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投稿者コメント:
人の事は言えないが、相変わらず長いお (´・ω・`)
<中略>
 素敵な首の絞め合いは、どちらかが息の根を止めるまで続くという事なのか。
 おそろしあ。
 おそろしいけど、性懲りもせずに反駁参る。


>偉大なる自然の恩恵を軽く見ておられるから
 出来るもんなら自然の恩恵を遮断してみて下さいと言っているのです。

  文明が自然を消耗しなければ成り立たない以上、極端な話、「文明至上主義とは自然破壊主義」と捉えて頂いて結構です。
 であるならば。
 「文明至上主義とは自然破壊主義」 であるならば。
 「文明至上主義を標榜するならば、偉大なる自然の恩恵を遮断してみろ!」
 という主張は意味がありません。
 自然は人の上位にある偉大な存在ではなく、人に使われ消費される下位の存在でしかありません。
 ( もちろん、人間の営み如きは、自然災害を喰らえば一瞬で瓦解してしまう砂上の楼閣でしかありま せんが、人が“文明至上主義”であろうが、“自然至上主義”であろうが、蝙蝠な“いいとこ取り主義”で あろうが、自然災害は関係なく襲って来ますので、こちらの思想は関係がありません )
 あくまで、文明至上主義者の主観として、ですが、「文明至上主義とは自然破壊主義」 なのですから、こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪するのは人間の権利です。


>自然至上主義者の方には是非そうして頂くとして、ここにはそういう方は参加されていませんので、この話はこれっきりになるものと思われます

  上から目線で
   本人の意思に関係無く我々は文明に帰属する事を強制されているのです。
 なんていうから、
   拒否権ならあるよ
 と言ったまでです。


>そこから何故に
 「 人にとって人の尊厳の前には、他の動物の尊厳なんか知ったこっちゃありません 」
 という発想になるのでせうか?

 まぁ、「存在自体が悪」の“悪”ってのが曲者で。
 「 人間が豊かに暮らす為に文明を進化させ、その結果として自然をこんなに破壊してゴメンね」 だ の、「 人だけがグレートハンティングから逃れて悠々と暮らす為に、森や山を破壊してコンクリートで固めてゴメンね」 だの、そういうのはあくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって、偶に ( 文明が無くても起こり得る程度の率で ) 自然災害が起こるだけなんだから、人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は、( 少なくとも人に罰を与えることが出来る高位の存在からみて ) 悪でも何でもないということになるのだと思います。
 ( 人よりも高位の存在がいないのだとしたら、それはそれで、人の罪は人が定義することになるので すから、やはり、「人は無罪」 という結審になるんだと思います。)


>バードウォッチングは
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」
 だから問題が有るという事であって、
 「野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じている」
 のだとしても、それは問題無いと認めておられます。

  途中だけど突っ込むね。
 人がグレートハンティングの頂点に居る存在として相応しい行動 ( 一方的に狩る側の存在として、自分よりも下位の生命を自由に弄ぶ ) は問題が無いという意味です。
 そう考えれば、木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーに鳥が驚かされる如きはどうでも良いことなので無問題。 もちろん、スマホで囀りを利かせるのも、その場限りの餌付けで鳥を集めるのも無問題と云う事です。
 もし、スマホで囀りを利かせたり、その場限りの餌付けで鳥を集めたりすることを咎めるのであれば、 木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーが鳥を驚かすことについても同様に咎められなければなりません。


>野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰うならまだしもペットとして飼うのは
 「あるがままの自然」 の姿から程遠いと言わざるを得ません。
 <中略>ペットとして鳥を飼ったとしても姿形が 「鳥」ってだけであって、
 野に在る野鳥の生々しい姿とは天地雲泥の差が有ります。
 <中略>
 僕にとって飼い鳥とは、鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージです。

  んじゃ問題ないじゃん。
 「籠に入った時点で、もはや野鳥では無い」 というなら野鳥を捕まえて籠に入れることに何の問題がある?
   野鳥をとっ捕まえ、捌いて喰う
 がOKということは、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] + [ 捌いて喰う ]
 がOKということ。
 ならば、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] = OK ,[ 捌いて喰う ] = OK
 なのですから、
   [ 野鳥をとっ捕まえ ] = OK
 に異議はないでしょう。
 それでいて、
   [ 鳥籠に居る野鳥は、野鳥の姿をした別の生き物 ]
 なのだから
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
 ですよね。
 はい、「これで野鳥を捕まえて飼う」 はOKという結論が出ました。 めでたし、めでたし。


>現実問題として東南アジアなどではカスミ網猟が行われており
 絶滅危惧種 (などと言うとまた突っ込まれそうですが・・・) なども捕獲され
 店頭に並べられ食べられていると聞きます。
 日本で餌付けされ人間に慣れてしまった野鳥が捕まらない様に祈る様な気持ちです。
 野鳥には人間を警戒してもらわねば困りますね。
 なお、僕が野鳥を脅かさない様に気を遣っているとしても、結果的に鳥を襲わないだけであって
 野鳥が野鳥ファンに対して強いストレスや恐怖を感じていないとは言い切れませんから
 「野鳥の警戒心を緩ませて、鳥を人に狩られ易くする行為」 とまでは言えませんし、
 もしそうだとしてもその倫理観を問うのならカスミ網猟の倫理観を問うのが先です。
 また、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら 「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも
 何の問題も有りませんし、野鳥を脅かして回れと誰かに強制される謂れも有りません。

  ですよね。
   合法的な狩猟に何の問題も無い
 んですから、スマホで囀りを聞かされて、縄張りに居る鳥を追い払おうとして寄って来たり、スマホで 囀りを聞かされて、求愛しようとして寄って来たりすることを繰り返した所為で、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題。
 その場限りの餌付けを繰り返されて、人に対する警戒感が薄れたり、餌の食い過ぎで太ってしまって 逃げ難くなったり ( そもそも、飛翔という猛烈にエネルギーを消費する行為を日常的に繰り返す鳥が、 その小さな胃袋を度々満たした程度の事で太るのか?という疑問が湧きますが ) しても、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題。
 じゃないですかw


>人間社会の常識やモラルに科学的な根拠は必ずしも必要ありません。

  んなわけねーだろ。
 常識やモラルってのは、それが犯されることによって、( 法で罰する程度には及ばないものの ) 他者に迷惑が掛かるという前提があるから存在する。
 他人に迷惑が掛かるというのは、あたりまえだけどちゃんとした根拠が必要だ。
 誰の迷惑にもなっていないのに ( 「誰の」の“誰”はもちろん人間だ ) 自分の気に入らないからという理由だけで、他人の行為を制限しようとするのはジャイアニズムであって、常識でもなければモラルでもない。
   「 スマホで囀りを聞かせれば、○○という理由で、野鳥の環境が変わるので、
    近い将来にあの野鳥が見られなくなる可能性がある 」
 の“○○”を、ちゃんとエビデンスのある解説ができるならば、スマホで囀りを聞かせ様とする人を制止することが叶うだろう。 しかし、
   「 スマホで囀りを聞かせれば、理由は説明できないが、野鳥の環境が変わるので、
    近い将来にあの野鳥が見られなくなる可能性がある 」
 これじゃ、タダの我儘だ。
 常識やモラルに根拠が必要ないのであれば、そんなものは、言った者勝ちになってしまう。
 ( オイラの趣味も大概なのでアレですが )
 漫画に登場する教育ママゴンみたいなクソババァから
 「 良い歳をした大人が、野山で鳥の写真を撮って悦んでいるなんて幼稚な。
  常識を弁えた大人に相応しい趣味を持ちなさい。」
 って言われたらバードウォッチングは止めなきゃならないのかね? そんなのオカシイだろ。


>僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
 (「鳥を襲わない善い奴」だろうが) 野鳥にとっては 「元々そこに有る恐怖」 です。

 元々そこにある恐怖ではありません。
 たとえば、エゲレスの王室を追い回すパパラッチが5人居て、そこに6人目のパパラッチが加わった らとしたら、それは 「元々そこに有るパパラッチ」 でしょうか? 違いますよね。 新たに加わったパパラッチですね。
   野鳥に迷惑を掛ける奴は、人はもちろん、人以外にもいっぱい居る。
   だから、人間と云う迷惑な存在が加わってもノーカンな。
 さすがにコレは、恥知らずな主張ではありませんか。


>つまり野鳥がどんなに恐怖心を抱いていようがそれが 「あるがままの自然」 の姿であって
 何ら問題無いという前提で、それでもなお野鳥たちはそれほど恐怖心を抱いていない(であろう)
 と言っているだけです。 それとも 「問題は無いよ」 と言った前言を今さら覆しますか?

