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管理人コメント:
>「 自然を隷属させて搾取する結果、自然が破壊されようが、これっぽっちも省みることが無い 」 という意味での 『自然破壊主義』 ですよ。
<中略>
>クルマのタイヤは消耗品だ。走り屋にとってタイヤは削ってナンボの存在。減らないように大切に使うなんてアリエナイ 」という認識で居ます。
<中略>
自然を浪費しなければ文明が成り立たないのに、文明至上主義を標榜する相手に向かって
文明が至上なら、自然を遮断して暮らせ
と言うのは、話のスリカエでしかありません。
仰る通りだとしても、タイヤは消耗しても交換すれば済みますが自然はそういう訳には行きません。消耗したらそれっきり、いずれタイヤの無い車になってしまいます。そうなっても大丈夫なのか自然を浪費し尽くす前に確認しておいて頂く必要が有ります。つまり文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも「自然を遮断」して実験して頂く以外に道は無いのです。しかも「資金的に出来ない」などと言われては、全人類が「自然を遮断」して(自然の恩恵無しに)生き残る事は資金的に無理だという事になってしまいます。たった一人に出来ない事がどうして数十億人に出来ましょうか。実験証明出来なければ「文明至上主義なんて絵に描いた餅だったね」という事になるだけです。話のスリカエでも何でもありません。切実な問題です。
>人は、人の造りし概念上の善悪に照らして、『善』 であったり、『悪』 であったりする。
オイラが言う 「存在自体が悪」 の意味もまた、人が造りし概念としてのみの 『悪』 である。
もし、人よりも遥かに高次元な存在が居て、彼が人を裁く機会を持つとしたら、我々が 『悪』 として捉えている行為のいずれも裁かれはしないだろう ・・・ と言っているのです。
いえね、主張されている理屈は分からないでもないんですけど、それなら「存在自体が悪」という土俵で交わして来た過去の激論が全て覆ってしまうと思うんですよね。僕も投稿者さんが作った「存在自体が悪」という土俵にわざわざ上ってコメントして来た訳だし梯子を外された気分です。そんな軽いノリで前言を覆されてはこれまでの激論が何だったのかという話になるんですよ。それならそれで「存在自体が悪」という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事になりますよ(今さら過去に戻って議論をやり直す気はさらさら有りませんが)。
以下、今さら取り下げて頂く事になるコメントの数々↓沢山振り回してくれましたなぁ・・・
「大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で言うべきではない」
「人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった」
「悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない?」
「オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。」
等々・・・
>長く飼われ続ける ← もはや御野鳥サマから習性が喪失して、タダのペットと化す。
こんな詭弁には真面目に返すのも馬鹿馬鹿しいですが、前回コメントした通り野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。時間軸は関係有りません。
>どうして犬や猫,十姉妹,文鳥,その他、既にペットや家畜になってしまった物達は、人が飼って良くて、まだペットや家畜になっていない物達は、どうして飼ってはイケナイの?
>野鳥もペットとして飼い続ける内に、その生態が知り尽くされれば何も問題はありませんね。
<中略>
それは犬や猫,齧歯類,文鳥,十姉妹,鸚哥などで、それぞれが歩んできた道です。野鳥を飼う時だけ特別扱いするのはオカシイですよ。
>“悪魔行為”でなくとも、貴殿が“許し難い行為”と見做していることは事実ではありませんか。
ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・これのどこが「“許し難い行為”と見做している」になるんでしょうね。既にペット化されてしまったものは今さら犠牲になった個体を元には戻せないから止むを得ないでしょう。だから、どうしても野鳥を飼わねばならないのなら代替案としてそうすればいい(文鳥やら十姉妹を飼えばいい)のではないでしょうかと言っているのです。それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。それが妥当な解決策です。
>犬にしろ猫にしろ、最初は習性も生態も分からず、五里霧中の中を手探りで飼ってきて、おそらくは幾多の犠牲の上に今の 「ペットとして飼われる環境」 が整えられたハズです。同じ事をなぜ野鳥に対して行ってはならないのか?
>その “比較的飼育実績の有る鳥種” さえも元は野鳥なのではありませんか?
どうして『過去の野鳥』なら良くて、『今現在の野鳥』はダメなのでしょうか?
>今現在に誰にも飼われていない野鳥であっても、今から試行錯誤して飼うことに挑戦して行けば、人間がその習性も生態も犬猫以上に知り尽くす様に成って、種として未来永劫人間と共存して行く可能性は十分にあるのではありませんか?
