのだとしたら野鳥を飼おうとする人の方でしょう。

>最期まで責任を持って飼う(=飼い殺し)のであれば、何も問題は起こり得ない筈です。

「個体」としてすら「最期まで責任を持って飼うのであれば」が出来ていない事例が現実に有る事を無視する事は出来ません。一部の飼い主や業者だったかも知れませんが飼いきれないのには飼いきれない理由が有ったはずです。それを解明しないまま飼いきれる確証も無く飼うのは「徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる」無責任な行為だと言われても仕方が有りません。
「種」としても犬猫を除き未来永劫人間と共存して行けるのか不確定要素が多過ぎます。

>少しはマシ: [単に野鳥を観察する事]
      > [犬や猫をペットとして飼う事]
      > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
      - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
      > [野鳥をペットとして飼う事]:マシではない
 じゃあ、ござんせんか。


この図式を投稿者さんに当てはめると
 少しはマシ:[野鳥をペットとして飼う事]
      > [犬や猫をペットとして飼う事]
      > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
      - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
      > [単に野鳥を観察する事] :マシではない
 じゃあ、ござんせんか。
投稿者さんは罪悪感なしにかどうか存じませんが家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに主張し単に野鳥を観察する事を拒否(僕に対しては批判)される。しかも、
投稿者さん=肉を食べる+野鳥をペットとして飼いたい
僕=肉を食べる+単に野鳥を観察したい
「肉を食べる」という事において投稿者さんと僕とは対等の関係です。もし投稿者さんがベジタリアンならこの構図は成り立ちませんが、そうでないならこの構図で僕は「家畜の肉を喰らう」からと言って「野鳥を飼うのは如何なものか?」とさえ言えない立場なのでしょうか?
それと投稿者さんが忘れてはならないのは僕が前回コメントした事です。
相対的に「少しはマシだ」 と論じるのであれば味噌も糞も一緒にする様な本質論による決め付けは取り下げねばなりません。

>名前を知っていようが、名前を知らなかろうが、可愛い物は可愛い、可愛くない物は可愛くない、それだけです。そして、可愛いから飼いたくなる。
>野鳥であっても同じ様に、捕らえた野鳥を死ぬまで飼い殺しにすれば、それは犬や猫と同じ扱いなので、問題は無いということになると思います。


ペット業界の合法的な経済活動だというのは百も承知ですが、誰も名前も知らない様な飼い慣れない動物を店頭やメディアで宣伝して何故わざわざそこまでして飼わせようとするのか疑問です。合法=健全とは限りません。犬や猫に果たせないほどの能力が彼ら(誰も名前も知らない様な飼い慣れない動物)に有るのでしょうか?しかも野鳥の習性などまだまだ未解明の事柄が多過ぎて話になりません。百歩譲って、諸般の事情で犬猫を飼えないペット不可マンションや団地に住んでいてどうしても鳥を飼わざるを得ない人であれば比較的飼育実績の有る鳥種を飼えば済む話です。人間が犬猫に次いで習性を知り尽くしていて種として未来永劫人間と共存して行く可能性が高く「最期まで責任を持って飼うのであれば」何もかも全てを問題視なんかしませんよ。

>犬や猫でも半永久的に人間と共存して行くワケではなく、その世代で関係は途切れます。

また「個体」の話と「種」の話を混同されてますね。犬や猫は「種」としては半永久的に人間社会と共存して行くと見て間違いは無いでしょうと言っているのです。各「個体」はブリーダーが繁殖させているのだから一般の飼い主だけを見て論じても木を見て森を見ずです。

>無辜の第三者の好奇心をフォローする気があるなら、もっと分かり易くマナーのページへ 誘導するようにしておかなくてはなりません。

そもそもHPに下手な写真を載せているだけのいち野鳥ファンの僕が何から何までフォローしなきゃならんのでしょうか?Web上に野鳥の写真を載せているからと言って人間界のモラルのレベルの話をそこまでしなきゃならない理由が思い当たりません。やるとしたら義務ではなく権利としてやりたいものです。

>んじゃ注意喚起なんか や め れ ば ~

やれと言ってみたりやるなと言ってみたりバラバラですね。結論は出ています。そもそもやってもやらなくてもいいんです。

>スマホで囀りを流す&その場限りの餌付けは別に悪い事でも何でもない、と認めるの?

「バードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為(スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け)を悪逆非道の如く罵る罪」など犯していないと言っただけでそこまで歪曲されてしまうのですな。「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」いるのは罪でもなく(前述・後述)「大同小異な行為」でもない(後述)からそんな罪など犯していないと言ってるんです。

>“常識”というのは、あくまでソチラ側が自分達の都合の良いように創出した“常識”でしょう。
>「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」だの「スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けは禁則事項」と仰られるのでしょう?
>何の根拠も示さずに、個々の立場によって異なり得る“常識”などという曖昧模糊な代物で、無邪気な 観光客を制止しようとするのは、893の言い掛かりと何も変わりません。
>「極力野鳥に影響を与えない様に心掛けると言いつつ、臆病な野鳥をストーキングして、その悪意性について全く省みず、あまつさえ、スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けを行うことで容易に野鳥を愉しもうとする観光客を非道と貶す」野鳥ファンvs「同族や敵対族の囀りで翻弄されるが、ちゃんと対価を用意してくれる」 観光客
>何の根拠もなく、如何なる明文化された法律の何も抵触していないにもかかわらず、先入観で良くないと思われるだけの理由で、他人の行動が制止できて良い道理はありません。


文明社会というものは「法律」だけで形成されているのではありません。何もかも想定してがんじがらめに「法律」を作るのは不可能に近いので「社会通念」やら「慣習」によって補完され社会秩序が維持されているのだと考えます。
「極力影響を与えない」というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って味噌も糞も一緒には出来ないでしょう。所詮「暗黙の了解」であって明文化されたものではありません。「程度問題」なのです(後述します)。
ところで相手の発言を歪曲するのはやめてもらえませんか?「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」ってどこからそんな解釈になるのですか?それは一体誰の発言ですか?僕は何度も「ペットを目の仇にしている訳ではありません」と言っています。「空を飛ぶ鳥(野鳥)を保護(飼育)する事は有りか無しか」は正に今検証中ではありませんか。以前にもコメントしましたが世の中には「0か100か」で割り切れない事がいっぱい有ります。もう少し柔軟な思考をされてはいかがですか。

>ストーカーに対して警察から出される『接近禁止命令』って、待ち伏せはアウトなんですよ。
>芸能人が移動する先々で、物陰に隠れたカメラマンに遭遇したら、そりゃあ 「週刊誌に追い回された」 以外の何物でもないでしょうに。
>これが迷惑でなくて何が迷惑ですか。


ストーカーやパパラッチは被害者にとって「元々そこにある恐怖」ではありません。投稿者さんも認めておられる様にそれこそ「新たな恐怖」です。
但し自然界では繁殖期になると雄が雌を追いかけ回す光景が見られる事が有ります。その意味ではストーカーは広い意味で「元々そこにある・・・」と言えなくもないかも知れません。これを人間界のストーカーに例えるのは倫理的に不適切ですが実質的には延長上に有るのだと思います。人間界でストーカーが罰せられるのは被害者が人間だからであって自然界のそれとは明確に別物と捉えなければならないのは当然です。人間に対するストーカー行為は決して肯定されるものではなく、分別をわきまえているべき人間が野生動物の様に本能の赴くまま犯罪行為に及ぶのは断じて赦されるものではありません。
さて一方、僕が言うのも何ですが人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが(狩猟して喰うのさえ)「それが元々」です。食物連鎖の観点から言えば人間の方が上位です。人間界のストーカーやパパラッチは被害者より元々上位に位置する存在ではありません。従って野鳥ファンをストーカーやパパラッチに例えるのは根本的に間違っているのです。そもそもこれを同じだと言うのは人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです。

>親鸞和尚の 「善人尚もて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 ですよ。
 さすがに解説は要らないですよね?


浄土真宗の教義など持ち出されても、一括りに「悪」と言われた人類も投稿者ご自身も、どっちもどっちである事に変わりはありません。ここは宗教の正邪について議論する場ではありませんからこれについては打ち切りたいと思います。

>そこで必要とされている「常識」は、 市井の一般市民が普遍的に共有している「常識」とは別の物です。観光地に居る市井の人達(=観光客)は、日常に於ける普遍的な常識から判断して行動しているに過ぎません。
>観光客が納得するだけの説得力のある“理由”が必要です。
>ここでスマホで鳥の囀りを聞かせることやその場限りの餌付けを行うことが、バードウォッチャーではない、普通の人々の目にどう映るかを考えて下さい。異常な行為と映るでしょうか。


バードウォッチングの現場では「カメラを構えている人の前に出ない」というのは常識的なマナーとして認識されています。誰が教えなくとも大多数の人がわきまえている事です。観光地などで誰かがカメラを構えていたらその前を横切ったりしないでしょう。当然自分がされたら嫌だという事を皆知っているから自分もそうしない様に気を付けている訳です。うっかりではなく故意にそれをやるのはマナー違反という事になります(状況次第ですが)。野鳥ファンでなくても分かる当たり前の話です。つまりこれが「常識」という事です。こんなものに科学的な証拠が必要ですか?通常バードウォッチングの現場では誰かが野鳥に向けてカメラを構えていれば後から来た人はその横に立つから自然と横一線に並びます。そこには誰が言うとも無く見えない暗黙の境界線が引かれている訳です。ところがその境界線をズカズカと踏み越えて野鳥に接近する人がごく稀に居て顰蹙を買う事が有ります。この人が非常識な人の例です。これはバードウォッチングが初めての人でも分かるマナーです。分からない人は非常識組の仲間入りです。
同様に「餌付け」や「スマホ」にも見えない境界線が有ります(見えないのだからそもそも曖昧なものです)。野鳥ファンの中には餌付けする人は実は少なくありません。図鑑などにも餌付けの例が解説されているものが有ります。僕は何から何まで十把一絡げにして批判しているのではありません。何事も「程度問題」です。現場付近で拾った木の実を集めて野鳥をおびき寄せる程度の事は以前から行われており「常識的に」考えれば非難される程の事は無いと言えるかも知れません。しかしどこから仕入れたのか分からないワームを次から次へと仕掛け周辺にこだまする音量で長時間エンドレスに人工的なさえずりを流し続ける光景は異様です(スマホから聞こえるさえずりを聞いても「(本物の)鳥の囀りを聞く為に其処に居る人達にとって」は騒音でしかありません)。それは見えない境界線を越える行為なんだと思います。もちろん両者の間には明確な境界線は有りません。しかし「こんな事をしたら他人に迷惑をかけるんじゃないか」と僅かでも配慮する意識が有れば普通はそこまでやらないはずです。一度そういう現場を見られたら野鳥ファンならずとも分かると思いますよ。見ずに議論されるから噛み合わないのだと思います。
飽くまで程度問題ですがこういう行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったりしたら「あるがままの野鳥を慈しみたい」と思っている他の野鳥ファンが迷惑する事になります。餌付けやスマホのお陰で簡単に観察出来たから良かったとはならないのです(それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいいです)。簡単に観察出来ないからこそ(それが本来の姿だから)面白いのだとも言えますし、観察出来た時に感動するのだと思います。一部の野鳥ファンにしか分からない事だと言われるかも知れませんが、一方で迷惑している人が居て一方で迷惑をかけている人が居たらそれはやはり迷惑だと言われても仕方が有りません。そういう事がやりたければ動物園に行けという意見は現実にネット上でも散見されます(動物園の方でも断られると思いますが)。また、スマホで野鳥が寄って来るとは限りません。間違って縄張りを主張する声や警戒を呼び掛ける声などを流したら野鳥を遠ざけてしまう可能性が有ります。そうなるとまた周囲の野鳥ファンに要らぬ迷惑がかかります。一方で野鳥に影響を与えない様に息を殺している野鳥ファンは(少なくとも息を殺している事によって)他人に何ら迷惑をかけていませんから、あながち「バードウォッチャーが自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない常識」を押しつけているとは言えないでしょう。単に「他人に迷惑をかけるな」と至極もっともな事を言っているだけですから。

>殺人が何故罪に問われるのか? ⇒ 「社会秩序を維持する為」 です。
 というのは、社会学的見地に於ける正解であって、「常識とは何か?」の引き合いに出すべき正解ではありません。


前後の脈絡から分かると思いますが、法律や条約は常識や良識の下地の上に合意形成されているものでしょうという話の単なる前置きであって「常識とは何か?」の引き合いに出した訳ではありません。

>普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さない理由は、報復が怖いからです。

どうでもいいんですが「殺人が何故罪に問われるか」に対する回答にはなっていませんね。ま、本題とは無関係なので回答は要らないですが・・・

>戦争が無ければ絶滅しなかった野鳥が居る。それがどうした。

いえ、これも前後の脈絡を読み取って頂ければ分かると思いますが、ここでは何もそれを問題視している訳ではありません。人間界の社会秩序が乱されれば自然界も無関係ではいられない事の例として示しただけです。ただでさえ長文化がエスカレートしているのに新たな争点を掘り起こさないで下さい。伏してお願いします。

>当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに、
   「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても
<中略> 平気だ 」ってw

「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」と無茶振りコメントされたのは野鳥ではなく投稿者さんですよ。投稿者さんの問い掛けに真摯に回答して批判されるとは心外です。自分で相手に求めた事を忘れてはいけません。「当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに」そういう問い掛けをされたのがそもそも間違いだったのです。

>なにもしていないのに、
   「あるがままの自然ガー」
 ってのはどうかと思いますよ。


人にはそれぞれ進んだ道というものがあります。進んだ道と違うからと言って何も発言出来ない訳がありません。しかもここでは「あるがままの自然ガー」と自然破壊を嘆いているのではなく(僕なりに)「あるがままの野鳥を見る(見たい)」というバードウォッチングに対するスタンスや考え方を述べたまでです。前後の脈絡を見ずに言葉の部分部分を切り取って批評されると話が混乱しますので「論旨」を読み取って頂く様お願いします。
単に羽毛を膨らませていると思われるスズメ
(羽毛を逆立てる事により空気層が断熱材になり、体全体が表面積の少ない球形に近くなる事により体温のロスを減らしていると思われる)
通常のオオルリ
腹だけが異様に膨らんでいる様に見えるオオルリ(雄)
管理人コメント:
>「文明至上主義とは自然破壊主義」 なのですから、こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪するのは人間の権利です。

この世界観、まだ続けますか?別に構いませんが知りませんよ。
そうですか「自然破壊主義」ですか。自然なんか破壊し尽くして文明だけで生きて行けるのならば徹底的に自然を破壊して頂きましょうか。但し「こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪する」というのは取りも直さず「いいとこ取り」なのであって「文明至上主義」ではないんじゃないでしょうか。「自然破壊主義」を徹底するなら自然を利用してはいけません。破壊しなくては。ぬくぬくと自然の恩恵に浸りながら「自然破壊主義」を自称してはいけません。自然界を跡形も無く徹底的に破壊しても大丈夫なのか僕も興味が湧いて来ました。もちろん現実にそれをされてはこちらまでとばちりを食らいますから擬似的に再現する方法として以前コメントした様に「自然を遮断する」という手段を用いて頂く事になりますが宜しいですね。既に受けてしまった自然の恩恵は自然界にお願いして債権放棄してもらうとして、「お金が無い」というのは出来ない理由になりませんよ。そんな理由で出来ないのなら「文明至上主義なんか資金的に実現不可能なんだね。やっぱり現実には自然の恩恵無しには生きられないんだね」という結論になるだけですからね。

>あくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって<中略>人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は<中略>悪でも何でもないということになるのだと思います。

あらまー・・・ここへ来て「存在自体が悪」の旗をさり気なく降ろしますか・・・?それをされちゃこれまでの激論は一体何だったのぉ??? という事になってしまいますよ。

> [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
 ですよね。


人間は野生動物だった時代には野鳥を飼っていた訳ではなく捕食していた訳ですから「捌いて喰うならまだしも」と書いたのは「ペットとして飼うこと」よりも「「捌いて喰う」方が「あるがままの自然」に近いという意味です。「鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージ」というのは(野鳥の習性を殺している姿だからそう見えるという)飽くまで僕個人のイメージであって籠に入れた途端「野鳥の姿をした別の生き物」に化けるという意味ではありません。故に投稿者さんのヘンテコロジックからは「籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う=OK」という結論は導き出せません。
投稿者さんに悪意は無いと思いますが、人の発言をバラバラに切り取って継ぎはぎ全く別の意味に再構築するというのは悪徳マスメディアが誰かを陥れる時に好んで使う常套手段ですね。我々善良な一般市民はそんな反社会的勢力の邪悪な反則技に手を染めない様にしましょう。

>木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーに鳥が驚かされる如きはどうでも良いことなので無問題。もちろん、スマホで囀りを利かせるのも、その場限りの餌付けで鳥を集めるのも無問題と云う事です
>スマホで囀りを聞かされて、縄張りに居る鳥を追い払おうとして寄って来たり、スマホで 囀りを聞かされて、求愛しようとして寄って来たりすることを繰り返した所為で、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題


またまた。物事を一面からしか見ずに味噌も糞も一緒にして結論を急いではいけません・・・(従って次につづく)

>他人に迷惑が掛かるというのは、あたりまえだけどちゃんとした根拠が必要だ。
>王道のバードウォッチングは許されるが、( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングは許されない等と云う狭量な差別はするべきではない、と申し上げておるのです。
>王道のバードウォッチングと( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングの野生環境、あるいは野鳥の生態に対する影響の違いを科学的に説明しろ!と言っている。
>エビデンスのある 「スマホで囀りを流したり、その場限りの餌付けをしてはいけない科学的な根拠」ですよ。


少し長くなりますが「社会常識的な根拠」なら有ります(後述します)。ちょいちょい「科学的な根拠」を持ち出されますが「常識」や「モラル」は既に最大公約数の人が理解しているのだから「ちゃんとした根拠」は必要だとしても「科学的な根拠」は必要不可欠ではないでしょう(これに類似したものも後述します)。

>元々そこにある恐怖ではありません。
>野鳥にとってのバードウォッチャーは「元々そこに有る(野生の)恐怖」 に加わった 『新たな(人工的な)恐怖』だ。
>前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答は正しくありません。本来ならば其処に在る筈の無い新たな恐怖なのです。


前回コメントした通り僕にとって「自然を慈しむ」というのは何も「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」という事ではありません。野鳥ファンのくせにと言われるかも知れませんが、仮に野鳥が僕と遭遇して恐怖の余り絶叫して卒倒したとしても(そんな光景は見た事も有りませんが)それが「野鳥」本来の姿なんだと考えます。たまたま食物連鎖の上位に人間が、下位に野鳥が居るに過ぎず、この力関係に文明の有無は全く関係有りません。
バードウォッチングは、元々緊張や恐怖が当たり前の自然界で、特に鳥類に対して強い関心を示す中型雑食動物が「(自然界と)何の違いも無い事をやっているだけ」です。野鳥ファンは「本来そこにある中型雑食動物」です(日本列島という島嶼部においてはかなり大型の部類ですが)。野鳥から見れば個々の人間の存在は太古の昔から折り込み済みなのです。文明が有ろうが無かろうが僕という中型雑食動物は地上のどこかに存在しています。文明が有るからと言ってどこか他所から新たに参入して来た訳ではありません。一匹の動物として見れば人間も自然界の一部です。野生動物たちの中に人間が混ざってはならないと言うなら僕も貴方も自分の生存権を放棄して地上から消えねばならない事になります。なぜなら以前コメントした通り地上の空間のほぼ全ては野鳥のテリトリーでもあるからです。また、現代人(野鳥ファン)が人工的な身なりをしているからと言って野鳥にとっては原始人(捕食者)が素っ裸または毛皮をまとい棍棒を持って立っているのと大差無いというのも既に論じ合って来ました。従って『新たな(人工的な)恐怖』なるものは、これまでの激論をないがしろにして投稿者さんが今回唐突に創出して来られたアイテムに過ぎません。
以前のコメントと同じ事を繰り返しますが、
僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては「元々そこに有る恐怖」です。これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?
この問い掛けに投稿者さんは「問題は無いよ」とお答えになりました。その後に続く但し書きらしきものは「バードウォッチャーは<中略>鳥を襲わない善い奴」だから問題有りとされているだけですから仮に野鳥が野鳥ファンに恐怖やストレスを感じているとしても(それが本来あるがままの自然に近い姿なのだから)問題無しと結論が出ているのです。これに対して「問題は無いよ」と言った前言を撤回されるのかされないのか明確な返答を頂いてません。返答の無いままコメントを繰り返されても同じ回答を繰り返すだけです。

>観光客の活動時間に餌を沢山貰ったからといって、そうそう簡単に太るなんてことがアリエナイということが推測できます。

僕は研究者ではありませんから根拠としては薄いかも知れませんが、僕が実際に目撃したオオルリを載せておきます。この個体は某現場で餌付けされていたものです。
野鳥の場合冬場には気温などの影響で羽毛を膨らませる事も有りますので見分けるのが微妙に難しいのですがこの個体は温暖な4月だったにもかかわらず腹だけが異様に膨らんでいる様に見えます。僕個人の印象では羽ばたいている割りには飛翔速度が遅く敏捷性に欠けると感じました(もちろん体重を測ったりスピードガンで速度を測ったりした訳ではありませんが普段のオオルリも見慣れているので違いを感じるには充分でした)。科学的証拠としては不十分かも知れませんが胃袋が一杯になり体重が増えた事によりタカに捕食されるリスクが高まったであろう事は容易に推測出来ます(この撮影地では頻繁にオオタカやハイタカが観察されています)。もちろん餌付けとの因果関係は立証されていませんが、こういう動物実験をした結果ではありませんから止むを得ません。比較の為に通常のオオルリと、寒さで羽毛を膨らませていると思われるスズメを載せておきます(オオルリは夏鳥のため冬場のオリジナル画像は有りません)。
投稿者コメント:
人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)
<中略>
 素敵な首の絞め合いは、どちらかが息の根を止めるまで続くという事なのか。
 おそろしあ。
 おそろしいけど、性懲りもせずに反駁参る。


>偉大なる自然の恩恵を軽く見ておられるから
 出来るもんなら自然の恩恵を遮断してみて下さいと言っているのです。

  文明が自然を消耗しなければ成り立たない以上、極端な話、「文明至上主義とは自然破壊主義」と捉えて頂いて結構です。
 であるならば。
 「文明至上主義とは自然破壊主義」 であるならば。
 「文明至上主義を標榜するならば、偉大なる自然の恩恵を遮断してみろ!」
 という主張は意味がありません。
 自然は人の上位にある偉大な存在ではなく、人に使われ消費される下位の存在でしかありません。
 ( もちろん、人間の営み如きは、自然災害を喰らえば一瞬で瓦解してしまう砂上の楼閣でしかありま せんが、人が“文明至上主義”であろうが、“自然至上主義”であろうが、蝙蝠な“いいとこ取り主義”で あろうが、自然災害は関係なく襲って来ますので、こちらの思想は関係がありません )
 あくまで、文明至上主義者の主観として、ですが、「文明至上主義とは自然破壊主義」 なのですから、こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪するのは人間の権利です。


>自然至上主義者の方には是非そうして頂くとして、ここにはそういう方は参加されていませんので、この話はこれっきりになるものと思われます

  上から目線で
   本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。
 なんていうから、
   拒否権ならあるよ
 と言ったまでです。


>そこから何故に
 「 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません 」
 という発想になるのでせうか?