  だから、人間が最上の存在であって、人間以外の動物は人間に生殺与奪権を握られた存在である。  人が、他の人に悪影響を及ぼさない範囲に於いては、どんな風に動物を扱おうが、人間の自由。
 だ か ら こ そ
 王道のバードウォッチングは許されるが、( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングは許されない等と云う狭量な差別はするべきではない、と申し上げておるのです。


>例示されているフォトギャラリーのケースでは僕の方からは野鳥に近付いたりしていません。
 むしろそれは極力やらない様にしようというスタンスです
 ( 僕は移動中の出会いがしらは別として基本的に待ち構えるスタイルです )。
 気付かずに近付いてしまったりする事は有るでしょうし野鳥の方で気付かずに寄って来る事も有るでしょうが特に警戒心の強い者には僕なりに細心の注意を払っているつもりです。

  コッチから寄って行くんじゃなくて、向こうから寄って来るのを待っているから無問題ですか、そうですか。
 知ってますか?
 ストーカーに対して警察から出される『接近禁止命令』って、待ち伏せはアウトなんですよ。


>投稿者さんに言わせればストーカーの被害者にとってストーカーは
 「元々そこに有る恐怖」 な訳ですな。
 野鳥ファンをストーカーに例えるとは何とも強引な例示です。

 おいおい。
 野鳥にとってのバードウォッチャーを 「元々そこに有る恐怖」 にしているのは貴殿だぞ。
 オイラの主張は、
   野鳥にとってのバードウォッチャーは
   「元々そこに有る(野生の)恐怖」 に加わった 『新たな(人工的な)恐怖』
 だ。
 したがって、オイラにとってストーカーの被害者から見たストーカーの存在もまた
   交通事故や強盗,スリ,暴漢等の 「元々そこに有る恐怖」 に加わった 『新たな恐怖』
 である。
 話をスリ替えてはイカンよ。


>この件は
 野鳥から見れば同じ事だが人間界の常識に照らせば必ずしも同じ事ではない
 と言えます (後述します)。

  ですから、王道のバードウォッチングと( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングの野生環境、あるいは野鳥の生態に対する影響の違いを科学的に説明しろ!と言っている。
 それが出来ない時点で、貴殿の主張は 「私はこう思う」 でしかありません。
 そんな物に他人を従えさせるのは無理、いえ、無理というより横暴です。
 たとえば、オイラのような非喫煙者にとってタバコの副流煙というものは、臭いし、目に沁みるし、科学 的統計的エビデンスを持たないものの何となく健康に悪そうに思えるし、で迷惑千万です。しかし、喫煙が禁じられていない場所で、タバコを吸う事は個人の自由です。
 喫煙が禁じられていない場所で、タバコを吸っている人に向かって
 「 お前のタバコは臭いィィィ――ッ!目に沁みるゥゥゥ――ッ!俺の健康を脅かすゥゥゥ――ッ!」
  だから、お前は直ちにそのタバコを消せッッッ!!!」
 って叫んだら、そりゃタダのキチガイでしょ。
 スマホで囀りを聞かせることも、その場限りの餌付けを一度行う事も同じ。
 法で禁止されているワケではなく、環境や人間に対する有害性が科学的に証明されていない行為を アカの他人が単に気に入らないという理由だけで制止しようなんてのは、傍から見たらタダのキチガイです。


>その意見にも科学的な根拠は無いでしょう?
 これに関しては僕も実はその可能性には気付いていましたが希望的観測に過ぎません。

 一例を以て全ての例と見做すことは出来ませんが、少なくとも、満腹の親鳥がせっせと雛鳥に餌を運ぶ実例を示す事は出来ますよ。
 小鳥の両性多頭飼い(要するに十姉妹や文鳥の番飼い)をしたことがあれば誰もが知っています。
 鳥籠の中に満杯の餌箱を置かれて、食い放題の環境に在っても、十姉妹や文鳥の親鳥は、自身が餌を食うことに集中せず、ちゃんと雛鳥に餌を運びます。
 ・・・ もちろん、他の鳥は違うかも知れません。 鳥籠と野生は違うかも知れません。
 それでも、こちらの主張に実例があって、そちらの主張に実例が無い事は事実です。


>体重が増えた事により飛翔力が落ちタカなどの捕食動物に襲われた時に逃げ遅れたり渡りの途中で海に落ちたりする可能性。
 しかしこの設問に関しては互いに科学的な根拠を持ち合せていないので想像の域を出ません。

  子供じゃないんだから、科学的根拠を持ち合わせていなくても、科学的思考まで停止してしまうのは止めましょうよ。
 その場限りの餌付けを行う様な素人観光客の狙いは、何と言っても小型の野鳥でしょう。
 まさか、イワシを一匹丸呑みするような大型の野鳥ではない筈です。
 そうすると、答えは簡単に出ます。
 小さな鳥 ( というか小さな動物全般 ) は、一日中食事をし続けます。
 これは、コップに入れた湯がスグに冷めてしまうのに、湯船に溜めたお湯が中々冷めないのと同じ理由です。 小さな躯体は、表面積/質量比が小さいので体の熱が容易に外へ逃げてしまうので、体温を維持する為に必要なカロリーが、単位体重あたりで大きな鳥よりも大量に必要になります。
 ( 同じシルエットで大きさが10倍違う2種類の生き物で比べると
  体重は1000分の1になるのに対して、表面積は100分の1になります。
  つまり、10倍も熱が逃げやすくなるワケです )
 だから、躯体の小さい小動物は、朝から晩までひがないちにち食い続けるんです。
 ということは、観光客の活動時間に餌を沢山貰ったからといって、そうそう簡単に太るなんてことがアリエナイということが推測できます。
 もちろん推測ですから、実際に観察して実証しなければ 「オイラの勝ちだ」 とは言えません。
 しかし、食いたければ食いたいだけ食えるという鳥籠の中に居る十姉妹や文鳥が太らない事から考えても、日中の一定の時間にしか現れない観光客が振る舞う餌で、飛翔能力を損なうほどに太ることは、常識的に考えてアリエナイでしょう。


>もしその個体が餌付け無しでは生き残れない遺伝的に弱いスキルの者だったとして、
 そういう優秀でない者が遺伝子を次世代に引き継いでしまったら
 「種」 としては弱体化するでしょうという話です。

 観光客が餌をくれるというのは、鳥の側から見れば、他者と争わずに餌が食える穴場を見つけた程度の事でしょう。 その程度の事で『餌付け無しでは生きて行けない弱者』にシフトしてしまうような種は、たまたま穴場にでくわしただけで滅んでしまうのですから、人間が餌をやろうがやるまいが、絶滅までに掛かる日数に大した違いは生じないと思われますよ。

>改めて端的に言うと、
 「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない 」
 「 人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のものでないなら
  徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない 」
 この2つは矛盾していないという事ですよ (仮定が正しいかどうかはさて置き)。
 表現は変遷しているかも知れませんが僕のこれまでの意見と食い違ってないでしょう。

