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管理人コメント:
そもそも、
「火を使い、武器を使い、文明を築き上げて、あろうことかグレートハンティングという神の摂理から人類は逃れてしまった。 この時点で、人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった。なぜなら、グレートハンティングという神の摂理から逃れた人である時点で、その存在自体が悪だからだ。」
とコメントされたのは投稿者さんであって、僕は自分の事を存在自体が悪だとも何とも思っていません。投稿者さんの構築された世界観にお付き合いしているだけです。「文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう」などと面倒くさい話を広げたのも「お付き合い」の流れです。「見ようによってはそういう見方も出来ますね」ってだけの事です。投稿者さんがコメントの最後に言っておられるのと同様に僕は単純に野鳥が好きなだけであり(片思いですが)、難しい理屈でバードウォッチングをしている訳ではありません。健康で文化的に文明を謳歌しつつ自然を慈しんでいるつもりです。文明を謳歌するという意味において僕は投稿者さんと同類なのでしょうが、投稿者さんはそれに加えて前回のコメントで「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」と宣言されており、前後の脈絡からも自然の恩恵を真っ向から否定もしくは軽視されていることが読み取れます。今回コメントでも「もはや怖いモノ無しの人類にとって、自然とは征服して利用すべき存在でしかありません」と。それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。文明を謳歌するどころか「もはや文明は『存在する』って次元じゃなくて、極限を目指して突っ走っている状態」で良しとされています。「文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ生きて行けない」と言う僕に対してさえ「さっさと文明のない生活へ身を置いては如何ですか」などと仰る始末です。であるならば、何度も言う様ですがこの際「自然の恩恵を遮断して」生きてみてください。
他ならぬ投稿者さんのロジックをお借りすれば、
「自然を謳歌する人」は「文明の恩恵を遮断して」
「文明を謳歌する人」は「自然の恩恵を遮断して」
それぞれ頑張って頂くという事で宜しいのではないですか?
因みに僕はどちらの意見にも偏らず「自然の恩恵も文明の恩恵もいいとこ取りをして」しか生きられませんから、この不毛なロジックにお付き合いするのはまっぴらですがね。
乗りかかった船でもう少しこの世界観にお付き合いします。「存在自体が悪」とか言い出すと、なるほど「自然を謳歌する人」は文明を捨てねばならないというのは分からないでもないです。文明を捨てる訳ですからカメラを持つ事も車で外出する事も何も出来なくなります。いえ、仮に何もしなくても文明の中に身を置いている限り同じ事です。そもそも文明を捨てるという事は法律の縛りも無くなり野鳥どころか人を殺しても罪に問われない事になります。もちろん現実にはそうはなりません。一人で「今から文明を捨てます」と宣言しても文明の方が許してくれません。人を殺せば罪に問われます。本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って「存在自体が悪」として振舞わねばならないという理由にはなりません。また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で「存在自体が悪」だと断ずるに至っては、それはもう特定宗教の世界です。信者の方だけで語り合って下さい。
つまるところ投稿者さんのロジックは「本質的には皆同じだ」とばかりに味噌も糞も一緒にしており、土台バランス感覚を欠いた観念的・非現実的な主張なのです。それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。いえ教科書通りなら「エジプトはナイルのたまもの」と言われる様に、文明は自然の恩恵を受けて発祥した訳ですから投稿者さんは文明の恩恵も遮断しなければなりません(なぜなら文明の恩恵を受けている時点で自然の恩恵も受けている事になるからです)。すると投稿自体できなくなってしまいますが、そもそもこの世界観では「存在自体が悪」の(疑いの有る)者同士が何を言い合っても互いに「ああ言えばこう言う」で説得力が無いただの水掛け論に陥ってしまうのではないでしょうか。
この様に世の中は「0か100か」という絶対的な本質論(言わば「総論」)だけで動いている訳ではありません。多くの矛盾を抱えながらも、その中で相対的にベターな道(「各論」)を探しながら(少なくとも文明の崩壊した無政府状態の紛争地などではない先進国においては)人間様が人間様として健康で文化的に生きて行くしかないのです。
さて、そこでバードウォッチングの話に戻ります。投稿者さんによれば本質的には野鳥から見れば捕食者の姿だという事になるのでしょうが、仮に文明が崩壊して食べる物が何も無い飢餓に襲われれば僕は遠いご先祖様がそうしていた様に迷うこと無く自ら野鳥を捕まえて食べるでしょう。そうなれば人間も野生動物ですから捕まる野鳥の方が悪いという事になります。しかし幸い現実には今のところそうはなっていませんから単に野鳥を観察しているだけです。その違いは(生きる為に不可欠かどうかはさて置き)「文明が有るか無いか」だけです。投稿者さんご指摘の通り野鳥から見れば何の違いも有りません。言いかえれば(実際には野鳥に対して捕食者にならないという点を除いて)元々緊張が当たり前の自然界で「何の違いも無い事をやっているだけ」です。人間は人間である以前に動物の一種です。仮に野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じているのだとしても、そういうのをひっくるめての自然界です。僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては「元々そこに有る恐怖」です。これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?緊張や恐怖が日常茶飯事の自然界は動物園とは違うのです。ただ勿論、そうは言っても相手は人間よりも弱い立場の野鳥です。趣味としてバードウォッチングするからには最低限の心遣いは求められて当然です。ここで当然予想される反駁は「じゃあ縄文時代からやってる様にスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても問題無いではないか。ダブルスタンダードはあかんで」ですが、縄文時代なんてつい最近の事だという話は置いといて、外見上は同じ様に野鳥を観察している様に見えるとしても、「間接的」に在るがままの野鳥を観察するのと「直接的」に干渉するのとは同じ事として片付ける訳には行きません(これについては後述します)。
投稿者さんに指摘されるまでもなく実はだいぶ以前から僕は「生態系の中に仲間入りさせてもらっている」と感じながらバードウォッチングをしています(フォトギャラリー第2回参照)。もちろん圧倒的に有利な立場で「猛獣が来たぞー」という感覚で出歩いているのですが、投稿者さんの指摘にも有る通り、僕自身もクマに襲われる危険性がゼロではありませんから自然界と対等の関係にあり、あながち単なる疑似体験でもないと言えます(数年前自宅から徒歩圏でツキノワグマの足跡が発見されています)。
因みに野鳥たちは人間の10倍もあろうかという視力で、こっちが気付くよりもかなり前にこちらの存在に気付いていると思われます。もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。まして餌付けなど出来ようはずが有りません。実際、野外を歩いていると野鳥たちは僕の姿を見て一目散に逃げて行くと言うより、一時的に飛び退いたとしても僕が何者なのか一旦見極めたうえで逃げ去ったり逃げなかったりという行動パターンである場合が大半です。タカが現れた際の目にもとまらぬ俊敏な逃げっぷりと比べると分かりますが、多くの野鳥にとって動きの鈍い人間などさしたる恐怖の対象ではなく、場合によっては「ラッキーなタイプの奴」か「使えない奴」かという価値基準でこちらを見下ろしている様にすら見えます(もちろんこれは飽くまで自分の都合のいい様に解釈した僕の主観かも知れませんが、多くの野鳥ファンが僕と同じ実感をお持ちだと思います)。この感覚を持っているのは野鳥ファンなどよりもお百姓さんでしょう。田圃の真中で農作業しておられるお百姓さんの周囲には野鳥が群れている事がよく有ります。トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる便利な動物という事になるのでしょう。もちろんその金属製の動物には人間が乗っかっている訳ですがアマサギたちはお構い無しです。前回コメントでも触れましたが野鳥たちの多くは大なり小なり人間の営みをしたたかに利用し、このある種人工的な生態系に順応して生きていると見る事が出来ます。フォトギャラリーにざっと目を通して頂ければ分かると思いますが僕の目の前に野鳥が飛んで来る事も決して珍しくはありません。もちろん珍しくないと言ってもそう頻繁にそんなシャッターチャンスに恵まれる訳ではありませんが辛抱強く待っていれば誰にでもそういう時が訪れます。でなければ僕ごときアマチュアにあれほど沢山の写真が撮れる筈が有りません。比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない証拠に羽繕いする者まで居ます。野鳥から見れば僕ごときが現れても「大型動物が1匹増えただけ」なのです。
そういう話はこっちに置いといて、例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だったとします。仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。もちろん絶対的な本質論だけで考えると線引きは出来ないですよ。だからと言って一部カメラマンが直接的に野鳥に干渉するのを手放しで良しとする訳にはいかないでしょう(目糞鼻糞だとしても)。
「種」の弱体化という事について僕の考えを述べておきましょう。数十年も昔に聞きかじった以下の様な話が有ります(学生時代、社会ダーウィニズムの講義で研究発表の題材にした記憶が有ります)。ある埋立地で繁殖するハエを駆除するために殺虫剤を撒いていましたがハエが世代交代する過程で並みの殺虫剤が利かなくなってしまいました。殺虫剤に強い個体が生き残り遺伝子を引き継いだからです。更に強い殺虫剤を撒いても同じ事。また更に強い個体が生き残っただけでした。そこでとある研究者が一計を案じました。一定数のハエを研究室で温室栽培の様に育ててから埋立地に放したのです。温室育ちの個体が交配した結果その遺伝子が次世代に引き継がれ弱い殺虫剤でも簡単に駆除出来たという話です。もちろんこの結果を否定する研究なども有るかも知れませんが、野鳥に対する餌付けには「種」の弱体化を招く危険性が有るという示唆にはなります。餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体がその遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりになってしまいます。(これに対して予想される回答は「別にいいじゃん」ですが、「今までやってきたことが大罪過ぎる」からこそ「別にいいじゃん」とも言っておれないのではないかと。)