 まぁ、「存在自体が悪」の“悪”ってのが曲者で。
 「 人間が豊かに暮らす為に文明を進化させ、その結果として自然をこんなに破壊してゴメンね」 だ の、「 人だけがグレートハンティングから逃れて悠々と暮らす為に、森や山を破壊してコンクリートで固めてゴメンね」 だの、そういうのはあくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって、偶に ( 文明が無くても起こり得る程度の率で ) 自然災害が起こるだけなんだから、人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は、( 少なくとも人に罰を与えることが出来る高位の存在からみて ) 悪でも何でもないということになるのだと思います。
 ( 人よりも高位の存在がいないのだとしたら、それはそれで、人の罪は人が定義することになるので すから、やはり、「人は無罪」 という結審になるんだと思います。)


>バードウォッチングは
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」
 だから問題が有るという事であって、
 「野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じている」
 のだとしても、それは問題無いと認めておられます。

  途中だけど突っ込むね。
 人がグレートハンティングの頂点に居る存在として相応しい行動 ( 一方的に狩る側の存在として、自分よりも下位の生命を自由に弄ぶ ) は問題が無いという意味です。
 そう考えれば、木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーに鳥が驚かされる如きはどうでも良いことなので無問題。 もちろん、スマホで囀りを利かせるのも、その場限りの餌付けで鳥を集めるのも無問題と云う事です。
 もし、スマホで囀りを利かせたり、その場限りの餌付けで鳥を集めたりすることを咎めるのであれば、 木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーが鳥を驚かすことについても同様に咎められなければなりません。


>野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは
 「あるがままの自然」 の姿から程遠いと言わざるを得ません。
 <中略>ペットとして鳥を飼ったとしても姿形が 「鳥」ってだけであって、
 野に在る野鳥の生々しい姿とは天地雲泥の差が有ります。
 <中略>
 僕にとって飼い鳥とは、鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージです。

  んじゃ問題ないじゃん。
 「籠に入った時点で、もはや野鳥では無い」 というなら野鳥を捕まえて籠に入れることに何の問題がある?
   野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰う
 がOKということは、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] + [ 捌いて喰う ]
 がOKということ。
 ならば、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] = OK ,[ 捌いて喰う ] = OK
 なのですから、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] = OK
 に異議はないでしょう。
 それでいて、
   [ 鳥籠に居る野鳥は、野鳥の姿をした別の生き物 ]
 なのだから
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
 ですよね。
 はい、「これで野鳥を捕まえて飼う」 はOKという結論が出ました。 めでたし、めでたし。


>現実問題として東南アジアなどではカスミ網猟が行われており
 絶滅危惧種 (などと言うとまた突っ込まれそうですが・・・) なども捕獲され
 店頭に並べられ食べられていると聞きます。
 日本で餌付けされ人間に慣れてしまった野鳥が捕まらない様に祈る様な気持ちです。
 野鳥には人間を警戒してもらわねば困りますね。
 なお、僕が野鳥を脅かさない様に気を遣っているとしても、結果的に鳥を襲わないだけであって
 野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じていないとは言い切れませんから
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」 とまでは言えませんし、
 もしそうだとしてもその倫理観を問うのならカスミ網猟の倫理観を問うのが先です。
 また、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら 「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも
 何の問題も有りませんし、野鳥を脅かして回れと誰かに強制される謂れも有りません。

  ですよね。
   合法的な狩猟に何の問題も無い
 んですから、スマホで囀りを聞かされて、縄張りに居る鳥を追い払おうとして寄って来たり、スマホで 囀りを聞かされて、求愛しようとして寄って来たりすることを繰り返した所為で、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題。
 その場限りの餌付けを繰り返されて、人に対する警戒感が薄れたり、餌の食い過ぎで太ってしまって 逃げ難くなったり ( そもそも、飛翔という猛烈にエネルギーを消費する行為を日常的に繰り返す鳥が、 その小さな胃袋を度々満たした程度の事で太るのか?という疑問が湧きますが ) しても、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題。
 じゃないですかw


>人間社会の常識やモラルに科学的な根拠は必ずしも必要ありません。

  んなわけねーだろ。
 常識やモラルってのは、それが犯されることによって、( 法で罰する程度には及ばないものの ) 他者に迷惑が掛かるという前提があるから存在する。
 他人に迷惑が掛かるというのは、あたりまえだけどちゃんとした根拠が必要だ。
 誰の迷惑にもなっていないのに ( 「誰の」の“誰”はもちろん人間だ ) 自分の気に入らないからという理由だけで、他人の行為を制限しようとするのはジャイアニズムであって、常識でもなければモラルでもない。
   「 スマホで囀りを聞かせれば、○○という理由で、野鳥の環境が変わるので、
    近い将来にあの野鳥が見られなくなる可能性がある 」
 の“○○”を、ちゃんとエビデンスのある解説ができるならば、スマホで囀りを聞かせ様とする人を制止することが叶うだろう。 しかし、
   「 スマホで囀りを聞かせれば、理由は説明できないが、野鳥の環境が変わるので、
    近い将来にあの野鳥が見られなくなる可能性がある 」
 これじゃ、タダの我儘だ。
 常識やモラルに根拠が必要ないのであれば、そんなものは、言った者勝ちになってしまう。
 ( オイラの趣味も大概なのでアレですが )
 漫画に登場する教育ママゴンみたいなクソババァから
 「 良い歳をした大人が、野山で鳥の写真を撮って悦んでいるなんて幼稚な。
  常識を弁えた大人に相応しい趣味を持ちなさい。」
 って言われたらバードウォッチングは止めなきゃならないのかね? そんなのオカシイだろ。


>僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
 (「鳥を襲わない善い奴」だろうが) 野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。

 元々そこにある恐怖ではありません。
 たとえば、エゲレスの王室を追い回すパパラッチが5人居て、そこに6人目のパパラッチが加わった らとしたら、それは 「元々そこに有るパパラッチ」 でしょうか? 違いますよね。 新たに加わったパパラッチですね。
   野鳥に迷惑を掛ける奴は、人はもちろん、人以外にもいっぱい居る。
   だから、人間と云う迷惑な存在が加わってもノーカンな。
 さすがにコレは、恥知らずな主張ではありませんか。


>つまり野鳥がどんなに恐怖心を抱いていようがそれが 「あるがままの自然」 の姿であって
 何ら問題無いという前提で、それでもなお野鳥たちはそれほど恐怖心を抱いていない(であろう)
 と言っているだけです。 それとも 「問題は無いよ」 と言った前言を今さら覆しますか?

  だから、人間が最上の存在であって、人間以外の動物は人間に生殺与奪権を握られた存在である。  人が、他の人に悪影響を及ぼさない範囲に於いては、どんな風に動物を扱おうが、人間の自由。
 だ か ら こ そ
 王道のバードウォッチングは許されるが、( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングは許されない等と云う狭量な差別はするべきではない、と申し上げておるのです。


>例示されているフォトギャラリーのケースでは僕の方からは野鳥に近付いたりしていません。
 むしろそれは極力やらない様にしようというスタンスです
 ( 僕は移動中の出会いがしらは別として基本的に待ち構えるスタイルです )。
 気付かずに近付いてしまったりする事は有るでしょうし野鳥の方で気付かずに寄って来る事も有るでしょうが特に警戒心の強い者には僕なりに細心の注意を払っているつもりです。

  コッチから寄って行くんじゃなくて、向こうから寄って来るのを待っているから無問題ですか、そうですか。
 知ってますか?
 ストーカーに対して警察から出される『接近禁止命令』って、待ち伏せはアウトなんですよ。


>投稿者さんに言わせればストーカーの被害者にとってストーカーは
 「元々そこに有る恐怖」 な訳ですな。
 野鳥ファンをストーカーに例えるとは何とも強引な例示です。

 おいおい。
 野鳥にとってのバードウォッチャーを 「元々そこに有る恐怖」 にしているのは貴殿だぞ。
 オイラの主張は、
   野鳥にとってのバードウォッチャーは
   「元々そこに有る(野生の)恐怖」 に加わった 『新たな(人工的な)恐怖』
 だ。
 したがって、オイラにとってストーカーの被害者から見たストーカーの存在もまた
   交通事故や強盗,スリ,暴漢等の 「元々そこに有る恐怖」 に加わった 『新たな恐怖』
 である。
 話をスリ替えてはイカンよ。


>この件は
 野鳥から見れば同じ事だが人間界の常識に照らせば必ずしも同じ事ではない
 と言えます (後述します)。

  ですから、王道のバードウォッチングと( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングの野生環境、あるいは野鳥の生態に対する影響の違いを科学的に説明しろ!と言っている。
 それが出来ない時点で、貴殿の主張は 「私はこう思う」 でしかありません。
 そんな物に他人を従えさせるのは無理、いえ、無理というより横暴です。
 たとえば、オイラのような非喫煙者にとってタバコの副流煙というものは、臭いし、目に沁みるし、科学 的統計的エビデンスを持たないものの何となく健康に悪そうに思えるし、で迷惑千万です。しかし、喫煙が禁じられていない場所で、タバコを吸う事は個人の自由です。
 喫煙が禁じられていない場所で、タバコを吸っている人に向かって
 「 お前のタバコは臭いィィィ――ッ!目に沁みるゥゥゥ――ッ!俺の健康を脅かすゥゥゥ――ッ!」
  だから、お前は直ちにそのタバコを消せッッッ!!!」
 って叫んだら、そりゃタダのキチガイでしょ。
 スマホで囀りを聞かせることも、その場限りの餌付けを一度行う事も同じ。
 法で禁止されているワケではなく、環境や人間に対する有害性が科学的に証明されていない行為を アカの他人が単に気に入らないという理由だけで制止しようなんてのは、傍から見たらタダのキチガイです。


>その意見にも科学的な根拠は無いでしょう?
 これに関しては僕も実はその可能性には気付いていましたが希望的観測に過ぎません。

 一例を以て全ての例と見做すことは出来ませんが、少なくとも、満腹の親鳥がせっせと雛鳥に餌を運ぶ実例を示す事は出来ますよ。
 小鳥の両性多頭飼い(要するに十姉妹や文鳥の番飼い)をしたことがあれば誰もが知っています。
 鳥籠の中に満杯の餌箱を置かれて、食い放題の環境に在っても、十姉妹や文鳥の親鳥は、自身が餌を食うことに集中せず、ちゃんと雛鳥に餌を運びます。
 ・・・ もちろん、他の鳥は違うかも知れません。 鳥籠と野生は違うかも知れません。
 それでも、こちらの主張に実例があって、そちらの主張に実例が無い事は事実です。


>体重が増えた事により飛翔力が落ちタカなどの捕食動物に襲われた時に逃げ遅れたり渡りの途中で海に落ちたりする可能性。
 しかしこの設問に関しては互いに科学的な根拠を持ち合せていないので想像の域を出ません。

  子供じゃないんだから、科学的根拠を持ち合わせていなくても、科学的思考まで停止してしまうのは止めましょうよ。
 その場限りの餌付けを行う様な素人観光客の狙いは、何と言っても小型の野鳥でしょう。
 まさか、イワシを一匹丸呑みするような大型の野鳥ではない筈です。
 そうすると、答えは簡単に出ます。
 小さな鳥 ( というか小さな動物全般 ) は、一日中食事をし続けます。
 これは、コップに入れた湯がスグに冷めてしまうのに、湯船に溜めたお湯が中々冷めないのと同じ理由です。 小さな躯体は、表面積/質量比が小さいので体の熱が容易に外へ逃げてしまうので、体温を維持する為に必要なカロリーが、単位体重あたりで大きな鳥よりも大量に必要になります。
 ( 同じシルエットで大きさが10倍違う2種類の生き物で比べると
  体重は1000分の1になるのに対して、表面積は100分の1になります。
  つまり、10倍も熱が逃げやすくなるワケです )
 だから、躯体の小さい小動物は、朝から晩までひがないちにち食い続けるんです。
 ということは、観光客の活動時間に餌を沢山貰ったからといって、そうそう簡単に太るなんてことがアリエナイということが推測できます。
 もちろん推測ですから、実際に観察して実証しなければ 「オイラの勝ちだ」 とは言えません。
 しかし、食いたければ食いたいだけ食えるという鳥籠の中に居る十姉妹や文鳥が太らない事から考えても、日中の一定の時間にしか現れない観光客が振る舞う餌で、飛翔能力を損なうほどに太ることは、常識的に考えてアリエナイでしょう。


>もしその個体が餌付け無しでは生き残れない遺伝的に弱いスキルの者だったとして、
 そういう優秀でない者が遺伝子を次世代に引き継いでしまったら
 「種」 としては弱体化するでしょうという話です。

 観光客が餌をくれるというのは、鳥の側から見れば、他者と争わずに餌が食える穴場を見つけた程度の事でしょう。 その程度の事で『餌付け無しでは生きて行けない弱者』にシフトしてしまうような種は、たまたま穴場にでくわしただけで滅んでしまうのですから、人間が餌をやろうがやるまいが、絶滅までに掛かる日数に大した違いは生じないと思われますよ。

>改めて端的に言うと、
 「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない 」
 「 人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のものでないなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない 」
 この2つは矛盾していないという事ですよ (仮定が正しいかどうかはさて置き)。
 表現は変遷しているかも知れませんが僕のこれまでの意見と食い違ってないでしょう。

  それをいうなら、
 A:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない 」
 B:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものでないなら
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない 」
 ではないでしょうか。
 そして、実際に貴殿が書いて下さった様に、ゴカイを釣り餌にしなくても、魚を獲ることは出来ますし、それどころか動物を殺さなくても蛋白質の摂取は可能です。
 ということは、ゴカイに関しては完全に「B」ですよね。
 頭が悪いオイラには、二重否定が入っていてややこしいので、書き替えてみます。
 B:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育は不必要にも関わらず
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる 」
 ですね。
 一方のペットですが。
 自分の生活を差し置いてペットを優先する人間なんか居ないように思われがちですが、高齢者など は、ペットロスで後追い自殺をする人が少なくありません。
 ということは、
   人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のもの
 となっている個人にとっては
   徒に生命を人間の支配下に置き弄んでない
 と言えますよね。


>「人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている」
 の部分に異論は有りませんよ。
 「人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題」
 の部分はこの構図の中だけで見れば一応は間違ってないと言えるに過ぎません。
 これも一面からしか見ていないパターンですね
 ( ペットの飼育については目の仇にしている訳ではありませんが次の設問に続きます )。

  一面しか見ていないも何も。
 そもそも貴殿は、なぜ人が野鳥を飼ってはいけないのか?という疑問に対して、科学的に納得できる答えを出していません。
 一旦飼われて人に慣れた元野鳥が再び野に放たれると、ず~っと野鳥で在り続けた個体がその元野鳥の人に対する振る舞いを見て、「あれ?人間って怖くないんだ」 と思ってしまうと弊害がある ・・・ これは、オイラが飼い慣らしたスズメを外に連れ出した時に、ツバメの巣がスズメに襲われ易くなる危険性として提言しました。
 しかし、それだけが理由であるなら、人に飼われることに慣れてしまった元野鳥は、再び野に放たないように飼殺せば良いのです。
 “飼殺す”なんて書くと何だか残虐な行為の様に思えてしまいますが、人がペットを飼う場合、その殆どは飼い殺しです。 犬にしろ猫にしろハムスターにしろ兎にしろ、死ぬまで飼います。 中には「大きくなって可愛くなくなったから保健所で処分して貰おう」 という飼い主も居ますが、これにしても飼い殺しで ある点は変わりません。
 人が野鳥を捕まえてペットとして飼う場合は、野鳥以外の旧来からペットとして存在していた犬や猫、その他様々なペットと同様に最期まで責任を持って飼う (=飼い殺し ) のであれば、何も問題は起こり得ない筈です。
 「いや、起こり得る」 というなら、野鳥以外に起こり得なくて、野鳥に起こり得る重篤な事故や障碍の 可能性についてご説明ください。


>少しはマシ: [単に野鳥を観察する事] > [ペットとして飼う事] > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]:マシではない
 であるに過ぎません。

  おいおい、今どきはサヨクでさえ使わないような印象操作を使うなよw
 貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる。 その一方で、犬や猫なら飼っても構わないと。 であるならば、比較図は

   少しはマシ: [単に野鳥を観察する事]
           > [犬や猫をペットとして飼う事]
           > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
           - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
           > [野鳥をペットとして飼う事]:マシではない

 じゃあ、ござんせんか。
 こうして図式化すると、野鳥の特別扱いっぷりが際立ちますなぁ。


>メディアによって積極的にアピールされなくても
 既に誰でもイメージ出来る様な鳥って何種類くらい居るでしょうか?
 このコーナーの発端となったキバタンも
 「どこかで見た事が有るなぁ」 という程度の知名度でしかなく
 名前まで言える人は少ないでしょう。
 そもそも誰も知らない様な鳥をペット化する必要が有るとも思えません。

  [ 可愛い / 可愛くない ] は単に見た目だけの判断であって、「名前を知っているから飼いたい」 という欲望が湧くワケではありません。 ペットショップへ行って、名前を知っている犬だけが可愛く見えるとか、名前を知っている猫だけが可愛く見えるとか、そんなことがありえるでしょうか。 ありえません。  名前を知っていようが、名前を知らなかろうが、可愛い物は可愛い、可愛くない物は可愛くない、それだけです。
 そして、可愛いから飼いたくなる。
 で、飼うのは有りや無しや?という問いに対してコチラは飼い殺しを前提にすれば、人に慣れた個体が野生の個体に悪影響を及ぼす可能性がなくなるので、「有り」だろうと提言しているのです。


>犬猫などの様に半永久的に人間と共存して行く事が確実なペットならば
 「人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOK」 ですが、

  犬や猫だって遺伝子に異常をきたさないレベルでの多頭飼いをして、命を未来へ繋いでいくカタチで 飼われているワケではありません。 飼い主の知らない間にエッチして有精卵を産んじゃう小鳥はともかく、犬や猫は発情期になれば所構わず交尾を始めますので、自分の子供への性的な悪影響を懸念する家庭では、両性多頭飼いはしません。 同性多頭飼いも喧嘩して大変ですから、多くの犬や猫は 一匹だけしか飼われません。
 ですから、犬や猫でも
   半永久的に人間と共存して行く
 ワケではなく、その世代で関係は途切れます。 ペッとして寿命を終えたら、違うペットが再び飼われるのです。
 であるならば、野鳥であっても同じ様に、捕らえた野鳥を死ぬまで飼い殺しにすれば、それは犬や猫 と同じ扱いなので、問題は無いということになると思います。


>半永久的に人間と共存して行く事が確実ではないならば
 実は 「OK」 かどうか誰にも分かりません。

  コウノトリに関しては残存する個体数が少な過ぎて、飼い殺しにするという選択肢が採れませんので、 人が食わせた後で野に放さざるを得ないと思いますが ( というか、それ以前に、テメェ等の祖父達が 絶滅するまで狩りまくり、生存空間を奪った癖に今更保護なんかするなよ、と思いますが )、個体数が多い野鳥に於いては、飼い殺しにするのが正解であって、人に慣れた後で、ケガが治ったからと言って野に返すべきではないでしょう。
 それこそ、人に慣れたスズメの存在によって、ツバメの巣が襲われるという悲劇のような事態が起こりかねません。


>なお、外来種を処分する際には元々の生息地に戻すという発想が
 なぜ誰にも無いのか不思議です。 お金の問題なんですかね。

  そりゃあ、最大の理由は資金の問題でしょうけど、それ以前に犯罪は犯人が責任を負うべきであって、無辜の善意団体が何もかもを後始末するべきではないでしょう。

>注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。
   イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
   フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。

  いやいやいや。
 普通の人はそんなもん読みません。
 オイラが副業で高齢者施設の事務員をしていることはご存じだと思います。
 高齢者施設ですから、土足で入って来られては困るので、エレベーターの前に靴箱を用意して、その中にスリッパを入れて、壁にデカデカと 「当施設は土足禁止です。この中にスリッパがありますのでお 履き替えください」 と書いた紙を貼ってあります。 エレベーターの中にも「当施設は土足禁止です。入り口でスリッパにお履き替えがください」と書かれた紙を貼ってあります。 エレベーターのスイッチの横にも貼ってあります。
 でも、初めて来た人の半数以上は土足のまま上がって来ます。
 エレベーターの目的階ボタンを押せば、張り紙が必ず視界に入るにもかかわらず、です。
 ですから、無辜の第三者の好奇心をフォローする気があるなら、もっと分かり易くマナーのページへ 誘導するようにしておかなくてはなりません。
 webページの来訪者は、その殆どがTOPページではなく、検索エンジンでHITした個別のページへ直 接来ます。 ですから、TOPページからしかリンクしていないページに置いても誰も見に行きません。
 「ちゃんとフォローしてある。俺に抜かりはない」・・・いや、スカスカですからw


>二つめの 「罪」 についても、今回コメントを読んで頂ければそんな 「罪」 など犯していない事が
 分かると思います。

 ( ゚д゚)は?
   スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け
 は別に悪い事でも何でもない、と認めるの?
 だったら、観光客のマナーに関してはコレで議論終了だね。


>僕にどんな 「注意喚起」 を期待されているのでしょうか?

  どんな 「注意喚起」 も何も。 オイラが散々っぱら要求しているじゃありませんか。
 エビデンスのある 「スマホで囀りを流したり、その場限りの餌付けをしてはいけない科学的な根拠」 ですよ。
 そういう根拠のある主張をしてくださいな。


>そもそも 「注意喚起」 など僕ごときが頑張ってもどうなるもんでもありません。
 端から非常識な人は誰も聞いちゃいませんよ。
 常識の僅かでも有る人に初めて響くのだと期待するしかありません。 後はその本人の問題です。

  んじゃ注意喚起なんか や め れ ば ~ ← クレヨンしんちゃん風に♪
 だいいち、
   常識の僅かでも有る人
 の“常識”というのは、あくまでソチラ側が自分達の都合の良いように創出した“常識”でしょう。
 普通に働いて普通に生活をしている市井の民にとって、スマホで囀りを鳴らしたり、その場限りの餌付けをしてはいけないなんて“常識”は、観念すら存在しませんよ。 (後述します)


>誰が 「逃げる鳥を追い回して良い」 と言いました?
 前述の様に僕は野鳥を待ち構えて観察するタイプです。

  あはは。
 芸能人が 「週刊誌に追い回された」 と言った時に、その意味を 「鬼ごっこみたいに駆け回っていた」 と捉えるんですか?
 芸能人が移動する先々で、物陰に隠れたカメラマンに遭遇したら、そりゃあ 「週刊誌に追い回された」 以外の何物でもないでしょうに。


>前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答が正しいとすれば、
 逃げる鳥を追い回しても何の問題も無いという事になります。

  ですから、
   前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答
 は正しくありません。
 本来ならば其処に在る筈の無い新たな恐怖なのです。
 幾ら野生動物の生活がグレートハンティングの中に在って、緊張を切らせばいつ死ぬか分からないのだとしても、平穏が無いわけではないと思います。 そんな平穏を脅かすストーカー行為が野鳥に快く受け入れられるワケがないではありませんか。
 いえ、平穏じゃなくても、たとえば一日平均で10回位食われそうな危機に逢うと仮定しましょうか。 おバカな野鳥は、「捕食者との遭遇」と「バードウォッチャーとの遭遇」を識別できませんから、バードウォッチャーのストーキングは、10回の『食われそうな危機』を11回とか12回にしていることになります。
 これが迷惑でなくて何が迷惑ですか。
 貴殿が私と同じ様に、
   狩猟して喰うのが許されるんだから、それ未満の行為は、すべて無罪
 という立場なら野鳥に対してストーカー行為をすることに何の問題もないと思います。
 しかし、「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」だの「スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けは禁則事項」と仰られるのでしょう?
 だったら、野鳥に対するストーカー行為も止めましょうよ。


>ふんぞり返って言われてもー・・・
 それは 「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」 とは違うのですか?

  親鸞和尚の 「善人尚もて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 ですよ。
 さすがに解説は要らないですよね?