  それをいうなら、
 A:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものであるなら
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んだとは言い切れない 」
 B:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育が不可欠のものでないなら
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んでないとは言い切れない 」
 ではないでしょうか。
 そして、実際に貴殿が書いて下さった様に、ゴカイを釣り餌にしなくても、魚を獲ることは出来ますし、それどころか動物を殺さなくても蛋白質の摂取は可能です。
 ということは、ゴカイに関しては完全に「B」ですよね。
 頭が悪いオイラには、二重否定が入っていてややこしいので、書き替えてみます。
 B:「 人間が生きて行くうえでゴカイの飼育は不必要にも関わらず
    徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる 」
 ですね。
 一方のペットですが。
 自分の生活を差し置いてペットを優先する人間なんか居ないように思われがちですが、高齢者など は、ペットロスで後追い自殺をする人が少なくありません。
 ということは、
   人間が生きて行くうえでペットを飼う事が不可欠のもの
 となっている個人にとっては
   徒に生命を人間の支配下に置き弄んでない
 と言えますよね。


>「人は自分の味覚を満たす願望を叶えるために、死ななくても良い命を奪っている」
 の部分に異論は有りませんよ。
 「人が自分の飼いたい願望を叶えるために、野鳥を捕らえて飼っても無問題」
 の部分はこの構図の中だけで見れば一応は間違ってないと言えるに過ぎません。
 これも一面からしか見ていないパターンですね
 ( ペットの飼育については目の仇にしている訳ではありませんが次の設問に続きます )。

  一面しか見ていないも何も。
 そもそも貴殿は、なぜ人が野鳥を飼ってはいけないのか?という疑問に対して、科学的に納得できる答えを出していません。
 一旦飼われて人に慣れた元野鳥が再び野に放たれると、ず~っと野鳥で在り続けた個体がその元野鳥の人に対する振る舞いを見て、「あれ?人間って怖くないんだ」 と思ってしまうと弊害がある ・・・ これは、オイラが飼い慣らしたスズメを外に連れ出した時に、ツバメの巣がスズメに襲われ易くなる危険性として提言しました。
 しかし、それだけが理由であるなら、人に飼われることに慣れてしまった元野鳥は、再び野に放たないように飼殺せば良いのです。
 “飼殺す”なんて書くと何だか残虐な行為の様に思えてしまいますが、人がペットを飼う場合、その殆どは飼い殺しです。 犬にしろ猫にしろハムスターにしろ兎にしろ、死ぬまで飼います。 中には「大きくなって可愛くなくなったから保健所で処分して貰おう」 という飼い主も居ますが、これにしても飼い殺しで ある点は変わりません。
 人が野鳥を捕まえてペットとして飼う場合は、野鳥以外の旧来からペットとして存在していた犬や猫、その他様々なペットと同様に最期まで責任を持って飼う (=飼い殺し ) のであれば、何も問題は起こり得ない筈です。
 「いや、起こり得る」 というなら、野鳥以外に起こり得なくて、野鳥に起こり得る重篤な事故や障碍の 可能性についてご説明ください。


>少しはマシ: [単に野鳥を観察する事] > [ペットとして飼う事] > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]:マシではない
 であるに過ぎません。

  おいおい、今どきはサヨクでさえ使わないような印象操作を使うなよw
 貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる。 その一方で、犬や猫なら飼っても構わないと。 であるならば、比較図は

   少しはマシ: [単に野鳥を観察する事]
           > [犬や猫をペットとして飼う事]
           > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
           - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
           > [野鳥をペットとして飼う事]:マシではない

 じゃあ、ござんせんか。
 こうして図式化すると、野鳥の特別扱いっぷりが際立ちますなぁ。


>メディアによって積極的にアピールされなくても
 既に誰でもイメージ出来る様な鳥って何種類くらい居るでしょうか?
 このコーナーの発端となったキバタンも
 「どこかで見た事が有るなぁ」 という程度の知名度でしかなく
 名前まで言える人は少ないでしょう。
 そもそも誰も知らない様な鳥をペット化する必要が有るとも思えません。

  [ 可愛い / 可愛くない ] は単に見た目だけの判断であって、「名前を知っているから飼いたい」 という欲望が湧くワケではありません。 ペットショップへ行って、名前を知っている犬だけが可愛く見えるとか、名前を知っている猫だけが可愛く見えるとか、そんなことがありえるでしょうか。 ありえません。  名前を知っていようが、名前を知らなかろうが、可愛い物は可愛い、可愛くない物は可愛くない、それだけです。
 そして、可愛いから飼いたくなる。
 で、飼うのは有りや無しや?という問いに対してコチラは飼い殺しを前提にすれば、人に慣れた個体が野生の個体に悪影響を及ぼす可能性がなくなるので、「有り」だろうと提言しているのです。


>犬猫などの様に半永久的に人間と共存して行く事が確実なペットならば
 「人間を魅了して、餌を確実に得る為に利用したという解釈でOK」 ですが、

  犬や猫だって遺伝子に異常をきたさないレベルでの多頭飼いをして、命を未来へ繋いでいくカタチで 飼われているワケではありません。 飼い主の知らない間にエッチして有精卵を産んじゃう小鳥はともかく、犬や猫は発情期になれば所構わず交尾を始めますので、自分の子供への性的な悪影響を懸念する家庭では、両性多頭飼いはしません。 同性多頭飼いも喧嘩して大変ですから、多くの犬や猫は 一匹だけしか飼われません。
 ですから、犬や猫でも
   半永久的に人間と共存して行く
 ワケではなく、その世代で関係は途切れます。 ペッとして寿命を終えたら、違うペットが再び飼われるのです。
 であるならば、野鳥であっても同じ様に、捕らえた野鳥を死ぬまで飼い殺しにすれば、それは犬や猫 と同じ扱いなので、問題は無いということになると思います。


>半永久的に人間と共存して行く事が確実ではないならば
 実は 「OK」 かどうか誰にも分かりません。

  コウノトリに関しては残存する個体数が少な過ぎて、飼い殺しにするという選択肢が採れませんので、 人が食わせた後で野に放さざるを得ないと思いますが ( というか、それ以前に、テメェ等の祖父達が 絶滅するまで狩りまくり、生存空間を奪った癖に今更保護なんかするなよ、と思いますが )、個体数が多い野鳥に於いては、飼い殺しにするのが正解であって、人に慣れた後で、ケガが治ったからと言って野に返すべきではないでしょう。
 それこそ、人に慣れたスズメの存在によって、ツバメの巣が襲われるという悲劇のような事態が起こりかねません。


>なお、外来種を処分する際には元々の生息地に戻すという発想が
 なぜ誰にも無いのか不思議です。 お金の問題なんですかね。

  そりゃあ、最大の理由は資金の問題でしょうけど、それ以前に犯罪は犯人が責任を負うべきであって、無辜の善意団体が何もかもを後始末するべきではないでしょう。

>注意喚起の事なら「初歩のバードウォッチング」をご参照ください。
   イの一番にマナー(自己流モットー)について記載しています。
   フォトギャラリーでも読者離れを覚悟のうえで繰り返し口うるさい事を述べて来たつもりです。

  いやいやいや。
 普通の人はそんなもん読みません。
 オイラが副業で高齢者施設の事務員をしていることはご存じだと思います。
 高齢者施設ですから、土足で入って来られては困るので、エレベーターの前に靴箱を用意して、その中にスリッパを入れて、壁にデカデカと 「当施設は土足禁止です。この中にスリッパがありますのでお 履き替えください」 と書いた紙を貼ってあります。 エレベーターの中にも「当施設は土足禁止です。入り口でスリッパにお履き替えがください」と書かれた紙を貼ってあります。 エレベーターのスイッチの横にも貼ってあります。
 でも、初めて来た人の半数以上は土足のまま上がって来ます。
 エレベーターの目的階ボタンを押せば、張り紙が必ず視界に入るにもかかわらず、です。
 ですから、無辜の第三者の好奇心をフォローする気があるなら、もっと分かり易くマナーのページへ 誘導するようにしておかなくてはなりません。
 webページの来訪者は、その殆どがTOPページではなく、検索エンジンでHITした個別のページへ直 接来ます。 ですから、TOPページからしかリンクしていないページに置いても誰も見に行きません。
 「ちゃんとフォローしてある。俺に抜かりはない」・・・いや、スカスカですからw


>二つめの 「罪」 についても、今回コメントを読んで頂ければそんな 「罪」 など犯していない事が
 分かると思います。

 ( ゚д゚)は?
   スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け
 は別に悪い事でも何でもない、と認めるの?
 だったら、観光客のマナーに関してはコレで議論終了だね。


>僕にどんな 「注意喚起」 を期待されているのでしょうか?