少し個別に反駁しておきましょう。

>ゴカイから泥質/砂質の海底に自由に穴を掘り自由に潜る環境を奪うことは
『種』としては人間を利用して生き残っている
 であり、野鳥から広い大空を自由に飛び回る環境を奪う事は
野鳥が不幸に感じるかも知れないことは止めろ
 というのは、幾ら否定されようともダブルスタンダードです。


ゴカイであれ鳥であれ(たとえ「種」として成功しているとしても)徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます(漁獲のほとんどは定置網漁や底引き網漁によるものでしょう)。しかし僕は漁師ではありませんし漁師さんの漁法についてあれこれ言える訳がありません。釣り趣味の人にゴカイが可哀想だと説教するつもりもありませんしその逆もありません。

>養殖モノが圧倒的多数になり(天然モノが)駆逐されてしまった現状を善しとするの?

前回コメントのアユの例えを補足しておきます。あの話はこれも数十年昔にアユ釣り趣味の人の話として耳にした記憶を頼りに書いたので自信は有りませんが、世間で呼ばれている「天然モノ」というのはほぼ全て「養殖由来の野生化した個体(及びその子孫)」だそうです。その意味で「天然モノ」は絶滅したか呑みこまれたという事になります(正しいかどうかは分かりません)。これを「善しとする」事は出来ないかも知れませんが現実にアユは遺伝子の形を僅かばかり変えられたとは言え生き残っていると言えます。養殖の結果もし弱体化して完全に絶滅していたとしたら遺伝子にとって最悪ですけど。

>人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません

コジツケがましい事を言う様ですが植物も生き物だという事をお忘れですか?言わんとしている事そのものは否定しませんが、植物には脳も神経も無いじゃないかと言われれば極端な話、動物性プランクトンと植物性プランクトンが本質的にどこまで異なると言えるのかを論ずる事になって(ここでは「ペットが駄目なら」という前提条件は付きますが)ゴカイも家畜も駄目で豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?僕はベジタリアンではありませんし皆さんの主張がどうであれ鯨も家畜も豆も食べますが。(蛇足ですが人間は草食から雑食に進化したのではなく肉食から雑食に進化したという説も有ったかと記憶します)

>生きる為に不可欠という訳でもないのに単に癒しの為に(野鳥を)飼い殺しにする如きは、屠殺場に送られて殺される悲惨な家畜生活に比べたら、 悲惨さが少な過ぎてどうでも良いです。

絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。これを称してダブルスタンダードと言うのでは?この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して「少しはマシだ」と論じるのも正しいと評価されるべきです。

>まだペットになっていない野生種を飼い慣らして、ペットにしてみようと挑戦する事は罪 ではないでしょう

子供でも犬や猫が可愛いとイメージ出来るのは彼らがペットとして身近に定着しているからです。誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い(或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・)などとイメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。そういう動物をペット化する動機は多分にペット業界の利害が関係していると推察出来ます。メディアに露出させ「可愛い可愛い」とアピールしなければ誰も知らない様な珍獣の類いをわざわざペットにしなくても誰も困りません。企業の健全な経済活動を全て否定するものではありませんが「可愛いから飼いたい」などというメルヘンな動機でワニガメとかニシキヘビとかをペット化して来た訳ではありますまい。実のところ飼い慣れない動物を新たにペット化するには弱い根拠と言わざるを得ません。

>それは結局のトコロ、コウノトリにしろトキにしろ、生物学の種の定義に「飛ぶ」と在るから、飛ばないコウノトリも飛ばないトキも 「定義外」 ・・・

ヤンバルクイナは長距離を飛ぶ能力は無いとされるけれど立派な野鳥です。それはさて置き、コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。

>人が原因で特定外来種が襲来して在来種の幾つかが滅びに直面するとしても、それもまた、( 巨視的な観点から見て)神の御意志でしょう。

「神の御意志」なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ「在来種を守らなきゃ」とか「コウノトリを復活させなきゃ」と考えて実行に移すのも「神の御意志」でしょう。コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。

>始める前からマナーの勉強を前提にできない一般の人達が安易にバード・ウォッチングを 始めてしまうないように、写真雑誌に野鳥の画像を載せることも、webページに野鳥の写真を載せることも慎むべきです。

「僕がこのHPを開設した目的の一つは多くの人に野鳥に関心を持ってもらい野鳥保護のプラスになればと思っているからだが(以下略)」・・・フォトギャラリー第191回をご参照ください。しかし一つ間違うと逆効果になるリスクも内在しているのは事実です。様々なジレンマの中でバードウォッチングを楽しみつつ僕なりにヘボなHPを運営しているつもりです(自己満足と笑われるでしょうが)。そういう事を抜きにしても僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事はそれはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。

>そもそもバードウォッチングに興味を持つような画像を写真雑誌やwebページに載せておいて、同じページにマナーに関する詳しい解説を載せておかないで、「マナーを守らないお前等は悪だ」って、そりゃ「お前は何様だよ」 と思っちゃうよ。

一方で「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」事を批判し、一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、投稿者さんは僕に一体どうしろと言うのでしょうか?注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通りほとんど子供を相手にしている様な内容です。ご丁寧に生き餌を仕掛け長時間にわたりスマホ等で大音量のさえずりをエンドレスで流す行為を見てしまうと、(バードコールみたいな素朴な遊び道具レベルと異なり)常識的に度を越していると実感しますよ。そんな現状で僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなればどうなりますか。よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。

>鳥にとっては、自分の生活圏内に入りこまれて、盗み撮りされている時点で迷惑千万ではありませんか。

これについては前述しましたが少し付け加えておきます。
野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。僕の家が山間部にあるからかも知れませんが玄関のドアを開けた瞬間から野鳥と遭遇すると言っても過言ではありません(過去自宅敷地内に飛来した野鳥はチョウゲンボウ、イソヒヨドリ、ジョウビタキ、エナガ、シジュウカラ、セグロセキレイなど多数、もちろんハシブトガラス、ハシボソガラスも野鳥です。因みに2軒隣にはコシアカツバメの古巣が有ります)。文明社会と自然界が切っても切れない関係にある様に人間の生息域と野鳥の生息域は(ほとんど全て)オーバーラップしており、(バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが)自ずと一定の緊張関係は存在しています。何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。言わば「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」という状態です。「鳥にとって迷惑千万」だとしても、だからこそバードウォッチングという趣味においては一定のモラルが求められてしかるべきなのではないですか(これについては更に後述します)。なお、僕の家が自然の野山を切り開いた所に建てられたものだとしても、そこに住んではいけないと言う権利は誰にも無いでしょう。時代を遡れば大阪駅前や東京駅前だって原野や海だった訳ですから。

>野鳥を撮るという自分の欲望を満たした上での話であって、野鳥に対して影響を与えない 様にする為に、野鳥の生活圏から遠く離れて見守るという事が出来ない屑の戯言に過ぎません。

その通り「屑の戯言」でしょうね。僕は偽善者でも聖人君子でもありません。他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。ただ、「存在自体が悪」と自称する人に言われたくありませんけどね。前述した様に僕は投稿者さんと同じく文明を謳歌する人間様です。鶏肉も食べます。ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。繰り返し述べて来た通り我々は文明の恩恵も自然の恩恵もいいとこ取りをしなければ「健康で文化的に」生きて行く事が出来ないのです。文明を謳歌して「健康で文化的に(趣味を楽しみながら)」生きて行くのに際して「野鳥に対して極力影響を与えない様に心掛ける」のは僕の個人的なモットー(或いは良心的な野鳥ファンの暗黙の了解)であり、誰かに類推適用されてとやかく強制されるものではありません。こう言うと当然予想される反駁は「じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしてもとやかく強制されるものではないではないか。ダブルスタンダードはあかんで」ですが、これは前述の「線引き」の問題です。「極力影響を与えない」というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って味噌も糞も一緒にして「お前もやっとるやないか」と言うことは出来ないでしょう。所詮「個人的なモットー」或いは「暗黙の了解」というものは事細かに明文化されたものではありません。社会通念上どう見ても非常識なレベルに達しておれば、それは「違うじゃないか」と立て分けて考えるべきなのであって、それこそがモラルや不文律の存在理由なのだと考えます。