>人間界の不文律とか暗黙の了解とかは
 誰が決めたものでもなく最大公約数の人が社会通念上常識だと考える物です。
 「常識」 というものも我々が人格形成する過程で教育や経験により
 本人次第で身に付くものだと考えます。

  そもそも野鳥を観察するという行為は、非日常的な行為であり、そこで必要とされている「常識」は、 市井の一般市民が普遍的に共有している「常識」とは別の物です。
 観光地に居る市井の人達(=観光客)は、日常に於ける普遍的な常識から判断して行動しているに過ぎません。
 ですから、バードウォッチャーにとって普遍的な常識である『野鳥観察に於けるマナー』なんて代物を観光客に求めるのは、誤りです。
 スマートフォンから音を流して人混みの中で聞くことはマナー違反です。
 これは、その音を聞きたいと思わない他人にとって、スマートフォンの音が騒音以外の何物でもないからです。
 しかし、野山でスマートフォンを使って鳥の囀りを流すという行為は、そもそもその鳥の囀りを聞く為に其処に居る人達にとって騒音である道理がなく、また、その音を聞いて、ブッシュに足を踏み入れなければ見られない野鳥が向こうからやって来てくれるという素晴らしい効果を生む行為です。
 餌付けにしても同じ。 都会の交差点の弩真ん中でワームを取り出して、鳩やら雀やら鴉やらが集まって来たら、周辺に居る人達は酷い迷惑を被るでしょう。
 しかし、野山の一角でワームを入れたジプロックの蓋を開けて、それを啄みに野鳥が寄って来るということは、観光客にとっては、わざわざブッシュに足を踏み入れなくても、野鳥がやってきてくれるという ことなのですから、歓喜することはあっても眉を顰めることはありません。
 それなのに、鳥が寄って来たと喜ぶ無邪気な観光客に向かって 「常識はずれな行為は止めろ」なんて言ったって通じるワケが無いのは当然です。
 [ バードウォッチゃーの常識 ] ≠ [ 市井の人達の常識 ] なのです。
 市井の人達でしかない観光客にとってバードウォッチャーの“常識”なんて物は、彼らの目には 「バードウォッチャーが自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 常識としか写りません。
 ですから、オイラは申し上げているのです。
 スマホで囀りを聞かせる行為や、その場限りの餌付けを止めさせたいなら、観光客に対して、自分達バードウォッチャーの常識が正しく、観光客の常識が間違っていることを示しなさい、と。
 統計を含む科学的根拠を一切示さずに 「常識はずれな行為は止めろ」 と主張するのは止めましょう。
 何の根拠も示さずに、個々の立場によって異なり得る“常識”などという曖昧模糊な代物で、無邪気な 観光客を制止しようとするのは、893の言い掛かりと何も変わりません。


>「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」 野鳥ファンと
 「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」 野鳥ファンが居たとして、どちらが野鳥にとって
 より好ましくないかは 「常識的」 に考えれば
 野鳥ファンならずとも大多数の人が後者だと答えるでしょう。

  なんだその朝日新聞のアンケートみたいな恣意的な問いは。
   「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」 野鳥ファン
   vs
   「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」 野鳥ファン
 なら、そりゃ前者が支持されるのは当然だ。
 しかし、
   「極力野鳥に影響を与えない様に心掛けると言いつつ、臆病な野鳥をストーキングして、
    その悪意性について全く省みず、あまつさえ、スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの
    餌付けを行うことで容易に野鳥を愉しもうとする観光客を非道と貶す」 野鳥ファン
   vs
   「同族や敵対族の囀りで翻弄されるが、ちゃんと対価を用意してくれる」 観光客
 ならどうでしょう?
 恣意的な質問に対する答えにエビデンスはありませんよ。


>僕の様に 「あるがままの野鳥」 を見たい野鳥ファンを尻目に餌付けなどされたら、
 別に野鳥とは関係無しに個人的に迷惑してるからやめてくれと言ったって構わないのです。

何の根拠もなく、如何なる明文化された法律の何も抵触していないにもかかわらず、先入観で良くないと思われるだけの理由で、他人の行動が制止できて良い道理はありません。
むしろ逆に、「個人的に迷惑してるからやめてくれ」なんて言うのは、強要罪という立派な刑法犯罪で す。
 そんなことが許されるのであれば、観光客は、「そのデカいレンズが邪魔だからどけろ」とか「アカラサマに嫌そうな顔をして周囲をウロチョロすんなどっか行け」と主張する事も出来ますよ。 貴殿は其れに従うのですか。


>ところで殺人が何故罪に問われるのだと思われますか?
 もちろん様々な理由が有りますが、大きな理由の一つは 「社会秩序を維持する為」 です。
 社会のあちこちで殺人が行われてしまったら社会秩序が維持出来ません。

    殺人が何故罪に問われるのか? ⇒ 「社会秩序を維持する為」 です。
 というのは、社会学的見地に於ける正解であって、「常識とは何か?」の引き合いに出すべき正解ではありません。
 常識という名の「個人が個人の行動原理としている物」に対して引き合いに出すべきは、「普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さないか?」 でしょう。
 これは、説明が不要だと思いますが、一応。
 普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さない理由は、報復が怖いからです。
 報復と言っても様々です。 一撃で仕留められなかった場合に反撃される虞もあるでしょう。 もしかし たら、近くに仲間がいて、より残忍な手段で殺されるかも知れません。 運良くその日は逃げのびても、 遺族が復讐に来るかも知れません。 そうなれば、自分だけじゃなくて、自分の家族にも危険が及びます。 もちろん、司法によって自分が裁かれるリスクもあります。 日本の場合は初犯で一人を殺して死刑になることはまずありませんが、それでも正当防衛でもない限り、貴重な人生の大切な時間を塀の中で暮らさなければなりません。 その損失たるや、憎い相手がこの世から居なくなった如きでは到底 釣り合わないでしょう。
 だから、普通の人は簡単に怒りに任せて安易に殺人を犯さないのです。
 そして、このように考えて殺人を思い止まらせるようにするのが教育です(洗脳と言う方が正鵠を射た 表現だと思われますが)。
 人は、言葉を学んだ後に様々な情報を詰め込まれます。 殺人が割に合わないという知識もその一つです。 常識とは周囲の人との擦り合わせで培われていく物である以前に、教育として脳に擦り込まれるものでもあるのです。
 ここでスマホで鳥の囀りを聞かせることやその場限りの餌付けを行うことが、バードウォッチャーではない、普通の人々の目にどう映るかを考えて下さい。
 異常な行為と映るでしょうか。 野山の秩序を脅かす悪辣な行為と映るでしょうか。
 そんなことはありえません。 なぜなら、バードウォッチャーではない我々が、親から、あるいは学校から教わった常識にそんな項目はありませんし、周囲の人との擦り合わせで培われた常識にもそんな項目はありません。
 ですから、観光客の無邪気な行為を静止するためには、
   そうか、そう言われたらコレがアカンのは当然やな。 ほな止めとこ。
 と観光客が納得するだけの説得力のある“理由”が必要です。
 それを示さずに、普通の人の普通の常識に照らして、何もおかしくない行為に対して「ヤメロ」と言う のは、強要罪という名の犯罪でしかありません。
 自重しましょう。


>国際関係で社会秩序を乱す行為の最たるものは戦争ですが、絶滅種のうちいくつかは
 太平洋戦争を境に姿を消しています。

  戦争なんて好きでやるものではありません。
 外交上どうしようもない窮地に陥って、戦争して講和条約でまともな条件を引き出す以外に選択肢が ないという状況になって、初めてやるかやらないかを決めるんだ。
 そんな究極の状況下で、野鳥が死ぬとか滅びるとか、どうでもいいにも程がある。
 日本が大東亜戦争に踏み切らなければ、日本は国力を維持する為に必要な資源(特に石油)を手に 入れられなくなって、欧米の植民地になっていました。 黒ンボよりも下の地位の黄ンボとして白人達の 奴隷として蹂躙され搾取されていたでしょう。
 だから勝ち目がないのに戦った。
 戦争が無ければ絶滅しなかった野鳥が居る。 それがどうした。 今の我々には何の関係もない。
 野鳥の絶滅を気遣って、やらねばならない戦争を回避して、奴隷になる奴なんかおらへんわ。


>  野鳥 「 『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』 を考えるべき 」
   ( それを考えた結果・・・ )
   僕  「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても平気だ 」
 どこが笑うトコなのか逆にお聞きしたいです。

  当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに、
   「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても <中略> 平気だ 」
 ってw
 そんなもん、警察に捕まったストーカーが 「自分が被害者であったなら生活を隠し撮りされても平気だ」 と言ってるのと何も変わらんぞ。
 まぁ、ストーカー犯罪の場合は、被害を訴える者が居て、行為を精査してストーカー行為と見做されない限りは犯罪として成立しないけどね。
 とはいえ、相手に言葉を話して被害を訴える能力がないのを良い事に、相手が人間だったら間違い なくストーカー行為として罰せられる行動を取り続けるのはどうかと思いますがね。


>常識的に見て 「あるがままの自然」 から遠ければ遠いほど 「元々そこに有る・・・」 とは言えないという事になるからです。

  貴殿は以前に、
   既に完全に自然であると言える環境は存在しない。
   程度の差こそあれ、何らかの形で人の文明の影響を受けている
 みたいな事を書かれていましたよね?
 であるならば、人の文明が影響して、貴殿にとって許し難い変化が自然に生じたとしても、その変化 が不可逆的変化(もう元に戻せない変化)であったなら、諦める他は無くて、変化した後の自然を 「ある がままの自然」 として扱わざるを得ないのではありませんか。
 であるならば、文明の浸食による自然の破壊を少しでも遅らせる為に何らかの活動 ( まぁ、この手 の活動は、日本だと殆どがアカ絡みですので、なんとかしなきゃという意識はあっても、ちょっと活動に参加し辛いという面がありますが ) をしているならともかく、なにもしていないのに、
   「あるがままの自然ガー」
 ってのはどうかと思いますよ。
 以上、今回の反駁は終了。

管理人コメント:
今回は個別に反駁して行きます。

>文明を活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮断しろ」と成ってしまうので、文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。
>文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。


偉大なる自然の恩恵を軽く見ておられるから出来るもんなら自然の恩恵を遮断してみて下さいと言っているのです。自然至上主義者が文明を遮断しなければならないとすれば文明至上主義者は自然を遮断しなければならないというのも道理でしょう。そうして文明がいかほどのもんか証明して頂きたいものです。ただ投稿者さん自身も認めておられる様に、自然を遮断するのであれば文明も遮断しなければ自然を遮断した事になりません。だからそのあと「文明は自然の恩恵を受けて発祥した訳ですから投稿者さんは文明の恩恵も遮断しなければなりません」と指摘しています(どこにも居場所が無くなってしまいますので投稿者さんの主張が根底から崩れる事を意味します)。反駁が不適切なのではなくて、そもそもこの世界観が根本的に非現実的過ぎるのです。
まぁこれについては観念の世界の話だし無理難題の域を出ず何か結論が出たとしても誰も得をしないのでここらへんでやめておきます。

>いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。

自然至上主義者の方には是非そうして頂くとして、ここにはそういう方は参加されていませんので、この話はこれっきりになるものと思われます(自然至上主義者の方がこのコーナーを読んで頂いているとしても、事ここに至ってこの段階から参加しようとは思わないでしょうなぁ・・・)。

>人が今までしてきたこと(そしてこれからもし続けようとしていること)は、「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、「重々自覚して生きよう」 というだけのことだよ。

そこから何故に「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」という発想になるのでせうか?
この思想はたいそう立派に存じますが僕には高尚すぎてとても真似出来ません。

>問題は無いよ。
 だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、捌いて喰おうと何の問題もない。
 ↑ここまでやるなら問題は無い。人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、グレートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。
 しかし、バードウォッチャーは違う。鳥を襲わない善い奴である。 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。


投稿者さんの論法によれば、バードウォッチングは「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」だから問題が有るという事であって、「野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じている」のだとしても、それは問題無いと認めておられます。これが珍しく意見の一致をみたという前提での今回の僕のコメントなので、予めここで再確認しておきます。

さて、僕一人の価値観かも知れませんが僕が「自然を慈しむ」と言う時、それは何も「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」という事ではありません。「あるがままの自然を慈しむ」という意味です。例えば「こんなふうに餌を見つけるのか」とか「こうやって生きているのか」などと感動するのが(僕にとっての)「自然を慈しむ」の意味の一つです。さてそこで、野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは「あるがままの自然」の姿から程遠いと言わざるを得ません。そんなもの管理人の独断じゃないかと言われるでしょうが少なくともダブルスタンダードだと批判されるものではありません。飽くまでも僕の主観ですが、実際ペットとして鳥を飼ったとしても姿形が「鳥」ってだけであって、野に在る野鳥の生々しい姿とは天地雲泥の差が有ります。野鳥を飼い鳥と比べると全身にみなぎる緊迫感ひとつとっても研ぎ澄まされた刀の様に美しいと感じます。僕にとって飼い鳥とは、鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージです。

>野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為であって、鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。

現実問題として東南アジアなどではカスミ網猟が行われており絶滅危惧種(などと言うとまた突っ込まれそうですが・・・)なども捕獲され店頭に並べられ食べられていると聞きます。日本で餌付けされ人間に慣れてしまった野鳥が捕まらない様に祈る様な気持ちです。野鳥には人間を警戒してもらわねば困りますね。
なお、僕が野鳥を脅かさない様に気を遣っているとしても、結果的に鳥を襲わないだけであって野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じていないとは言い切れませんから「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」とまでは言えませんし、もしそうだとしてもその倫理観を問うのならカスミ網猟の倫理観を問うのが先です。また、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」にも何の問題も有りませんし、野鳥を脅かして回れと誰かに強制される謂れも有りません。

>スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが他人から制止されなければならない理由を科学的に解説、お願いします。

これは野鳥には関係無いと言われるでしょうけど、前回もコメントした通り人間社会の常識とかモラルの話です(後述します)。人間社会の常識やモラルに科学的な根拠は必ずしも必要ありません。

>僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですがな。
>どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。


これらに対する回答は前述の通り前回コメントの中に有りますね。投稿者さんも問題無いと認めておられる通り、僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが(「鳥を襲わない善い奴」だろうが)野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
つまり野鳥がどんなに恐怖心を抱いていようがそれが「あるがままの自然」の姿であって何ら問題無いという前提で、それでもなお野鳥たちはそれほど恐怖心を抱いていない(であろう)と言っているだけです。それとも「問題は無いよ」と言った前言を今さら覆しますか?

>実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで鳥に近付いて撮影しました。

これも前述の通り何の問題も無い事なのですが、一応反駁しておくと例示されているフォトギャラリーのケースでは僕の方からは野鳥に近付いたりしていません。むしろそれは極力やらない様にしようというスタンスです(僕は移動中の出会いがしらは別として基本的に待ち構えるスタイルです)。気付かずに近付いてしまったりする事は有るでしょうし野鳥の方で気付かずに寄って来る事も有るでしょうが特に警戒心の強い者には僕なりに細心の注意を払っているつもりです。しかしそれも自己流モットーや不文律の類いでしかなく誰かに準用されてとやかく言われる筋の話ではありません。単純に「野鳥が逃げるから」自分の都合で気を遣っているだけだと思ってもらっても構いません。
この様にフォトギャラリーを遡って読んで頂くと、このコーナーで僕がその場の思い付きでコメントしたりしていない事が分かって頂けるでしょう。衰えたとはいえ僕にも学習能力は有りますから長い年月の内には細かい部分で考え方が変遷しているかも知れませんが、僕なりに(飽くまでも「僕なりに」ですが)一本筋を通しながらバードウォッチングをしている事は読み取って頂けるものと思います。

>それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。
>空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、ストーカー犯罪は取り締まり出来ないよ。
>「人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。これは重大な鳥権の侵害である 」と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。
>撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すようなストーキング行為をやってる時点でアウトなんとちゃうんか、とw


投稿者さんに言わせればストーカーの被害者にとってストーカーは「元々そこに有る恐怖」な訳ですな。野鳥ファンをストーカーに例えるとは何とも強引な例示です。

>単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類似した行為を責めるからです。

物事を一面からしか見ていない意見ですね。一見すると本質論的には同じ事であっても他の面で異なるという事は世の中に沢山有ります。この件は野鳥から見れば同じ事だが人間界の常識に照らせば必ずしも同じ事ではないと言えます(後述します)。

>だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。

その意見にも科学的な根拠は無いでしょう?これに関しては僕も実はその可能性には気付いていましたが希望的観測に過ぎません。「ネズミ程度の脳しか持たない鳥類」だから、例示した様な可能性はゼロではありません。とは言えさすがにこれは例え方が下手くそでした。しかし営巣中でなくとも高カロリーの生き餌を次々に出されてついつい食べ過ぎ体質が変わってしまうという可能性は否定出来ません。その結果思わぬ悲劇(※)を招くかも知れません。(※:体重が増えた事により飛翔力が落ちタカなどの捕食動物に襲われた時に逃げ遅れたり渡りの途中で海に落ちたりする可能性。)しかしこの設問に関しては互いに科学的な根拠を持ち合せていないので想像の域を出ません。

>その場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、さすがに杞憂ですよ。

もしその個体が餌付け無しでは生き残れない遺伝的に弱いスキルの者だったとして、そういう優秀でない者が遺伝子を次世代に引き継いでしまったら「種」としては弱体化するでしょうという話です。個々の個体が持っているスキルを失うという話ではありません。一世代一回限りなら知れてるでしょうけど、全国的に何世代か繰り返せば採餌スキルの低い遺伝子が大量に残ってしまう事になります。その結果全体の平均スキルが低下すれば「種」全体のリスクになり得ます。

>貴殿がゴカイの扱いに関して徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしない
 なんて主張をしたことがあったかい?
>土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題
 と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。


改めて端的に言うと、
「人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない」
「人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のものでないなら徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない」
この2つは矛盾していないという事ですよ(仮定が正しいかどうかはさて置き)。表現は変遷しているかも知れませんが僕のこれまでの意見と食い違ってないでしょう。

>生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というなら、
   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い
    ↓ ↓
   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている
であり、だったら、
   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題
なんじゃねーの?と訊いているんです。


「人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている」の部分に異論は有りませんよ。
「人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題」の部分はこの構図の中だけで見れば一応は間違ってないと言えるに過ぎません。これも一面からしか見ていないパターンですね(ペットの飼育については目の仇にしている訳ではありませんが次の設問に続きます)。

>野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきですね。

僕は世の中は本質論だけでひとくくりに出来ないという考えですから元々相対的思考をしています。投稿者さんはある種絶対的な本質論で物事をひとくくりにして論じておられるのに(時と場合により都合良く)相対的に論じられるのでそういう所を指摘したまでです。しかも今回また相対的思考を持ち出して来られました。これをダブルスタンダードと言うのではありませんか? 相対的に「少しはマシだ」 と論じるのであれば味噌も糞も一緒にする様な本質論による決め付けは取り下げねばなりません。
なお、ここのロジックが全て正しいと仮定しても
少しはマシ:[単に野鳥を観察する事]>[ペットとして飼う事]>[人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]:マシではない
であるに過ぎません。なぜならこの比較論は「単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して『少しはマシだ』 と論じるのが正しいと評価されるのなら」という条件から発しているからです。つまり「ペットとして飼う事」は「人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜」より少しはマシだが「単に野鳥を観察する事」よりはマシではないという図式に依然として何ら変わりは無いのです。

>未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、愛くるしい子猫や子犬でさえ敵わない思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。

爬虫類を引き合いに出した例えがこれまた下手くそでした。
世界には本当に多種多様な鳥が居るものです。しかしその中でメディアによって積極的にアピールされなくても既に誰でもイメージ出来る様な鳥って何種類くらい居るでしょうか?このコーナーの発端となったキバタンも「どこかで見た事が有るなぁ」という程度の知名度でしかなく名前まで言える人は少ないでしょう。そもそも誰も知らない様な鳥をペット化する必要が有るとも思えません。

>そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。
>野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、 野鳥が人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOKですねw


犬猫などの様に半永久的に人間と共存して行く事が確実なペットならば「人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOK」ですが、(以前のコメントに戻ってしまいますが)半永久的に人間と共存して行く事が確実ではないならば実は「OK」かどうか誰にも分かりません。野生に戻されたペットやコウノトリが結果的に絶滅してしまったら「やっぱり人間の責任だったね」という事になるのでしょうが生き延びる可能性もゼロとは言い切れません。生き延びたと判断出来れば「結果オーライ」なんだろうと思います。なお、外来種を処分する際には元々の生息地に戻すという発想がなぜ誰にも無いのか不思議です。お金の問題なんですかね。

>無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪
そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為 (スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け)を悪逆非道の如く罵る罪
 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。


どちらも既に反証済みです。
そんな「罪」が存在するとして、一つめの「罪」については、くどい様ですが前回コメントをそのまま再掲します。
注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通りほとんど子供を相手にしている様な内容です。
二つめの「罪」についても、今回コメントを読んで頂ければそんな「罪」など犯していない事が分かると思います。

>これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?

僕にどんな「注意喚起」を期待されているのでしょうか?まさか水戸黄門の印籠みたいなものを僕が持っているとでも?「フォロー」していないのは「罪」だと言い、「フォロー」したらしたで「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」だと言う。僕にどんな「注意喚起」を期待されているのか具体的にその根拠も添えて教えて下さい。僕の様な一般人のアマチュアがご期待にお応え出来るとも思えませんが。そもそも「注意喚起」など僕ごときが頑張ってもどうなるもんでもありません。端から非常識な人は誰も聞いちゃいませんよ。常識の僅かでも有る人に初めて響くのだと期待するしかありません。後はその本人の問題です。

>逃げない鳥が存在するからと言って、逃げる鳥を追い回して良いとは言えません。

誰が「逃げる鳥を追い回して良い」と言いました?前述の様に僕は野鳥を待ち構えて観察するタイプです。警戒心の強い種に対しては充分過ぎる距離を置いて注意深く観察しないと実際問題観察出来ません。追い回すなんてもっての他で(良い悪いではなくて)、それは僕の撮影スタイルではありません。追い回しても野鳥の逃げ足の方が圧倒的に速く、決していい結果は得られません。但し前回コメントの「元々そこに有る恐怖」という回答が正しいとすれば、逃げる鳥を追い回しても何の問題も無いという事になります。問題が有るとすれば人間界のモラルの問題です(後述します)。

>オイラが市井の弩平民の分際で、人類を一括りに「悪」と言い張っているだけだぞ。

ふんぞり返って言われてもー・・・
それは「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」とは違うのですか?

>だから、その「線引き」 が 「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 という点が問題なんだよ。

(野鳥には関係無いと言われるかも知れませんが)人間界の不文律とか暗黙の了解とかは誰が決めたものでもなく最大公約数の人が社会通念上常識だと考える物です。「常識」というものも我々が人格形成する過程で教育や経験により本人次第で身に付くものだと考えます。じゃあ「常識」って具体的に何だ?と問われて事細かに言葉で表現出来るでしょうか。僕が思うに、たとえ逐一言葉では表現出来なくてもその国のその社会で共通認識として皆が理解しているもの、それが「常識」です。であるならば個人的に「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」常識など存在し得ない事が分かるでしょう。もちろん社会全体で「自分達の都合の良いように自分達が決めた物」が「常識」だと言えなくもないですが、もしそうであるならそこに何の問題も有りません。そこには見えないラインが確かに有ります。それが「線引き」なのだと言えます。もちろん強制力は有りませんし時代と共に変遷するものでしょうが、短期間の内にコロコロ変わるものでもありません。それなりに人生経験を積んだ人の主観で「明らかに非常識だ」と感じる事柄というものは誰が見ても大抵非常識なのだと思います(もちろん非常識な本人はその事に気付いていない訳ですが)。
さてそこで、相対的に考えるなら「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」野鳥ファンと「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」野鳥ファンが居たとして、どちらが野鳥にとってより好ましくないかは「常識的」に考えれば野鳥ファンならずとも大多数の人が後者だと答えるでしょう。もちろん「常に常識が正しい」とは限りません。しかし経験的に概ね正しいから「常識」として定着しているとも考えられます。なお、モラルに反する非常識な人は周囲の人間にも迷惑をかけている場合が多いです。僕の様に「あるがままの野鳥」を見たい野鳥ファンを尻目に餌付けなどされたら、別に野鳥とは関係無しに個人的に迷惑してるからやめてくれと言ったって構わないのです。
ところで殺人が何故罪に問われるのだと思われますか?もちろん様々な理由が有りますが、大きな理由の一つは「社会秩序を維持する為」です。社会のあちこちで殺人が行われてしまったら社会秩序が維持出来ません。弱い者が生き残り現状を維持する為には殺人が犯罪であるというルールが必要なのです。社会秩序維持の為に法律や条約が有り、明文化する必要性が低い事柄が「しきたり」や「ならわし」であり、その根底に有るのが「常識」や「良識」であったりする訳です。そうして社会秩序が維持されているのだと考えられます。以前述べた様に仮に人間社会によって自然界の生態系がどういう形であれ維持されているのだとしたら、我々が「自然」と捉えているものも社会秩序の一部であると言えます。だとすると社会秩序を乱す事はすなわち生態系を乱す事にも繋がります。国際関係で社会秩序を乱す行為の最たるものは戦争ですが、絶滅種のうちいくつかは太平洋戦争を境に姿を消しています。環境省レッドリストによればリュウキュウカラスバト(1936年)、ダイトウミソサザイ(1939年)、ダイトウヤマガラ(1930年)、ムコジマメグロ(1930年)などの例が有ります。カッコ内の年代は最後に確認された年(多少の誤差を含む)を表していると思われますから、戦後調査してみたら絶滅していたという事を意味します(通常、最終確認から50年経過した時点で絶滅と判定されている様です)。14種(亜種)の絶滅種のうち少なくとも4種(亜種)が戦争を境に姿を消しているという事は(偶然の可能性も有りますが)人間界の社会秩序が維持されなければ自然界に多大な悪影響を及ぼすという事を示唆しています。こう考えると人間界の不文律や常識もあながち「野鳥には関係無い」とも言い切れないと思われます。

>投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 と書いた、その次の行で自分が鳥であったならって書き出しで鳥に成り代わって主張する。 此処は笑うトコか?


「鳥にしか『自分が鳥であったなら』と語る権利が無い」と言った覚えは有りません。
「投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう」と言ったのです。
「投稿者さんの指摘される様な主張」=「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」
ですから代入すると、
「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」と主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無い
となるだけです。その次の行で「自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても<中略>平気だ」と主張しても別におかしな事は有りません。

野鳥「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」
(それを考えた結果・・・)
僕「自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても平気だ」

どこが笑うトコなのか逆にお聞きしたいです。
投稿者さんのコメントに「自分が鳥であったなら」という問い掛けが有ったのでそれに答える形で自分の気持ちを率直に書かせてもらいましたが、そもそも鳥の気持ちが誰にも分からないという前提なのは当然であっていくら議論してもこの部分の結論は出ないでしょう。議論するだけ無駄です。であるなら「元々そこに有る・・・」と割り切るのもあながち間違いではありません。あとは(地球が巨大な鳥籠かどうかはともかく)「あるがままの自然」に近いかどうかが判断材料という事になります。常識的に見て「あるがままの自然」から遠ければ遠いほど「元々そこに有る・・・」とは言えないという事になるからです。
投稿者コメント:
人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)
<中略>

>「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 などと面倒くさい話を広げたのも 「お付き合い」 の流れです。
 「 見ようによってはそういう見方も出来ますね 」 ってだけの事です。

 すまんの。 それはわからんかったわ。

>それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。

 “自然を征服して支配下に置くのが文明”
 であるならば、支配下に置かれた自然を自分の思うままに消費することも 「文明を使用する行為」 に 含まれるのではありませんか。
 そもそも文明は、文明そのもの単体では成り立ちません。
 使用者たる人間の存在が不可欠です。
 そうです。 人間が文明を利用する事に因って、文明が自然を消費しているのです。
 文明至上主義者に向かって 「自然の恩恵を遮断しろ」 と言うのは、正論のように見えますが文明を 活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮断しろ」 と成ってしまうので、文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。


> 一人で 「今から文明を捨てます」 と宣言しても文明の方が許してくれません。 人を殺せば罪に問われます。 本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。

 いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。
 オイラも貴殿も自ら社会的安寧を望んで、自分の意思で日本国の文明に帰属しているんです。
 「強制されて」 ではありません。


>強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って 「存在自体が悪」 として 振舞わねばならないという理由にはなりません。また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で 「存在自体が悪」 だと断ずるに至っては、それはもう特定宗教の世界です。 信者の方だけで語り合って下さい。

 別に
   「存在自体が悪」 として振舞え!
 なんて言うとりゃせんがな。
 ただ、人が生み出した人の倫理観に照らして、人が今までしてきたこと ( そしてこれからもし続けよう としていること ) は、 「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、「重々自覚して生きよう」 というだけのことだよ。


>それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。

 だから、
 “自然を征服して支配下に置くのが文明”
 なんだから、文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。

<中略>

>僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。 これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?