  どんな 「注意喚起」 も何も。 オイラが散々っぱら要求しているじゃありませんか。
 エビデンスのある 「スマホで囀りを流したり、その場限りの餌付けをしてはいけない科学的な根拠」 ですよ。
 そういう根拠のある主張をしてくださいな。


>そもそも 「注意喚起」 など僕ごときが頑張ってもどうなるもんでもありません。
 端から非常識な人は誰も聞いちゃいませんよ。
 常識の僅かでも有る人に初めて響くのだと期待するしかありません。 後はその本人の問題です。

  んじゃ注意喚起なんか や め れ ば ~ ← クレヨンしんちゃん風に♪
 だいいち、
   常識の僅かでも有る人
 の“常識”というのは、あくまでソチラ側が自分達の都合の良いように創出した“常識”でしょう。
 普通に働いて普通に生活をしている市井の民にとって、スマホで囀りを鳴らしたり、その場限りの餌付けをしてはいけないなんて“常識”は、観念すら存在しませんよ。 (後述します)


>誰が 「逃げる鳥を追い回して良い」 と言いました?
 前述の様に僕は野鳥を待ち構えて観察するタイプです。

  あはは。
 芸能人が 「週刊誌に追い回された」 と言った時に、その意味を 「鬼ごっこみたいに駆け回っていた」 と捉えるんですか?
 芸能人が移動する先々で、物陰に隠れたカメラマンに遭遇したら、そりゃあ 「週刊誌に追い回された」 以外の何物でもないでしょうに。


>前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答が正しいとすれば、
 逃げる鳥を追い回しても何の問題も無いという事になります。

  ですから、
   前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答
 は正しくありません。
 本来ならば其処に在る筈の無い新たな恐怖なのです。
 幾ら野生動物の生活がグレートハンティングの中に在って、緊張を切らせばいつ死ぬか分からないのだとしても、平穏が無いわけではないと思います。 そんな平穏を脅かすストーカー行為が野鳥に快く受け入れられるワケがないではありませんか。
 いえ、平穏じゃなくても、たとえば一日平均で10回位食われそうな危機に逢うと仮定しましょうか。 おバカな野鳥は、「捕食者との遭遇」と「バードウォッチャーとの遭遇」を識別できませんから、バードウォッチャーのストーキングは、10回の『食われそうな危機』を11回とか12回にしていることになります。
 これが迷惑でなくて何が迷惑ですか。
 貴殿が私と同じ様に、
   狩猟して喰うのが許されるんだから、それ未満の行為は、すべて無罪
 という立場なら野鳥に対してストーカー行為をすることに何の問題もないと思います。
 しかし、「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」だの「スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けは禁則事項」と仰られるのでしょう?
 だったら、野鳥に対するストーカー行為も止めましょうよ。


>ふんぞり返って言われてもー・・・
 それは 「大同小異な行為を悪逆非道の如く罵る罪」 とは違うのですか?

  親鸞和尚の 「善人尚もて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 ですよ。
 さすがに解説は要らないですよね?


>人間界の不文律とか暗黙の了解とかは
 誰が決めたものでもなく最大公約数の人が社会通念上常識だと考える物です。
 「常識」 というものも我々が人格形成する過程で教育や経験により
 本人次第で身に付くものだと考えます。

  そもそも野鳥を観察するという行為は、非日常的な行為であり、そこで必要とされている「常識」は、 市井の一般市民が普遍的に共有している「常識」とは別の物です。
 観光地に居る市井の人達(=観光客)は、日常に於ける普遍的な常識から判断して行動しているに過ぎません。
 ですから、バードウォッチャーにとって普遍的な常識である『野鳥観察に於けるマナー』なんて代物を観光客に求めるのは、誤りです。
 スマートフォンから音を流して人混みの中で聞くことはマナー違反です。
 これは、その音を聞きたいと思わない他人にとって、スマートフォンの音が騒音以外の何物でもないからです。
 しかし、野山でスマートフォンを使って鳥の囀りを流すという行為は、そもそもその鳥の囀りを聞く為に其処に居る人達にとって騒音である道理がなく、また、その音を聞いて、ブッシュに足を踏み入れなければ見られない野鳥が向こうからやって来てくれるという素晴らしい効果を生む行為です。
 餌付けにしても同じ。 都会の交差点の弩真ん中でワームを取り出して、鳩やら雀やら鴉やらが集まって来たら、周辺に居る人達は酷い迷惑を被るでしょう。
 しかし、野山の一角でワームを入れたジプロックの蓋を開けて、それを啄みに野鳥が寄って来るということは、観光客にとっては、わざわざブッシュに足を踏み入れなくても、野鳥がやってきてくれるという ことなのですから、歓喜することはあっても眉を顰めることはありません。
 それなのに、鳥が寄って来たと喜ぶ無邪気な観光客に向かって 「常識はずれな行為は止めろ」なんて言ったって通じるワケが無いのは当然です。
 [ バードウォッチゃーの常識 ] ≠ [ 市井の人達の常識 ] なのです。
 市井の人達でしかない観光客にとってバードウォッチャーの“常識”なんて物は、彼らの目には 「バードウォッチャーが自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない」 常識としか写りません。
 ですから、オイラは申し上げているのです。
 スマホで囀りを聞かせる行為や、その場限りの餌付けを止めさせたいなら、観光客に対して、自分達バードウォッチャーの常識が正しく、観光客の常識が間違っていることを示しなさい、と。
 統計を含む科学的根拠を一切示さずに 「常識はずれな行為は止めろ」 と主張するのは止めましょう。
 何の根拠も示さずに、個々の立場によって異なり得る“常識”などという曖昧模糊な代物で、無邪気な 観光客を制止しようとするのは、893の言い掛かりと何も変わりません。


>「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」 野鳥ファンと
 「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」 野鳥ファンが居たとして、どちらが野鳥にとって
 より好ましくないかは 「常識的」 に考えれば
 野鳥ファンならずとも大多数の人が後者だと答えるでしょう。

  なんだその朝日新聞のアンケートみたいな恣意的な問いは。
   「極力野鳥に影響を与えない様に心掛ける」 野鳥ファン
   vs
   「必要以上に直接的に野鳥を翻弄する」 野鳥ファン
 なら、そりゃ前者が支持されるのは当然だ。
 しかし、
   「極力野鳥に影響を与えない様に心掛けると言いつつ、臆病な野鳥をストーキングして、
    その悪意性について全く省みず、あまつさえ、スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの
    餌付けを行うことで容易に野鳥を愉しもうとする観光客を非道と貶す」 野鳥ファン
   vs
   「同族や敵対族の囀りで翻弄されるが、ちゃんと対価を用意してくれる」 観光客
 ならどうでしょう?
 恣意的な質問に対する答えにエビデンスはありませんよ。


>僕の様に 「あるがままの野鳥」 を見たい野鳥ファンを尻目に餌付けなどされたら、
 別に野鳥とは関係無しに個人的に迷惑してるからやめてくれと言ったって構わないのです。