>貴殿等がすべきことは、マナーの悪い一般ピープルを罵って憂さを晴らす事ではなく、「 果たしてマナーさえ守られれば其れで良いのか?」を考えるべきであり、その先にある 「 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?」 を考えるべきではないでしょうか。

「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」とのたまう投稿者さんからこの様な愛鳥コメントを頂くとは意外な感じもしますが野鳥に成り代わり感謝申し上げておきます。
そもそも「趣味」というのは「文明」の最たるものでしょう。現代においてさえ発展途上国や紛争地帯では趣味さえもままならないのですから、平和な先進国に生まれた我々は感謝しなくてはなりません。ペットを飼う事が趣味ならば、在るがままの野鳥の姿を観察するだけのバードウォッチングは「少しはマシな趣味」と言えます。釣りなどと異なり直接的に命を奪う事も、営巣の邪魔をするなど余程のミスをしなければ基本的には有りません(釣りという趣味を批判するつもりはありません)。人間様の数多ある趣味の中でも比較的自然を慈しむ傾向の強いバードウォッチングという「少しはマシな趣味」(この際「欲望」と呼んでもいいです)において、子供でも分かる様な最低限のマナーさえ守れない人に苦言を呈する事が許されないのでしょうか。投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。自分が鳥であったなら(カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き)「生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ」と答えます(野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが)。

>道具を手にした時点で人は他の動物と同一視できません。

前回コメントでも述べた事と重複しますが道具を手にした時点で文明を手に入れグレートハンティングという神の摂理から逃れた訳ではないでしょう。どう考えてもサバイバル社会で生き永らえながら徐々に文明を築いて行ったはずです(歴史は苦手ですが世界四大文明の発祥はアウストラロピテクスよりずっと後の事です)。最後の決定打が文明だったに過ぎないのだと思います。教科書通りなら道具を手にした事は文明の第一歩だった訳ですが、文明発祥の要素には「道具の発明」「火の使用」「言葉の発明」「農耕の発明」云々の他に「オオカミとの共生」を書き加えるべきだと思うのですが・・・親とはぐれたオオカミの子供を見つけたヒトが本能的に可愛いと感じ餌を与え始めた。オオカミの子供の方も本能的にヒトになついたというのが取っ掛かりでしょう。たまたま従順で大人しい種の中の大人しい個体だったのかも知れません。どちらも社会性を持った習性ゆえに自然と混群になったのでしょう。夜行性のオオカミと群れを形成する事により昼夜を問わず数的優位で(他のヒトを含む)あらゆる猛獣に対抗出来たと考えます。つまり犬は単なるペットではなく人間にとっては弱肉強食のサバイバル社会を共に生きた恩人(恩犬)という事になります。そうでなければ我々はこんな脆弱な肉体に進化しないでしょう(性質は獰猛ですが)。

この他にも様々なコメントを頂きましたが誠に失礼とは存じますが逐一お答えしていると余りにも長文になってしまううえ僕にとって特にこだわりの無い問題であったりするので反駁は割愛させて頂きます。


投稿者コメント:
人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)
<中略>

>「 文明が存在しないとしたら、こうなっていたであろう 」
 などと面倒くさい話を広げたのも 「お付き合い」 の流れです。
 「 見ようによってはそういう見方も出来ますね 」 ってだけの事です。

 すまんの。 それはわからんかったわ。

>それはもはや「自然」ではなく「文明」と呼ぶべきものです。

 “自然を征服して支配下に置くのが文明”
 であるならば、支配下に置かれた自然を自分の思うままに消費することも 「文明を使用する行為」 に 含まれるのではありませんか。
 そもそも文明は、文明そのもの単体では成り立ちません。
 使用者たる人間の存在が不可欠です。
 そうです。 人間が文明を利用する事に因って、文明が自然を消費しているのです。
 文明至上主義者に向かって 「自然の恩恵を遮断しろ」 と言うのは、正論のように見えますが文明を 活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮断しろ」 と成ってしまうので、文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。


> 一人で 「今から文明を捨てます」 と宣言しても文明の方が許してくれません。 人を殺せば罪に問われます。 本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。

 いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。
 オイラも貴殿も自ら社会的安寧を望んで、自分の意思で日本国の文明に帰属しているんです。
 「強制されて」 ではありません。


>強制されている訳ですから、すなわち文明を捨てないからと言って 「存在自体が悪」 として 振舞わねばならないという理由にはなりません。また文明社会に生まれた赤ん坊の時点で 「存在自体が悪」 だと断ずるに至っては、それはもう特定宗教の世界です。 信者の方だけで語り合って下さい。

 別に
   「存在自体が悪」 として振舞え!
 なんて言うとりゃせんがな。
 ただ、人が生み出した人の倫理観に照らして、人が今までしてきたこと ( そしてこれからもし続けよう としていること ) は、 「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、「重々自覚して生きよう」 というだけのことだよ。


>それこそ出来るものなら自然の恩恵を一切遮断してから言って欲しいものです。

 だから、
 “自然を征服して支配下に置くのが文明”
 なんだから、文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。

<中略>

>僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。 これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?

 問題は無いよ。
 だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、捌いて喰おうと何の問題もない。
 ↑ここまでやるなら問題は無い。 人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、グレ ートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。
 しかし、バードウォッチャーは違う。 鳥を襲わない善い奴である。
 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。 危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。
 もちろん、野生にも鳥類の天敵のように見えて鳥類を襲わない存在がある。
 言わずと知れた草食動物である。
 だが人間は、時と場合によって、鳥を襲う存在に変わる。
 そう狩猟である。
 解禁の時期になれば狩猟が許される区域で行われるバードウォッチングは、野鳥の警戒心を緩ませ て、鳥を人に狩られ易くする行為であって、鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。
 ・・・ と、かなり強引にバードウォッチャーを悪者に仕立ててしまいましたが、こんな超論法は、実はあまり現実的ではありません。
 スズメの餌付けに代表されるように、野鳥の警戒心を解くというのは並大抵の事ではなく、毎日毎日 根気良く、スズメを驚かせない様に、石像と化してその場を動かず、毎日毎日機械の様に餌をやり続けて、ようやく人に対する警戒心が解かれるのです。
 ですから、襲ってこない人が自分のテリトリーに人が度々入って来たからといって、そう簡単に 「あ あ、人間は安全なのか」 と思っては貰えないと思います。 おそらく現実にバードウォッチャーの存在が 狩人に加担している可能性はゼロでしょう。
 ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒しているが如き主張を、オイラは書いたのか。
 それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが野鳥に及ぼす影響が、オイラ が書いた 「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」 と大同小異な杞憂なのではないか?と問いたいのです。
 そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的にドミノ倒しの影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと断言することが出来ません。
 しかし、そもそもこの世に 「可能性がゼロである」 と断言できる事象なんか存在しません。
 ですから、「○○という行為が□□という結果を引き起こす可能性がある」 というだけで、○○を禁止 してしまうのは早計です。
 面白い例を紹介しましょう。
 サヨクが忌避する物質といえば、放射性物質に農薬,食品添加物が代表例に挙がると思われます が、意外なターゲットとして、人工甘味料があります。
 人工甘味料の殆どは、その化学式に毒性の根拠を見出すことが出来ません。
 ( 文系のバカサヨクは「塩素ガー」って言うのですが、そんなことを言ったら、歯磨き粉に含まれる フッ素化合物は化学式的にサリンの仲間ですから、歯磨き粉が猛毒を発して、歯を磨いた奴が死んでしまいますw )
 にもかかわらず、古くから自然崇拝主義者のターゲットにされてきました。
 我々が子供の頃に発癌性物質との疑いを受けて、市場から姿を消したのはチクロでした。
 しかし、その後の科学的な検証によってチクロの発癌性は否定され、EU圏や中国では使用が解禁されています。
 しかし、今でも人工甘味料は似非科学というか科学モドキを振り回すバカサヨクの攻撃対象であり続けています。

<中略>
 人工甘味料入りの飲料を好んで飲むのは間違いなく甘党なのだから、人工甘味料の摂取以外の栄養摂取量を無秩序にしていたら、甘党の糖尿病発症リスクが高くなるのは当たり前だ。
 エビデンスとして認められる統計を取るのであれば、サンプルは、寮生活の学生や住み込みで働いている人に限定して、寮での食事以外に間食や外食を許さず、人工甘味料の摂取以外の栄養素摂取量を厳に同一にして調査しなければならない。 甘い物を好む人が欲望のままに間食したり高カロリー な外食を摂ったりしていたら、糖尿病リスクが増大するのは当然である。
 そんなものは科学ではない。
 イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験にしても穴が無いワケではない。
 そもそもマウスと人は、化学物質に対する感受性というか耐性が全く異なる。
 たとえば、一時期に強烈な発癌性が懸念されて、忌避する為にゴミの分別回収が始まり、超高温度 焼却施設が次々に建てられた悪魔の化学物質ダイオキシンは、人とマウス ( というか、モルモット ) で毒性の現れ方が全く異なる。