 問題は無いよ。
 だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、捌いて喰おうと何の問題もない。
 ↑ここまでやるなら問題は無い。 人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、グレ ートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。
 しかし、バードウォッチャーは違う。 鳥を襲わない善い奴である。
 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。 危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。
 もちろん、野生にも鳥類の天敵のように見えて鳥類を襲わない存在がある。
 言わずと知れた草食動物である。
 だが人間は、時と場合によって、鳥を襲う存在に変わる。
 そう狩猟である。
 解禁の時期になれば狩猟が許される区域で行われるバードウォッチングは、野鳥の警戒心を緩ませ て、鳥を人に狩られ易くする行為であって、鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。
 ・・・ と、かなり強引にバードウォッチャーを悪者に仕立ててしまいましたが、こんな超論法は、実はあまり現実的ではありません。
 スズメの餌付けに代表されるように、野鳥の警戒心を解くというのは並大抵の事ではなく、毎日毎日 根気良く、スズメを驚かせない様に、石像と化してその場を動かず、毎日毎日機械の様に餌をやり続けて、ようやく人に対する警戒心が解かれるのです。
 ですから、襲ってこない人が自分のテリトリーに人が度々入って来たからといって、そう簡単に 「あ あ、人間は安全なのか」 と思っては貰えないと思います。 おそらく現実にバードウォッチャーの存在が 狩人に加担している可能性はゼロでしょう。
 ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒しているが如き主張を、オイラは書いたのか。
 それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが野鳥に及ぼす影響が、オイラ が書いた 「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」 と大同小異な杞憂なのではないか?と問いたいのです。
 そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的にドミノ倒しの影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと断言することが出来ません。
 しかし、そもそもこの世に 「可能性がゼロである」 と断言できる事象なんか存在しません。
 ですから、「○○という行為が□□という結果を引き起こす可能性がある」 というだけで、○○を禁止 してしまうのは早計です。
 面白い例を紹介しましょう。
 サヨクが忌避する物質といえば、放射性物質に農薬,食品添加物が代表例に挙がると思われます が、意外なターゲットとして、人工甘味料があります。
 人工甘味料の殆どは、その化学式に毒性の根拠を見出すことが出来ません。
 ( 文系のバカサヨクは「塩素ガー」って言うのですが、そんなことを言ったら、歯磨き粉に含まれる フッ素化合物は化学式的にサリンの仲間ですから、歯磨き粉が猛毒を発して、歯を磨いた奴が死んでしまいますw )
 にもかかわらず、古くから自然崇拝主義者のターゲットにされてきました。
 我々が子供の頃に発癌性物質との疑いを受けて、市場から姿を消したのはチクロでした。
 しかし、その後の科学的な検証によってチクロの発癌性は否定され、EU圏や中国では使用が解禁されています。
 しかし、今でも人工甘味料は似非科学というか科学モドキを振り回すバカサヨクの攻撃対象であり続けています。

<中略>
 人工甘味料入りの飲料を好んで飲むのは間違いなく甘党なのだから、人工甘味料の摂取以外の栄養摂取量を無秩序にしていたら、甘党の糖尿病発症リスクが高くなるのは当たり前だ。
 エビデンスとして認められる統計を取るのであれば、サンプルは、寮生活の学生や住み込みで働いている人に限定して、寮での食事以外に間食や外食を許さず、人工甘味料の摂取以外の栄養素摂取量を厳に同一にして調査しなければならない。 甘い物を好む人が欲望のままに間食したり高カロリー な外食を摂ったりしていたら、糖尿病リスクが増大するのは当然である。
 そんなものは科学ではない。
 イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験にしても穴が無いワケではない。
 そもそもマウスと人は、化学物質に対する感受性というか耐性が全く異なる。
 たとえば、一時期に強烈な発癌性が懸念されて、忌避する為にゴミの分別回収が始まり、超高温度 焼却施設が次々に建てられた悪魔の化学物質ダイオキシンは、人とマウス ( というか、モルモット ) で毒性の現れ方が全く異なる。

<中略>
 ダイオキシンはモルモットに対して極めて強い毒性を示すが、同じ小型齧歯類であるハムスターに対しては、同体重比で八千分の一しか毒性を発揮しない。 人に対しては更に弱く、大量に摂取しない限 り、人への毒性の発現はほぼ見られない。
 そもそも既に認可されている人工甘味料は全て、異常なまでに執拗な、ある意味、悪意さえある検査 と実験を経てシロと判明した化学物質です。

<中略>
 ダイオキシンと同様に、特定の動物に対して特殊な作用を起こす可能性は、ありとあらゆる物質に関して存在します。 だから、薬も化粧品も、動物実験で安全性が確認された後で、尚も治験という名の 人体実験を行って最終チェックをするのです。
 ですから、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験で、人工甘味料を摂取したマウス郡が 『耐糖能異常』 を示した ・・・ つまり、『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になったからとい って、人に対しても同じことが起こるとは限りません。
 あくまで
   人工甘味料を摂取すると 『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になる可能性が提言された
 に過ぎません。
 実際問題、なぜ、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームがこんなに浅い段階で、研究内容を公表したのか疑問に思います。
 下手したら副作用で死んじゃうような強烈な特効薬の治験じゃあるまいし、契約した人を軟禁して普通の食事以外に
   「普通の水」 「ブドウ糖を含んだ水」 「人工甘味料を含んだ水」
 を与え続けて経過を観察するだけの話です。
 莫大な研究予算を持つワイツマン科学研究所が出来ない道理は無い。
 出来ないのでもなければ、やらないのでもなく、やったが期待通りの結果にならなかった。
 だから、治験をやる前の段階のデータを公表して人工甘味料の製造メーカーにネガティブ・キャンペ ーンを張った ・・・ というのが真相だと思う。
 ま、邪推はともかく。
 科学とはこういうものです。
 仮説は実証されて始めて意味を持ちます。
   「スマホで囀りを流すのは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。
   「その場限りの一時的な餌付けをすることは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。
 仮説ですよね。 実証されていませんよね。
 念のために釘を刺しておきますが。
   野鳥の権威である某先生が言っているから
 というのはナシですよ。
 では、スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが他人から制止されなければならない理由を科学的に解説、お願いします。


>もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、
 その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。 まして餌付けなど出来ようはずが有りません。

 いやいや。 そりゃあ、その鳥が始祖から今まで連綿と野生で生活をし、鳥以外の動物の観察を続けてきた結果、
   四足の動物 ( ちなみに人間は二足を宙に浮かせている四足の“動物”) は、
   俺達と違って空を飛べない
 と学習したから、僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですがな。
 もし、文明が更に進化して ( たとえば重力制御の技術を手に入れる等して ) 、人が自在に空を飛べる等になったとしたら、彼らの学習内容は
   普通の四足の動物は、俺達と違って空を飛べないが
   二足を宙に浮かせている四足の動物は、空を飛んで襲ってくる
 と上書きされて、人も鷹等の猛禽類と同様の扱いとなり、姿を見ただけで恐れ慄いて逃げ惑いますよ。
 しかし、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 ) を食いに集まるスズメタンに関しては、もうちょっと学習して欲しいんだがなぁ。 もう三年以上も餌撒きを続けていて、撒く時間になると撒く場所の上を飛び交う癖に、オイラの姿が見えると20メートル近くも離れたビルの屋上まで逃げて、コッチの様子を 窺いやがんの。
 俺のジャンプ力は1メートルもねーよ。 何で過大評価されるんだ? それとも、この容姿はスズメに とって、そんなに恐ろしいのか (´・ω・`)ショボーン


>トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。
 この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる便利な動物という事になるのでしょう。

 ・゚・(つД`)・゚・ ウリが撒いた餌を食いに来るスズメタンにも其の位の胆力があればなぁ。。。

>野鳥から見れば僕ごときが現れても 「大型動物が1匹増えただけ」 なのです。

   2015年11月7日 [ 第207回 ] より
   オシドリも金網越しの撮影となった。 立ち上がれば何も被らない画が撮れたが、しゃがんで草むらに紛れていたからこそ彼らのほぼ無警戒なありのままの姿を見る事が出来たのだし、もし立ち上がれば 途端に飛ばしてしまうのが確実な距離だった。だからこちらに気付いたか或いは何かに驚いたかして飛び去るまでじっとしゃがんだまま撮影した。

 怖がらないんなら、↑立ち上がって撮れば良かったんじゃんw
   ある程度距離が有れば警戒していない
 そりゃ、その鳥が始祖から長きに渡って鳥以外の動物と関わった結果、
   四足は飛べないから、離れれば怖くない
 と学習しただけ。
 どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。
そういう意味で、野鳥の生活区域へ土足で入り込むバードウォッチャーは、鳥達にとって脅威であり、 招かざる客です。
 実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで鳥に近付いて撮影しました。
 それが、悪か?と問われれば、別に悪じゃないと思います。
 綺麗事さえ言わなければ誰もそんな些細な事を責めはしません。
 排気音やスキール音で野生動物の安眠を妨害してきた我々走り屋の悪行に比べたら可愛い
モンです。
 でも、貴殿は、自分が彼らの生活圏内に入って、見つからない様に隠れて撮影しておきながら、
 「 我々が野鳥を隠し撮りするのは正当な権利であるが、
  バードウオッチングを始めたばかりの一般ピープルがバードコールを使ったり、
  餌で野鳥を誘き寄せるのは許せない 」
 って言うんでしょ。
 しかも、言い訳するのにあろうことか、
   目の前に野鳥が飛んで来る事があるだの、
   比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない
 だの。
 それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。
 ストーカーだって、お目当ての女性が偶然に前を横切ることがあるでしょうよ。
 ストーカーだって、セキュリティの万全なマンションの部屋から目撃されたからといって、逐一通報され はしないでしょうよ。
 だからって、ストーカー行為が善しとされるワケではありません。
 それらと同じです。
 ただ今更揉み手で擦り寄る気は毛頭ありませんが、こちとら別にバードウォッチングなんて趣味を誰が何処でどうやろうと興味も湧きませんし、咎める気もありません。
 これは、貴殿が走り屋家業 ( といってもお金は出て行くだけで、まったく儲けは無いんですが ) に何の興味も持たれないのと同じ。
 じゃあなんでオイラが噛み付いているのかというと、単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類似した行為を責めるからです。
 かつて我々走り屋は、速度を出す技術を持たず、ただただ騒音を撒き散らして市井の人々の安眠を 妨害して悦に入る低次元な“暴走族”という人種に嫌悪感を抱いて見下していました。 それは、はっきりと自覚していました。 しかし、月日を経て、今になって振り返れば、“走り屋”も“暴走族”も大した差 はありません。 どちらも市井の市民の敵,迷惑な存在だったのです。
 翻ってバードウォッチャーはどうでしょう。 “走り屋”と同様に自分たちの仲間内でしか通用しないル ールを金科玉条として扱い、それに外れた行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) はルールやマナーに反した行為だから許されないと鼻息荒く主張されていますね。
 それは“走り屋”が“暴走族”を格下に見ていたのと何も変わりません。
 もし、科学的な根拠があって、統計的有意あるいはエビデンスのあるデータに基づいて、スマホで囀りを流す行為や、その場限りの一時的な餌付けが、鳥の生活環境や鳥の生活習慣に悪影響を及ぼし、引いては人間様の環境にも悪影響がありえるというのであれば、根拠資料を集めて役所の戸を 叩き、「スマホで囀りを流す行為」 や 「その場限りの一時的な餌付け」 を罰則付きで禁止させるべきです。
 「法で禁止されていないことは何をやっても良い」
 ↑ 小学校で絶対悪として扱われる概念ですが、残念ながら事実です。
 スマホで囀りを流す行為やその場限りの一時的な絵付けを止めさせたいのであれば、法的に禁止させるしかありません。
 法で縛れるだけの根拠が示せないから諦めましょう。
 そもそも当の鳥から見たら、王道のバードウォッチも邪道のバードウォッチも大差はありません。
 それこそ、走り屋と暴走族程度の違いです。


>例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だった とします。 仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。 一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。

 いやいやいやw 
 その論で行くと、多毛類がいっぱい居る沼地とか、稲に付く蟲がいっぱい居る無農薬農法の田んぼとか、親鳥が見つけたら自分が腹を満たすのに夢中になって、巣で待つ雛が死んじゃうことになっちゃいますよ。
 野生にあっては、自分の腹さえ満腹にならないのに、捕らえた獲物を呑み込まないでクチに咥え、巣で待つ雛まで運ぶのが親鳥であり、その自分の生死よりも仔を優先する姿に我々愚民は心を打たれるのでしょう。
 だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。

<中略>

>餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体がその遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりになってしまいます。

 さすがに其れは針小棒大が過ぎるという物。
 それが本当なら、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 )を食べているスズメ達は、オイラが餌を撒くのを止めたら、穀類をとる方法を忘れて飢え死にすることになりますYO。
 幾ら何でも其れはないでしょうw
 とある地点でとある団体が入れ替わり立ち代わり野鳥に餌を与えたからといって、そうそう簡単に自分で餌を捕ることを忘れはしませんて。
 そもそも、鳥にはテリトリーという物があるワケで。 とある種類の鳥がとる地点で人間から餌を貰っていたとしたら、その種類の鳥とテリトリー争いをする種類の鳥は、寄って来ません。
 何もその周辺に棲んでいる鳥が悉く満腹になる量を、毎日毎日餌付けに来てるんじゃあるまいし、その場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、さすがに杞憂ですよ。
 オイラが伏せた洗濯籠の中で保護したヒヨドリと思しき鳥も、いわば保護している間中、ずっと人から 餌を貰い続ける生活でしたけど、元気になったので庭に放ったら、さっさと視界から消えました。 その後、何日間かは、庭の周辺で鳴いていて、苦労せずに食える環境が名残り惜しかったみたいですが、 スグに来なくなりました。
 貴殿に言わせると、あのヒヨドリと思しき鳥は、オイラに餌付けされた所為で、可哀想に獲物を獲る方法を忘れて飢え死にしたということになるんでしょうね。
 それはないと思いますけどねぇ。


>徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。

 ( ゚д゚) は?
 貴殿がゴカイの扱いに関して
   徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしない
 なんて主張をしたことがあったかい?
 かつて、貴殿が言っていないにも関わらず、
  > 人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪
 と貴殿が発言したかの如く扱ったオイラが言うのもアレですけれども。
 言っていない事を 「言った」 とするのは止めましょう。


>もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます

 誰も漁の方法の話なんかしとりゃあせんがな。
 鳥に対しては
   鳥篭に閉じ込めて飼うのは残酷な行為なので許さん
 と主張しつつ、ゴカイに対しては、人が釣り餌として養殖する場合に
   土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題
 と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。
 もちろん、キリスト教的観点から、
   鳥はゴカイよりも上位の存在だから、生命の価値が高い鳥類の権利が尊重され、
   生命の価値が低いゴカイの権利が制限されるのは当然のことである
 と仰られるなら賛同し、支持しますよ。
 オイラもそう思いますもん。 ( オイラは、キリスト教徒ではありませんが )

<中略>

>ゴカイも家畜も駄目で豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?

 命を何処まで等価と見做すかなんて糞議題を引っ張り出すのは止めてください。
 等しく等価な命なんかありません。
 そもそも人が他者の命を喰らうて生き延びる業を負った生き物である以上、そして、人が食物連鎖の 頂点に立っている以上、命の価値は人が決めるものでしかありません。
 ( 神様が決めてくれたら話が早いんですけどねぇ )
 私が前回に
 > 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません
 と書いたのは、貴殿が
   ゴカイや家畜は人間に美味しい食卓を与える為の犠牲だから無問題
   でも、野鳥の飼い殺しは、生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というダブルスタンダードを主張されたからです。
   生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というなら、
   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い
    ↓ ↓
   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている
 であり、だったら、
   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題
 なんじゃねーの?と訊いているんです。


>絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。これを称してダブルスタンダードと言うのでは? この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきです。

 そうですね。
 であるなら、野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、 人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、
   「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきですね。


>誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い ( 或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・ ) などとイメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。

 おいおいw
 鳥の話をしているんだから、「野生種」=「鳥の野生種」だよ。 当然だろ。
 そして、未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、愛くるしい子猫や子犬でさえ敵 わない思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。
 普通の人が 「飼いたい」 という衝動に駆られるのは、そういう鳥たちの可愛いさであり、亀や蛇を飼う 人ような 「珍しい動物を飼うことで衆目を集めたい」 という自己顕示欲の発露ではありません。
 可愛い生き物を飼いたいと思うのは、人の普通の感覚であり、飼い慣れない動物を新たにペット化す るには十分な動機と言えるでしょう。


>コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。

 また微妙な回答だなー。
 これも内輪で勝手に決めてるルールなんだけど、猫大好き人間には課せられたルールというものが ありまして。
 ① 野良猫に餌をやるべからず
 ② 飢えた野良猫が可哀想だと思うなら、万難を排して飼え。
 ③ 飼うと決めたらちゃんと獣医に見せるなどして、責任を持って、最期を看取るまで付き合うこと
 なんですな。
 で。
 コウノトリやトキは飼っちゃイケナイ生き物だから、このルールが適用されないのは当然なんだけれども。
飼う気がないのに餌をやり、餌を貰うことで野生を失った個体にしておきながら、時期が来たら野に放ってハイサヨウナラってのは酷いんじゃないのかな。 いや、もちろん、ハイサヨナラじゃなくて、行動を追跡して調査し、取ったデータを他の個体の育成に活用しているんでしょうけど。
 そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。
 絶滅が危惧されるまで個体数を減らし続けた理由が、たとえばクジラを保護したために生態系のバランスが崩れて、クジラに食われる魚たちが絶滅の危機に瀕しているのだとしたら、シロンボの横暴の後 始末を我々黄色人種がつけるのだとして理解できますが、コウノトリもトキもそれらの種を絶滅に追いやったのは他でもない日本人ではありませんか。 人によって捕らえ方は違うと思いますが、オイラに は彼らを絶滅に追いやった日本人に彼らを救う資格はないように思えます。
 当人ならぬ当鳥にしてみれば、
 「 いままで散々ブッ殺しておいて何が保護だよフザケンナ。
  悪いと思ってんならテメーが俺らよりも先に滅びて見せろよ、クソッタレ 」
 だと思いますよ。
 前回も書きましたが、個体数を盛り返しえるだけの数が居ない種に関しては、静かに幕を閉じさせて あげるのが情けなのではないでしょうか。
 まぁ、考え方は人それぞれですけれども。


>「神の御意志」 なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ「在来種を守らなきゃ」 とか 「コウノトリを復活させなきゃ」 と考えて実行に移すのも「神の御意志」 でしょう。コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。

 そうですね。
 であるなら、野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、
   野鳥が人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用した
 という解釈でOKですねw


>僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事は
 それはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。

 ちょっと話題から外れるんだけどさ。
 バードフォトグラファーとかバードウォッチャーって、他人の撮った写真が気になるものなのかな?

 <中略>

>一方で 「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事を批判し、 一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、投稿者さんは僕に一体どうしろと言うのでしょうか?

   「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事
 ↑ 無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪
   マナーに関し注意喚起する事
 ↑ そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) を悪逆非道の如く罵る罪
 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。
 ま、大罪じゃありませんが。


>注意喚起の事なら 「野鳥王国:初歩のバードウォッチング」 をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
    ① 野鳥の邪魔をしない。野鳥は人間の為に生きている訳ではないから繁殖などの邪魔にならない様に配慮が必要。「バードウォッチングさせてもらっている」 というくらいの意識でちょうど良い

 ↑ 撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すようなストーキング行為をやってる時点でアウトなんとちゃうんか、とw

>僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなれば
 どうなりますか。 よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。


   僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起

 (´・ω・`) はて?
   2015年12月25日 [ 第212回 ]

   この撮影隊にも大人の対応でそれとなく疑問符を投げかけて早々にその場を立ち去った。

 これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?

>野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。
 人間の生息域と野鳥の生息域は (ほとんど全て) オーバーラップしており、
 ( バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが ) 自ずと一定の緊張関係は存在しています。
 何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。
 言わば 「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」 という状態です。

 空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、ストーカー犯罪は取り締まり出来ないよ。
 バードウォッチングを批難する観点から、鳥を二に大別するなら
 「 人を怖がらない鳥 」 と 「人を怖がる鳥 」 になるだろう。
 身近な例で言えば、前者は鳩、後者はスズメですね。
 逃げない鳥が存在するからと言って、逃げる鳥を追い回して良いとは言えません。
 ストーキングする迄もなく向こうから寄って来る鳥が存在するからといって、隠れて近付いているのが バレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングして良いとも言えません。
 大空を飛ぶ能力を奪って鳥篭に閉じ込めて飼い殺しにするのを残酷だと主張される一方で、隠れて近付いているのがバレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングするのは構わないって のが、捻くれ者のオイラには都合の良いダブルスタンダードに思えるのです。
 『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、前者が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。 が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。
 そういう話です。


>その通り 「屑の戯言」 でしょうね。 僕は偽善者でも聖人君子でもありません。
 他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。
 ただ、「存在自体が悪」 と自称する人に言われたくありませんけどね。

 おいおいw 誰も 「只一人、オイラ個人だけが悪」 だなんて言ってないぞ。
 オイラが市井の弩平民の分際で、人類を一括りに 「悪」 と言い張っているだけだぞ。


>前述した様に僕は投稿者さんと同じく文明を謳歌する人間様です。
 鶏肉も食べます。 ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。

 ( ^ω^ ) 鴨南蛮美味しいよねー。
 鴨南蛮の鴨肉は、合鴨の肉だけど。


>こう言うと当然予想される反駁は
 「 じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても
  とやかく強制されるものではないではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、これは前述の 「線引き」 の問題です。
 「極力影響を与えない」 というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って
 味噌も糞も一緒にして 「お前もやっとるやないか」 と言うことは出来ないでしょう。

 だから、その 「線引き」 が 「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 という点が問題なんだよ。
 貴殿等の 「線引き」 は、バードウォッチングが野鳥から赦される行為だという前提に立っている。
 これは、我々走り屋が決めた 『自分達の間だけで通じる峠のマナー』 と何も変わらない。
 鳥に高度な知能が有って、かつ、意思表示が可能だった場合に、
 「 人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。
  これは重大な鳥権の侵害である 」
 と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。
 世の中には“目糞鼻糞”という言葉があります。
 『バードウォッチング』と『スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け』のどっちが目糞でどっちが鼻糞 なのかは知りません。 もしかしたら、片方はもっと汚い尻糞なのかも知れません。
 しかし、いずれにせよ、当の本人ならぬ本鳥からみたら、どっちもどっちでしょう。
 というか、対価も払わずに隠し撮りしているストーカーに比べたら、その場限りの餌付けというカタチで 撮影の対価を払ってくれる人の方がありがたいのではないでしょうかね。
 モーターショウや改造車ショウで我々弩素人カメラマンもどきに写真を撮らせてくれている綺麗なおねーさん達だって、我々が入場料という対価を払い、その対価が回り巡って彼女らに支払われるからこ そ、にこやかに撮らせてくれるのであって、カネも払わずに隠し撮りしていたら、塩どころか石を投げられますよ。


>投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 自分が鳥であったなら ( カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き )
 「 生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ 」
 と答えます ( 野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが )。

投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 と書いた、その次の行で
   自分が鳥であったなら
 って書き出しで鳥に成り代わって主張する。 此処は笑うトコか?

