001「野鳥が幸せか飼い鳥か幸せか」(タイトルは管理人にて後付け)

野鳥王国フォトギャラリーの余録に始まり途中までフォトギャラリーに掲載していたものの更に投稿頂き議論が過熱してきたのでフォトギャラリーから切り離し新コーナーとして独立することにしました。激論に参戦したい方は当ギャラリーの趣旨およびサイトポリシーの免責事項等をご理解いただいた上でペンネーム等を添えて下記メールアドレス宛て投稿下さい。管理人にて内容を確認した後、掲載させて頂きます。
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管理人コメント:
フォトギャラリー第213回余録;キバタン


冠羽を逆立てながらこの世のものとは思えない奇声を発していた。日本には分布しないオウムの仲間で明らかに籠抜け。苦笑いしながら撮影した。飼育下では70年も生きる長寿だとか。籠の中の鳥は安全で喰うに困らず長生き出来て幸せそうに見られがちだが僕から見れば終身刑と同じであり、人も鳥も狭い所に閉じ込められて生かされるより野外で自由に生きる方が幸せなんだと思う。

投稿者コメント:
籠の外は、日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会。
しかも、明日どころか今日の飯さえ保障されない。渡り鳥などは、飢えから逃れる為に何百/何千/何万キロも海を渡って移動する。当然、移動中に多数が墜落して溺れ死ぬ。
「狭い部屋に閉じ籠って暮らす位なら、サファリ砂漠の弩真ん中で猛獣に食い殺されるリスクを選ぶ」
という 選択肢は必ずしも正解ではない。
少なくとも私なら、サファリ砂漠の弩真ん中で猛獣に食い殺されるリスクを背負う位なら、狭い部屋に閉じ籠ってゲーム三昧/深夜アニメ三昧を愉しむ生活を選ぶよ。たとえそれが終身刑であっても。

管理人コメント:
フォトギャラリー第214回余録;キバタン
鳥の気持ちは鳥にしか分からないので飽くまで推測だが、少なくとも自ら望んで籠の中に入って来て飼い鳥になる野鳥は居ないだろう。逆に飼い鳥は籠から抜けるチャンスが有れば出て行ってしまうだろう(帰巣本能によって戻って来る伝書鳩はその様な本能を人間が利用しているに過ぎない)。野鳥たちは長い者では片道3万km以上も季節移動する。それが彼らの本能であり遺伝子に組み込まれた強い衝動なのだ。人間の主観かも知れないが懲役刑が刑罰として成立するのは多くの囚人にとって自由を奪われる事それ自体が苦痛だからだ。インドア派の人が部屋に閉じ籠って生活する事を選ぶのはそれがその人の欲求であり自身の自由を謳歌している事に他ならないのではないか。たとえその結果運動不足で寿命を縮める事になるとしても本望だろう。仮出所無しの終身刑で三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生と、自分で生活費を稼がねばならずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生とどちらを選ぶかと問われれば、僕は迷わず後者を選ぶし鳥たちにも選ばせてあげたい。登山家が危険を冒してまで山に登るのはそれがその人の欲求であり、命あっての物種とは言え危険だから山に登るなと強制されたら果たしてその人は長生きして幸せな人生だと言えるだろうか。鳥たちは籠の中が比較的安全だとは理解してないだろう。結果的に長生き出来る確率が高いに過ぎない。但し飼い主の家が火災になっても自ら逃げる事は出来ないから絶対安全とは限らないし野外だから短命に終るとも限らない。近年オナガガモの標識調査で10年前に足環を付けられた個体が生存していた事が確認されている。我々は自由主義国日本に生まれ自由が当たり前過ぎてその尊さに気付きにくい傾向が有る。その一方で安全が当たり前過ぎて危険に対して鈍感な面も否めないのだが。