>今現在に野鳥である鳥類の如何なる種にも成し得ないとする根拠は何なのでしょうか。
では質問を変えましょう。なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。
>遥か彼方に居て、近付いてくれさえしない野鳥がそのままでペットの代用になど成り得る筈がありません。
バードウォッチング未経験の人にこういう世界も有りますよと紹介するのがそんなにイケナイ事なのでしょうか?ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしかありません。どちらを選ぶかは本人次第です。
ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたままその姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事にはならないんじゃないですか?眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。
>鳥以外の動物を飼う際にクリアしなければならない条件さえクリアできるなら、野鳥を捉えて飼うことに問題は無い
<中略>
飼っても問題が無いということの科学的根拠を示せと仰られますが、よろしいのですか?その科学的な根拠とやらは、実験的に飼ってデータを集めて検証することが前提になりますよ。
>そもそも今現在にペットである動物も鳥も、元を正せば野生だったんだから、手順を踏むならアリだろ
「科学的な根拠」が不可欠という前提で考えると、実験的に飼ってデータを集めなきゃ科学的な根拠を入手する事が出来ないという事は飼ってみなけりゃ分からないという事であり、少なくとも最初の1羽を飼うより前に「科学的な根拠」を入手する事は不可能、つまり科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。
>なぜ犬猫を除くのでしょう?
また「本質論」で犬猫と野鳥を一緒にしようとされているのだと思いますが犬猫など誰が飼い始めたか分からないくらい歴史が長く飼育法も確立されています。野犬や野良猫などの問題が有る事は承知していますがペットの中では最も飼いやすい事は確かです。過去に誰かが多大な犠牲の上に犬猫をペット化したからと言って今さら彼らを裁く事は出来ませんし、だからと言って多大な犠牲を払ってまでして同じ事を野鳥に対して行っても良いという理由にはなりません。結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのにわざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。
>オイラにとって鳥に関わるということは、
[野鳥を観察する事] ≒ [野鳥をペットとして飼う事] ≒ [野鳥を獲って喰う]
です。
<中略>
等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じ
でしかありません。
ここまで来ると新作落語の世界ですが、
野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
だと主張されるなら
野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
ですね。
そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、もし投稿者さんの様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが「等しくほぼ同じ」とは言えないでしょう。
>貴殿が家畜の肉を喰らおうが喰らうまいが、そんなことで 「野鳥を捕らえて飼う事」 が許されたり許されなかったりする道理はありません。
そうですよ。そもそも不毛な議論に過ぎません。「貴殿は、罪悪感なしに家畜の肉を喰らう癖に、野鳥をペットとして飼うことを頑なに禁則事項だと仰られる」と言われたので「家畜の肉を喰らう」事においては対等だと言ったまでです。
>『鳥獣の保護及び管理並びに狩猟の適正化に関する法律 ( 俗称:鳥獣保護法 )』 によって、鳥獣の 捕獲も飼養も極めて限定されているのですから、『無し』 に決まっています。
ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。
>グレートハンティングがアタリマエの野生のフィールドに於いて、貴重な生活時間を侵食するような人間の存在は織り込み済みではありません。
>「元々そこに有る恐怖」なんかじゃねーよ。『新たな(人工的な)恐怖』だよ。
と返した迄です。
だからその「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのが「何の問題も無いよ」と言った前言を覆していると言うのです(後述します)。僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、その責任を放棄してもいいんですかね?それをOKにしてしまったら毎回好き勝手な事を言い合う事になってしまいます。人間なんだから間違ったり見落としたりする事は有りますよ。でも間違いに気付いたならその前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて頂かねばなりません。その手順をすっ飛ばして新たなアイテムを繰り出されても話が混乱する一方です。激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。でなきゃ後に何も残りませんよ。ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。
それはそうと「新たな(人工的な)恐怖」って具体的に何の事ですか?今なお謎です。捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?観察者が心の中で思っている目的が(野鳥から見て)外見に現われるとでも言うのでしょうか?僕に違いが理解出来ないのですから野鳥にも理解出来ないでしょうね(つまり仮に「新たな(人工的な)恐怖」だったとしても何の問題も無いという事です)。
>「新たな設題を投げかけてはならない」 のであれば、議論はおろか会話すら成り立ちません。
>バードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという当方の主張は、かなり早い段階から在りました。
そうだとしてもその後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは厳然たる事実です。その結論を踏まえてコメントしているので「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。『新たな(人工的な)恐怖』だよ。」などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。反駁している様に見えるだけです。これまでの激論をないがしろにして唐突に新たなアイテムを出して来られた事を問うているのです。「新たな設題を投げかけてはならない」とは言っていません。一度決着を見た事柄について蒸し返す様に前言を覆すのはこれまでの激論を反故にし、それこそ基本的な会話のキャッチボールを放棄しているのと同じです。こんな事を繰り返していたら収拾がつかなくなり永久に議論が終りません。反駁が成立していないという事はこの件につき決着がついたと見なさざるを得ません。