<中略>
 ダイオキシンはモルモットに対して極めて強い毒性を示すが、同じ小型齧歯類であるハムスターに対しては、同体重比で八千分の一しか毒性を発揮しない。 人に対しては更に弱く、大量に摂取しない限 り、人への毒性の発現はほぼ見られない。
 そもそも既に認可されている人工甘味料は全て、異常なまでに執拗な、ある意味、悪意さえある検査 と実験を経てシロと判明した化学物質です。

<中略>
 ダイオキシンと同様に、特定の動物に対して特殊な作用を起こす可能性は、ありとあらゆる物質に関して存在します。 だから、薬も化粧品も、動物実験で安全性が確認された後で、尚も治験という名の 人体実験を行って最終チェックをするのです。
 ですから、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームが行なった実験で、人工甘味料を摂取したマウス郡が 『耐糖能異常』 を示した ・・・ つまり、『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になったからとい って、人に対しても同じことが起こるとは限りません。
 あくまで
   人工甘味料を摂取すると 『境界型糖尿病 ( 糖尿病予備軍 )』 になる可能性が提言された
 に過ぎません。
 実際問題、なぜ、イスラエルのワイツマン科学研究所のチームがこんなに浅い段階で、研究内容を公表したのか疑問に思います。
 下手したら副作用で死んじゃうような強烈な特効薬の治験じゃあるまいし、契約した人を軟禁して普通の食事以外に
   「普通の水」 「ブドウ糖を含んだ水」 「人工甘味料を含んだ水」
 を与え続けて経過を観察するだけの話です。
 莫大な研究予算を持つワイツマン科学研究所が出来ない道理は無い。
 出来ないのでもなければ、やらないのでもなく、やったが期待通りの結果にならなかった。
 だから、治験をやる前の段階のデータを公表して人工甘味料の製造メーカーにネガティブ・キャンペ ーンを張った ・・・ というのが真相だと思う。
 ま、邪推はともかく。
 科学とはこういうものです。
 仮説は実証されて始めて意味を持ちます。
   「スマホで囀りを流すのは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。
   「その場限りの一時的な餌付けをすることは」「○○で」「□□だから」自然環境破壊である。
 仮説ですよね。 実証されていませんよね。
 念のために釘を刺しておきますが。
   野鳥の権威である某先生が言っているから
 というのはナシですよ。
 では、スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが他人から制止されなければならない理由を科学的に解説、お願いします。


>もし彼らが人間と遭遇する事にえも言われぬ恐怖心を抱いているとしたら、
 その姿を垣間見る事も出来ないでしょう。 まして餌付けなど出来ようはずが有りません。

 いやいや。 そりゃあ、その鳥が始祖から今まで連綿と野生で生活をし、鳥以外の動物の観察を続けてきた結果、
   四足の動物 ( ちなみに人間は二足を宙に浮かせている四足の“動物”) は、
   俺達と違って空を飛べない
 と学習したから、僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですがな。
 もし、文明が更に進化して ( たとえば重力制御の技術を手に入れる等して ) 、人が自在に空を飛べる等になったとしたら、彼らの学習内容は
   普通の四足の動物は、俺達と違って空を飛べないが
   二足を宙に浮かせている四足の動物は、空を飛んで襲ってくる
 と上書きされて、人も鷹等の猛禽類と同様の扱いとなり、姿を見ただけで恐れ慄いて逃げ惑いますよ。
 しかし、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 ) を食いに集まるスズメタンに関しては、もうちょっと学習して欲しいんだがなぁ。 もう三年以上も餌撒きを続けていて、撒く時間になると撒く場所の上を飛び交う癖に、オイラの姿が見えると20メートル近くも離れたビルの屋上まで逃げて、コッチの様子を 窺いやがんの。
 俺のジャンプ力は1メートルもねーよ。 何で過大評価されるんだ? それとも、この容姿はスズメに とって、そんなに恐ろしいのか (´・ω・`)ショボーン


>トラクターの後ろを付いて歩くアマサギなどが良い例です。
 この場合アマサギにとってトラクターは土中などに隠れている餌(昆虫や蛙)を蹴散らしてくれる便利な動物という事になるのでしょう。

 ・゚・(つД`)・゚・ ウリが撒いた餌を食いに来るスズメタンにも其の位の胆力があればなぁ。。。

>野鳥から見れば僕ごときが現れても 「大型動物が1匹増えただけ」 なのです。

   2015年11月7日 [ 第207回 ] より
   オシドリも金網越しの撮影となった。 立ち上がれば何も被らない画が撮れたが、しゃがんで草むらに紛れていたからこそ彼らのほぼ無警戒なありのままの姿を見る事が出来たのだし、もし立ち上がれば 途端に飛ばしてしまうのが確実な距離だった。だからこちらに気付いたか或いは何かに驚いたかして飛び去るまでじっとしゃがんだまま撮影した。

 怖がらないんなら、↑立ち上がって撮れば良かったんじゃんw
   ある程度距離が有れば警戒していない
 そりゃ、その鳥が始祖から長きに渡って鳥以外の動物と関わった結果、
   四足は飛べないから、離れれば怖くない
 と学習しただけ。
 どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。
そういう意味で、野鳥の生活区域へ土足で入り込むバードウォッチャーは、鳥達にとって脅威であり、 招かざる客です。
 実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで鳥に近付いて撮影しました。
 それが、悪か?と問われれば、別に悪じゃないと思います。
 綺麗事さえ言わなければ誰もそんな些細な事を責めはしません。
 排気音やスキール音で野生動物の安眠を妨害してきた我々走り屋の悪行に比べたら可愛い
モンです。
 でも、貴殿は、自分が彼らの生活圏内に入って、見つからない様に隠れて撮影しておきながら、
 「 我々が野鳥を隠し撮りするのは正当な権利であるが、
  バードウオッチングを始めたばかりの一般ピープルがバードコールを使ったり、
  餌で野鳥を誘き寄せるのは許せない 」
 って言うんでしょ。
 しかも、言い訳するのにあろうことか、
   目の前に野鳥が飛んで来る事があるだの、
   比較的警戒心の強い種においてもある程度距離が有れば警戒していない
 だの。
 それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。
 ストーカーだって、お目当ての女性が偶然に前を横切ることがあるでしょうよ。
 ストーカーだって、セキュリティの万全なマンションの部屋から目撃されたからといって、逐一通報され はしないでしょうよ。
 だからって、ストーカー行為が善しとされるワケではありません。
 それらと同じです。
 ただ今更揉み手で擦り寄る気は毛頭ありませんが、こちとら別にバードウォッチングなんて趣味を誰が何処でどうやろうと興味も湧きませんし、咎める気もありません。
 これは、貴殿が走り屋家業 ( といってもお金は出て行くだけで、まったく儲けは無いんですが ) に何の興味も持たれないのと同じ。
 じゃあなんでオイラが噛み付いているのかというと、単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類似した行為を責めるからです。
 かつて我々走り屋は、速度を出す技術を持たず、ただただ騒音を撒き散らして市井の人々の安眠を 妨害して悦に入る低次元な“暴走族”という人種に嫌悪感を抱いて見下していました。 それは、はっきりと自覚していました。 しかし、月日を経て、今になって振り返れば、“走り屋”も“暴走族”も大した差 はありません。 どちらも市井の市民の敵,迷惑な存在だったのです。
 翻ってバードウォッチャーはどうでしょう。 “走り屋”と同様に自分たちの仲間内でしか通用しないル ールを金科玉条として扱い、それに外れた行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) はルールやマナーに反した行為だから許されないと鼻息荒く主張されていますね。
 それは“走り屋”が“暴走族”を格下に見ていたのと何も変わりません。
 もし、科学的な根拠があって、統計的有意あるいはエビデンスのあるデータに基づいて、スマホで囀りを流す行為や、その場限りの一時的な餌付けが、鳥の生活環境や鳥の生活習慣に悪影響を及ぼし、引いては人間様の環境にも悪影響がありえるというのであれば、根拠資料を集めて役所の戸を 叩き、「スマホで囀りを流す行為」 や 「その場限りの一時的な餌付け」 を罰則付きで禁止させるべきです。
 「法で禁止されていないことは何をやっても良い」
 ↑ 小学校で絶対悪として扱われる概念ですが、残念ながら事実です。
 スマホで囀りを流す行為やその場限りの一時的な絵付けを止めさせたいのであれば、法的に禁止させるしかありません。
 法で縛れるだけの根拠が示せないから諦めましょう。
 そもそも当の鳥から見たら、王道のバードウォッチも邪道のバードウォッチも大差はありません。
 それこそ、走り屋と暴走族程度の違いです。