投稿者コメント:
>鳥の気持ちは鳥にしか分からないので飽くまで推測だが、少なくとも自ら望んで籠の中に入って来て 飼い鳥になる野鳥は居ないだろう。
<中略>

それは鳥に「飼われる」という概念が理解できないからに過ぎない。
もう少し賢い獣になると、飼われるという事が理解出来て自ら飼われようとすることがある。
犬や猫などで、敵ではない人間が存在することを理解した個体の中に、自ら人間に身を摺り寄せて飼ってアピールをする者が居る。
鳥にももう少し知能があれば、飼われようとする者もあらわれるだろうね。


>逆に飼い鳥は籠から抜けるチャンスが有れば出て行ってしまうだろう(帰巣本能によって戻って来る伝書鳩はその様な本能を人間が利用しているに過ぎない)。

逃げるのは単純に弱肉強食の世界で生き残る為に必要な本能に従っているに過ぎない。
ただし、高く飛んで餌を探さなくて済む生活に慣れた個体は、餌の貰える環境へ戻ろうとする傾向がある。

<中略>
たしか、ヒヨドリだったと思うが、西区九条の駐車場で翼を傷めた個体を見つけて保護したことがある。

「蟲しか喰わないんだろうなぁ」と思って、釣り道具屋でゴカイを買って、カッターナイフで刻んで食わせた。
どうせ羽根が治ったら自然へ還す予定だったので、鳥小屋は、新聞紙を敷いた上に洗濯籠を被せただけの簡易仕様。
ひと月くらいだっけか、洗濯籠の中を飛び回る様になったので、庭に放ったら、あっという間に視界の彼方へ。
お礼の挨拶くらいして欲しかったが、畜生にそれを望むのは無理なので諦めたら、半日くらいして鳴き声が。
どうも単純に腹が減った際に、この辺で努力しないで飯が食えていたことを思い出したみたいだ。
とはいえ、人間の姿を見たら逃げるので、捕まえて飼うことも出来ず(そもそも、飼うのは違法だが)、数日したら来なくなった。
先述の犬や猫もそうだ。 (犬の場合は保健所がヤバイので公道で放し飼いは無理だが)野良猫歴のある猫は、腹が満たされたら外へ出たがる。
でも、腹が減れば帰って来る。 繁殖期にメスを追いかけて遠くへ行ってしまい、帰って来れなくなるバカ猫も居るけど、基本的には帰って来る。

>野鳥 たちは長い者では片道3万km以上も季節移動する。 それが彼らの本能であり遺伝子に組み込まれ た強い衝動なのだ。

いやいやいや。
片道3万km以上も季節移動するのは、他の種と餌を奪い合う事無く子を産み育てれられる環境を求めて移動するだけの事。
「本能であり遺伝子に組み込まれた強い衝動」であるから、ヒヨドリのように簡単に洗脳できるとは思わないけど、目的地よりも手前に似たような環境の理想郷を見つければ、そこが新しい目的地になるだろうし、(物理的に可能かどうかは別にして)新しい目的地を次々に用意して、飛行距離を短くし続けたら、おそらく渡り鳥ではなくなるだろうと思われる(あくまで憶測ですが)。
ちなみに、巨大な植物園などで、鳥を放し飼いにしている場合、餌台を置いて、獲物を狩る必要のない生活が続くと、鳥は木に停まってばかりで、ほとんど飛ばなくなるんだそうな。
渡り鳥も、遠距離を飛ばなくても食って子孫を遺せる環境が続いたら飛ばなくなると思うよ。

>人間の主観かも知れないが懲役刑が刑罰として成立するのは多くの囚人にとっ て自由を奪われる事それ自体が苦痛だからだ。インドア派の人が部屋に閉じ籠って生活する事を選 ぶのはそれがその人の欲求であり自身の自由を謳歌している事に他ならないのではないか。たとえ その結果運動不足で寿命を縮める事になるとしても本望だろう。仮出所無しの終身刑で三度の食事 に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生と、自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生とどちらを選ぶかと問われれば、僕は迷わず後者を選ぶし鳥たちにも選ばせてあげたい。