何の根拠もなく、如何なる明文化された法律の何も抵触していないにもかかわらず、先入観で良くないと思われるだけの理由で、他人の行動が制止できて良い道理はありません。
むしろ逆に、「個人的に迷惑してるからやめてくれ」なんて言うのは、強要罪という立派な刑法犯罪で す。
 そんなことが許されるのであれば、観光客は、「そのデカいレンズが邪魔だからどけろ」とか「アカラサマに嫌そうな顔をして周囲をウロチョロすんなどっか行け」と主張する事も出来ますよ。 貴殿は其れに従うのですか。


>ところで殺人が何故罪に問われるのだと思われますか?
 もちろん様々な理由が有りますが、大きな理由の一つは 「社会秩序を維持する為」 です。
 社会のあちこちで殺人が行われてしまったら社会秩序が維持出来ません。

    殺人が何故罪に問われるのか? ⇒ 「社会秩序を維持する為」 です。
 というのは、社会学的見地に於ける正解であって、「常識とは何か?」の引き合いに出すべき正解ではありません。
 常識という名の「個人が個人の行動原理としている物」に対して引き合いに出すべきは、「普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さないか?」 でしょう。
 これは、説明が不要だと思いますが、一応。
 普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さない理由は、報復が怖いからです。
 報復と言っても様々です。 一撃で仕留められなかった場合に反撃される虞もあるでしょう。 もしかし たら、近くに仲間がいて、より残忍な手段で殺されるかも知れません。 運良くその日は逃げのびても、 遺族が復讐に来るかも知れません。 そうなれば、自分だけじゃなくて、自分の家族にも危険が及びます。 もちろん、司法によって自分が裁かれるリスクもあります。 日本の場合は初犯で一人を殺して死刑になることはまずありませんが、それでも正当防衛でもない限り、貴重な人生の大切な時間を塀の中で暮らさなければなりません。 その損失たるや、憎い相手がこの世から居なくなった如きでは到底 釣り合わないでしょう。
 だから、普通の人は簡単に怒りに任せて安易に殺人を犯さないのです。
 そして、このように考えて殺人を思い止まらせるようにするのが教育です(洗脳と言う方が正鵠を射た 表現だと思われますが)。
 人は、言葉を学んだ後に様々な情報を詰め込まれます。 殺人が割に合わないという知識もその一つです。 常識とは周囲の人との擦り合わせで培われていく物である以前に、教育として脳に擦り込まれるものでもあるのです。
 ここでスマホで鳥の囀りを聞かせることやその場限りの餌付けを行うことが、バードウォッチャーではない、普通の人々の目にどう映るかを考えて下さい。
 異常な行為と映るでしょうか。 野山の秩序を脅かす悪辣な行為と映るでしょうか。
 そんなことはありえません。 なぜなら、バードウォッチャーではない我々が、親から、あるいは学校から教わった常識にそんな項目はありませんし、周囲の人との擦り合わせで培われた常識にもそんな項目はありません。
 ですから、観光客の無邪気な行為を静止するためには、
   そうか、そう言われたらコレがアカンのは当然やな。 ほな止めとこ。
 と観光客が納得するだけの説得力のある“理由”が必要です。
 それを示さずに、普通の人の普通の常識に照らして、何もおかしくない行為に対して「ヤメロ」と言う のは、強要罪という名の犯罪でしかありません。
 自重しましょう。


>国際関係で社会秩序を乱す行為の最たるものは戦争ですが、絶滅種のうちいくつかは
 太平洋戦争を境に姿を消しています。

  戦争なんて好きでやるものではありません。
 外交上どうしようもない窮地に陥って、戦争して講和条約でまともな条件を引き出す以外に選択肢が ないという状況になって、初めてやるかやらないかを決めるんだ。
 そんな究極の状況下で、野鳥が死ぬとか滅びるとか、どうでもいいにも程がある。
 日本が大東亜戦争に踏み切らなければ、日本は国力を維持する為に必要な資源(特に石油)を手に 入れられなくなって、欧米の植民地になっていました。 黒ンボよりも下の地位の黄ンボとして白人達の 奴隷として蹂躙され搾取されていたでしょう。
 だから勝ち目がないのに戦った。
 戦争が無ければ絶滅しなかった野鳥が居る。 それがどうした。 今の我々には何の関係もない。
 野鳥の絶滅を気遣って、やらねばならない戦争を回避して、奴隷になる奴なんかおらへんわ。


>  野鳥 「 『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』 を考えるべき 」
   ( それを考えた結果・・・ )
   僕  「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても平気だ 」
 どこが笑うトコなのか逆にお聞きしたいです。

  当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに、
   「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても <中略> 平気だ 」
 ってw
 そんなもん、警察に捕まったストーカーが 「自分が被害者であったなら生活を隠し撮りされても平気だ」 と言ってるのと何も変わらんぞ。
 まぁ、ストーカー犯罪の場合は、被害を訴える者が居て、行為を精査してストーカー行為と見做されない限りは犯罪として成立しないけどね。
 とはいえ、相手に言葉を話して被害を訴える能力がないのを良い事に、相手が人間だったら間違い なくストーカー行為として罰せられる行動を取り続けるのはどうかと思いますがね。


>常識的に見て 「あるがままの自然」 から遠ければ遠いほど 「元々そこに有る・・・」 とは言えないという事になるからです。

  貴殿は以前に、
   既に完全に自然であると言える環境は存在しない。
   程度の差こそあれ、何らかの形で人の文明の影響を受けている
 みたいな事を書かれていましたよね?
 であるならば、人の文明が影響して、貴殿にとって許し難い変化が自然に生じたとしても、その変化 が不可逆的変化(もう元に戻せない変化)であったなら、諦める他は無くて、変化した後の自然を 「ある がままの自然」 として扱わざるを得ないのではありませんか。
 であるならば、文明の浸食による自然の破壊を少しでも遅らせる為に何らかの活動 ( まぁ、この手 の活動は、日本だと殆どがアカ絡みですので、なんとかしなきゃという意識はあっても、ちょっと活動に参加し辛いという面がありますが ) をしているならともかく、なにもしていないのに、
   「あるがままの自然ガー」
 ってのはどうかと思いますよ。
 以上、今回の反駁は終了。



管理人コメント:
>「文明至上主義とは自然破壊主義」 なのですから、こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪するのは人間の権利です。

この世界観、まだ続けますか?別に構いませんが知りませんよ。
そうですか「自然破壊主義」ですか。自然なんか破壊し尽くして文明だけで生きて行けるのならば徹底的に自然を破壊して頂きましょうか。但し「こちらの思うがままに、自然を扱き使い、簒奪する」というのは取りも直さず「いいとこ取り」なのであって「文明至上主義」ではないんじゃないでしょうか。「自然破壊主義」を徹底するなら自然を利用してはいけません。破壊しなくては。ぬくぬくと自然の恩恵に浸りながら「自然破壊主義」を自称してはいけません。自然界を跡形も無く徹底的に破壊しても大丈夫なのか僕も興味が湧いて来ました。もちろん現実にそれをされてはこちらまでとばちりを食らいますから擬似的に再現する方法として以前コメントした様に「自然を遮断する」という手段を用いて頂く事になりますが宜しいですね。既に受けてしまった自然の恩恵は自然界にお願いして債権放棄してもらうとして、「お金が無い」というのは出来ない理由になりませんよ。そんな理由で出来ないのなら「文明至上主義なんか資金的に実現不可能なんだね。やっぱり現実には自然の恩恵無しには生きられないんだね」という結論になるだけですからね。

>あくまで人間の道徳観から生み出された幻想であって<中略>人が自然を破壊したり、他の動物を徒に殺しまくっている現状は<中略>悪でも何でもないということになるのだと思います。