>例えば誰かが餌付けした野鳥がたまたま営巣中の親鳥だった とします。 仮定の話ですが、親鳥が次々出て来る栄養満点の餌に夢中になるあまり丸一日巣に戻るのを忘れてしまったとしたら雛はどうなりますか。 一方でただ単に親鳥を観察しているだけの場合と比べて相対的に考えて下さい。

 いやいやいやw 
 その論で行くと、多毛類がいっぱい居る沼地とか、稲に付く蟲がいっぱい居る無農薬農法の田んぼとか、親鳥が見つけたら自分が腹を満たすのに夢中になって、巣で待つ雛が死んじゃうことになっちゃいますよ。
 野生にあっては、自分の腹さえ満腹にならないのに、捕らえた獲物を呑み込まないでクチに咥え、巣で待つ雛まで運ぶのが親鳥であり、その自分の生死よりも仔を優先する姿に我々愚民は心を打たれるのでしょう。
 だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。

<中略>

>餌付けした結果、本来生き残るはずではなかった個体がその遺伝子を次世代に引き継いでしまったら、いずれ餌付け無しでは生き残れない者ばかりになってしまいます。

 さすがに其れは針小棒大が過ぎるという物。
 それが本当なら、オイラが撒く餌 ( 市販の小鳥用の餌=雑穀 )を食べているスズメ達は、オイラが餌を撒くのを止めたら、穀類をとる方法を忘れて飢え死にすることになりますYO。
 幾ら何でも其れはないでしょうw
 とある地点でとある団体が入れ替わり立ち代わり野鳥に餌を与えたからといって、そうそう簡単に自分で餌を捕ることを忘れはしませんて。
 そもそも、鳥にはテリトリーという物があるワケで。 とある種類の鳥がとる地点で人間から餌を貰っていたとしたら、その種類の鳥とテリトリー争いをする種類の鳥は、寄って来ません。
 何もその周辺に棲んでいる鳥が悉く満腹になる量を、毎日毎日餌付けに来てるんじゃあるまいし、その場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、さすがに杞憂ですよ。
 オイラが伏せた洗濯籠の中で保護したヒヨドリと思しき鳥も、いわば保護している間中、ずっと人から 餌を貰い続ける生活でしたけど、元気になったので庭に放ったら、さっさと視界から消えました。 その後、何日間かは、庭の周辺で鳴いていて、苦労せずに食える環境が名残り惜しかったみたいですが、 スグに来なくなりました。
 貴殿に言わせると、あのヒヨドリと思しき鳥は、オイラに餌付けされた所為で、可哀想に獲物を獲る方法を忘れて飢え死にしたということになるんでしょうね。
 それはないと思いますけどねぇ。


>徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしないという点では一貫しておりダブルスタンダードでも何でもありません。

 ( ゚д゚) は?
 貴殿がゴカイの扱いに関して
   徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしない
 なんて主張をしたことがあったかい?
 かつて、貴殿が言っていないにも関わらず、
  > 人が介する事に因って生じた「種」の絶滅は許し難い大罪
 と貴殿が発言したかの如く扱ったオイラが言うのもアレですけれども。
 言っていない事を 「言った」 とするのは止めましょう。


>もちろんゴカイが居なくても魚を捕える事は出来ます

 誰も漁の方法の話なんかしとりゃあせんがな。
 鳥に対しては
   鳥篭に閉じ込めて飼うのは残酷な行為なので許さん
 と主張しつつ、ゴカイに対しては、人が釣り餌として養殖する場合に
   土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題
 と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。
 もちろん、キリスト教的観点から、
   鳥はゴカイよりも上位の存在だから、生命の価値が高い鳥類の権利が尊重され、
   生命の価値が低いゴカイの権利が制限されるのは当然のことである
 と仰られるなら賛同し、支持しますよ。
 オイラもそう思いますもん。 ( オイラは、キリスト教徒ではありませんが )

<中略>

>ゴカイも家畜も駄目で豆なら良いと仮にも認める様な事を言ってしまうと、鯨は知能が高いから捕鯨は駄目という環境団体と言ってる事が同じになってしまいませんか?

 命を何処まで等価と見做すかなんて糞議題を引っ張り出すのは止めてください。
 等しく等価な命なんかありません。
 そもそも人が他者の命を喰らうて生き延びる業を負った生き物である以上、そして、人が食物連鎖の 頂点に立っている以上、命の価値は人が決めるものでしかありません。
 ( 神様が決めてくれたら話が早いんですけどねぇ )
 私が前回に
 > 人間がタンパク質の摂取を豆で我慢できるのであれば、ゴカイも家畜も必要ありません
 と書いたのは、貴殿が
   ゴカイや家畜は人間に美味しい食卓を与える為の犠牲だから無問題
   でも、野鳥の飼い殺しは、生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というダブルスタンダードを主張されたからです。
   生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というなら、
   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い
    ↓ ↓
   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている
 であり、だったら、
   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題
 なんじゃねーの?と訊いているんです。


>絶対的な本質論で味噌も糞も一緒にしてしまうかと思いきや時と場合により相対的に思考されるとは驚きです。これを称してダブルスタンダードと言うのでは? この相対的思考に照らせば僕が単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきです。

 そうですね。
 であるなら、野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、 人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、
   「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきですね。


>誰も見た事が無い様な亀や蛇を可愛い ( 或いはカッコいい、美しい、珍しい・・・ ) などとイメージ出来る人はよほどのマニアだけでしょう。

 おいおいw
 鳥の話をしているんだから、「野生種」=「鳥の野生種」だよ。 当然だろ。
 そして、未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、愛くるしい子猫や子犬でさえ敵 わない思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。
 普通の人が 「飼いたい」 という衝動に駆られるのは、そういう鳥たちの可愛いさであり、亀や蛇を飼う 人ような 「珍しい動物を飼うことで衆目を集めたい」 という自己顕示欲の発露ではありません。
 可愛い生き物を飼いたいと思うのは、人の普通の感覚であり、飼い慣れない動物を新たにペット化す るには十分な動機と言えるでしょう。


>コウノトリやトキを野生に戻そうとしているのは人間が永久に養う訳には行かないからというのが主な理由の一つでしょう。

 また微妙な回答だなー。
 これも内輪で勝手に決めてるルールなんだけど、猫大好き人間には課せられたルールというものが ありまして。
 ① 野良猫に餌をやるべからず
 ② 飢えた野良猫が可哀想だと思うなら、万難を排して飼え。
 ③ 飼うと決めたらちゃんと獣医に見せるなどして、責任を持って、最期を看取るまで付き合うこと
 なんですな。
 で。
 コウノトリやトキは飼っちゃイケナイ生き物だから、このルールが適用されないのは当然なんだけれども。
飼う気がないのに餌をやり、餌を貰うことで野生を失った個体にしておきながら、時期が来たら野に放ってハイサヨウナラってのは酷いんじゃないのかな。 いや、もちろん、ハイサヨナラじゃなくて、行動を追跡して調査し、取ったデータを他の個体の育成に活用しているんでしょうけど。
 そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。
 絶滅が危惧されるまで個体数を減らし続けた理由が、たとえばクジラを保護したために生態系のバランスが崩れて、クジラに食われる魚たちが絶滅の危機に瀕しているのだとしたら、シロンボの横暴の後 始末を我々黄色人種がつけるのだとして理解できますが、コウノトリもトキもそれらの種を絶滅に追いやったのは他でもない日本人ではありませんか。 人によって捕らえ方は違うと思いますが、オイラに は彼らを絶滅に追いやった日本人に彼らを救う資格はないように思えます。
 当人ならぬ当鳥にしてみれば、
 「 いままで散々ブッ殺しておいて何が保護だよフザケンナ。
  悪いと思ってんならテメーが俺らよりも先に滅びて見せろよ、クソッタレ 」
 だと思いますよ。
 前回も書きましたが、個体数を盛り返しえるだけの数が居ない種に関しては、静かに幕を閉じさせて あげるのが情けなのではないでしょうか。
 まぁ、考え方は人それぞれですけれども。


>「神の御意志」 なるものが存在するとするならば一部の人間がどういう動機にせよ「在来種を守らなきゃ」 とか 「コウノトリを復活させなきゃ」 と考えて実行に移すのも「神の御意志」 でしょう。コウノトリに人間を魅了し利用する力が残っていたと考える事も出来ますから。

 そうですね。
 であるなら、野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、
   野鳥が人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用した
 という解釈でOKですねw


>僕ごとき一般人が世界中に向けて情報発信する能力を持つ事は
 それはそれで文明の持つ力であり自己実現のアイテムとしても有益だと思います。

 ちょっと話題から外れるんだけどさ。
 バードフォトグラファーとかバードウォッチャーって、他人の撮った写真が気になるものなのかな?