いやいやいや。
仮説が根本から間違ってる。
・囚人⇒仮出所無しの終身刑で三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される人生
・囚人じゃない⇒自分で生活費を稼がねばな らずリスクも多いが自分のやりたい事が出来る自由な人生
これは間違っていない。
だが、
・飼われ鳥⇒三度の食事に困らず安全と医療が保証され長生き出るが自由が制限される鳥生
だとしても
・野鳥⇒日々の一瞬一瞬が僅かな気の緩みで他者に生きたまま食い殺されるサバイバル社会。 しかも、明日どころか今日の飯さえ保障されない。
ですよ。
野鳥の弱肉強食リスクを人間の仕事レベルに希薄させるのはアカンでしょ。
囚人の人生を以て、野鳥を語るんじゃなくて、野鳥が負っているリスクを人間に喩えて、人は野で生きることを選ぶのか?を考えなきゃ比較としてフェアではない。
たとえば、とある国のとある所に、経営破綻して廃園となった動物園があるとする。
何故か貴方の家がその動物園のサファリツアーの入り口に建っている。
玄関ドアはサファリツアーコースに向いている。
仕事をしたり、飲み屋や風俗に行ったり、恋人に会う為には廃園となって、腹を空かせた猛獣が待つサファリツアーコースを抜けて外へ出るしかない。
一方、ドアを開けずに引き籠っていれば、何処からか粗末な衣服や不味い食料が湧いて来る・・・とする。
さて、ドアを開ける気になるかい?
ちなみに野菜を採らない猛獣は、内臓を食べることで栄養のバランスを取っているから、必ずしも頸動脈を噛み千切って早く楽にしてくれるとは限らないよ。
私なら、生きたまま腸を食い散らかされるくらいなら家に引き籠りたいね。たとえ、妄想072くらいしか娯楽が無いとしても。


>登山家が危険を冒してまで山に登るのはそれがその人の欲求であり、命あっての物種とは言え危険だから山に登るなと強制されたら果たしてその人は長 生きして幸せな人生だと言えるだろうか。

え? 登山家って猛獣と闘いながら山を登ってるの?・・・という次元の話なんだがね。
アタリマエの話だけど、弱い種ほど多産だ。
小魚などは一度に十万以上も産卵して孵化する。 鳥も哺乳類とは比べ物にならない程多く産卵して孵化する。
しかし、その中で成魚/成鳥まで育つのは、ホンの僅かだ。
基本的に全部死ぬ。
死ぬために生まれてくる。
圧倒的に死ぬ個体郡の中に、小魚ならちょっとした宝くじの特等並みの確率で、鳥だったらビンゴ大会の一等賞並みの確率で、生き残って未来へ命を繋ぐ個体が存在する。
それ以外は全部死ぬ。
だから、もし、孵化する前の幼魚や幼鳥に
「これから先は、ほぼ100%生きたまま他者に喰われてもがき苦しんで死ぬ魚(鳥)生が待っています。生まれたいですか?」
と訊けるとしたら、
(相手に知能があるなら)「生まれたくない」
と答えるでしょう。
私も、(私が魚や鳥だったら)そう答えます。
魚や鳥は、産まれてしまったから仕方なく生存競争に加わっているだけです。
たとえば、競争率20倍の大学があって、合格すれば人生勝ち組確定だとしても、落ちた奴は全員死刑・・・なんて受験があったら誰が受けるだろうか。
そういうことなんですよ。
野生のリスクは登山家のリスクとは比べ物にならない。
毎年毎年、登山家の九割が遭難して死ぬというなら、比較として成り立つが、登山家が死んだだけで新聞の記事になる程度の温いリスクで、野生動物の生存競争リスクに喩えてはいけないよ。