あらまー・・・ここへ来て「存在自体が悪」の旗をさり気なく降ろしますか・・・?それをされちゃこれまでの激論は一体何だったのぉ??? という事になってしまいますよ。

> [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OK
 ですよね。


人間は野生動物だった時代には野鳥を飼っていた訳ではなく捕食していた訳ですから「捌いて喰うならまだしも」と書いたのは「ペットとして飼うこと」よりも「「捌いて喰う」方が「あるがままの自然」に近いという意味です。「鳥の形だけを切り取って籠の中に入れているというイメージ」というのは(野鳥の習性を殺している姿だからそう見えるという)飽くまで僕個人のイメージであって籠に入れた途端「野鳥の姿をした別の生き物」に化けるという意味ではありません。故に投稿者さんのヘンテコロジックからは「籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う=OK」という結論は導き出せません。
投稿者さんに悪意は無いと思いますが、人の発言をバラバラに切り取って継ぎはぎ全く別の意味に再構築するというのは悪徳マスメディアが誰かを陥れる時に好んで使う常套手段ですね。我々善良な一般市民はそんな反社会的勢力の邪悪な反則技に手を染めない様にしましょう。

>木陰に隠れていたバードウォッチングウォッチャーに鳥が驚かされる如きはどうでも良いことなので無問題。もちろん、スマホで囀りを利かせるのも、その場限りの餌付けで鳥を集めるのも無問題と云う事です
>スマホで囀りを聞かされて、縄張りに居る鳥を追い払おうとして寄って来たり、スマホで 囀りを聞かされて、求愛しようとして寄って来たりすることを繰り返した所為で、鳥が人に狩られ易くなってしまうだけなので無問題


またまた。物事を一面からしか見ずに味噌も糞も一緒にして結論を急いではいけません・・・(従って次につづく)

>他人に迷惑が掛かるというのは、あたりまえだけどちゃんとした根拠が必要だ。
>王道のバードウォッチングは許されるが、( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングは許されない等と云う狭量な差別はするべきではない、と申し上げておるのです。
>王道のバードウォッチングと( スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けで野鳥を呼び寄せるような ) 邪道のバードウォッチングの野生環境、あるいは野鳥の生態に対する影響の違いを科学的に説明しろ!と言っている。
>エビデンスのある 「スマホで囀りを流したり、その場限りの餌付けをしてはいけない科学的な根拠」ですよ。


少し長くなりますが「社会常識的な根拠」なら有ります(後述します)。ちょいちょい「科学的な根拠」を持ち出されますが「常識」や「モラル」は既に最大公約数の人が理解しているのだから「ちゃんとした根拠」は必要だとしても「科学的な根拠」は必要不可欠ではないでしょう(これに類似したものも後述します)。

>元々そこにある恐怖ではありません。
>野鳥にとってのバードウォッチャーは「元々そこに有る(野生の)恐怖」 に加わった 『新たな(人工的な)恐怖』だ。
>前回コメントの 「元々そこに有る恐怖」 という回答は正しくありません。本来ならば其処に在る筈の無い新たな恐怖なのです。


前回コメントした通り僕にとって「自然を慈しむ」というのは何も「野鳥を『可愛い可愛い』とチヤホヤする」という事ではありません。野鳥ファンのくせにと言われるかも知れませんが、仮に野鳥が僕と遭遇して恐怖の余り絶叫して卒倒したとしても(そんな光景は見た事も有りませんが)それが「野鳥」本来の姿なんだと考えます。たまたま食物連鎖の上位に人間が、下位に野鳥が居るに過ぎず、この力関係に文明の有無は全く関係有りません。
バードウォッチングは、元々緊張や恐怖が当たり前の自然界で、特に鳥類に対して強い関心を示す中型雑食動物が「(自然界と)何の違いも無い事をやっているだけ」です。野鳥ファンは「本来そこにある中型雑食動物」です(日本列島という島嶼部においてはかなり大型の部類ですが)。野鳥から見れば個々の人間の存在は太古の昔から折り込み済みなのです。文明が有ろうが無かろうが僕という中型雑食動物は地上のどこかに存在しています。文明が有るからと言ってどこか他所から新たに参入して来た訳ではありません。一匹の動物として見れば人間も自然界の一部です。野生動物たちの中に人間が混ざってはならないと言うなら僕も貴方も自分の生存権を放棄して地上から消えねばならない事になります。なぜなら以前コメントした通り地上の空間のほぼ全ては野鳥のテリトリーでもあるからです。また、現代人(野鳥ファン)が人工的な身なりをしているからと言って野鳥にとっては原始人(捕食者)が素っ裸または毛皮をまとい棍棒を持って立っているのと大差無いというのも既に論じ合って来ました。従って『新たな(人工的な)恐怖』なるものは、これまでの激論をないがしろにして投稿者さんが今回唐突に創出して来られたアイテムに過ぎません。
以前のコメントと同じ事を繰り返しますが、
僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては「元々そこに有る恐怖」です。これのどこに問題が有ると言うのでしょうか?
この問い掛けに投稿者さんは「問題は無いよ」とお答えになりました。その後に続く但し書きらしきものは「バードウォッチャーは<中略>鳥を襲わない善い奴」だから問題有りとされているだけですから仮に野鳥が野鳥ファンに恐怖やストレスを感じているとしても(それが本来あるがままの自然に近い姿なのだから)問題無しと結論が出ているのです。これに対して「問題は無いよ」と言った前言を撤回されるのかされないのか明確な返答を頂いてません。返答の無いままコメントを繰り返されても同じ回答を繰り返すだけです。

>観光客の活動時間に餌を沢山貰ったからといって、そうそう簡単に太るなんてことがアリエナイということが推測できます。

僕は研究者ではありませんから根拠としては薄いかも知れませんが、僕が実際に目撃したオオルリを載せておきます。この個体は某現場で餌付けされていたものです。
野鳥の場合冬場には気温などの影響で羽毛を膨らませる事も有りますので見分けるのが微妙に難しいのですがこの個体は温暖な4月だったにもかかわらず腹だけが異様に膨らんでいる様に見えます。僕個人の印象では羽ばたいている割りには飛翔速度が遅く敏捷性に欠けると感じました(もちろん体重を測ったりスピードガンで速度を測ったりした訳ではありませんが普段のオオルリも見慣れているので違いを感じるには充分でした)。科学的証拠としては不十分かも知れませんが胃袋が一杯になり体重が増えた事によりタカに捕食されるリスクが高まったであろう事は容易に推測出来ます(この撮影地では頻繁にオオタカやハイタカが観察されています)。もちろん餌付けとの因果関係は立証されていませんが、こういう動物実験をした結果ではありませんから止むを得ません。比較の為に通常のオオルリと、寒さで羽毛を膨らませていると思われるスズメを載せておきます(オオルリは夏鳥のため冬場のオリジナル画像は有りません)。

腹だけが異様に膨らんでいる様に見えるオオルリ(雄)


通常のオオルリ


単に羽毛を膨らませていると思われるスズメ
(羽毛を逆立てる事により空気層が断熱材になり、体全体が表面積の少ない球形に近くなる事により体温のロスを減らしていると思われる)

>高齢者などは、ペットロスで後追い自殺をする人が少なくありません。

例示されているのはペットと言うより介助犬やセラピードッグなどに近いですね。ペット全般を示す例としては不適切です。それじゃまるで僕が介助犬を批判しているみたいです。それに何度も言っていますが僕はペットを目の仇にしている訳ではありません。ペットの生態を知り尽くし家族同然に飼う事を「徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる」とは言えないでしょう。
なお、ペットロスにその様な深刻な問題が有るのであればなおの事ペットの飼育については慎重に考えなければなりません。野外でバードウォッチングをしている分にはそういう事を体験する懸念はほぼ有りません(稀に野鳥の死を目撃する事は有りますがペットロスに該当する程の感情はほぼ無いと言えます)。いずれ訪れるペットとの別れに耐える自信の無い人に対しペット飼育に代えてバードウォッチングを提案するのは間違いではないでしょう。