 <中略>

>一方で 「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事を批判し、 一方でマナーに関し注意喚起する事を批判されていますが、投稿者さんは僕に一体どうしろと言うのでしょうか?

   「マナーに関する詳しい解説を載せておかない」 事
 ↑ 無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪
   マナーに関し注意喚起する事
 ↑ そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為 ( スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け ) を悪逆非道の如く罵る罪
 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。
 ま、大罪じゃありませんが。


>注意喚起の事なら 「野鳥王国:初歩のバードウォッチング」 をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
    ① 野鳥の邪魔をしない。野鳥は人間の為に生きている訳ではないから繁殖などの邪魔にならない様に配慮が必要。「バードウォッチングさせてもらっている」 というくらいの意識でちょうど良い

 ↑ 撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すようなストーキング行為をやってる時点でアウトなんとちゃうんか、とw

>僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起する野鳥ファンが居なくなれば
 どうなりますか。 よりマナーの悪い人だけが残ってしまう事になるでしょう。


   僕みたいに直接あるいは間接的に注意喚起

 (´・ω・`) はて?
   2015年12月25日 [ 第212回 ]

   この撮影隊にも大人の対応でそれとなく疑問符を投げかけて早々にその場を立ち去った。

 これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?

>野鳥は地球上のありとあらゆる空間に進出していて極論すれば野鳥の存在し得ない空間を探す方が難しいほどです。
 人間の生息域と野鳥の生息域は (ほとんど全て) オーバーラップしており、
 ( バードウォッチングしようがしまいが、文明が有ろうが無かろうが ) 自ずと一定の緊張関係は存在しています。
 何も人里離れた辺境地とかに行かなくとも外を出歩くだけで既に野鳥の生活圏内です。
 言わば 「仮に野鳥を避けようとしてもどこにも逃げ場は無い」 という状態です。

 空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、ストーカー犯罪は取り締まり出来ないよ。
 バードウォッチングを批難する観点から、鳥を二に大別するなら
 「 人を怖がらない鳥 」 と 「人を怖がる鳥 」 になるだろう。
 身近な例で言えば、前者は鳩、後者はスズメですね。
 逃げない鳥が存在するからと言って、逃げる鳥を追い回して良いとは言えません。
 ストーキングする迄もなく向こうから寄って来る鳥が存在するからといって、隠れて近付いているのが バレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングして良いとも言えません。
 大空を飛ぶ能力を奪って鳥篭に閉じ込めて飼い殺しにするのを残酷だと主張される一方で、隠れて近付いているのがバレたら死に物狂いで逃げるような臆病な鳥をストーキングするのは構わないって のが、捻くれ者のオイラには都合の良いダブルスタンダードに思えるのです。
 『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、前者が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。 が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。
 そういう話です。


>その通り 「屑の戯言」 でしょうね。 僕は偽善者でも聖人君子でもありません。
 他の人と同じく趣味を楽しむただの野鳥ファンです。
 ただ、「存在自体が悪」 と自称する人に言われたくありませんけどね。

 おいおいw 誰も 「只一人、オイラ個人だけが悪」 だなんて言ってないぞ。
 オイラが市井の弩平民の分際で、人類を一括りに 「悪」 と言い張っているだけだぞ。


>前述した様に僕は投稿者さんと同じく文明を謳歌する人間様です。
 鶏肉も食べます。 ずいぶん昔ですが鴨肉も食べた事が有ります。

 ( ^ω^ ) 鴨南蛮美味しいよねー。
 鴨南蛮の鴨肉は、合鴨の肉だけど。


>こう言うと当然予想される反駁は
 「 じゃあスマホでさえずりを流したり餌付けしたりしても
  とやかく強制されるものではないではないか。 ダブルスタンダードはあかんで 」
 ですが、これは前述の 「線引き」 の問題です。
 「極力影響を与えない」 というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って
 味噌も糞も一緒にして 「お前もやっとるやないか」 と言うことは出来ないでしょう。

 だから、その 「線引き」 が 「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 という点が問題なんだよ。
 貴殿等の 「線引き」 は、バードウォッチングが野鳥から赦される行為だという前提に立っている。
 これは、我々走り屋が決めた 『自分達の間だけで通じる峠のマナー』 と何も変わらない。
 鳥に高度な知能が有って、かつ、意思表示が可能だった場合に、
 「 人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。
  これは重大な鳥権の侵害である 」
 と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。
 世の中には“目糞鼻糞”という言葉があります。
 『バードウォッチング』と『スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け』のどっちが目糞でどっちが鼻糞 なのかは知りません。 もしかしたら、片方はもっと汚い尻糞なのかも知れません。
 しかし、いずれにせよ、当の本人ならぬ本鳥からみたら、どっちもどっちでしょう。
 というか、対価も払わずに隠し撮りしているストーカーに比べたら、その場限りの餌付けというカタチで 撮影の対価を払ってくれる人の方がありがたいのではないでしょうかね。
 モーターショウや改造車ショウで我々弩素人カメラマンもどきに写真を撮らせてくれている綺麗なおねーさん達だって、我々が入場料という対価を払い、その対価が回り巡って彼女らに支払われるからこ そ、にこやかに撮らせてくれるのであって、カネも払わずに隠し撮りしていたら、塩どころか石を投げられますよ。


>投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 自分が鳥であったなら ( カメラの意味を理解出来るかどうかはさて置き )
 「 生活を隠し撮りされても、命を奪われたりコレステロール値の高いものを食べさせられたり騒音を聞かされたり自由を束縛されたりするよりは平気だ 」
 と答えます ( 野鳥がそう答えてくれるとは限りませんが )。

投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 と書いた、その次の行で
   自分が鳥であったなら
 って書き出しで鳥に成り代わって主張する。 此処は笑うトコか?

 <以下略>


管理人コメント:
今回は個別に反駁して行きます。

>文明を活用するためには、自然を消費せざるを得ないので、「自然の恩恵を遮断しろ」=「文明の恩恵をも遮断しろ」と成ってしまうので、文明至上主義者に対する反駁としては不適切です。
>文明を介して自然を搾取するのは文明至上主義者として何の矛盾もないっつーの。


偉大なる自然の恩恵を軽く見ておられるから出来るもんなら自然の恩恵を遮断してみて下さいと言っているのです。自然至上主義者が文明を遮断しなければならないとすれば文明至上主義者は自然を遮断しなければならないというのも道理でしょう。そうして文明がいかほどのもんか証明して頂きたいものです。ただ投稿者さん自身も認めておられる様に、自然を遮断するのであれば文明も遮断しなければ自然を遮断した事になりません。だからそのあと「文明は自然の恩恵を受けて発祥した訳ですから投稿者さんは文明の恩恵も遮断しなければなりません」と指摘しています(どこにも居場所が無くなってしまいますので投稿者さんの主張が根底から崩れる事を意味します)。反駁が不適切なのではなくて、そもそもこの世界観が根本的に非現実的過ぎるのです。
まぁこれについては観念の世界の話だし無理難題の域を出ず何か結論が出たとしても誰も得をしないのでここらへんでやめておきます。

>いや、そんなもん、内戦状態で法による秩序が成り立っていない国へ行けば良いだけやん。

自然至上主義者の方には是非そうして頂くとして、ここにはそういう方は参加されていませんので、この話はこれっきりになるものと思われます(自然至上主義者の方がこのコーナーを読んで頂いているとしても、事ここに至ってこの段階から参加しようとは思わないでしょうなぁ・・・)。

>人が今までしてきたこと(そしてこれからもし続けようとしていること)は、「存在自体が悪」 だと断ずるに相当する行為だと思うから、「重々自覚して生きよう」 というだけのことだよ。

そこから何故に「人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません」という発想になるのでせうか?
この思想はたいそう立派に存じますが僕には高尚すぎてとても真似出来ません。

>問題は無いよ。
 だからこそ、その辺の野鳥をとっ捕まえてペットとして飼い、飼い殺しにしようと、捌いて喰おうと何の問題もない。
 ↑ここまでやるなら問題は無い。人が鳥の天敵であり、ヒトという危険な種から逃げることが、グレートハンティングから逃れる為の訓練になるからね。
 しかし、バードウォッチャーは違う。鳥を襲わない善い奴である。 野生に於いては、そういう存在が大変に宜しくない。危機感覚を麻痺させてしまいかねないからだ。


投稿者さんの論法によれば、バードウォッチングは「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」だから問題が有るという事であって、「野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じている」のだとしても、それは問題無いと認めておられます。これが珍しく意見の一致をみたという前提での今回の僕のコメントなので、予めここで再確認しておきます。