>鳥たちは籠の中が比較的安全だとは理解してないだろう。結果的に長生き出来る確率が高いに過ぎない。但し飼い主の家が火災になっても自ら逃げる事は 出来ないから絶対安全とは限らないし野外だから短命に終るとも限らない。近年オナガガモの標識 調査で10年前に足環を付けられた個体が生存していた事が確認されている。

それは飼われ鳥に於いては、偶然に運の悪い個体が存在し、野鳥に於いては、偶然に運の悪い個体が存在したに過ぎない。
要は餌が確保できて、外敵に襲われず、日陰や人間の熱源などで極端な寒暖から逃れられれば、野鳥にだって長生きは出来る。
先述した通り、そもそもこの世に生れ出て、成鳥まで無事に育つ個体自体が既にレアケースである。
さらにレアケースな『長生きした野鳥の例』に意味は無い。
「誰もがそんな鳥に成れるとは限らない」どころの話じゃなくて、ほとんど誰も成れないレア中の弩レアケースだからだ。
野に生きれば、九分九厘が生きたまま喰われて死ぬか、あるいは飢え死や凍死する。
人に飼われれば、(飼う人にもよりけりだが)九分九厘が鳥生を全うする。
これは厳然たる事実である。


>我々は自由主義国日本に生まれ自由が当たり前過ぎてその尊さに気付きにくい傾向が有る。その一方で安全が当たり前過ぎて危険に対して鈍感な面も否めないのだが。

いや、日本がイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよりも遥かに安全だとしても、
アフガニスタン,パキスタン,ソマリアでさえも、野生の弱肉強食に比べたら超安全なぬるま湯だよ。
幾ら何でも、野生動物みたいに、新生児の九割以上が未成年の間に死んじゃうんじゃないからね。
それでも、AK47を乱射してヒャッハー!なイラクとかアフガニスタン,パキスタン,ソマリアよりも遥かに安全な日本に生まれ育ったことを感謝するって言うのなら、
もし、鳥籠の鳥に言語を操って喋る知能があったなら、
「雌鳥の尻尾を追い回してヒャッハーな鳥生は謳歌できませんでしたが、野生よりも遥かに安全な環境で育てて頂いて感謝します」
と言うとは考えられないかな。
頭を撃ち抜かれて死ぬのでさえ十分すぎるくらいに嫌なのに、生きたまま腸食われてのたうち回って死ぬんですよ。
嫌すぎません?

<中略>
登山家の件は、こうも考えられるよね。
基本的に登山は、安全で簡単な低い山から始めて、少しずつ難度を上げて行く。
だけど、野生の生き残りを賭けた闘いは違う。
生まれた瞬間がアンナプルナだ。
何故なら、肉は若ければ若い程美味く、逃げ足は若ければ若い程遅いからだ。
たとえば、アフリカ奥地の村を、人肉の味を覚えた猛獣が襲う場合、成人男性は後回し。
喰われるのは女子供。
だから、野生の生存競争のリスクを登山に喩えるなら、最初の登山がアンナプルナであるという前提でなくてはならない。
と考えれば、世界屈指の有名な登山家だって、初登山がアンナプルナで登山家の成ろうなんて思うだろうか。
思わないよね。
バイク乗りだって、初運転がマンクスTT
ならバイクに乗ろうなんて思わないし、
クルマ乗りだって、初運転がパイクスパークヒルクライム
ならクルマに乗ろうなんて思わないだろう。
どっちもほぼ確実に死ぬもんな