>なぜ人が野鳥を飼ってはいけないのか?という疑問に対して、科学的に納得できる答えを出していません。

我々は全知全能の神ではありませんから人類が解明出来ていない事柄について科学的根拠を示す事は出来ませんし、生物学者でもありませんから科学的根拠を示す事には限界が有ります。科学的根拠を示せないからと言って科学的思考を停止する必要は無いと仰るのであれば科学的に思考するのはやぶさかではありませんが、単純に考えて本来野に在る鳥を本来の生態とは異なる環境に置いている時点で個体としての野鳥に何も弊害が無いと言い切れるのか?という疑問と、未来永劫人間と共存して行けるのか未知数である限り種としての野鳥にとって果たしてプラスなのか誰にも分からないという疑問を提示しているのです。本来あるがままの自然からかけ離れた事をするからにはそれこそ科学的に解明した上でする必要が有るのではないですか?どうしても科学的根拠を示さねばならないのだとしたら野鳥を飼おうとする人の方でしょう。

>最期まで責任を持って飼う(=飼い殺し)のであれば、何も問題は起こり得ない筈です。

「個体」としてすら「最期まで責任を持って飼うのであれば」が出来ていない事例が現実に有る事を無視する事は出来ません。一部の飼い主や業者だったかも知れませんが飼いきれないのには飼いきれない理由が有ったはずです。それを解明しないまま飼いきれる確証も無く飼うのは「徒に生命を人間の支配下に置き弄んでいる」無責任な行為だと言われても仕方が有りません。
「種」としても犬猫を除き未来永劫人間と共存して行けるのか不確定要素が多過ぎます。

>少しはマシ: [単に野鳥を観察する事]
      > [犬や猫をペットとして飼う事]
      > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
      - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
      > [野鳥をペットとして飼う事]:マシではない
 じゃあ、ござんせんか。


この図式を投稿者さんに当てはめると
 少しはマシ:[野鳥をペットとして飼う事]
      > [犬や猫をペットとして飼う事]
      > [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
      - - - - - - - - - 超えられない壁 - - - - - - - - -
      > [単に野鳥を観察する事] :マシではない
 じゃあ、ござんせんか。
投稿者さんは罪悪感なしにかどうか存じませんが家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに主張し単に野鳥を観察する事を拒否(僕に対しては批判)される。しかも、
投稿者さん=肉を食べる+野鳥をペットとして飼いたい
僕=肉を食べる+単に野鳥を観察したい
「肉を食べる」という事において投稿者さんと僕とは対等の関係です。もし投稿者さんがベジタリアンならこの構図は成り立ちませんが、そうでないならこの構図で僕は「家畜の肉を喰らう」からと言って「野鳥を飼うのは如何なものか?」とさえ言えない立場なのでしょうか?
それと投稿者さんが忘れてはならないのは僕が前回コメントした事です。
相対的に「少しはマシだ」 と論じるのであれば味噌も糞も一緒にする様な本質論による決め付けは取り下げねばなりません。

>名前を知っていようが、名前を知らなかろうが、可愛い物は可愛い、可愛くない物は可愛くない、それだけです。そして、可愛いから飼いたくなる。
>野鳥であっても同じ様に、捕らえた野鳥を死ぬまで飼い殺しにすれば、それは犬や猫と同じ扱いなので、問題は無いということになると思います。


ペット業界の合法的な経済活動だというのは百も承知ですが、誰も名前も知らない様な飼い慣れない動物を店頭やメディアで宣伝して何故わざわざそこまでして飼わせようとするのか疑問です。合法=健全とは限りません。犬や猫に果たせないほどの能力が彼ら(誰も名前も知らない様な飼い慣れない動物)に有るのでしょうか?しかも野鳥の習性などまだまだ未解明の事柄が多過ぎて話になりません。百歩譲って、諸般の事情で犬猫を飼えないペット不可マンションや団地に住んでいてどうしても鳥を飼わざるを得ない人であれば比較的飼育実績の有る鳥種を飼えば済む話です。人間が犬猫に次いで習性を知り尽くしていて種として未来永劫人間と共存して行く可能性が高く「最期まで責任を持って飼うのであれば」何もかも全てを問題視なんかしませんよ。

>犬や猫でも半永久的に人間と共存して行くワケではなく、その世代で関係は途切れます。

また「個体」の話と「種」の話を混同されてますね。犬や猫は「種」としては半永久的に人間社会と共存して行くと見て間違いは無いでしょうと言っているのです。各「個体」はブリーダーが繁殖させているのだから一般の飼い主だけを見て論じても木を見て森を見ずです。

>無辜の第三者の好奇心をフォローする気があるなら、もっと分かり易くマナーのページへ 誘導するようにしておかなくてはなりません。

そもそもHPに下手な写真を載せているだけのいち野鳥ファンの僕が何から何までフォローしなきゃならんのでしょうか?Web上に野鳥の写真を載せているからと言って人間界のモラルのレベルの話をそこまでしなきゃならない理由が思い当たりません。やるとしたら義務ではなく権利としてやりたいものです。

>んじゃ注意喚起なんか や め れ ば ~

やれと言ってみたりやるなと言ってみたりバラバラですね。結論は出ています。そもそもやってもやらなくてもいいんです。

>スマホで囀りを流す&その場限りの餌付けは別に悪い事でも何でもない、と認めるの?

「バードウォッチングなどという鳥にとって傍迷惑な行為に及んでおきながら、大同小異な行為(スマホで囀りを流す&その場限りの餌付け)を悪逆非道の如く罵る罪」など犯していないと言っただけでそこまで歪曲されてしまうのですな。「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」いるのは罪でもなく(前述・後述)「大同小異な行為」でもない(後述)からそんな罪など犯していないと言ってるんです。

>“常識”というのは、あくまでソチラ側が自分達の都合の良いように創出した“常識”でしょう。
>「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」だの「スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けは禁則事項」と仰られるのでしょう?
>何の根拠も示さずに、個々の立場によって異なり得る“常識”などという曖昧模糊な代物で、無邪気な 観光客を制止しようとするのは、893の言い掛かりと何も変わりません。
>「極力野鳥に影響を与えない様に心掛けると言いつつ、臆病な野鳥をストーキングして、その悪意性について全く省みず、あまつさえ、スマホで囀りを聞かせたり、その場限りの餌付けを行うことで容易に野鳥を愉しもうとする観光客を非道と貶す」野鳥ファンvs「同族や敵対族の囀りで翻弄されるが、ちゃんと対価を用意してくれる」 観光客
>何の根拠もなく、如何なる明文化された法律の何も抵触していないにもかかわらず、先入観で良くないと思われるだけの理由で、他人の行動が制止できて良い道理はありません。


文明社会というものは「法律」だけで形成されているのではありません。何もかも想定してがんじがらめに「法律」を作るのは不可能に近いので「社会通念」やら「慣習」によって補完され社会秩序が維持されているのだと考えます。
「極力影響を与えない」というのが線引きの出来ない曖昧なものだからと言って味噌も糞も一緒には出来ないでしょう。所詮「暗黙の了解」であって明文化されたものではありません。「程度問題」なのです(後述します)。
ところで相手の発言を歪曲するのはやめてもらえませんか?「野鳥を飼うのは許されざる悪魔行為」ってどこからそんな解釈になるのですか?それは一体誰の発言ですか?僕は何度も「ペットを目の仇にしている訳ではありません」と言っています。「空を飛ぶ鳥(野鳥)を保護(飼育)する事は有りか無しか」は正に今検証中ではありませんか。以前にもコメントしましたが世の中には「0か100か」で割り切れない事がいっぱい有ります。もう少し柔軟な思考をされてはいかがですか。

>ストーカーに対して警察から出される『接近禁止命令』って、待ち伏せはアウトなんですよ。
>芸能人が移動する先々で、物陰に隠れたカメラマンに遭遇したら、そりゃあ 「週刊誌に追い回された」 以外の何物でもないでしょうに。
>これが迷惑でなくて何が迷惑ですか。