 <以下略>
管理人コメント:
そもそも、
「火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪だからだ。」
とコメントされたのは投稿者さんであって、僕は自分の事を存在自体が悪だとも何とも思っていません。投稿者さんの構築された世界観にお付き合いしているだけです。「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」などと面倒くさい話を広げたのも「お付き合い」の流れです。「見ようによってはそういう見方も出来ますね」ってだけの事です。投稿者さんがコメントの最後に言っておられるのと同様に僕は単純に野鳥が好きなだけであり(片思いですが)、難しい理屈でバードウォッチングをしている訳ではありません。健康で文化的に文明を謳歌しつつ自然を慈しんでいるつもりです。文明を謳歌するという意味において僕は投稿者さんと同類なのでしょうが、投稿者さんはそれに加えて前回のコメントで「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」と宣言されており、前後の脈絡からも自然の恩恵を真っ向から否定もしくは軽視されていることが読み取れます。今回コメントでも「もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません」と。それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。文明を謳歌するどころか「もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態」で良しとされています。「文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けない」と言う僕に対してさえ「さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか」などと仰る始末です。であるならば、何度も言う様ですがこの際「自然の恩恵を遮断して」生きてみてください。
他ならぬ投稿者さんのロジックをお借りすれば、
「自然を謳歌する人」は「文明の恩恵を遮断して」
「文明を謳歌する人」は「自然の恩恵を遮断して」
それぞれ頑張って頂くという事で宜しいのではないですか?
因みに僕はどちらの意見にも偏らず「自然の恩恵も文明の恩恵もいいとこ取りをして」しか生きられませんから、この不毛なロジックにお付き合いするのはまっぴらですがね。
乗りかかった船でもう少しこの世界観にお付き合いします。「存在自体が悪」とか言い出すと、なるほど「自然を謳歌する人」は文明を捨てねばならないというのは分からないでもないです。文明を捨てる訳ですからカメラを持つ事も車で外出する事も何も出来なくなります。いえ、仮に何もしなくても文明の中に身を置いている限り同じ事です。そもそも文明を捨てるという事は法律の縛りも無くなり野鳥どころか人を殺しても罪に問われない事になります。もちろん現実にはそうはなりません。一人で「今から文明を捨てます」と宣言しても文明の方が許してくれません。人を殺せば罪に問われます。本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って「存在自体が悪」として振舞わねばならないという理由にはなりません。また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で「存在自体が悪」だと断ずるに至っては、それはもう特定宗教の世界です。信者の方だけで語り合って下さい。
つまるところ投稿者さんのロジックは「本質的には皆同じだ」とばかりに味噌も糞も一緒にしており、土台バランス感覚を欠いた観念的・非現実的な主張なのです。それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。いえ教科書通りなら「エジプトはナイルのたまもの」と言われる様に、文明は自然の恩恵を受けて発祥した訳ですから投稿者さんは文明の恩恵も遮断しなければなりません(なぜなら文明の恩恵を受けている時点で自然の恩恵も受けている事になるからです)。すると投稿自体できなくなってしまいますが、そもそもこの世界観では「存在自体が悪」の(疑いの有る)者同士が何を言い合っても互いに「ああ言えばこう言う」で説得力が無いただの水掛け論に陥ってしまうのではないでしょうか。
この様に世の中は「0か100か」という絶対的な本質論(言わば「総論」)だけで動いている訳ではありません。多くの矛盾を抱えながらも、その中で相対的にベターな道(「各論」)を探しながら(少なくとも文明の崩壊した無政府状態の紛争地などではない先進国においては)人間様が人間様として健康で文化的に生きて行くしかないのです。
さて、そこでバードウォッチングの話に戻ります。投稿者さんによれば本質的には野鳥から見れば捕食者の姿だという事になるのでしょうが、仮に文明が崩壊して食べる物が何も無い飢餓に襲われれば僕は遠いご先祖様がそうしていた様に迷うこと無く自ら野鳥を捕まえて食べるでしょう。そうなれば人間も野生動物ですから捕まる野鳥の方が悪いという事になります。しかし幸い現実には今のところそうはなっていませんから単に野鳥を観察しているだけです。その違いは(生きる為に不可欠かどうかはさて置き)「文明が有るか無いか」だけです。投稿者さんご指摘の通り野鳥から見れば何の違いも有りません。言いかえれば(実際には野鳥に対して捕食者にならないという点を除いて)元々緊張が当たり前の自然界で「何の違いも無い事をやっているだけ」です。人間は人間である以前に動物の一種です。仮に野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じているのだとしても、そういうのをひっくるめての自然界です。僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては「元々そこに有る恐怖」です。これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?緊張や恐怖が日常茶飯事の自然界は動物園とは違うのです。ただ勿論、そうは言っても相手は人間よりも弱い立場の野鳥です。趣味としてバードウォッチングするからには最低限の心遣いは求められて当然です。ここで当然予想される反駁は「じゃあ縄文時代からやってる様にスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても問題無いではないか。ダブルスタンダードはあかんで」ですが、縄文時代なんてつい最近の事だという話は置いといて、外見上は同じ様に野鳥を観察している様に見えるとしても、「間接的」に在るがままの野鳥を観察するのと「直接的」に干渉するのとは同じ事として片付ける訳には行きません(これについては後述します)。
投稿者さんに指摘されるまでもなく実はだいぶ以前から僕は「生態系の中に仲間入りさせてもらっている」と感じながらバードウォッチングをしています(フォトギャラリー第2回参照)。もちろん圧倒的に有利な立場で「猛獣が来たぞー」という感覚で出歩いているのですが、投稿者さんの指摘にも有る通り、僕自身もクマに襲われる危険性がゼロではありませんから自然界と対等の関係にあり、あながち単なる疑似体験でもないと言えます(数年前自宅から徒歩圏でツキノワグマの足跡が発見されています)。
因みに野鳥たちは人間の10倍もあろうかという視力で、こっちが気付くよりもかなり前にこちらの存在に気付いていると思われます。もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。まして餌付けなど出来ようはずが有りません。実際、野外を歩いていると野鳥たちは僕の姿を見て一目散に逃げて行くと言うより、一時的に飛び退いたとしても僕が何者なのか一旦見極めたうえで逃げ去ったり逃げなかったりという行動パターンである場合が大半です。タカが現れた際の目にもとまらぬ俊敏な逃げっぷりと比べると分かりますが、多くの野鳥にとって動きの鈍い人間などさしたる恐怖の対象ではなく、場合によっては「ラッキーなタイプの奴」か「使えない奴」かという価値基準でこちらを見下ろしている様にすら見えます(もちろんこれは飽くまで自分の都合のいい様に解釈した僕の主観かも知れませんが、多くの野鳥ファンが僕と同じ実感をお持ちだと思います)。この感覚を持っているのは野鳥ファンなどよりもお百姓さんでしょう。田圃の真中で農作業しておられるお百姓さんの周囲には野鳥が群れている事がよく有ります。トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる便利な動物という事になるのでしょう。もちろんその金属製の動物には人間が乗っかっている訳ですがアマサギたちはお構い無しです。前回コメントでも触れましたが野鳥たちの多くは大なり小なり人間の営みをしたたかに利用し、このある種人工的な生態系に順応して生きていると見る事が出来ます。フォトギャラリーにざっと目を通して頂ければ分かると思いますが僕の目の前に野鳥が飛んで来る事も決して珍しくはありません。もちろん珍しくないと言ってもそう頻繁にそんなシャッターチャンスに恵まれる訳ではありませんが辛抱強く待っていれば誰にでもそういう時が訪れます。でなければ僕ごときアマチュアにあれほど沢山の写真が撮れる筈が有りません。比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない証拠に羽繕いする者まで居ます。野鳥から見れば僕ごときが現れても「大型動物が1匹増えただけ」なのです。
そういう話はこっちに置いといて、例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だったとします。仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。もちろん絶対的な本質論だけで考えると線引きは出来ないですよ。だからと言って一部カメラマンが直接的に野鳥に干渉するのを手放しで良しとする訳にはいかないでしょう(目糞鼻糞だとしても)。
「種」の弱体化という事について僕の考えを述べておきましょう。数十年も昔に聞きかじった以下の様な話が有ります(学生時代、社会ダーウィニズムの講義で研究発表の題材にした記憶が有ります)。ある埋立地で繁殖するハエを駆除するために殺虫剤を撒いていましたがハエが世代交代する過程で並みの殺虫剤が利かなくなってしまいました。殺虫剤に強い個体が生き残り遺伝子を引き継いだからです。更に強い殺虫剤を撒いても同じ事。また更に強い個体が生き残っただけでした。そこでとある研究者が一計を案じました。一定数のハエを研究室で温室栽培の様に育ててから埋立地に放したのです。温室育ちの個体が交配した結果その遺伝子が次世代に引き継がれ弱い殺虫剤でも簡単に駆除出来たという話です。もちろんこの結果を否定する研究なども有るかも知れませんが、野鳥に対する餌付けには「種」の弱体化を招く危険性が有るという示唆にはなります。餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体がその遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりになってしまいます。(これに対して予想される回答は「別にいいじゃん」ですが、「今までやってきたことが大罪過ぎる」からこそ「別にいいじゃん」とも言っておれないのではないかと。)

少し個別に反駁しておきましょう。

>ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは
『種』としては人間を利用して生き残っている
 であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は
野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ
 というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。


ゴカイであれ鳥であれ(たとえ「種」として成功しているとしても)徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます(漁獲のほとんどは定置網漁や底引き網漁によるものでしょう)。しかし僕は漁師ではありませんし漁師さんの漁法についてあれこれ言える訳がありません。釣り趣味の人にゴカイが可哀想だと説教するつもりもありませんしその逆もありません。

>養殖モノが圧倒的多数になり(天然モノが)駆逐されてしまった現状を善しとするの?

前回コメントのアユの例えを補足しておきます。あの話はこれも数十年昔にアユ釣り趣味の人の話として耳にした記憶を頼りに書いたので自信は有りませんが、世間で呼ばれている「天然モノ」というのはほぼ全て「養殖由来の野生化した個体(及びその子孫)」だそうです。その意味で「天然モノ」は絶滅したか呑みこまれたという事になります(正しいかどうかは分かりません)。これを「善しとする」事は出来ないかも知れませんが現実にアユは遺伝子の形を僅かばかり変えられたとは言え生き残っていると言えます。養殖の結果もし弱体化して完全に絶滅していたとしたら遺伝子にとって最悪ですけど。

>人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません

コジツケがましい事を言う様ですが植物も生き物だという事をお忘れですか?言わんとしている事そのものは否定しませんが、植物には脳も神経も無いじゃないかと言われれば極端な話、動物性プランクトンと植物性プランクトンが本質的にどこまで異なると言えるのかを論ずる事になって(ここでは「ペットが駄目なら」という前提条件は付きますが)ゴカイも家畜も駄目で豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?僕はベジタリアンではありませんし皆さんの主張がどうであれ鯨も家畜も豆も食べますが。(蛇足ですが人間は草食から雑食に進化したのではなく肉食から雑食に進化したという説も有ったかと記憶します)

>生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に(野鳥を)飼い殺しにする如きは、屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜生活に比べたら、 悲惨さが少な過ぎてどうでも良いです。

絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。これを称してダブルスタンダードと言うのでは?この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して「少しはマシだ」と論じるのも正しいと評価されるべきです。

>まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、ペットにしてみようと挑戦する事は罪 ではないでしょう

子供でも犬や猫が可愛いとイメージ出来るのは彼らがペットとして身近に定着しているからです。誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い(或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・)などとイメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。そういう動物をペット化する動機は多分にペット業界の利害が関係していると推察出来ます。メディアに露出させ「可愛い可愛い」とアピールしなければ誰も知らない様な珍獣の類いをわざわざペットにしなくても誰も困りません。企業の健全な経済活動を全て否定するものではありませんが「可愛いから飼いたい」などというメルヘンな動機でワニガメとかニシキヘビとかをペット化して来た訳ではありますまい。実のところ飼い慣れない動物を新たにペット化するには弱い根拠と言わざるを得ません。

>それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に「飛ぶ」と在るから、飛ばないコウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・

ヤンバルクイナは長距離を飛ぶ能力は無いとされるけれど立派な野鳥です。それはさて置き、コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。

>人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、それもまた、( 巨視的な観点から見て)神の御意志でしょう。

「神の御意志」なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ「在来種を守らなきゃ」とか「コウノトリを復活させなきゃ」と考えて実行に移すのも「神の御意志」でしょう。コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。

>始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が安易にバード・ウォッチングを 始めてしまうないように、写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せることも慎むべきです。

「僕がこのHPを開設した目的の一つは多くの人に野鳥に関心を持ってもらい野鳥保護のプラスになればと思っているからだが(以下略)」・・・フォトギャラリー第191回をご参照ください。しかし一つ間違うと逆効果になるリスクも内在しているのは事実です。様々なジレンマの中でバードウォッチングを楽しみつつ僕なりにヘボなHPを運営しているつもりです(自己満足と笑われるでしょうが)。そういう事を抜きにしても僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事はそれはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。

>そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、同じページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、「マナーを守らないお前等は悪だ」って、そりゃ「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。

一方で「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」事を批判し、一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、投稿者さんは僕に一体どうしろと言うのでしょうか?注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通りほとんど子供を相手にしている様な内容です。ご丁寧に生き餌を仕掛け長時間にわたりスマホ等で大音量のさえずりをエンドレスで流す行為を見てしまうと、(バードコールみたいな素朴な遊び道具レベルと異なり)常識的に度を越していると実感しますよ。そんな現状で僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなればどうなりますか。よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。

>鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありませんか。

これについては前述しましたが少し付け加えておきます。
野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。僕の家が山間部にあるからかも知れませんが玄関のドアを開けた瞬間から野鳥と遭遇すると言っても過言ではありません(過去自宅敷地内に飛来した野鳥はチョウゲンボウ、イソヒヨドリ、ジョウビタキ、エナガ、シジュウカラ、セグロセキレイなど多数、もちろんハシブトガラス、ハシボソガラスも野鳥です。因みに2軒隣にはコシアカツバメの古巣が有ります)。文明社会と自然界が切っても切れない関係にある様に人間の生息域と野鳥の生息域は(ほとんど全て)オーバーラップしており、(バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが)自ずと一定の緊張関係は存在しています。何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。言わば「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」という状態です。「鳥にとって迷惑千万」だとしても、だからこそバードウォッチングという趣味においては一定のモラルが求められてしかるべきなのではないですか(これについては更に後述します)。なお、僕の家が自然の野山を切り開いた所に建てられたものだとしても、そこに住んではいけないと言う権利は誰にも無いでしょう。時代を遡れば大阪駅前や東京駅前だって原野や海だった訳ですから。

>野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、野鳥に対して影響を与えない 様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が出来ない屑の戯言に過ぎません。

その通り「屑の戯言」でしょうね。僕は偽善者でも聖人君子でもありません。他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。ただ、「存在自体が悪」と自称する人に言われたくありませんけどね。前述した様に僕は投稿者さんと同じく文明を謳歌する人間様です。鶏肉も食べます。ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。繰り返し述べて来た通り我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ「健康で文化的に」生きて行く事が出来ないのです。文明を謳歌して「健康で文化的に(趣味を楽しみながら)」生きて行くのに際して「野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛ける」のは僕の個人的なモットー(或いは良心的な野鳥ファンの暗黙の了解)であり、誰かに類推適用されてとやかく強制されるものではありません。こう言うと当然予想される反駁は「じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしてもとやかく強制されるものではないではないか。ダブルスタンダードはあかんで」ですが、これは前述の「線引き」の問題です。「極力影響を与えない」というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って味噌も糞も一緒にして「お前もやっとるやないか」と言うことは出来ないでしょう。所詮「個人的なモットー」或いは「暗黙の了解」というものは事細かに明文化されたものではありません。社会通念上どう見ても非常識なレベルに達しておれば、それは「違うじゃないか」と立て分けて考えるべきなのであって、それこそがモラルや不文律の存在理由なのだと考えます。

>貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、「 果たしてマナーさえ守られれば其れで良いのか?」を考えるべきであり、その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきではないでしょうか。

「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」とのたまう投稿者さんからこの様な愛鳥コメントを頂くとは意外な感じもしますが野鳥に成り代わり感謝申し上げておきます。
そもそも「趣味」というのは「文明」の最たるものでしょう。現代においてさえ発展途上国や紛争地帯では趣味さえもままならないのですから、平和な先進国に生まれた我々は感謝しなくてはなりません。ペットを飼う事が趣味ならば、在るがままの野鳥の姿を観察するだけのバードウォッチングは「少しはマシな趣味」と言えます。釣りなどと異なり直接的に命を奪う事も、営巣の邪魔をするなど余程のミスをしなければ基本的には有りません(釣りという趣味を批判するつもりはありません)。人間様の数多ある趣味の中でも比較的自然を慈しむ傾向の強いバードウォッチングという「少しはマシな趣味」(この際「欲望」と呼んでもいいです)において、子供でも分かる様な最低限のマナーさえ守れない人に苦言を呈する事が許されないのでしょうか。投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。自分が鳥であったなら(カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き)「生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ」と答えます(野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが)。

>道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。

前回コメントでも述べた事と重複しますが道具を手にした時点で文明を手に入れグレートハンティングという神の摂理から逃れた訳ではないでしょう。どう考えてもサバイバル社会で生き永らえながら徐々に文明を築いて行ったはずです(歴史は苦手ですが世界四大文明の発祥はアウストラロピテクスよりずっと後の事です)。最後の決定打が文明だったに過ぎないのだと思います。教科書通りなら道具を手にした事は文明の第一歩だった訳ですが、文明発祥の要素には「道具の発明」「火の使用」「言葉の発明」「農耕の発明」云々の他に「オオカミとの共生」を書き加えるべきだと思うのですが・・・親とはぐれたオオカミの子供を見つけたヒトが本能的に可愛いと感じ餌を与え始めた。オオカミの子供の方も本能的にヒトになついたというのが取っ掛かりでしょう。たまたま従順で大人しい種の中の大人しい個体だったのかも知れません。どちらも社会性を持った習性ゆえに自然と混群になったのでしょう。夜行性のオオカミと群れを形成する事により昼夜を問わず数的優位で(他のヒトを含む)あらゆる猛獣に対抗出来たと考えます。つまり犬は単なるペットではなく人間にとっては弱肉強食のサバイバル社会を共に生きた恩人(恩犬)という事になります。そうでなければ我々はこんな脆弱な肉体に進化しないでしょう(性質は獰猛ですが)。

この他にも様々なコメントを頂きましたが誠に失礼とは存じますが逐一お答えしていると余りにも長文になってしまううえ僕にとって特にこだわりの無い問題であったりするので反駁は割愛させて頂きます。
投稿者コメント:
人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)
 では、性懲りもせずに論破開始。
 なお、オイラは頭が悪くて何に反駁して、何をスルーすれば良いのか判りません。 なので、総当たり 行きます!


>鳥が何を考えているのかは永遠の謎でしょう。

既に示した通り、人に最も近い猿でさえも人とのコミュニケーションは無理だ。
<中略>
 人と同等の知能を有し得る程に体重比で重い脳質量を持つゴリラでさえも、人とのコミュニケーション は不可能なのだ。
 もちろん、会話できる程の知能を有していないからといって、「要らん世話」 だなんて認識すらも出来ないとは限らない。
 実際、猫は構い過ぎると怒る。

 <中略>
「おまえ鬱陶しいな」 ではないだろうか。
 「要らん世話」 だという認識は 「おまえ鬱陶しいな」 とは次元が違う。
 「おまえ鬱陶しいな」 は、自分と他者の関係だけで決定付けられる判断であって、自分が置かれてい る状況と関係がない。
 一方、「要らん世話」 というのは自分が置かれている状況と自分の能力を秤に掛けて、「お前の助け なんかなくても大丈夫」 という判断を下すということだ。
 言い方を変えると、相手が自分にしようとしている行為が、「要らん世話」 と捉えられるということは、 自分が現在の状況を鑑みて、相手が自分に対してやろうとしていることが必要か否かを判断した結果 ということである。
 これが鳥類に可能だろうか。
 考えて欲しい。 鳥類は、人間だったら恐怖の余りに発狂してしまうようなグレートハンティング社会の 弩真ん中で、自分よりも弱者である存在を狩って喰い、同種の異性を見つけてセクロスして、仔を生 み、育てているのだ。
 現在の状況を鑑みることが出来る程度の知能があれば、恐怖の余りに発狂してしまうだろうと思われる凄惨な殺し合い ―― それも、弱者は決して強者に敵わないという弱者にとっては、絶望的な殺し合い ―― の中で鳥類は ( 鳥類に限らないが ) 自分よりも弱者である存在を狩って喰い、同種の異性 を見つけてセクロスして、仔を生み、育てている。
 そりゃあ、自分が現在の状況を鑑みる知能が有って、殺される恐怖も抱いた上で、それでも縮こまって居たら飢えて死ぬだけだから、勇気を振り絞って弱肉強食の世界へ身を投じているという可能性だってゼロではない。
 しかし、常識的に考えたら、自分が狩られる側に居るという認識が出来ない程度の知能だから、自分が成鳥まで生き延びて、子孫を遺せる可能性の低さになんか思考が及ぶことなく、ただただ、目の前 にある、或いは飛んで見つけた餌を喰い、繁殖期に見つけた異性と性欲の赴くままにセクロスしている だけの可能性が高いだろう。
 結論。
 「要らん世話」 だという認識は高度な知能がなければ持つことが出来ない ( と思われる )。
 グレートハンティング社会の弩真ん中で平然と生きている連中の知能が高いとは思えない。
 鳥も同じ。
 だから、知能の低い鳥類が人の好意に対して 「要らん世話」 だという認識を持つのは無理
 ( と考えるのが合理的 )。


>「 個々の個体は大半が犠牲になりますが『種』としては人間を利用して生き残っていると言えます 」と言っているではありませんか。

 だったら、もしかしたら飛翔本能というものがあって、広い大空を自由に飛ぶことが制限されると酷いストレスに晒されるかも知れない野鳥を狭いゲージに押し込んで、世代交代を繰り返させて、飛べない鳥類として飼い、最後に解体して喰うのもまた
   『種』としては人間を利用して生き残っている
 と言えるのではありませんか。
 貴殿の主張は、
 「 野鳥を狭いゲージに押し込めて飼い殺しにするのは、
  当人(当鳥)にとって不幸であるから止めるべきだ」
 なのでしょう。
 しかも、人間だったら恐怖の余りに発狂してしまうグレートハンティングの弩真ん中で、自分よりも弱者である存在を狩って喰い、同種の異性を見つけてセクロスして、仔を生み、育てているという―― そ んなの正気じゃ出来ないだろ ―― ってツッコミを入れたくなるような行動をしている鳥類に対して、「要らん世話」 だなんて高度な認識さえも不可能ではないと言い張るのでしょう。
 だったら、ゴカイも同じです。
 泥質/砂質の海底に穴を掘り潜る能力を持つゴカイから、泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に 潜る環境を奪うことと、広い大空を自由に飛び回る能力を持つ野鳥から広い大空を自由に飛び回る環 境を奪う事は等しく同じではありませんか。
 ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは
   『種』としては人間を利用して生き残っている
 であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は
   野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ
 というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。
 ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪って。個体数を増やす機会を与えることが【間違った行為ではない】と許されるのであれば、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪っても、それが雌雄両性の多頭飼いで個体数を増やす機会を与えているならば、それは【間違った行為ではない】と許されるべきです。

 <中略>
 何らかの大きな変革が有って、地球上の幾多の種が滅びるとして、その変革の後まで生き残れる確率は、人間のような高等生物よりも、原生動物に近い簡単な生命体の方が高いと思われます。
 であると仮定するならば、人間の手を介して ( 人間に関わっている部分の ) 個体数を確保していたとしても、何らかの大きな変革が起こった際には、人間は死滅してしまうか、或いは、死滅しないまでも、ゴカイなんか飼っていられる状況ではなくなってしまいますので、いずれにせよ、人が関わって生きているゴカイはその時点で全滅が確定します。
 そう考えるならば、人間の影響で安定的に個体数を確保していることに意味なんかありません。
 逆に、そういうグレートハンティングの輪から外されて、人に生殺与奪の権を握られて生きる種にも、 種の存続としての価値があるというなら、狭いゲージに鳥を押し込めて、異性間で性交させ、自然とは別の環境で種を存続させることもまた、意味のある行為であり、そういう飼育方法を非難される謂れは何も無いことになります。
 コウノトリやトキがゲージではなく、野に放たれる理由は、飛べないコウノトリも飛べないトキも人間の勝手な価値基準で、「飛べなくなったコウノトリはコウノトリとして保護する価値がない」 とか「飛べなくなったトキはトキとして保護する価値がない」 と見捨てられてしまうからではありませんか? 飛べなくなっても、飛べる個体と等しく価値があると見做してくれるなら、野良犬や野良猫,猛禽類等の外敵から襲われて個体数を減らしかねない自然下での育成なんか放棄してしまえば良いのです。
 でもコウノトリもトキもあくまで飛ぶ鳥として、人間の監視下にありながら、野生に生かされています。
 それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に 「飛ぶ」 と在るから、飛ばないコウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・ つまりは 「規格外の出来損ない」 として扱われているのではありませんか。
 たとえゴカイ (多毛類)の一種 [ 埋在性ベントス ] を、「泥質/砂質の海底に穴を掘り潜る能力を持つ種」 だと生物学的に定義した際に、飼育工場で蠢く [ 埋在性ベントス ] が亜種として扱われることはないでしょう。
 ゴカイであれ、野鳥であれ、生まれ持って得ている能力 ( [ 埋在性ベントス ] に於いては、「泥質/砂 質の海底に穴を掘り潜る能力 ] であり、( 一部を除いて ) 野鳥に於いては [ 飛ぶ能力 ] ) を失うことがあろうとも、個体数が確保できていれば、それは絶滅危惧種ではなくなることを意味するはずです。
 鳥の絶滅危惧種だけが、飛べる個体のみをカウントして、「絶滅危惧ガー」 と喧伝するのは、「 飛べない鳥は固有種ではない、タダの『飛べない鳥』という括りに過ぎない」 と言わんがばかりの人間の奢りではありませんか。