管理人コメント:
どうやら正解の無い領域に踏み込んでしまった感があります。そもそも当初から意見がかみ合っていない様に思います。元々このコラムを記述した意図は「意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか」という疑問に発しています。人間に飼育された経験の無い野生動物は何の経験則も無しに籠の中に入って来て自ら錠を下ろす様な事はしません(多分)。籠の中が本来の生息地ではないからです。生まれながらに籠の中という飼い鳥は自然界を知りませんが、一見すると満ち足りた様でも本能を封印された生活で幸せなのかという話です。なるほど確かに毎日の様に充分な食べ物が出て来る快適な空間かも知れませんが「長生きイコール幸せ」というのは人間の価値観の押し付けに過ぎないのではないかと思います。案外「せっかく鳥に生まれて来て空を飛べないくらいなら死んだ方がマシだ」と思っているかも知れません。いかに生きたかではなくどれだけ長く生きたかに重きを置くという価値観は人間同士の間でさえ評価の分かれる所です。果たして飼い鳥が長生き出来て幸せだと思っているのか誰にも分かりません。自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?
なお、犬や猫を引き合いに出されていますが彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬Ⅱ世として生まれた犬であっても「人間になつく」という遺伝子が強いと思われます。これをもって「きっと野鳥も同じだろう」と考えるのには無理が有ります。野生のオオカミが容易に飼い慣らせるならニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも「餌が出て来る便利な動物」くらいに認識して寄って来るものと思われます。しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると判断するのは早計に過ぎます。自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。

投稿者コメント:
そもそも当の御鳥様に意見を訊かずに憶測であーでもないこーでもないと語っている時点で結論なんか出るワケが無い。
 では、当の御鳥様に意見を訊くべきなのか? 答えはYESだ。 だが不可能だ。
 鳥に人と会話する知能は無い。 もっとも人に近い猿でさえも、ピカピカの小学一年生が出来る足し算が関の山である。
<中略>
 会話に至っては、関係者が誤認しているだけで、猿でも実際のコミュニケーションは成立しない。
<中略>
 もちろん、鳥は猿よりも知能が遥かに劣る。
 空を飛ぶ鳥は、その質量を徹底的に軽量化するため、翼を構成する骨まで中空化している。
 もちろん、脳も例外ではない。
 こういう動きをすれば餌が貰える ・・・ つまり、芸を覚えさせることさえ鳥類には困難な事です。
 そんな鳥類に、幸せを感じる知能があると見做す時点で誤っているのはないでしょうか。
 犬は簡単に芸を覚えるし、猫は機嫌の良し悪しを明確に表すから、おそらく犬や猫は我が身の置かれている状況に対して、幸福だとか不幸だとか感じている可能性が高いと思う。 しかし、鳥は違うだろう。
 そこに考えを及ばす時、鳥類に対して
   意に反した生活を強いられるのは(たとえ長生き出来たとしても)幸せと言えるのだろうか
 というクエスチョンを設定した事が間違いだと気付くべきであった。
 そう考えて、「意に反した~」 を取り除けば、残るのは、自然の摂理に逆らって人が餌を与えたり、保護したりするのは正義か否か、というクエスチョンだけだ。
 だが、そうなれば、これはもう個人の見解から出ることは不可能。
 お互いに、いわゆる、『お前がそう思うなら、そうなんだろう、お前の中では、な』 ということです。

>自然界で巣立ち前に喰われたりするのは恐らく鳥にとっても激しい恐怖と苦痛を伴い 不幸な事だと思われますが、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。