ストーカーやパパラッチは被害者にとって「元々そこにある恐怖」ではありません。投稿者さんも認めておられる様にそれこそ「新たな恐怖」です。
但し自然界では繁殖期になると雄が雌を追いかけ回す光景が見られる事が有ります。その意味ではストーカーは広い意味で「元々そこにある・・・」と言えなくもないかも知れません。これを人間界のストーカーに例えるのは倫理的に不適切ですが実質的には延長上に有るのだと思います。人間界でストーカーが罰せられるのは被害者が人間だからであって自然界のそれとは明確に別物と捉えなければならないのは当然です。人間に対するストーカー行為は決して肯定されるものではなく、分別をわきまえているべき人間が野生動物の様に本能の赴くまま犯罪行為に及ぶのは断じて赦されるものではありません。
さて一方、僕が言うのも何ですが人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが(狩猟して喰うのさえ)「それが元々」です。食物連鎖の観点から言えば人間の方が上位です。人間界のストーカーやパパラッチは被害者より元々上位に位置する存在ではありません。従って野鳥ファンをストーカーやパパラッチに例えるのは根本的に間違っているのです。そもそもこれを同じだと言うのは人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです。

>親鸞和尚の 「善人尚もて往生をとぐ、いわんや悪人をや」 ですよ。
 さすがに解説は要らないですよね?


浄土真宗の教義など持ち出されても、一括りに「悪」と言われた人類も投稿者ご自身も、どっちもどっちである事に変わりはありません。ここは宗教の正邪について議論する場ではありませんからこれについては打ち切りたいと思います。

>そこで必要とされている「常識」は、 市井の一般市民が普遍的に共有している「常識」とは別の物です。観光地に居る市井の人達(=観光客)は、日常に於ける普遍的な常識から判断して行動しているに過ぎません。
>観光客が納得するだけの説得力のある“理由”が必要です。
>ここでスマホで鳥の囀りを聞かせることやその場限りの餌付けを行うことが、バードウォッチャーではない、普通の人々の目にどう映るかを考えて下さい。異常な行為と映るでしょうか。


バードウォッチングの現場では「カメラを構えている人の前に出ない」というのは常識的なマナーとして認識されています。誰が教えなくとも大多数の人がわきまえている事です。観光地などで誰かがカメラを構えていたらその前を横切ったりしないでしょう。当然自分がされたら嫌だという事を皆知っているから自分もそうしない様に気を付けている訳です。うっかりではなく故意にそれをやるのはマナー違反という事になります(状況次第ですが)。野鳥ファンでなくても分かる当たり前の話です。つまりこれが「常識」という事です。こんなものに科学的な証拠が必要ですか?通常バードウォッチングの現場では誰かが野鳥に向けてカメラを構えていれば後から来た人はその横に立つから自然と横一線に並びます。そこには誰が言うとも無く見えない暗黙の境界線が引かれている訳です。ところがその境界線をズカズカと踏み越えて野鳥に接近する人がごく稀に居て顰蹙を買う事が有ります。この人が非常識な人の例です。これはバードウォッチングが初めての人でも分かるマナーです。分からない人は非常識組の仲間入りです。
同様に「餌付け」や「スマホ」にも見えない境界線が有ります(見えないのだからそもそも曖昧なものです)。野鳥ファンの中には餌付けする人は実は少なくありません。図鑑などにも餌付けの例が解説されているものが有ります。僕は何から何まで十把一絡げにして批判しているのではありません。何事も「程度問題」です。現場付近で拾った木の実を集めて野鳥をおびき寄せる程度の事は以前から行われており「常識的に」考えれば非難される程の事は無いと言えるかも知れません。しかしどこから仕入れたのか分からないワームを次から次へと仕掛け周辺にこだまする音量で長時間エンドレスに人工的なさえずりを流し続ける光景は異様です(スマホから聞こえるさえずりを聞いても「(本物の)鳥の囀りを聞く為に其処に居る人達にとって」は騒音でしかありません)。それは見えない境界線を越える行為なんだと思います。もちろん両者の間には明確な境界線は有りません。しかし「こんな事をしたら他人に迷惑をかけるんじゃないか」と僅かでも配慮する意識が有れば普通はそこまでやらないはずです。一度そういう現場を見られたら野鳥ファンならずとも分かると思いますよ。見ずに議論されるから噛み合わないのだと思います。
飽くまで程度問題ですがこういう行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったりしたら「あるがままの野鳥を慈しみたい」と思っている他の野鳥ファンが迷惑する事になります。餌付けやスマホのお陰で簡単に観察出来たから良かったとはならないのです(それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいいです)。簡単に観察出来ないからこそ(それが本来の姿だから)面白いのだとも言えますし、観察出来た時に感動するのだと思います。一部の野鳥ファンにしか分からない事だと言われるかも知れませんが、一方で迷惑している人が居て一方で迷惑をかけている人が居たらそれはやはり迷惑だと言われても仕方が有りません。そういう事がやりたければ動物園に行けという意見は現実にネット上でも散見されます(動物園の方でも断られると思いますが)。また、スマホで野鳥が寄って来るとは限りません。間違って縄張りを主張する声や警戒を呼び掛ける声などを流したら野鳥を遠ざけてしまう可能性が有ります。そうなるとまた周囲の野鳥ファンに要らぬ迷惑がかかります。一方で野鳥に影響を与えない様に息を殺している野鳥ファンは(少なくとも息を殺している事によって)他人に何ら迷惑をかけていませんから、あながち「バードウォッチャーが自分達の都合の良いように自分達が決めた物でしかない常識」を押しつけているとは言えないでしょう。単に「他人に迷惑をかけるな」と至極もっともな事を言っているだけですから。

>殺人が何故罪に問われるのか? ⇒ 「社会秩序を維持する為」 です。
 というのは、社会学的見地に於ける正解であって、「常識とは何か?」の引き合いに出すべき正解ではありません。


前後の脈絡から分かると思いますが、法律や条約は常識や良識の下地の上に合意形成されているものでしょうという話の単なる前置きであって「常識とは何か?」の引き合いに出した訳ではありません。

>普通の人が何故怒りに任せて安易に殺人を犯さない理由は、報復が怖いからです。

どうでもいいんですが「殺人が何故罪に問われるか」に対する回答にはなっていませんね。ま、本題とは無関係なので回答は要らないですが・・・

>戦争が無ければ絶滅しなかった野鳥が居る。それがどうした。

いえ、これも前後の脈絡を読み取って頂ければ分かると思いますが、ここでは何もそれを問題視している訳ではありません。人間界の社会秩序が乱されれば自然界も無関係ではいられない事の例として示しただけです。ただでさえ長文化がエスカレートしているのに新たな争点を掘り起こさないで下さい。伏してお願いします。

>当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに、
   「 自分が鳥であったなら生活を隠し撮りされても
<中略> 平気だ 」ってw

「『 自分が鳥であったなら、 生活を隠し撮りされて平気か?』を考えるべき」と無茶振りコメントされたのは野鳥ではなく投稿者さんですよ。投稿者さんの問い掛けに真摯に回答して批判されるとは心外です。自分で相手に求めた事を忘れてはいけません。「当人ならぬ当鳥が、ストーカー被害に逢う事をどう捉えるのか杳として分からないのに」そういう問い掛けをされたのがそもそも間違いだったのです。

>なにもしていないのに、
   「あるがままの自然ガー」
 ってのはどうかと思いますよ。


人にはそれぞれ進んだ道というものがあります。進んだ道と違うからと言って何も発言出来ない訳がありません。しかもここでは「あるがままの自然ガー」と自然破壊を嘆いているのではなく(僕なりに)「あるがままの野鳥を見る(見たい)」というバードウォッチングに対するスタンスや考え方を述べたまでです。前後の脈絡を見ずに言葉の部分部分を切り取って批評されると話が混乱しますので「論旨」を読み取って頂く様お願いします。

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