さて、僕一人の価値観かも知れませんが僕が「自然を慈しむ」と言う時、それは何も「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」という事ではありません。「あるがままの自然を慈しむ」という意味です。例えば「こんなふうに餌を見つけるのか」とか「こうやって生きているのか」などと感動するのが(僕にとっての)「自然を慈しむ」の意味の一つです。さてそこで、野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは「あるがままの自然」の姿から程遠いと言わざるを得ません。そんなもの管理人の独断じゃないかと言われるでしょうが少なくともダブルスタンダードだと批判されるものではありません。飽くまでも僕の主観ですが、実際ペットとして鳥を飼ったとしても姿形が「鳥」ってだけであって、野に在る野鳥の生々しい姿とは天地雲泥の差が有ります。野鳥を飼い鳥と比べると全身にみなぎる緊迫感ひとつとっても研ぎ澄まされた刀の様に美しいと感じます。僕にとって飼い鳥とは、鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージです。

>野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為であって、鳥類にとってありがた迷惑な行為でしかありません。

現実問題として東南アジアなどではカスミ網猟が行われており絶滅危惧種(などと言うとまた突っ込まれそうですが・・・)なども捕獲され店頭に並べられ食べられていると聞きます。日本で餌付けされ人間に慣れてしまった野鳥が捕まらない様に祈る様な気持ちです。野鳥には人間を警戒してもらわねば困りますね。
なお、僕が野鳥を脅かさない様に気を遣っているとしても、結果的に鳥を襲わないだけであって野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じていないとは言い切れませんから「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」とまでは言えませんし、もしそうだとしてもその倫理観を問うのならカスミ網猟の倫理観を問うのが先です。また、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」にも何の問題も有りませんし、野鳥を脅かして回れと誰かに強制される謂れも有りません。

>スマホで囀りを流したり、その場限りの一時的な餌付けをすることが他人から制止されなければならない理由を科学的に解説、お願いします。

これは野鳥には関係無いと言われるでしょうけど、前回もコメントした通り人間社会の常識とかモラルの話です(後述します)。人間社会の常識やモラルに科学的な根拠は必ずしも必要ありません。

>僅かな距離を離れただけで安全圏と見做して、それ以上遠くへ逃げないだけですがな。
>どう言い繕おうとも、近い距離に現れる人間は、鳥にとって脅威以外の何物でもありません。


これらに対する回答は前述の通り前回コメントの中に有りますね。投稿者さんも問題無いと認めておられる通り、僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが(「鳥を襲わない善い奴」だろうが)野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。
つまり野鳥がどんなに恐怖心を抱いていようがそれが「あるがままの自然」の姿であって何ら問題無いという前提で、それでもなお野鳥たちはそれほど恐怖心を抱いていない(であろう)と言っているだけです。それとも「問題は無いよ」と言った前言を今さら覆しますか?

>実際に貴殿は、鳥に見つかれば鳥が怯えて直ちに逃げ去るような距離まで鳥に近付いて撮影しました。

これも前述の通り何の問題も無い事なのですが、一応反駁しておくと例示されているフォトギャラリーのケースでは僕の方からは野鳥に近付いたりしていません。むしろそれは極力やらない様にしようというスタンスです(僕は移動中の出会いがしらは別として基本的に待ち構えるスタイルです)。気付かずに近付いてしまったりする事は有るでしょうし野鳥の方で気付かずに寄って来る事も有るでしょうが特に警戒心の強い者には僕なりに細心の注意を払っているつもりです。しかしそれも自己流モットーや不文律の類いでしかなく誰かに準用されてとやかく言われる筋の話ではありません。単純に「野鳥が逃げるから」自分の都合で気を遣っているだけだと思ってもらっても構いません。
この様にフォトギャラリーを遡って読んで頂くと、このコーナーで僕がその場の思い付きでコメントしたりしていない事が分かって頂けるでしょう。衰えたとはいえ僕にも学習能力は有りますから長い年月の内には細かい部分で考え方が変遷しているかも知れませんが、僕なりに(飽くまでも「僕なりに」ですが)一本筋を通しながらバードウォッチングをしている事は読み取って頂けるものと思います。

>それじゃ、通報されて捕まったストーカーの言い訳じゃないですか。
>空間が連続しているからセーフなんて屁理屈が通用するなら、ストーカー犯罪は取り締まり出来ないよ。
>「人に対してはストーカー行為が禁じられるのに、鳥に対してはストーカー行為が禁じられていない。これは重大な鳥権の侵害である 」と主張されたら、バードウォッチングという趣味自体がアウトだ。
>撮影可能な距離に居ることがバレたら、鳥が慌てて逃げ出すようなストーキング行為をやってる時点でアウトなんとちゃうんか、とw


投稿者さんに言わせればストーカーの被害者にとってストーカーは「元々そこに有る恐怖」な訳ですな。野鳥ファンをストーカーに例えるとは何とも強引な例示です。

>単純に自分の行為は正当化するのに、他人の類似した行為を責めるからです。

物事を一面からしか見ていない意見ですね。一見すると本質論的には同じ事であっても他の面で異なるという事は世の中に沢山有ります。この件は野鳥から見れば同じ事だが人間界の常識に照らせば必ずしも同じ事ではないと言えます(後述します)。

>だったら、満腹に成れば尚の事、親鳥はせっせと餌を雛に運ぶでしょうに。

その意見にも科学的な根拠は無いでしょう?これに関しては僕も実はその可能性には気付いていましたが希望的観測に過ぎません。「ネズミ程度の脳しか持たない鳥類」だから、例示した様な可能性はゼロではありません。とは言えさすがにこれは例え方が下手くそでした。しかし営巣中でなくとも高カロリーの生き餌を次々に出されてついつい食べ過ぎ体質が変わってしまうという可能性は否定出来ません。その結果思わぬ悲劇(※)を招くかも知れません。(※:体重が増えた事により飛翔力が落ちタカなどの捕食動物に襲われた時に逃げ遅れたり渡りの途中で海に落ちたりする可能性。)しかしこの設問に関しては互いに科学的な根拠を持ち合せていないので想像の域を出ません。

>その場限りの一時的な餌付けで、野鳥から狩りをする能力が奪われるなんて事は、さすがに杞憂ですよ。

もしその個体が餌付け無しでは生き残れない遺伝的に弱いスキルの者だったとして、そういう優秀でない者が遺伝子を次世代に引き継いでしまったら「種」としては弱体化するでしょうという話です。個々の個体が持っているスキルを失うという話ではありません。一世代一回限りなら知れてるでしょうけど、全国的に何世代か繰り返せば採餌スキルの低い遺伝子が大量に残ってしまう事になります。その結果全体の平均スキルが低下すれば「種」全体のリスクになり得ます。

>貴殿がゴカイの扱いに関して徒に生命を人間の支配下に置き弄ぶ事を良しとしない
 なんて主張をしたことがあったかい?
>土に潜る自由を奪って、狭い場所でひしめきあって餌を食わされる生活でも全然無問題
 と仰られる貴殿のダブルスタンダードを責めているんです。


改めて端的に言うと、
「人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない」
「人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のものでないなら徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない」
この2つは矛盾していないという事ですよ(仮定が正しいかどうかはさて置き)。表現は変遷しているかも知れませんが僕のこれまでの意見と食い違ってないでしょう。

>生きる為に不可欠という訳でもないから有問題
 というなら、
   人が豆食って我慢すれば、ゴカイも家畜も徒に命を落とす必要は無い
    ↓ ↓
   人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている
であり、だったら、
   人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題
なんじゃねーの?と訊いているんです。


「人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている」の部分に異論は有りませんよ。
「人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題」の部分はこの構図の中だけで見れば一応は間違ってないと言えるに過ぎません。これも一面からしか見ていないパターンですね(ペットの飼育については目の仇にしている訳ではありませんが次の設問に続きます)。

>野生の鳥を捕まえて狭い鳥篭に押し込み、ペットとして飼う事もまた、人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜と比較して、「少しはマシだ」 と論じるのも正しいと評価されるべきですね。

僕は世の中は本質論だけでひとくくりに出来ないという考えですから元々相対的思考をしています。投稿者さんはある種絶対的な本質論で物事をひとくくりにして論じておられるのに(時と場合により都合良く)相対的に論じられるのでそういう所を指摘したまでです。しかも今回また相対的思考を持ち出して来られました。これをダブルスタンダードと言うのではありませんか? 相対的に「少しはマシだ」 と論じるのであれば味噌も糞も一緒にする様な本質論による決め付けは取り下げねばなりません。
なお、ここのロジックが全て正しいと仮定しても
少しはマシ:[単に野鳥を観察する事]>[ペットとして飼う事]>[人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]:マシではない
であるに過ぎません。なぜならこの比較論は「単に野鳥を観察する事を餌付けやペット化と比較して『少しはマシだ』 と論じるのが正しいと評価されるのなら」という条件から発しているからです。つまり「ペットとして飼う事」は「人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜」より少しはマシだが「単に野鳥を観察する事」よりはマシではないという図式に依然として何ら変わりは無いのです。