そもそも知能が蟲よりも少しマシなレベルに留まる鳥類に対して、自然の摂理に従って生きることが 幸せだと感じるという発想自体が既に、結果に対して人間の主観で評価しているに過ぎません。
 昆虫でさえも危険から逃げます。
 脳ですらない神経節しか持たない原始的な昆虫でさえも危険から逃れるのです。
 なぜでしょう?
 生き延びたいからですね。
 では、なぜ生き延びたいのでしょう?
 どうせ一年かそこらで死ぬのに。 死ぬ状況次第では、神経が発する苦痛を脳が受け取る前に神経節ごと潰されて死ぬことだって小さな昆虫では珍しくないのに。
 答えは、やや観念的な概論になってしまいますが、生き物の正体が 『遺伝子の容器』 だからです。
 生き物は遺伝子を未来へ繋ぐ為に世に生まれます。
 ご飯を食べたいと思うのも、ご飯を食べて美味しいと思うのも、「あーセックスしたい」 と考えるのも、 セックスして気持ち良いと感じるのも、
<中略>眠たくなるのも、十分な睡眠が心地良いのも、すべて、遺伝子を未来へ繋ぐ為に仕組まれた 『遺伝子の罠』 です。
 ついでに書いておきますと、人間がわざわざ危険な行為に及んでスリルを愉しむのも、生きている事を強く実感して、セックスに励むように仕向ける為の 『遺伝子の罠』 と捉えることが出来ます。
 だから、自然界に居るにせよ、人に飼われているにせよ、自分の置かれている状況が幸せかどうか 考える知能がない蟲や脳の小さな動物であっても、遺伝子の目的 ―― ほんのちょっとだけ変化させた自分を未来へ繋ぐ ―― が高い確率で叶う環境が幸せであると捉えることが出来るのではないでしょうか。
 そう考えれば ( あくまで遺伝子にとって、ですが ) 幸せとは、[ セックスして出産(産卵)が叶う環境 ] に居る事であり、不幸とは、 [ セックスして出産(産卵)が叶わない環境 ] に居る事という事になるでしょう。
 であるならば、(遺伝子にとって)最高に幸せな環境とは、外敵の心配がなく、飢え死のリスクもなくセックスして出産(産卵)が可能なパートナーが居る状況であり、(遺伝子にとって)最悪に不幸な環境と は、外敵とか、飢え死のリスクなんか関係が無くて、単純にセックスして出産(産卵)が可能なパートナーが居ない(今後も現れる可能性がない)状況という事になります。
 つまり、知能の劣る生き物に対して、その幸/不幸を客観的に判断するために、『遺伝子が幸せかどうか』 を判断基準にするならば、異性を交えた多頭飼いが最高の幸せであり、異性を交えない多頭飼い、もしくは単頭飼いで飼い殺しにされるのが最悪の不幸ということになると思います。
 え? 遺伝子レベルの話じゃない、って?
 んなこと言っても、最低限のコミュニケーションさえ成立しない程に知能が低いんだから、あーでもな い、こーでもないと勝手な憶測を走らせるよりは遥かに建設的だと思いますけどね。

 >またそれを確率で論じるのは論点が違う様に思います。 確率の問題で言うなら登山家よりも遥かに危険な職業、 例えば初期の宇宙飛行士などの様に誰も望まない様な危険を冒してでも 自ら宇宙へ行くという選択をした人々が実在します。

まぁ、大気圏を出た後は、終始、ガンマ線のシャワーを浴び続けるので、黎明期から今まで有人宇宙飛行が危険で在り続けているのは事実ですが、初期の宇宙飛行士でも死ぬ確率は、狩られる側の野 生動物に比べたら“絶対安全”と言い切って良いレベルですよ。
<中略>
 ほとんど死んでいません。
 一方で自然界に生きる狩られる側の野生動物は哺乳類で数十,鳥類で数百,魚類で数万もの子を 産み育てますが、その中でさらなる未来へ遺伝子を遺すまで生き続けられる個体は数匹。
 死ぬのがアタリマエどころか、死なないのがオカシイといわざるを得ない死亡率です。
 それに、ソビエト時代の宇宙飛行士は、一般大衆が寒冷地のコルホーズで使い捨ての労働を強いら れていた時に、本人と家族の衣食住を国抱えで養って貰えるエリートでした。 アメリカの場合は、他に就ける仕事は幾らでもありましたが、其れ等と違って宇宙飛行士はずば抜けた名誉職です。宇宙飛行士だって誰にでも成れる職業ではありませんが、アポロ時代の宇宙飛行士は、生還すれば時の人。  どんな映画俳優も合衆国大統領も存在が霞んでしまう時の人。 それでいて、生還率は上述の高さ。
 そりゃあ、成れるモンなら成りますよ。
 狩られる側の野生生物と比較するには余りに例として不適切です。

>高い確率で挑戦が無残な失敗に終ったとしても不幸な人生だったと言えるでしょうか?