<中略>

>その点は水産資源として養殖放流されているアユなどにおいて顕著です。

 え? それ、善しとするの?
   養殖モノが圧倒的多数になり ( 天然モノが ) 駆逐されてしまった
 現状を善しとするの?
 それは、美味しい鮎を簡単に獲れるようにするために、人が自然に手を加えることを善しとする発想 だよ。

 <中略>
 だから。
 当の家畜にとってそんな人間の都合なんか知ったこっちゃないんだってば。
   ゴカイや家畜は人間に美味しい食卓を与える為の犠牲だから無問題
   でも、野鳥の飼い殺しは、生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 なんて言われましてもね。
 ゴカイを繁殖させて釣りの餌にして、食卓に魚料理を載せなくても、狭い区画で不自由させて、餌だけ 十分に与えて家畜を育てて殺し、食卓に肉料理を載せなくても
 んなもんは、豆を食ってりゃ済む話なんです。

 <中略>
 つまり、ゴカイを繁殖させて釣りの餌にして、食卓に魚料理を載せたり、狭い区画で不自由させて餌だけ十分に与えて家畜を育てて殺し、食卓に肉料理を載せるのも、人間の健康の為に、泣いて馬謖を 斬るが如く、他に手段が無くて仕方なくやっているワケではありません。
 タンパク質の摂取を豆に限定されることが我慢できない我儘な人間のために、魚や家畜が尊い命を落しているのです。
 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません。
 ( そもそも、人口爆発に伴って危惧される食糧危機は、タンパク質を畜産で摂ることを前提と しているために生じる問題であって、畜産を止めて農業のみで人を食わせるのであれば、
  人間が農業で生産し得る食料には、まだまだ十分な余裕があると言われています。)
 ゴカイにしろ家畜にしろ、奪わなくても済む他者の命を、我儘な人間が徒に奪うために存在しています。
 ( 何を以て大罪と呼ぶのかは神のみぞ知るところですが ) 種の存続としてではなく、野生の生存競争の輪から外れた人間サマの都合の為に産ませて殺すという行為が大罪であると仮定するなら、
   
生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に ( 野鳥を ) 飼い殺し
 にする如きは、人が食う為だけの為にこの世に生を受けさせ、大空を飛翔する自由どころか決められた区画から出る事さえ許されず、
<中略>不細工な異性と無理矢理交配させられて、漸く仔を授かったと思いきや、屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜生活に比べたら、
 悲 惨 さ が 少 な 過 ぎ て ど う で も 良 い で す。

<中略>

>野生化した生物が外来種として駆除されたり ペットとしての販売や飼育が禁止されたりするという事は遺伝子的には人間を利用する事に失敗したという見方が出来ます。

  いやいやいや。
 法律の世界なんかがそうなんだけど。
 世の理には、「より良い未来」 になるのか、「より悪い未来」 になるのか分からない選択肢と、「現状維持」 の選択肢という二択があった場合に、「現状維持」 という選択肢が選ばれる事が往々にしてある。
 野生化した生物をそのまま野放しにした場合、生態系に変化が訪れる可能性が濃厚であるが、それ が人の世に良い結果となるかどうかは、神ならぬ人に分かろうハズがない。
 だから、善くなる可能性があるとしても、悪くなる可能性を忌避するために、野生化した生物を外来種として駆除したり、ペットとしての販売や飼育を禁止しているに過ぎない。
 実際問題、
   養殖モノが圧倒的多数になり ( 天然モノが ) 駆逐されてしまった
 鮎の現状に関しては、人に何の害も出ておらず、それどころか鮎が美味しい時期になれば、簡単に 食卓へ上げられるようになったことにより、天然鮎の駆逐が問題視されなくなっている。
 結局のトコロ、人は人の都合で環境の変化を評価しているに過ぎず、人間が関与していなかった状態の環境を以て尊しとしているワケではないということです。

<中略>

>犬や猫の様に家族の一員となって生涯を全うするレベルになって初めて人間もペットも幸せと言えるのではないでしょうか。

 以前にも述べた通り、犬も猫もその原種が世に生まれ出た瞬間から人間の伴侶と成り得たワケではありません。
 犬も猫も、誰か 「コイツをペットにしよう」 と挑戦したチャレンジャーが居て、紆余曲折を経て犬や猫 がペットになったのです。
 であるならば、まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、ペットにしてみようと挑戦する事は罪ではないでしょう。
 ただし、アライグマにしろ、ソウシチョウにしろ、「コイツは飼えない」 と判断した後の処理が間違って います。
 外来種を在来種の野に放ったのは完全にアウトです。
 人は残虐な生き物であり、その残虐性を以て知らない他種を自分の支配下に置く(=ペットとして飼 う)のですから、ペットとして飼えないと判断された時点でやるべきことは、手元に居るソイツの抹消、つまり殺して衛生的に廃棄、です。
 仮にペットとして飼えたとしても、飽きたから野に捨てるは許されません。
 人の手に囚われた以上、その個体は自然から切り離された個体であり、外来種と云うカタチで生き延びることは、自然に対する人間の過剰な関与だと、( 人類が種の頂点だとする主張に与する私でさえ ) 思います。
 ですから、「飼おうとしたが、飼うには適さないな」 と最終判断された時点で、処分されるべきだったの です。
 処分・・・もりろん、鏖殺しです。
 如何なる紆余曲折であったかは定かでありませんが、犬や猫が紆余曲折を経て人と共存し得るペットに成った以上、いまだペットでない野生種を人間が飼おうとする権利は憚られる物ではないはずです ( それを否定してしまうと、ペットとしての犬や猫の存在、鷹匠が高度な道具として利用している鷹,既に観光資源に成り果てていますが、鵜飼の鵜やカルガモ農法のカルガモ等も否定されることになります )。
 ですから、野生種を飼おうとすること自体に問題はないハズです ( とりあえず、神からの天誅もありませんし )。 チャレンジが許されるとするならば、問題は飼う事を諦めた人間が野に放つ事に因って 生じる在来種の危機。 これさえも、単に弱肉強食の追加ステージだと捉えて無視すことだって許され ないわけではありません ( この件に関しても、とりあえず、神からの天誅はありません )。 ただ、アライグマのように人が飼っている家畜を襲うのは、本末転倒。 人間がアライグマを介して自分で自分の 首を絞めている結果になっています。
 これを避けるためには。
 野生種を飼うと云うチャレンジを行って、尚且つ、飼えなくても人に被害が及ばない様にするためには。
 殺せば良いんです。飼おうとされたアライグマやらソウシチョウやらが何頭(何羽)居たのかは知りませんが、どうせ元居た野生に還る事なんか叶わないんですから、さっさと鏖殺しにして、それ以降を 強い罰則付きで禁輸にすれば良い。
 それだけの話です。
   「飼おうとする」⇒「飼えなくて捨てる」⇒「外来種になる」⇒「野生動物を飼おうとしてはいけない」
 と限定するから、野生動物を飼おうとすることが問題になるのであって、
   「飼おうとする」⇒「飼えなくて殺処分」⇒「のーまんたい」
 です。

<中略>

>本来そこに居るはずの無い外来種により在来種が絶滅させられたらそれは人間が殺したのと同じではないですか。

 いいじゃん、別に。
 人に取って必要な自然とは、人が生きて行くのに都合の良い自然だ。
 台風もハリケーンも洪水も旱魃も、地震すらも、あるとあらゆる自然災害が、もし、人の手にコントロールが委ねられたとしたら、人は躊躇うことなく、人間の生活環境の為に自然災害をコントロールするだろう。 或いは、敵国を攻撃する手段として活用するかも知れない。 いずれにせよ、利己的な手段として活用されるであろうことは、確実である。
 生きるという事は慈善活動ではない。
 ブラックバスのように外来種に在来種が駆逐されて、それまで人が食っていた在来種が食えなくなり、食卓に上げるには糞不味い外来種ばかりになってしまうのは困る。 大変に宜しくない。 ただ、それが宜しくないのは、単純に食卓が貧相になってしまうからであって、在来種が絶滅の危機に瀕するからではない。
 ブラックバスが鯛や鮃のように人間にとって美味しい食材だったら、多くの人は、ブラックバスによる 在来種絶滅の危機を憂いたりはするまい。
   
それは人間が殺したのと同じではないですか
 それの何が悪い。
 人は、食ったら美味しかったから乱獲したとか。 その種が人が味を好む種を横取りして喰っちゃうから先んじて殺して、自分達の食べる量を確保するとか、腹の中の脂を取るためだけに捕獲するとか、 羽毛や毛皮を剥ぎ取る為に乱獲したとか、様々な理由で加減しないで狩り殺し、幾多の種を絶滅させている。
 しかし、そのおかげで飢え死にせず、料理店が繁盛して店主が首を括らずに済み、寒い冬に暖を取ることが出来て、極寒の地でも活動する事が叶って、人は行き延びて経済活動することが出来た。
 もし、人の乱獲によって絶滅した種を、当時の人達が人道的見地から一定数以上の個体数を維持できるように管理していたとしたら、その種は絶滅せずに済んだでしょうが、何人かのヒトは飢えたり、職を失ったり、あるいは寒さに凍えて死んだりしたでしょう。
 もし、タイムマシンで過去へ行って、今現在に絶滅種になってしまった種を狩らない様に妨害した場合、もしかしたら、オイラや貴殿の先祖が死んで、オイラや貴殿がこの世から消えてしまうかも知れません。
 今の我々が在るのは、良くも悪くも過去に生きた人々の行動の結果だ。
 だから、未来の人達が居るのも、良くも悪くも現在に生きている人々の行動の結果である。
 ブラックバスの放流のような、人間の食生活に悪影響が出る様な自然環境への干渉が慎まれるべきであることに異論はない。 だが、それさえも、( 人の営みを最優先項目とする以上 ) 比較的どうでも良い些事だ。
 森林を薙ぎ倒し、浅瀬を埋め立て、河川をコンクリートで覆って、野生動物の棲家を奪い、数え切れない程の野生動物を殺しておいて、今更、たかだか、飼えもしない野生動物を人が飼おうとした挙句に 野に放ってしまうのは、特定外来種を創ってしまうことになるので、
   
それは人間が殺したのと同じではないですか
 とかw
 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。
 人間の価値観で断罪する神が存在するなら偽善を纏うが、纏うまいがどの道、地獄行きは避けられまい。
 今更、チマチマとした偽善で点数稼ぎをするのは止めようぜ。

 
>このうえ更に人間のつまらない欲望を満たす為に 生態系を破壊するのを良しとする事は出来ないでしょう。

 なーんとも思わんよ。
 だって、今までやってきたことが大罪過ぎるんだもの。
 そりゃ、森林を薙ぎ倒し、浅瀬を埋め立て、河川をコンクリートで覆って、野生動物の棲家を奪い、数え切れない程の野生動物を殺したのはオイラでもなければ貴殿でもない。 しかし、そうした犠牲の上に我々は生かされている。
 生態系を破壊するのは許せないというなら、どうか中国やアフリカへ行って、「 これ以上の開発をするな 」 と身を挺して訴えて下さいな。 応援しますよw

<中略>
 いや、野鳥が好きで、そういう主張をしている貴殿におかれましては、本当に
   これ以上の破壊工作は最小限に抑えなくてはならないという危機意識
 があるのかも知れませんが、基本的にこういう自然保護等の行為は、金 に な る か ら や っ てい る んです。 下っ端は、ボランティアという名のタダ働きですが、役員報酬も給与も退職金も出ます。  配布物の印刷を頼まれた業者だって材料費だけで請け負うわけではありません。
 さすがに鳥獣保護行政は地球温暖化詐欺のような巨悪ではありませんが、お金になるからやっているんです。 これは高齢者介護施設で働く職員と同じですね。 お年寄りが好きだから、可哀想なお年寄りを助けてあげたいから・・・ではなく、他の高難度な仕事が勤まらない程度のスキルでも食って行けるだけの給与が貰えるからやっているんです。
 変な幻想を持つのは止めましょう。

 
>ある意味 「文明は自然界には存在しない」 事にしようとする行為なのだと思います。 存在しないのだから 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態に戻そうとしているという事です。

  それは、あくまで、そういう考え方をする人間の意見でしかありません。
 普通の思考をする大多数の人は、
 ・ 可愛いから助ける
 ・ 猛禽類みたいに元気になった後で手に負えなくなるような鳥じゃないから助ける
  ( まぁ、オイラの場合は、傷付いた鷹を助けて何処まで恩返ししてくれるか興味津々ですが )
 ・ 人間と違って、助け方が悪くて死んでも自分に責任が及ばないから助ける
 ・・・ くらいしか考えないと思いますよ。


 >もちろん地球そのものが鳥籠なのだとしたら野鳥とされる鳥たちもペットみたいなものだろうという事にもなるのですが。

 じゃあ、も う ど う で も い い んじゃん。

 人間が天災から逃れ、安寧な日々の中で経済活動に勤しむことが出来るように、と人の手で改変された環境が、多くの野生動物から棲家を奪い、生活環境を奪っていることを善しとするなら、いまさら、 人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、それもまた、( 巨視的な観点から見て ) 神の御意志でしょう。

<中略>

>可能な限り理想に近づけようとする努力を全否定してしまったら歯止め無く理想から遠ざかって行く事になります。

 いいじゃん。 理想なんかどうでも。
 今の現代に恐竜が存在しないように、( 人の狩りを含めた ) 生存競争に負けて種が滅びることは太古から連綿と続いてきた避けられない歴史です。

<中略>
 人が滅ぼした種もまた少なくありません。
 ドードーも滅びました。 クアッガも滅びました。 ニホン狼も滅びました。 フォークランド狼も滅びました。 有袋類フクロオオカミも滅びました。 有袋類ウサギワラビーも滅びました。
 ジョンブルク鹿も滅びました。 ジャワ虎も滅びました。
 カリブモンク海豹も滅びました。 野生牛ブルーバックも滅びました。 バッファローも野生種は滅びま した。 ニホン川獺も滅びました。
 ニホン海驢も滅びました。 21世紀になってからも、ピンタゾウ亀が滅んでいます。
 鳥類も沢山の種が人の利己的な経済活動の所為で滅んでいます。 モアという大型の鳥が18世紀までに滅びました。 本来、ペンギンと呼ばれていたオオウミガラスも19世紀の半ばに滅びました。 オガサワラカラス鳩が滅びたのは19世紀の終わり。 カロライナ鸚哥やゴクラク鸚哥,リョコウ鳩,ワライ梟 が滅びたのは20世紀初頭。
 いずれも人間が食ったり、皮を剥いで着る物にしたり、羽を毟って寝具や防寒具にした等の所為で滅 んだ種です。
 これからも滅び続けます。
 そもそも動物は、一定の数を割ってしまうと種を維持することが出来ません。
 釈迦の耳に念仏だと思われますが、絶滅危惧種とはそのままでは絶滅してしまうまで個体数を減らした種であって、例えば、現在絶滅危惧種に指定されているチンパンジーが約2万1000体、ゴリラが約2 万5000体ということから考えても、50羽に満たないトキは別格としても

<中略>
 ツルは、鹿児島県出水市に全世界の約半数が飛来して越冬するという話で、その個体数がナベヅル が約1万2千羽(92%)、マナヅルが1千羽 (他に10羽に満たない希少種が居るらしい)。
<中略>
 単純にこの倍が全世界の個体数だと仮定してナベヅル約2万4千羽、マナヅル2千羽と推計されます。
 絶滅種危惧種から盛り返し得る最低限度の個体数は種によって異なると思われますが、幾らかでも可能性があるのは、チンパンジーやゴリラ程度には個体数があるナベヅル位の物でしょう。
 頑張っている皆様に唾を吐く様な話で申し訳ないんですけれども、トキやアホウドリ、ナベヅル以外の鶴に関しては、やるだけ無駄 ・・・ もっと悪く言ってしまえば、慈善行為に酔っている自慰にしか見えません。
 ずばり言って、絶滅する種は絶滅する運命なんです。
 絶滅しない種は、端から絶滅しません。 それは、たとえ絶滅危惧種になっても同じです。
 実は、遺伝子を調べた結果、かつて人類が絶滅危惧種であったことが判明しています。

<中略>
 別に人類は、自分よりも高位の生命体に助けられて今の人口まで個体数を増やしたのではありません。 自力で他の種との生存競争に打ち勝って数を増やしたのです。
 神ならざる者が、他種の生存に関わろう等とはおこがましいにも程があるとは思いませんか。
 ぶっちゃけ、人の理想とは“人にとって都合の良い理想”でしかありません。
 人の手で絶滅寸前まで個体数を減らさせてしまったという自責の念から、贖罪意識でやっている行為であり、絶滅危惧に人間並みの知能があったら、それこそ 「余計なお世話」 だと言うでしょう。

<中略>
 幸いにして絶滅危惧種にある鳥の知能が低いから何の問題も起こっていませんが、もし、絶滅危惧種の鳥に人並みの知能が有ったら、暴動が起こっていますよ。
<中略>
 だから、貴殿がご自身でお書きになっておられる通り、自分達が文明科学の恩恵にドップリと浸って おきながら、「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を求めているなんてのは、当の滅ぼされ掛かっている絶滅危惧種にとったら、悪い冗談にしか思えないのではありませんか
( もちろん、悪い冗談だ等と判断できるだけの知能を彼らは持ち合わせていないのですが )。

<中略>
   スマホなどでさえずりを流したり餌付けしたり
 これって悪い事なのか?
    スマホなどでさえずりを流す、なんてのは、古くは縄文時代から使われている狩猟の手段に過ぎません。

<中略>
 「狩りもしないのに、バードコールで呼び寄せてストレスを与えるべきではない」
 という尤もらしい抗弁が立つ事は容易に想像できます。
 しかし、そんなことを言えば、彼らの領域へ侵入して、隠し撮りをするというバード・フォト行為自体が、 そもそも等にとって大きなストレスなのではありませんか。
 他の誰でもない貴殿が彼等に見つからない様に苦労して撮影していると吐露しています。
 バードコールも何も貴殿等が彼らの領域へ侵入してることが、既に彼らにとって
 「 エゲレスのパパラッチじゃあるまいし、堪忍して欲しい 」
 のではないでしょうか。
 もっと耳に痛い事を言わせて頂くなら、そもそも写真雑誌やwebページに野鳥の画像を載せるから、 野鳥に興味を持つ奴が現われて、少ない可処分時間で確実に野鳥と遭遇する為に、スマホなどで囀りを流したり餌付けをしたりするのではありませんか。
 この人造物に塗れた地球にあって、それでも本当に野鳥を
   
「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」
 という環境に置きたいのであれば、まず、彼らの生活環境に近付くべきではありません。
 それこそ天体望遠鏡のアイピースに一眼レフのマウントをセットして、彼らの生活圏外から撮るべきです。 そうしないで、彼らの生活圏内に侵入し、手で持てる軽い長玉で撮影可能な距離まで近付いて撮っているなら、それは
   
スマホなどでさえずりを流したり餌付けしたり
 している人達を批難する資格は無いように思われます。
 もちろん、始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が安易にバード・ウォッチングを始めてしまうわないように、写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せる ことも慎むべきです。
 それこそが野鳥の生態を守る為に、貴殿達に課せられたマナーだとオイラは思いますね。

<中略>
 オイラが保護したヒヨドリと思しき鳥も、状況を鑑みたらクルマと接触して負傷した可能性が濃厚ですが、他の鳥類や猫のような捕食者と闘って傷付いた可能性だって払拭できません。
 「人造物たるクルマがなかったら」 だの、「人造物たる窓ガラスが存在しないとしたら」 だのそんなことは関係がありません。
 ものすごく単純に
 「 きゃー、可愛いくて小さい鳥が羽を痛めて、地面を這ってオイラから逃げようとしている。
  可愛い過ぎて身悶えしそう (鼻血ブー)。
  たとえ飼われるストレスで死ぬとしても。このままだったら確実に死ぬから保護しちゃえ 」
 という女学生的な屑思考の結果、保護したに過ぎません。
 単純に保護したいから保護した。 可愛いかったから保護した。 タダそれだけです。
 私は人間嫌いを卒業したと自分では思っていますが、傷付いて動けなくなっていたのが、自分みたい な見苦しいオッサンだったら保護なんかしません。
 近くの公衆電話から110番通報してサヨウナラです。

<中略>
 先に書いた内容と重複しちゃうんだけど。
 そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、同じページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、「マナーを守らないお前等は悪だ」 って、そりゃ「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。

<中略>
 先に書いた内容と重複しちゃうんだけど。
 鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありませんか。
 結局のトコロ、貴殿等の言う
   
野鳥に対して極力影響を与えない
 ってのは、野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、野鳥に対して影響を与えない様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が出来ない屑の戯言に過ぎません。

<中略>
 しかし、スズメなどが人の視線を感じて逃げるほどに、狩られる可能性に対して神経を尖らせていることから鑑みて、( 猛禽類のような強い鳥類は別にして ) 普通の弱い鳥類がバードウオッチングという名の人間の視線に晒されることが恐怖であり、ストレスである事は議論を待たないでしょう。もし、弱い鳥類に人権ならぬ鳥権が認められていて、人と違わない知能を有して彼らが主張するなら、きっとバードウォッチングは鳥権を侵害する違法行為であると認められるに違いありません。
 貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、「 果たしてマナーさえ守られれば其れで良いのか?」 を考えるべきであり、その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきではないでしょうか。

<中略>
 そもそも野鳥にとって人間という捕食者が生活圏内に居る時点で、強烈なストレスを感じるのではありませんか?
   
「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っている
 ↑ これって、野鳥から見れば自分を狩りに来た人間以外の何者でもないでしょう。
 多くの野鳥が食べる為だけに限らず、蒲団や防寒着の材料として羽根を毟り取る為に、或いは、人 間が増やしたい個体と食べる餌が重複するという理由で狩られ、殺されて来た野鳥にとって
   
「 自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っている
 ような人間なんか全然ウエルカムじゃありません。
 上述の通り、
   
餌付け
 は餌を求めて寄ってくる野鳥を狩るための手段であり、
   
スマホなどでさえずりを流す行為
 は、太古の昔から存在する
   斃せる外敵の声に似せた音を出して、追っ払いに来させる
 とか、
   同種異性の声に似せた音を出して、求愛させに来させる
 という狩りの手段でしかありません。
 そして、愛護が目的だろうが、保護が目的だろうが、残存個体の監視が目的だろうが、野鳥の視界に入って来る人間は、野鳥にとって自分を狩ろうとする捕食者です。
 如何に慈悲の心に満ちていようが、野鳥の目に映る貴殿の姿は捕食者です。
 たとえ、手に弓矢を持っていなくても、たとえ、手に猟銃を持っていなくても、たとえ、手に罠をもってい なくても、たとえ、手に友好の証であるプラカードを持っていてもw、鳥にとって貴殿は狩人と区別が付き ません。つまり、バードウォッチングされる側にとって、バードウォッチングする貴殿達は敵です。捕食者です。そんな奴等が、自分の生活圏内にズカズカと土足で ( いや、靴を脱げば良いって話じゃないんですが ) 入ってくる時点で迷惑千万でしょう。
 そんな連中に

   多少の餌付けはまだしも (餌付けがいいとは言いません)
   スマホなどでさえずりを流す行為は 《中略》 決して好ましい事ではない
 なんて言う資格は無いと思います。
<中略>
 既に突っ込み済みの部分と重複するんですけど、犬や猫が始祖から人のペットでは無かったのと同 様に、ニワトリだって始祖から家畜だっワケではあるまい。
 ( どのような紆余曲折かは杳として知れないが ) ニワトリの始祖が紆余曲折を経て家畜になったと 仮定するなら、同じ様に紆余曲折を経て、今はペットとして確立していない野鳥がペットとして飼われる 可能性は否定できません。

<中略>
 遺伝子は自分の姿が変わらないと困ります。
 これは単に環境変化に対する対応の問題で、未来の環境変化が如何なるものであろうとも対応が可能になる様に、遺伝子は子を親のコピーにはしません。 原始動物が単性生殖であるのに対して、高等生物が両性生殖である最大の理由は『種の多様性』を求めるからです。
 ですから、私のようにアトピー性皮膚炎なんて欠陥品が発生します。
 同じく私が患っている糖尿病にしてもそうです。 現在の日本では欠陥品です。
 アトピー性皮膚炎の患者は、本来ならばもっとアレルゲンの多い環境で生きて行ける存在が、日本のような過度に清潔な環境に置かれた為に、旧来種よりも高出力な免疫反応を持て余してアレルギー性 疾患を発動させています。
 糖尿病は、逆に農耕民族で日々飢えているのがデフォルトであった世代の遺伝子が現代に発現した例と言えるでしょう。 糖尿病患者は、冷夏の度に飢饉を起こしていた昔の日本だったら、他の人が飢 え死にするのを尻目に生き延びることが出来た優良種だった筈です。
 温暖化や寒冷化を含み、環境が変化することは必至であり、生き残りに特化した遺伝子が変異する こともまた必至です。
 さすがにキメラやバイオハザードに至り得る様な遺伝子操作は (人に害を成し得るという観点から) 慎まれるべきですが、人が介する事に因って遺伝子変化の多様性が増えるのであれば、それは 遺伝子にとってウエルカムなハズです。
 遺伝子は、環境の変化を先取りして変化を続け、適さない奴は片端から滅びて行くのですから。