>未だに人が飼うことに成功していない鳥の野生種の中には、愛くるしい子猫や子犬でさえ敵わない思わず抱擁して頬ずりしたくなるような可愛い鳥がいっぱい居る。

爬虫類を引き合いに出した例えがこれまた下手くそでした。
世界には本当に多種多様な鳥が居るものです。しかしその中でメディアによって積極的にアピールされなくても既に誰でもイメージ出来る様な鳥って何種類くらい居るでしょうか?このコーナーの発端となったキバタンも「どこかで見た事が有るなぁ」という程度の知名度でしかなく名前まで言える人は少ないでしょう。そもそも誰も知らない様な鳥をペット化する必要が有るとも思えません。

>そもそも絶滅確定種に関わって、絶滅を先送りしていることの意義が理解できない。
>野鳥を狭い鳥籠に閉じ込めて飼い殺しにするのも、 野鳥が人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOKですねw


犬猫などの様に半永久的に人間と共存して行く事が確実なペットならば「人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOK」ですが、(以前のコメントに戻ってしまいますが)半永久的に人間と共存して行く事が確実ではないならば実は「OK」かどうか誰にも分かりません。野生に戻されたペットやコウノトリが結果的に絶滅してしまったら「やっぱり人間の責任だったね」という事になるのでしょうが生き延びる可能性もゼロとは言い切れません。生き延びたと判断出来れば「結果オーライ」なんだろうと思います。なお、外来種を処分する際には元々の生息地に戻すという発想がなぜ誰にも無いのか不思議です。お金の問題なんですかね。

>無辜の第三者の好奇心を煽っておきながらフォローしていない罪
そもそもバードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為 (スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け)を悪逆非道の如く罵る罪
 二つの罪を犯しているぞ、と指摘しているだけです。


どちらも既に反証済みです。
そんな「罪」が存在するとして、一つめの「罪」については、くどい様ですが前回コメントをそのまま再掲します。
注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。それ以前に、高級カメラを持ち歩くほどの大人であればマナーなどいちいち伝授しなくとも本来「常識」に照らして判断出来て当たり前でしょう。上記の「自己流モットー」も読んでいただければ分かる通りほとんど子供を相手にしている様な内容です。
二つめの「罪」についても、今回コメントを読んで頂ければそんな「罪」など犯していない事が分かると思います。

>これの何処が“直接あるいは間接的に注意喚起”なの?

僕にどんな「注意喚起」を期待されているのでしょうか?まさか水戸黄門の印籠みたいなものを僕が持っているとでも?「フォロー」していないのは「罪」だと言い、「フォロー」したらしたで「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」だと言う。僕にどんな「注意喚起」を期待されているのか具体的にその根拠も添えて教えて下さい。僕の様な一般人のアマチュアがご期待にお応え出来るとも思えませんが。そもそも「注意喚起」など僕ごときが頑張ってもどうなるもんでもありません。端から非常識な人は誰も聞いちゃいませんよ。常識の僅かでも有る人に初めて響くのだと期待するしかありません。後はその本人の問題です。

>逃げない鳥が存在するからと言って、逃げる鳥を追い回して良いとは言えません。

誰が「逃げる鳥を追い回して良い」と言いました?前述の様に僕は野鳥を待ち構えて観察するタイプです。警戒心の強い種に対しては充分過ぎる距離を置いて注意深く観察しないと実際問題観察出来ません。追い回すなんてもっての他で(良い悪いではなくて)、それは僕の撮影スタイルではありません。追い回しても野鳥の逃げ足の方が圧倒的に速く、決していい結果は得られません。但し前回コメントの「元々そこに有る恐怖」という回答が正しいとすれば、逃げる鳥を追い回しても何の問題も無いという事になります。問題が有るとすれば人間界のモラルの問題です(後述します)。

>オイラが市井の弩平民の分際で、人類を一括りに「悪」と言い張っているだけだぞ。

ふんぞり返って言われてもー・・・
それは「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」とは違うのですか?

>だから、その「線引き」 が 「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 という点が問題なんだよ。

(野鳥には関係無いと言われるかも知れませんが)人間界の不文律とか暗黙の了解とかは誰が決めたものでもなく最大公約数の人が社会通念上常識だと考える物です。「常識」というものも我々が人格形成する過程で教育や経験により本人次第で身に付くものだと考えます。じゃあ「常識」って具体的に何だ?と問われて事細かに言葉で表現出来るでしょうか。僕が思うに、たとえ逐一言葉では表現出来なくてもその国のその社会で共通認識として皆が理解しているもの、それが「常識」です。であるならば個人的に「自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」常識など存在し得ない事が分かるでしょう。もちろん社会全体で「自分達の都合の良いように自分達が決めた物」が「常識」だと言えなくもないですが、もしそうであるならそこに何の問題も有りません。そこには見えないラインが確かに有ります。それが「線引き」なのだと言えます。もちろん強制力は有りませんし時代と共に変遷するものでしょうが、短期間の内にコロコロ変わるものでもありません。それなりに人生経験を積んだ人の主観で「明らかに非常識だ」と感じる事柄というものは誰が見ても大抵非常識なのだと思います(もちろん非常識な本人はその事に気付いていない訳ですが)。
さてそこで、相対的に考えるなら「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」野鳥ファンと「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」野鳥ファンが居たとして、どちらが野鳥にとってより好ましくないかは「常識的」に考えれば野鳥ファンならずとも大多数の人が後者だと答えるでしょう。もちろん「常に常識が正しい」とは限りません。しかし経験的に概ね正しいから「常識」として定着しているとも考えられます。なお、モラルに反する非常識な人は周囲の人間にも迷惑をかけている場合が多いです。僕の様に「あるがままの野鳥」を見たい野鳥ファンを尻目に餌付けなどされたら、別に野鳥とは関係無しに個人的に迷惑してるからやめてくれと言ったって構わないのです。
ところで殺人が何故罪に問われるのだと思われますか?もちろん様々な理由が有りますが、大きな理由の一つは「社会秩序を維持する為」です。社会のあちこちで殺人が行われてしまったら社会秩序が維持出来ません。弱い者が生き残り現状を維持する為には殺人が犯罪であるというルールが必要なのです。社会秩序維持の為に法律や条約が有り、明文化する必要性が低い事柄が「しきたり」や「ならわし」であり、その根底に有るのが「常識」や「良識」であったりする訳です。そうして社会秩序が維持されているのだと考えられます。以前述べた様に仮に人間社会によって自然界の生態系がどういう形であれ維持されているのだとしたら、我々が「自然」と捉えているものも社会秩序の一部であると言えます。だとすると社会秩序を乱す事はすなわち生態系を乱す事にも繋がります。国際関係で社会秩序を乱す行為の最たるものは戦争ですが、絶滅種のうちいくつかは太平洋戦争を境に姿を消しています。環境省レッドリストによればリュウキュウカラスバト(1936年)、ダイトウミソサザイ(1939年)、ダイトウヤマガラ(1930年)、ムコジマメグロ(1930年)などの例が有ります。カッコ内の年代は最後に確認された年(多少の誤差を含む)を表していると思われますから、戦後調査してみたら絶滅していたという事を意味します(通常、最終確認から50年経過した時点で絶滅と判定されている様です)。14種(亜種)の絶滅種のうち少なくとも4種(亜種)が戦争を境に姿を消しているという事は(偶然の可能性も有りますが)人間界の社会秩序が維持されなければ自然界に多大な悪影響を及ぼすという事を示唆しています。こう考えると人間界の不文律や常識もあながち「野鳥には関係無い」とも言い切れないと思われます。

>投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう。
 と書いた、その次の行で自分が鳥であったならって書き出しで鳥に成り代わって主張する。 此処は笑うトコか?


「鳥にしか『自分が鳥であったなら』と語る権利が無い」と言った覚えは有りません。
「投稿者さんの指摘される様な主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無いでしょう」と言ったのです。
「投稿者さんの指摘される様な主張」=「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」
ですから代入すると、
「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」と主張をする権利が有るとすれば当の野鳥以外に無い
となるだけです。その次の行で「自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても<中略>平気だ」と主張しても別におかしな事は有りません。

野鳥「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」
(それを考えた結果・・・)
僕「自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても平気だ」

どこが笑うトコなのか逆にお聞きしたいです。
投稿者さんのコメントに「自分が鳥であったなら」という問い掛けが有ったのでそれに答える形で自分の気持ちを率直に書かせてもらいましたが、そもそも鳥の気持ちが誰にも分からないという前提なのは当然であっていくら議論してもこの部分の結論は出ないでしょう。議論するだけ無駄です。であるなら「元々そこに有る・・・」と割り切るのもあながち間違いではありません。あとは(地球が巨大な鳥籠かどうかはともかく)「あるがままの自然」に近いかどうかが判断材料という事になります。常識的に見て「あるがままの自然」から遠ければ遠いほど「元々そこに有る・・・」とは言えないという事になるからです。

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