誰が失敗程度で終わるような話をしてるんですか。
 宇宙飛行士の死亡率が九割を超えていて、成功して生還しようが、失敗して死のうが誰にも知って貰 えないとしたら、誰が宇宙飛行士になんか成るもんですか。
 被曝のリスクはあるにせよ、大多数が五体満足なまま生きて還って、報酬を受け取ってヒーローにな れるから挑戦するんです。

 
>なお、犬や猫を引き合いに出されていますが 彼らには人間によって有史以前から取捨選択されながら飼い慣らされて来た 途方も無く長い歴史が有り、たとえ野良犬Ⅱ世として生まれた犬であっても 「人間になつく」 という 遺伝子が強いと思われます。 これをもって 「きっと野鳥も同じだろう」 と考えるのには無理が有ります。

は?
 そもそも鳥類が人に懐かないのは、飼われた歴史がないからではなくて、知能が低いからだぞ。
 猛獣は人に飼われた歴史を持たないが、知能が高い猛獣は人に懐く。
 
 <中略>
 鳥類だって、頭が賢かったら、飼われる/飼われないの歴史なんか関係なしに、懐くと思いますよ。
 現実の鳥類はバカだから、そう憶測するしかありませんが。

>野生のオオカミが容易に飼い慣らせるならニホンオオカミやエゾオオカミは絶滅せずに済んだかも知れません。

いや、飼い慣らせたと思うよ。
 ただ、農家にとって狼は、生活を脅かす天敵中の大天敵。
 殺しても気が収まらないような相手を飼おうとする奴が居なかっただけだろうね。

>なるほど確かに餌付けに寄って来る野鳥は存在します。 それも彼らの自由ですが彼らの本能と高い学習能力に従って人間を警戒しつつも 「餌が出て来る便利な動物」 くらいに認識して寄って来るものと思われます。 しかしそれを以って彼らが籠の中の監禁生活を望んでいると 判断するのは早計に過ぎます。 自然界がいかに過酷であるとしても籠の中で安全を保障してあげているのだから 鳥もきっと幸せだろうなどと考えるのは一方的な思い込みであり 安全の押し付けに過ぎない可能性が有ります。

・・・ それじゃ最初にループしちゃうんだけどさ。
 押し付けかどうかは当の御鳥様に訊かない限りは憶測の域を出ないワケで。
 だいいち、ネズミ程度の脳しか持たない鳥類が籠の中に居て、それが自分が意に反した生活を強いらている状況だと理解できるのだろうか。
 彼らが大空を飛ぶ姿を見て、さぞかし気持ちが良いのだろうな、と妄想するのは人間の価値基準に 照らしているに過ぎない。 前にも書いたが、毎日確実に餌が貰える環境に置くと、鳥は余り飛ばなくなる。 これは鳥にとって飛ぶという行為が快楽を伴うモノではなく、単に食う為にやむを得ず行っている 辛い労働であることの証左だ。
 だから、私はこう結論付ける。
 鳥に猛獣並みの知能があれば、人に懐くだろうし、飼われる歴史を重ねれば人から逃げなくなるだろう。 ( 余談ですが雀を食う歴史を持たない国の雀は人が寄っても逃げません:ニューヨークの公園 )  だが、現実の鳥類はバカでネズミ程度の知能しかない。 だから、飼われている時に 「此処は安全で 飢えないから幸せだ」 とか、逆に大自然の大空を飛んでいる時に 「飯には不自由するが、好きな雌を選んで犯したい放題。 ああ、自由って素晴らしい」 とか考えることはないでしょう。
 だから、勝手な憶測で [ どう在れば幸せなのか? ] なんて考察は意味がないんですよ。
 ~以上、反駁終了。
      
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