<中略>
 アウストラロピテクスの時点で既に道具を使っていたんですがw
<中略>
人が手にした最初の道具は、争う敵を叩き殺したり、狩りで獲物を弱らせたり殺したりするために使われました。
 道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。

<中略>
   「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 なんて発想をするくらいなら、さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか?
 自分は文明の恩恵に肩まで浸かっておきながら、
  文明が関与しない野に置かれた野鳥こそが正しい野鳥の姿だ
 なんて風に言われましてもねぇ。
 そりゃあ、説得力なっしんぐッスよ。

<中略>

>太陽光線という自然の恩恵、温暖な気候という自然の恩恵、 日光を燦々と浴びて育った農作物 ( もちろん機械力という文明の利器は事実上不可欠ではありますが )、 同じく日光を燦々と浴びて育った飼料を食べて育った家畜の肉、海の幸山の幸、 そういった自然の恩恵に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら「(人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と) 共生している社会を目指すべきでしょう 」 などと言うべきではないと言われても仕方が有りません。

 ( ゚д゚)は?
 オイラは別に
   「 自然が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 なんて社会を目指そうとか、そういう思想を元に行動しようなんて主張した事は一度たりとも無いんですがね。
 人がやらかした自然破壊は、人を自然災害から守るためであり、人が農業を効率良く興すためであり、人が快適に暮らすインフラ整備のためです。決して、自然を破壊する事を目的として自然を破壊 したワケではありません。
 自然の恩恵は自然の恩恵として有難く頂戴しつつ、かつ、人間に恩恵を齎さない自然に関しては対費用効果を吟味して、人の徳になると判れば、勝手気ままに破壊して、人類の繁栄をゆるぎないもの にすれば良いのです。
 もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません ( ← 若干の皮肉を含むw )。
 さんざん、好き放題しておいて、今更

   「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 なんて綺麗事w 空気が凍り付くほど寒いですよ。
<中略>

 >我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けないのです。
 この巨大な鳥籠の中で「文明が存在しつつ」「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 という状態を模索し、自然の良さを可能な限り残しながら文明を維持して行くスタイルが 最も現実的で理に適っていると考えます。

 だから、いいとこ取りじゃなくて、人間が恩恵を最大限に受ける様にしているだけなんだってば。
 もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態。
 「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」 なんて夢想物語は、頭の中に御花畑がある左巻きの発想でしかありません。 『文明が存在しなかった状況』 をお望みなら、そういう土地へどうぞ。
 オイラは、T細胞の遺伝子を改変して癌細胞に対してのみ強烈な攻撃力を持たせるという治療法で 癌すらも死に至る病ではなくなる未来が待っている文明社会や、ips細胞の利用によって、この醜いアトピー性皮膚炎も、忌まわしい糖尿病も完治可能になるであろう未来が待っている文明社会に肩まで浸 かって暮らす事にしますよ。
    
「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」
 ・・・ ははは、しらんがなw
 可愛いから助ける。 可愛いから飼いたい。 可哀想だから助ける。 オイラを含む普通の人はこんなに単純ですよ。 貴殿も見習っては如何かな。


(あまりにも長文の投稿につきかなりの部分を割愛させていただきました)
管理人コメント:
一文一文反駁するのは煩雑なので僕の考えを以下の様に全体的にまとめさせてもらいました。そのため必ずしも順番通りには並んでいませんが、概ね回答にはなっていると思います。

>「要らん世話」 だなんて高度な認識は常識的に考えて鳥類には無理。

「鳥類には無理」と何故断言出来るのでしょうか?因みに僕には「無理じゃない」とは断言出来ません。人の脳の血流を解析しその人が見ている画像をモニターに再現する研究をしている所が有って既にある程度成果が上がっている様ですが、仮にそういう研究が進んでも鳥が何を考えているのかは永遠の謎でしょう。なお参考までに、動物の知能を測る尺度として「脳化指数」というものが提唱されています([脳化指数] = [定数] × [脳の重量] ÷ [体重]2/3)。

>人の手を介して誕生から生殖まで生きた『種』(ゴカイ)を人間を利用して生き残っている と言ってしまうのであれば、雄雌両性を多頭飼いして生殖するペット(ペット化された野生種を含む )もまた、人間を利用して生き残っていると表現されて然るべきです。
>食肉畜産動物が待っている“死”は、グレートハンティングで 喰い殺される野生の死に方よりも遥かに無慈悲で残酷です。


ゴカイや家畜の例えはゴカイや家畜の遺伝子を擬人化してその生き残り戦略を比喩的に表現したものであってゴカイや家畜は人間が養殖して人間の犠牲になっても良いとか悪いとかという趣旨で書いたのではありません。それは「誤解」です。遺伝子としての「種」の存続の話をしているのに各「個体」の悲惨な最期を理由に反駁されては話が混乱します。だから「個々の個体は大半が犠牲になりますが『種』としては人間を利用して生き残っていると言えます」と言っているではありませんか。ゴカイは自然界でも生き残っているとは言え少なくとも人間の影響で安定的に個体数を確保しています。その点は水産資源として養殖放流されているアユなどにおいて顕著です。日本のアユは背ビレの形で天然モノか養殖モノかが見分けられ既に天然モノは絶滅したと見られています(養殖モノが圧倒的多数になり駆逐されてしまったという側面も有るでしょうが)。もちろん僕は豚肉も魚も、それどころか鶏肉も食べます。鶏だけを特別扱いしている訳ではありません。「鶏は鳥類じゃないか。野鳥ファンのくせに食べるのか」という怒号が飛んできそうですが。人間は悲しいかな雑食性の動物であり偏らずバランス良く何でも食べるのが最も良いという体の構造になっていますからやむを得ず動物性タンパク質も摂取して命を頂戴しているのです(カッコよく書きましたが本音を言えば好き嫌いが無く単にそれが美味しいからです。美味しいという事は体が欲しているとも考えられます。薬が苦いのは毒物だから味覚でチェックし体が拒否しているんだと思います)。本題に戻りますと、ペットの遺伝子も人間を利用して生き残っているのだとしても、健康に生きる為にやむを得ず犠牲にしているゴカイや家畜と、生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に飼い殺しをしている鳥とを同列に論じるのは適当ではなく、立て分けて考えるのはダブルスタンダードでも何でもありません(念の為に言っておくと僕はペットを目の仇にしている訳ではありません。このコーナーらしく過激な表現で小理屈をこねまわしているだけです)。

>飼いきれなくなって捨てられたペットは野生化して行き延びている

ペットの野生化による生態系の破壊を心配する一方で「種」としての存続を心配するのは一見すると矛盾している様ですが、野生化した生物が外来種として駆除されたりペットとしての販売や飼育が禁止されたりするという事は遺伝子的には人間を利用する事に失敗したという見方が出来ます。
話を戻すと飼い鳥の場合、籠脱けした鳥は大多数が自然界では通用せずすぐに死んでしまっているものと思われます。その中にごく希に野生化する者が存在し、日本の場合は飼い鳥と言えば通常外国産の鳥ですから、たまたま野外で繁殖に成功すると外来種となり、その中でも在来種を圧迫するまでになってしまった種がご存じの通り特定外来生物となって駆除の対象となります。ペットが特定外来生物になった顕著な例がアライグマです。アライグマはテレビ番組の影響からか一時期ペットとして大量に販売され凶暴化した成獣が捨てられるという社会現象を引き起こしました。アライグマはスズメなどより遥かに知能が高い(哺乳類の中でも高い方?)ですが総体的に人間には遂になつきませんでした(多数の中には少数の例外も有るかも知れませんが)。子供の頃から餌を与えられていたにもかかわらず大人になると飼い主を攻撃する様になったと聞きます。繁殖可能な成獣になると本能的に親離れ子離れするという習性が強いのでしょう。知能が高いからと言って人間(育ての親)になつくとは限らないという事になります。結果として野生化した繁殖個体群の駆除という最悪の結果を招いています。鳥の世界ではソウシチョウが一時期ペットとして輸入されたものの安価過ぎた上に売れ筋じゃなくなって採算がとれなくなり野外に捨てる業者がいた事などの為に野生化し特定外来生物になったという指摘が有ります(他にもガビチョウ、カオジロガビチョウ、カオグロガビチョウなどが特定外来生物=フォトギャラリー第150回参照)。ごく一部の悪徳業者だと反駁されるかも知れませんが、少数の不心得者を以って全体を批判しているのではなく、人間社会の現実としてこういった事例が有る以上、今後もそういう例が出て来るだろうと予測するのは当然ではありませんか。人間が飼い慣れない動物を飼うのは飼われる動物にとっても悲劇です。彼らこそペットブームとやらの被害者です。単に可愛いからとか珍しいからなどという動機で習性がよく分からないにもかかわらず消費者を煽ってわざわざ飼育の難しい動物をペット化するのは身勝手というものです。犬や猫の様に家族の一員となって生涯を全うするレベルになって初めて人間もペットも幸せと言えるのではないでしょうか。

>グレートハンティングの組み合わせ変更は常に起こり得る。

地球上の生物種のほとんどは様々な障壁によって一定範囲内に隔離されていてその障壁を越える事が出来ません。それによってエリア(区)ごとに生態系バランスと「種」が保たれています(もちろんそれだけで保たれている訳ではありませんが)。そしてそれを破壊して来たのは人間です。本来そこに居るはずの無い外来種により在来種が絶滅させられたらそれは人間が殺したのと同じではないですか。このうえ更に人間のつまらない欲望を満たす為に生態系を破壊するのを良しとする事は出来ないでしょう。
我々人間は余りにも抜きん出て獰猛でズル賢く自分達でコントロール出来ないほどの絶対的な権力を入手してしまいました(アフリカのサバンナではライオンなどの猛獣でさえ成人男性を怖れると聞きます。案外そういう所でも生身の人間は生き残るものなのかも知れません。だとすると文明によって人間が覇権を手に入れたとは言い切れないという事になります。自身でそれを確かめにアフリカのサバンナへ行こうとは思いませんが)。人間は自然の恩恵を受けている一方であまりにも自然を改変してしまいましたから、これ以上の破壊工作は最小限に抑えなくてはならないという危機意識が根底に有るのだと思います(それもまた人間の勝手な都合なのかも知れませんが)。
野生動物が車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は治療の為に一時保護するという行為は誤解を恐れず言うと、ある意味「文明は自然界には存在しない」事にしようとする行為なのだと思います(「文明」は「自然」と対極に位置していますから)。存在しないのだから「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態、つまり可能な限り車と衝突しなかった状態に戻そうとしているという事です。「人間に起因するなら人間が関わって良い」という発想になるのもそういう理由からだと思います。

ところでフォトギャラリー第203回で記述した事もありますが野鳥たちは手付かずの自然の中にだけ存在する訳ではありません。日本の里山は連綿と人間の手で植林され耕作され手入れされて現在に至っています。好むと好まざるとにかかわらずそれが現在の秩序です。その人工的な環境に順応して様々な野生動物が生息しているのです。もはや全く人間の手が入っていない大自然など日本のどこにも見当たらないと言っても過言ではありません。その日本で生き延びた野鳥が地球的規模で拡散しているという事は、それだけで地球上に手付かずの自然などほとんど残っていないという事になります。極論すればこの地球そのものが巨大な鳥籠なのかも知れません。つまり完全な「野鳥」といったものは既に存在しないと言えなくもありません。ツバメに限らず全ての野鳥がこの人造環境に適応していると見る事が出来ます。原始時代、大阪平野などが一面の湿地帯だったころ絶滅に瀕していた種が現在は繁栄しているという例も有るかも知れません。人間が耕作しなければそのおこぼれもまた存在しなかった筈ですから。人間の文明が有るからこその現在の生態系であるならば(もちろんそのせいで絶滅した種も存在するし文明が有っても無くても生き残っていたであろう種も存在するでしょうが)、少なくとも「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」だからと言って「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」事に対して何も言えないという理屈にはなりません。一方で「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態」の人が「本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う」のが許されると言うのであればなおの事です。もちろん地球そのものが鳥籠なのだとしたら野鳥とされる鳥たちもペットみたいなものだろうという事にもなるのですが。ただ、地球は世界最大の鳥籠なので鳥たちも自分たちが鳥籠の中に居るとは夢にも気付かないでしょう(我々人間も鳥籠の中で一緒に暮らしている事に気付いていません)。

>人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪

これはどこからの引用でしょうか?僕のコメントがそういう趣旨に受け止められたのでしょうか?他人の発言の責任は取れません。

>人の手を介して増やす事も自然の摂理に反する行為ではないのか?

僕は絶滅危惧種の人工繁殖に諸手を上げて賛成した覚えは有りません。それは厳密な意味でもはや「野鳥」とは呼べない事になるかも知れないと思うからです。もっとも、前述の通り厳密な意味で「野鳥」と呼べる鳥は何?という疑問は残りますが。トキは一度絶滅したところから人工的に海外個体群を移入し人工繁殖し放鳥したという極端な例ですからレッドリストでも日本で唯一「野生絶滅」というカテゴリーに分類されています。今後どんなに野生復帰しても定義を変えない限り永久にここから出してもらえないでしょう。同様の理由で出水市におけるツルへの餌付けも無人島におけるアホウドリの移住計画も、それをしたら純然たる「野鳥」とは言えなくなってしまうのではないかという疑問が生じるのですが「種」が絶滅してしまったら元も子も有りませんから背に腹は代えられないという事になるのでしょう。出水市におけるツルへの餌付けに関しては江戸時代からの伝統なので仮に今やめても同じ事だという側面も有ります(フォトギャラリー第98回参照)。
生物種は絶滅により減る事は有っても突然変異がもっと頻繁に起こったりしない限り増える事は期待出来ません。絶滅危惧種の人工繁殖や餌付けに賛同する人達には時々刻々と生物の多様性が失われつつある事に対する焦りも有るのだと思います。
自然淘汰により絶滅しゆく者を人工的に増やそうとするのは自然の摂理に反すると言えるでしょう。しかし人間が絶滅に追いやっている者を増やそうとするのは、絶滅に追いやっている時点から既に自然の摂理に反していると言うべきです。所詮前述の例の通り「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態にしようとする行為ですから、自然の摂理に反している状態から強引に自然の摂理に反していない状態に持って行こうとしているという事なのではないでしょうか。もちろんそれで完全に自然の摂理に反していない状態になる訳ではありません。所詮人間のやる事です。しかし可能な限り理想に近づけようとする努力を全否定してしまったら歯止め無く理想から遠ざかって行く事になります。
しかしながら「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態を理想の状態と言っているのではありません。それを言ってしまったら文明など破壊せよという事になってしまいます。何としても人間の文明が存在する事が前提の話でなければなりません。「自然」というものが「文明」と対極の位置に有る物だから、文明が存在しつつ「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態を求めている時点でどうしてもこういう矛盾を抱えてしまうのはやむを得ません(この「文明が存在しつつ」の部分は後述するので頭の片隅に置いておいて下さい)。
外来種が駆除されたり、人間のつまらない動機による野鳥への餌付けが批判されたりするのも「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態を求めているからに他なりません。フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ(フォトギャラリー第212回参照)個人的に快く思っていないため特にそういった事を意識したコメントになりました。僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますがそんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。
投稿者さんはヒヨドリか何かを介抱した体験をお持ちとの事ですがその事を責めるつもりは毛頭有りません。僕も窓にストライクしたジョウビタキを介抱した事が有ります(フォトギャラリー第13回参照)。野鳥に対する愛情が有りまごころに裏打ちされた行動であれば無下に責める事は出来ませんし状況から察するに上記のロジックで言うと「窓ガラスが存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態へ持って行こうとする作業という事になろうかと思います。しかし撮影目的の餌付けなどは全く異質のものです。餌付けの結果野鳥にどういう悪影響が有るか深く考えもせずただ楽をしていい写真が撮りたいという動機でワームなどを仕込んでいます(ワームも犠牲になっている訳ですが)。大多数の良心的な野鳥ファンは暗黙の了解として野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛けているものです。上記の「文明が存在しないとしたら・・・」という発想に当てはめて考えると、文明が存在しない訳ですから「自分が素っ裸もしくは動物の毛皮をまとって棍棒など持って立っていると仮定してその状態に近い状態でカメラを構える」という事になろうかと思います。素っ裸もしくは毛皮をまとって棍棒などを持って立っている状態と服を着てカメラを構えて立っている状態とでは外見上ほとんど違いが無く野鳥に与える影響も限りなく大差無いものになると考えられます。もちろん現実には素っ裸で外を出歩く訳には行きません(お巡りさんのご厄介になってしまいます)から、これは飽くまで仮定の話ですが。文明が存在しない状態から遠ければ遠いほど望ましくない状態と考えると多少の餌付けはまだしも(餌付けがいいとは言いません)スマホなどでさえずりを流す行為は文明が存在しない状態からは程遠く決して好ましい事ではないと考えます(撮れた写真も決していいものではなく人工的なものになるでしょう)。原始時代に鳥が飼われていたという証拠は今のところ無い筈ですから文明が存在しないとしたら鳥籠も無いという事になります。何を言わんとしているかはもうお分かりですね。どうしても鳥を飼うとしたら鶏がおそらく人間に飼われた歴史が鳥類の中で最も長いので文明が存在しない状態に最も近いのではないでしょうか。飼育方法も確立されていますし早朝に鳴いて近所迷惑になりさえしなければ飼いやすい鳥だと思います。

>ここまで自然を改変しておいて、人為的に「種」としての形態が変化させられるのが許せないって。 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?

僕が「野生を捨てて人間に飼われるという事は品種改良により人為的に 『種』としての形態が変化させられるという別の問題もはらんでいます」と書いたのは前述した通り「遺伝子」の立場で考えるとそういう問題を抱えているという脈絡だったはずです。あの文章の主語は「遺伝子」です。「遺伝子」を擬人化して「遺伝子」が自分の姿を変えられては困るだろうという趣旨でそう表現したものです。「人為的に『種』としての形態が変化させられるのが許せない」などと自分の立場で主観を述べた覚えはありません。

>農家と最も共生している鳥は、スズメがファイナルアンサーなのでは?

農家にとっては大問題かも知れませんが僕にとっては平たく言えば「別にどっちでもいい」です。特にどちらを応援したいという気持ちも有りません。因みに僕がよく行く農耕地ではスズメなどよりホオジロの方が圧倒的に多く見られます。地域によるのではないでしょうか。

>火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。
 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。
 なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪だからだ。


「文明」をどう定義するかという事はさておき、人間は最初に文明を手に入れてから生き残った訳ではなく弱肉強食の自然界で生き延びたあとに文明を手に入れた筈です。すなわちグレートハンティングという神の摂理から人類が逃れてしまったのは必ずしも文明を築き上げた後とは限らないという事になります。人間ほど無益な殺生を繰り返す獰猛な生物は地球上には見当たりません。案外アウストラロピテクスの頃から食物連鎖の頂点に君臨して動物たちから恐れられていたのかも知れません(子供が他の猛獣の犠牲になる危険性が高いのはライオンなどでも同様です)。頂点に近い猛獣ほど自然界における存在確率が低く人間が彼らと遭遇する機会は想像している以上に少なかったかも知れません。特に日本列島においては人間と対等以上の猛獣は極めて稀であったと思われます。ツキノワグマ程度なら1対1でもたいてい人間から逃げるとされます。原始人はオオカミ(犬)と共生して主に夜間における肉食獣の危険を回避し、頭数を増やして集団で行動する事により他者を圧倒し、弱肉強食の世界を勝ち抜いていたと考えます。人間が文明の利器で決定的に地上を支配する様になったのはもっと後の話だったのではないでしょうか。命中精度の高いライフルの登場などつい昨日今日の事です。すなわち、必ずしも「グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪」とは言えず「この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった」とも言えないという事になります。
また仮にアウストラロピテクスが地球外知的生命から文明を授けられるなどしてグレートハンティングという神の摂理から逃れてしまったのだとしても、「人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった」とは言えないでしょう。なぜなら「望むように自然を改変する」人も「存在自体が悪」なのですから、同じ「存在自体が悪」の人が「存在自体が悪」の人に異議を唱えることが出来ないとは話が一方的過ぎます。平たく言えば「お前もやっとるやないか」に対して「お前に言われたくないわ」と言い合いしているという構図です。こんな子供の喧嘩みたいに次元の低い話をしていても良いのでしょうか。手に負えないほどの文明を手にしてしまったからこそ、その「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態に近づけようとするのはむしろ「存在自体が悪」の我々に課せられた課題とも考えられます。

>全体としてバランスを保ち(人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と)共生している社会を目指すべきでしょう。

投稿者さんが「『文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう』なんて自分には関係無い。自分は文明を謳歌する立場なのだから自由に自然を改変させてもらってもとやかく言われる筋合いは無い」というスタンスなのだとしても、我々人間は文明の恩恵を受けている以前に自然の恩恵を受けている筈です。文明が発祥したのも自然の恩恵が有ったからこそです。「文明のぬるま湯に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら」とか「そういうことは、最低限、人工の物に一切関わらない生活をしてから言え」とか仰るのであれば、太陽光線という自然の恩恵、温暖な気候という自然の恩恵、日光を燦々と浴びて育った農作物(もちろん機械力という文明の利器は事実上不可欠ではありますが)、同じく日光を燦々と浴びて育った飼料を食べて育った家畜の肉、海の幸山の幸、そういった自然の恩恵に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら「(人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と)共生している社会を目指すべきでしょう」などと言うべきではないと言われても仕方が有りません。ちょっとタチの悪い人に捕まると「自然の恩恵に一切関わらない生活をしてから言え」と言われるでしょう。太陽光線を完全に遮断し完全な断熱材で覆われた家の中で原発を稼働し(三重水素を排出して大気で希釈したら太陽光線による対流を利用した事になるので反則)オール電化でゲーム三昧、人工照明で野菜と飼料と家畜を育てて自給自足の生活をして排泄物も肥料としてリサイクルし酸素は野菜から供給し水道は井戸水など使用せず尿を浄化するなどして再利用し(井戸水は太陽光線により蒸発した水蒸気が雨となって山に降り地下に浸透したものだから反則)・・・どう考えてもコスト的に無理でしょう。我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けないのです。この巨大な鳥籠の中で「文明が存在しつつ」「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」という状態を模索し、自然の良さを可能な限り残しながら文明を維持して行くスタイルが最も現実的で理に適っていると考えます。

この他にも折角いろいろコメントして頂きましたが「テーマから遠い」「同意見」「枝葉末節」などの理由で回答は割愛させて頂きます。
余談ですが大阪の某ペット可マンションの管理規約には「飼えない動物」の例として大まじめに「ぞう」と書かれています。そりゃ飼えないでしょうなぁ・・・
投稿者の表現や引用を管理人にて一部省略しています。また前後の脈絡から誤植と思われる部分は管理人にて修正しています(※)。投稿者の原文を読みたい方はだちんこギャラリーを参照してください。
 同じですよ。
 人間に起因するなら人間が関わって良いとか悪いとか。
 それを人間が判断するのは、“驕り”ではないでしょうか。

>更に言えば怪我ではなく人間に慣れている野鳥を保護するという事なら話が全く違って来ます。 その場合どういう経緯で 人間に慣れるに至ったかが問題です。 例えばツバメは自らの意志(?)で場合によっては農家の土間などに営巣しますが、 その農家に野鳥保護の意識が無かったとしても結果としてツバメを保護していると言えます。 ツバメは害虫を駆除してくれる事から伝統的に農家が大切にしており 人間と野鳥が積極的に共生している稀なケースと見なす事が出来ます。

 農家が大切にしたというより、ツバメにはヘビやスズメなどの天敵が多くいて、これら天敵達がこぞって人間が嫌いなので、ツバメが“人間の威”を借りているに過ぎません。
 ツバメにとって人間は利用価値アリですが、人間にとってツバメはどうでしょう。
 農家にとって害虫を食ってくれるツバメは確かに益鳥ですが、数が少な過ぎて農薬の代わりに成るとは思えません。害虫も食ってくれるが、折角作った作物も食ってしまうスズメの方が農家にとっての益鳥の度合いは大きいと言えるでしょう。
<中略>
 人の通る軒先に巣を造るツバメは、糞を巣の外へ撒き散らすので、ネズミ以上に不衛生な有害動物です。 それでも、スズメと違って人を怖がらず、子育て中の可愛い雛を披露 ( といっても、人間が勝手に覗き見るだけですが ) してくれるツバメは、害虫を摂ることではなく、人間に癒しを与えるという点で共生していると言えるでしょう。
 しかしそれは、似たようなサイズで似たような外見のスズメが人を恐れて近付かなくて、人間に癒しを与えてくれないから、代わりにツバメが愛好されているに過ぎません。
 もし、スズメがツバメ以上に人を恐れず、人間の近くまで寄ってくる野鳥であったなら、身悶えする位 に可愛い声で鳴き、穀類という手で摘まめる餌を食するスズメの“癒し”は、ツバメの比ではありませ ん。
 今の所、人間を異常に怖がるスズメは、“癒し”という点での貢献度はツバメよりも低い評価になりますが、共生しているという点では、ツバメ以上でしょう。
 なにせ、ツバメが絶滅しても農家は困りませんが、スズメが絶滅すれば高性能な農薬をふんだんに使えない途上国の農村は飢饉に陥ります。
 
<中略>
 農家と最も共生している鳥は、スズメがファイナルアンサーなのでは?

>これとは別に、最初からほぼ確信犯的に人為的な餌付けなどにより 半ば強引に飼い慣らされている疑いが濃厚なケースは関わった人間の都合が勝っており、 そこが鳥獣保護法の無い国だと仮定しても論外と言わざるを得ません。

 恐らく貴殿の主張は、前回で例として挙げたスズメについて語っているのだと思うので、その線で反駁させて頂く。
 スズメを飼ってはいけない理由は、
<中略>人を怖がるスズメの習性を利用して、ツバメが身を守っているから、人に慣れさせるべきではないという事も理由の一つでしょう。
 完全な室内飼いなら問題はありませんが、
<中略>人に懐いたスズメを外へ出せば、近くに居る他のスズメが
 「 なんだ。人間って怖くないんだ 」
 と学習して、人から逃げなくなったらツバメにとって悲劇が起こります。
 貴殿には既知の情報だと思いますが、読んでくれている第三者がいた場合に備えて、書いておきますと、スズメはツバメと姿格好が似ていますので、スズメがツバメの巣を奪うことが往々にして起こります。 ツバメが人間の近くに巣を作るのは、人間を好きだからではなくて、人間の威を借りてスズメ
(※)を追い払っているのです。
 ですから、野生のスズメ
(※)が人間を恐れなくなってしまうと、わざわざ人が行き来する場所に作ったツバメの巣が、人を恐れなくなったスズメに強奪されてしまいます。
 だから、スズメを人に慣らしてはいけない、と言えるわけです。
 しかし、それは、逆に捉えれば、何羽かのスズメを根気良く餌付けて、人に飼われるストレスを除去した上で、動物病院で使う薬剤を用いて、病原菌や寄生虫・ダニを駆除し、狭い籠ではなく飛び回れる広い部屋で多頭飼いにして、子を作り世代交代できる環境を整えてやるのであれば、飼ってもイイだろう、と考えます。
 もちろん、これは人の都合で勝手にやることであり、自然の摂理に反しています。
 でも、だからどうしたというの?
 紙を作ったり、建築資材を作る為に鳥たちの棲家である森林を伐採しておいて、
 都市や工場地帯を作る為に、野生動物の生存場所である野原を切り拓いておいて
 古くは発電するために、今は人間様の居住区を水害から守る為に、淡水魚の棲家である河川を コンクリートで固めておいて
 クルマの排気ガスや石炭ストーブからの排ガス、工場の煙突から排出される排気ガスなどで 鳥が飛翔する空を汚染しておいて
 工場からの廃棄物や事故を起こした原発から排出される放射性物質で、海水魚の棲家である 海を汚染しておいて
今更、たかだか [ 本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼う ] 如きが
   論外
 だと?
 本来なら野に在るべき野鳥を慣らして飼うなんて次元じゃない大罪を我々は犯した後じゃないか。
 そりゃあ、もちろん、
 「 大罪を犯したからと言って罪を重ねて良いワケではない 」
 という理屈は分かりますよ。
 だけれども。
 それは、大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で言うべきではないのではありませんか?
 最低でも大罪を犯して得た文明を捨て、人工物に関わらない生活を送れるようになってから言うべきだと思う。
この辺は、原発反対のサヨク連中にも通じるんだよね。
<中略>
 原発で作った電気でアンプを駆動させておきながら、「原発反対!」 なんてさ。
 冗談としか思えないでしょ。
 多くの種を絶滅に追いやった文明の恩恵を受けながら、
   人が野生種をペットにするのは許せない
 なんて言われましてもねぇ。
 悪いけど、それは説得力なっしんぐッス。

>「種」 として、すなわち前回001で投稿者が指摘された様な 「遺伝子の器」 という観点で考えると 個々の個体は全体の中で一定の役割を果たしていると考えるべきであって、 例えば前回も登場したゴカイは釣り餌として利用される事によって 「種」 として 繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられます。

 鳥と扱いが違い過ぎるやないけw
 飛ぶ能力を持つ鳥から飛翔できる環境を奪う事が大罪だと言い張るそのクチで、泥質/砂質の海底 に穴を掘り潜る能力を持つゴカイから、泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪って おいて、何が繁殖のチャンスだよ。
 その論で言うなら、たとえ飛翔の自由を奪おうとも鳥を雄雌両性の多頭飼いするならば、「種」 として 繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられるやん。
 ダブルスタンダードはあかんで。 ダブルスタンダードは。

>つまり個々の個体は大半が犠牲になりますが 「種」 としては人間を利用して生き残っていると言えます。

 そんなん自然界の弱肉強食よりも凄惨やんけw
 神が造りし崇高なるグレートハンティングを我々人間が人智をフル稼働させて逃れ続けているのは 「捕食者に生きながら喰われる」 という死に対する恐怖があるからだ。
 だが、弱肉強食の野生に於いても、食われる側の立場にいる者が食われる事なく老衰で死ぬ可能性 はゼロではない。 餓死でも病死でもなく、天寿を全うして死ぬ個体も存在する。
 だが、釣り餌にソレはない。
 釣り人に購入されて、釣り餌として体にブッ太い針を突き刺され、瀕死の状態で魚に生きたまま喰われるか、或いは、売れ残って飢え死にする二択の死に方しかない。
 だいいち、今現在のゴカイは、自然界に多数存在していて、かつ、同時期に人に飼育されて個体数を 増やす ( 最終的に買われるか、あるいは売れ残って餓死するから総数は増えない ) ゴカイも存在している。
 自然界のゴカイが絶滅した後に、人に飼われるゴカイが生き残ったなら、それは
   人間を利用して生き残っている
 という表現で良いと思いますが、自然界のゴカイが数を減らしつつあって、近い将来に絶滅の可能性 があるというのでもないのに、人に飼われるゴカイが存在する事を 『人間を利用して生き残っている』 という表現はオカシイでしょう。
 繰り返しになりますが、人の手を介して誕生から生殖まで生きた『種』を
   人間を利用して生き残っている
 と言ってしまうのであれば、雄雌両性を多頭飼いして生殖するペット ( ペット化された野生種を含む ) もまた、
   人間を利用して生き残っている
 と表現されて然るべきです。
 ダブルスタンダードはあきまへん。

>その点では釣られる方の魚も人間に食べられる事によって水産資源として管理されるという 地位を手に入れているとも考えられます。

 いやいやいや。
 クジラ偏愛白人団体が海洋の食物連鎖からクジラだけを外している事に因って、水質資源の管理は、実質上破綻状態にあると言わざるを得ません。
 更に言えば、クールジャパン活動が実を結び、寿司がワールドフーズに成ってしまった所為で、世界中で消費される魚介類が厖大化して、海中の食物連鎖はバランスが崩壊しつつあります。
 総合的水資源管理を謳うのであれば、魚の餌を大量に消費して生態系を破壊するクジラを間引きした上で、魚介類を食わないように ―― 食う場合は、総合的水資源管理に基づいて、あくまで計画的に 獲る ―― しかありません。
 しかし、そんなことが可能でしょうか。
 反捕鯨団体のバックには、「可愛いクジラちゃんを食べるなんて許さない」 という
<中略>理由で 大金を払ってくれるスポンサーが存在します。 つまり、単純に経済行為としてやっているワケですか ら、「捕鯨の妨害を止めろ」 なんて言ったって止めるワケがありません。
 反捕鯨国と言えばオーストラリアですが、思想的にクジラを神格化している面もありますが、ホエール ウォッチングという観光収入が欲しくてやっており、やはり経済行為です。
 日本人を含めて、美味しい魚の味を覚えた人々に食うなというのも無理な話です。
 幾ら規制した所で、規制を掻い潜って漁をする悪質な密漁者は必ず現れます。
 日本海でさえ、日本の業者が漁獲量を制限していても、不逞韓国人が密漁して、日本の商社へ売り捌いているのが現状です。
 どうしても格好ばかりではない、ちゃんとした総合的水資源管理をやるというのであれば、捕鯨国だけで軍事同盟を築き軍事力を以て圧力を掛けるしかありません。
 
<中略>

それを言い出すと家畜の類も右に同じです。
 人間に食べられる前提の家畜においてさえ 「種」 として見ると保護され繁栄を手に入れているのです。


 ゴカイで書いた話と重複するんだけど、食肉畜産動物が待っている“死”は、グレートハンティングで 喰い殺される野生の死に方よりも遥かに無慈悲で残酷です。
<中略>
 特に豚は、大地を駆け回っていた猪が家畜化され、狭い檻の中で碌な運動もさせて貰えずに成獣になるまでの期間を過ごし、壮絶な最期を遂げて食卓に上がります。
 それの何処が“繁栄”なのか?
 それが“繁栄”だというなら、飛ぶ能力を持つ鳥を狭いゲージに押し込んで、世代交代を繰り返させて、飛べない鳥類として飼い、最後に解体して喰うのもまた“繁栄”と呼んで良いことになるぞ。
 貴方が鳥を好きな事は知っている。 自然界に於ける鳥の生態に興味があって、知識を貪っていることも知っている。
 だけど、ダブルスタンダードは良くない。
 ダブルスタンダードは止めようよ。

>「いわんやペットにおいてをや」 です。 ただし家畜などの場合、人間の文明が存続する限り 半永久的に人間と共存(?)して行くものと思われますがペットとなると少し事情が異なります。 ペットとして完全に定着している犬や猫はともかく爬虫類など飼育の難しい生物が ペットショップで売られている現状は、飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し 外来種として日本の在来種を駆逐しつつあるという問題の原因ともなっています。 話が横道に逸れましたが個々の一般家庭において既に手放されつつあるのですから 近い将来 「種」 ごと放棄されてしまう可能性が高いと見るべきです。

 は?
   近い将来 「種」 ごと放棄されてしまう可能性が高い
 なんで?
 飼いきれなくなって捨てられたペットは野生化して行き延びているんじゃん。
   飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し 外来種として日本の在来種を駆逐しつつある ってのは、人の手が介しているけれど、本質的には弱肉強食であり、神の摂理だよ。
人の手を介してやってきた外来種によって在来種が絶滅するのが許せないというのであれば、
もう人類を滅ぼして下さいな。
<中略>そもそも人間は他者と関わらずに生きて行くことが出来ない生き物です。
 ですから、
   人には、生きものを所有したい、命あるものを自分の自由にしたい、という欲望がある
 というよりも、伴侶を得る事の代償行為として命ある生き物を飼おうとします。
<中略>
 ですから、独身がペットを飼うと、それによって精神が満たされてしまい、婚期を逃す傾向があるそう です。
<中略>
 また、伴侶を得た場合でも、子供が生まれれば情操教育の為にペットを飼う夫婦は少なくありません。
<中略>
 これ等を『マズローの欲求5段階説』に当て嵌めて考えれば、
<中略>ペットを飼うという行為は、人間の欲求の第三階層 [ 社会的欲求 ( 集団に属したり、仲間が欲しくなったり ) ] と 第四階層 [ 尊厳欲求 ( 承認欲求:他者から認められたい、尊敬されたい ) ] を同時に満 たす行為です。
 更に言えば、敢えて飼育が難しい生き物をペットとして飼おうとする行為は、『マズローの欲求5段階 説』に於ける最終第五階層 [ 自己実現欲求 ( 自分の能力を引き出し創造的活動がしたいなど ) ] で あると捉えることが出来ると思われます。
 このような欲求は、人が人であるが故に発する自然な欲求でしょう。
 どの程度まで遡れば、人とペットの関係を断ち切れるのか分かりませんが、古来から狩りのお供として活躍していた犬でさえも、人がホモサピエンスになった瞬間に既にペットとして飼われていたわけでは ないでしょう。
 そう考えれば、既にペット化が完了している種を飼う行為も、まだペット化していない種を飼おうとする 行為も神罰が下されなければならないような罪ではないと考えるべきはありませんか?
 逆に。
 それが罪だと言うなら、どうぞ。
 「人類が、野に在って然るべき種を飼って、自然環境を破壊しています。 神罰を!」
 と神に訴えてノア計画を発動させてくださいな。
 既に此処まで自然破壊をして、何も起こらないのですから、門前払いされると思いますけど。

 人が介する事に因って生じた 「種」 の絶滅は許し難い大罪だが、

  んじゃ文明なんか使うな!
 コウノトリにしろトキにしろ、食用にしたり、羽毛を活用したり、肉片を漁の撒き餌にしたり、あるいは 経済成長の為の開発によって生活環境が奪われたりして、個体数を減らした結果、絶滅危惧種に成ったに過ぎない。
 コウノトリを飼う奴が居たから絶滅危惧種になったのでもなければ、トキを飼う奴が居たから絶滅危惧種になったのでもない。
 人類が文明を得る為に、経済活動を重ねた結果、彼らが絶滅危惧種になるまで個体数を減らしたのだ。
 森林を破壊して造った住宅に住み、自然の水の流れを破壊して造った水を飲み、自然の摂理を曲げて製造された食品を食べて、電気を使い、クルマや電車に乗っておきながら
   人が介する事に因って生じた 「種」 の絶滅は許し難い大罪
 だなんて言うな!
 そういうことは、最低限、人工の物に一切関わらない生活をしてから言え。
 人が介しない状態で

>一たび 「保護」 されるということはその瞬間から弱体化が始まっていると考えねばなりません。 一度飼い慣らした 「種」 を自然に戻すのは困難です。コウノトリやトキの野生復帰にどれほど手間が掛かっているかを見れば明らかです。

 人が意図した結果じゃなくても、人の経済活動の結果として、個体数を絶滅の危機まで減らさせたのがコウノトリやトキだ。
 なぜ、人の手を介して僅かな個体を生殖させ、遺伝子の連続を続けようとするのか。
 自然の掟に従って、自然に絶滅させるべきはないのか?
 人間が生活環境を奪ったからといって、個体数の維持が不可能な迄に数を減らした種を、人間が人間の勝手な判断で、人の手を介して増やす事も自然の摂理に反する行為ではないのか?
 野生復帰も何も、そもそも変な贖罪意識で自然の摂理を捻じ曲げるべきではないのではありません か?

>人間の都合で散々飼い慣らす為に餌を与えられ温室育ちで弱体化させられた揚句グレートハンティングのサバイバル社会に投げ出された 「種」 は存続して行けるのでしょうか? ペットブームが去ったらポイ捨てというのでは余りに身勝手です。

  なぜ捨てることが前提なのか?
 もちろん、成長して可愛く無くなったら捨てるという無責任な飼い主
<中略> がいることは事実だ。
 だが、大多数の飼い主はそうではない。
 ペットロスという、精神的ダメージを抱える覚悟前提で最後まで付き合う。
 少数の例を使って恰も全体像がそうであるかのように言うのは止めよう。

>ペットとして人間と共存させるのであれば末代まで未来永劫自然界から隔離し付き合って行く覚悟が必要であり、現状を見ればとてもじゃないけどそこまで出来る訳が無いのは明白です。

 室内飼いのペットの殆どはそうだぞ。
雄雌両性多頭飼いで子が多く生まれた際に、貰い手を捜す事になるが、それにしたってストレス発散の為に嬲り殺しにしそうな奴に譲るなんてことはありません。
 自分と同じ様に愛しんで飼ってくれる人に譲ります。
 その論でいけば、むしろ問題になるのは畜産農家が飼っている豚さん牛さん鶏さんです。
 予想外の原因で経営困難になった畜産農家が、育てている家畜を手放そうと思っても、周りの畜産 農家に受け入れるキャパシティがなければ手放すことは出来ません。
 ギリ出荷可能なサイズに育っている肉牛や豚は、事情を話して食肉センターに引き取って貰う事が出来るかも知れませんが、それ以外 ( 乳牛や卵を産む為の鶏 ) は全部潰すしかありません。
 飼い続ける事が不可能になった時の仮定の話をするなら、家庭のペットではなく、畜産農家の家畜で しょうに。
 なんとしてでも 『ペットを飼うのは悪』 としたい貴殿の思惑が透けて見える様に思えます。
 ・・・ 穿ち過ぎですかね?

>話はまた横道に逸れますが犬猫でさえ野良犬野良猫になって生態系を脅かしているではありませんか。 自然界の方でもそんな外来種は迷惑であり籠の中に隔離しておいてくれと思っているでしょう。

 だから、外来種が生存競争に加わって来るのをも含んでのグレートハンティングだろうに。
 気候の変動に伴って野生動物も生活場所を変える。
 特定の種が棲む場所は未来永劫、その種が絶滅するまで永遠にその場に留まるワケではない。
 草食獣が移動しようが肉食獣が移動しようが、移動によって今まで出会った事の無い捕食者と被捕食者が出遭えば、それは外来種との遭遇と何も変わらない。
 人が介そうが介しまいが、グレートハンティングの組み合わせ変更は常に起こり得る。
 人の介在だけを悪玉に仕立て上げることに何か意味でもあるのか?

>なお野生を捨てて人間に飼われるという事は品種改良により人為的に 「種」 としての形態が 変化させられるという別の問題もはらんでいます。

 まさか貴殿は、豚肉を食すそのクチで、言うて居るのではあるまいな。
上述した通り、豚は人が猪を家畜化して創った種だ。
 人為的に 「種」 としての形態が変化させられて何が悪いというのか。
 極言すれば、自然にとって人はその存在自体が悪である。
 火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。
 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは 出来なくなった。
 なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪だか らだ。
 自分達が安寧に暮らすというタダそれだけの為に、
 紙を作ったり、建築資材を作る為に鳥たちの棲家である森林を伐採しておいて、
 都市や工場地帯を作る為に、野生動物の生存場所である野原を切り拓いておいて
 古くは発電するために、今は人間様の居住区を水害から守る為に、淡水魚の棲家である河川を
コンクリートで固めておいて
 クルマの排気ガスや石炭ストーブからの排ガス、工場の煙突から排出される排気ガスなどで
鳥が飛翔する空を汚染しておいて
 工場からの廃棄物や事故を起こした原発から排出される放射性物質で、海水魚の棲家である
海を汚染しておいて
ここまで自然を改変しておいて、人為的に 「種」 としての形態が変化させられるのが許せないって。
悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?

>ところで自然界は全ての生物種が生態系の中でそれぞれの役割を果たす事によって全体としてバランスを保ち共生しているとも見る事が出来ます。そういう視点で見ると一つの 「種」 だけを切り離して単体で見る事は出来なくなる様な気もします。

 いや、「待った!」 じゃないんだが、
<中略>その主旨には賛同する。
 しかし、認めようが認めまいが、地球の覇権を握ったのは人類である。
 好奇心からキメラを創ったり、人工ウイルスを製造する事は ( あくまで人類の滅亡を阻止する目的で ) 禁忌とされるべきですが、人がより豊かでより安寧な生活を甘受するためであれば、 ( もちろん、 十分な安全性が確認された上で ) 遺伝子操作だろうが野生生物の人工養殖化だろうが好きにするべきです。
 そういう意味で、
   全体としてバランスを保ち ( 人間にとって都合の良い様に、人間以外の種と ) 共生している
 社会を目指すべきでしょう。
 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません。
 それが人にとって都合の良い、ひいては、生き易い生活環境の確立に繋がるのですから。
投稿者コメント:
「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」 に関しては、当の鳥に幸せを感じる知能も不幸を感じる知能もないんだから、命題が変わるのは当然だわな。
 では、反駁行きます~♪
 <中略>
途中に非常にキツイ口調で書かれている箇所がありますが、正直な話、文明のぬるま湯に肩まで浸かった生活を甘受しておきながら、それはないだろう、と思いましたので、敢えて強い口調で書 かせて頂きました。悪しからず。
 
>「種」 としての野鳥を保護するのか個々の 「個体」 を保護するのかによって 答が変わって来るのではないでしょうか? 「個体」 として保護するという事はその個体が自然界に居た事を意味しますから 当の野鳥にとっては 「要らん世話」 という事になろうかと思います。

 それじゃ永久ループなんだってば。
 当の野鳥が 「要らん世話」 だと考えるかどうかは、当の野鳥に訊くしかない。
 訊きたくても鳥と人間はコミュニケーション不可。
 仮に鳥の思考を読み取って音声や映像として出力する技術が有ってもコミュニケーションは不可だろう。それに、脳の大きさから勝手に判断すると、( カラスみたいに子犬並みの知能を有する種も存在 しますが ) 基本的にネズミ程度の知能だと推し測られるでしょう。

 常識的に考えれば、
 ① 要らん世話かどうか理解する能力を鳥は持たない
 ② 食う気のない人間が安全だという知識を持たない野鳥にとって人間は全て捕食者に見える
 というだけのこと。
 「要らん世話」 だなんて高度な認識は常識的に考えて鳥類には無理。
 また

>ツバメなどの雛が巣から落ちている場合、寄生虫などの影響で 親鳥が放棄する事が有るそうなので巣に戻すのはNGです。 車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は 治療の為に一時保護する事に異存は有りませんが、 他の野鳥に襲われて怪我をしたなどという場合、それは自然の摂理ですから人間が干渉すべきではないと考えます。 その野鳥を保護した結果、飢餓から脱するはずだった捕食者を追い詰める事にもなりかねません。
001「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」からのつづき)

投稿者コメント:
<再掲(抜粋)>
空を飛ぶ鳥を生存確率数パーセントというグレートハンティングから隔離して保護することは、 ―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか

管理人コメント:
「種」としての野鳥を保護するのか個々の「個体」を保護するのかによって答が変わって来るのではないでしょうか?
「個体」として保護するという事はその個体が自然界に居た事を意味しますから当の野鳥にとっては「要らん世話」という事になろうかと思います。またツバメなどの雛が巣から落ちている場合、寄生虫などの影響で親鳥が放棄する事が有るそうなので巣に戻すのはNGです。車にはねられたりしたなど人為的な事故の場合は治療の為に一時保護する事に異存は有りませんが、他の野鳥に襲われて怪我をしたなどという場合、それは自然の摂理ですから人間が干渉すべきではないと考えます。その野鳥を保護した結果、飢餓から脱するはずだった捕食者を追い詰める事にもなりかねません。更に言えば怪我ではなく人間に慣れている野鳥を保護するという事なら話が全く違って来ます。その場合どういう経緯で人間に慣れるに至ったかが問題です。例えばツバメは自らの意志(?)で場合によっては農家の土間などに営巣しますが、その農家に野鳥保護の意識が無かったとしても結果としてツバメを保護していると言えます。ツバメは害虫を駆除してくれる事から伝統的に農家が大切にしており人間と野鳥が積極的に共生している稀なケースと見なす事が出来ます。これとは別に、最初からほぼ確信犯的に人為的な餌付けなどにより半ば強引に飼い慣らされている疑いが濃厚なケースは関わった人間の都合が勝っており、そこが鳥獣保護法の無い国だと仮定しても論外と言わざるを得ません。
「種」として、すなわち前回001で投稿者が指摘された様な「遺伝子の器」という観点で考えると個々の個体は全体の中で一定の役割を果たしていると考えるべきであって、例えば前回も登場したゴカイは釣り餌として利用される事によって「種」として繁殖のチャンスを拡大しているとも考えられます。つまり個々の個体は大半が犠牲になりますが「種」としては人間を利用して生き残っていると言えます。その点では釣られる方の魚も人間に食べられる事によって水産資源として管理されるという地位を手に入れているとも考えられます。それを言い出すと家畜の類も右に同じです。人間に食べられる前提の家畜においてさえ「種」として見ると保護され繁栄を手に入れているのです。「いわんやペットにおいてをや」です。ただし家畜などの場合、人間の文明が存続する限り半永久的に人間と共存(?)して行くものと思われますがペットとなると少し事情が異なります。ペットとして完全に定着している犬や猫はともかく爬虫類など飼育の難しい生物がペットショップで売られている現状は、飼いきれなくなって捨てられたペットが野生化し外来種として日本の在来種を駆逐しつつあるという問題の原因ともなっています。話が横道に逸れましたが個々の一般家庭において既に手放されつつあるのですから近い将来「種」ごと放棄されてしまう可能性が高いと見るべきです。一たび「保護」されるということはその瞬間から弱体化が始まっていると考えねばなりません。一度飼い慣らした「種」を自然に戻すのは困難です。コウノトリやトキの野生復帰にどれほど手間が掛かっているかを見れば明らかです。人間の都合で散々飼い慣らす為に餌を与えられ温室育ちで弱体化させられた揚句グレートハンティングのサバイバル社会に投げ出された「種」は存続して行けるのでしょうか?ペットブームが去ったらポイ捨てというのでは余りに身勝手です。ペットとして人間と共存させるのであれば末代まで未来永劫自然界から隔離し付き合って行く覚悟が必要であり、現状を見ればとてもじゃないけどそこまで出来る訳が無いのは明白です。話はまた横道に逸れますが犬猫でさえ野良犬野良猫になって生態系を脅かしているではありませんか。自然界の方でもそんな外来種は迷惑であり籠の中に隔離しておいてくれと思っているでしょう。
なお野生を捨てて人間に飼われるという事は品種改良により人為的に「種」としての形態が変化させられるという別の問題もはらんでいます。

ところで自然界は全ての生物種が生態系の中でそれぞれの役割を果たす事によって全体としてバランスを保ち共生しているとも見る事が出来ます。そういう視点で見ると一つの「種」だけを切り離して単体で見る事は出来なくなる様な気もします。
002
空を飛ぶ鳥を保護することは有りか無しか