故に、
結論:「僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが野鳥にとっては『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
で宜しいですね。
>だから問題は無いんだと申し上げております。 “王道のバードウォッチング”も“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪であるというオイラの主張を貴殿が呑んで下さるのであれば、問題は何もありません。
投稿者さんの「問題は無い」というのはバードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので「問題は無い」だった筈。「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」と認めれば「問題は無い」ではなかった筈です。同様に「存在自体が悪」に比べれば「微罪」だから「問題は無い」でもなかった筈です。スリ替えはいけません。
新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、自らも認めた「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」という前言を覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。それは例えば「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」という根拠でなくてはなりません。つまりこの理論の根幹である「元々そこに有る恐怖だから」という根拠を崩さねばならないのです。それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。
なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」は以前からコメントしている通り(元々そこに有る恐怖であるかどうかに関わらず)単に他人の迷惑です(後述します)。
因みに「バードウォッチャーが善い奴」であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり投稿者さんも反駁されていません。
>鳥にとっては迷惑な行為に及んでおきながら、一般人から見て大差ない行為 しかしていない “邪道のバードウォッチャー”を殊更に悪く言うのは止めましょう ・・・ と申し上げている のです。
>野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。
>何としてでも 「自分は微塵も悪くない」 という風に話を持って行こうとするから、オイラは、「何言ってんだ、コイツ」と反発しているのです。
<中略>
人が生まれながらにして持っている原罪に比べたらバードウォッチングなんて罪は微罪にすぎないというフォローをしているんです。
>“王道のバードウォッチング”と“邪道のバードウォッチング”の違 いは、“味噌”と“糞”ではありません。“白味噌”と“赤味噌”、もしくは、“目糞”と“鼻糞”です。
これまでの我々の激論を整理しましょう(「非常識なレベルで餌付けしたりスマホで囀りを流す人」を「邪道のバードウォッチング」と置き換えます)。
① 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も野鳥から見れば「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」であり(野鳥から見て)何の問題も無い。
② 上記にかかわらず「邪道のバードウォッチング」をしている人は非常識な人の事であり少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって迷惑である。
細かい部分で互いに言い分は有るでしょうが、これまでの激論で概ね上記の事実が確認出来ました。勝手に「何としてでも 『自分は微塵も悪くない』 という風に話を持って行こうと」している訳ではなくこれまでの激論の結果こういう内容に落ち着いたのではありませんか。
これら(①と②)と相違する投稿者さんの今回コメントはこれまでの激論をないがしろにしており反駁が成立していません。
「“邪道のバードウォッチャー” を殊更に悪く言うのは止めましょう」と言われますがこれまでの激論(上記②)の通り野鳥と無関係に「(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人にとって)迷惑である」から「悪く言う」のであってバードウォッチングが「鳥にとっては迷惑な行為」「一般人から見て大差ない」「目糞鼻糞」なのは百も承知です(後述します)。従って「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記②)に対する反駁が成立していません。
「ストーカーやパパラッチ」は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま同じコメントを繰り返されています。「ストーカーやパパラッチ」であっても「何の問題も無い」という事(上記①)に対する反駁が成立していません。
「人が生まれながらにして持っている原罪」という旗は降ろしたんではないですか?また都合良く復活ですな。「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記①)というのが現時点での結論です。「存在自体が悪」であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。
>「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である 」という理論を振り回すのであれば、オイラも其れに相乗りさせて頂くことにしよう。
人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、捕まえてペットとして飼おうとも人間の勝手である
人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、スマホや餌で誘き寄せようとも人間の勝手である
またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう投稿者さんの悪い癖ですね。
人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGという激論を交わしたばかりです。スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間(少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのもこれまで繰り返しコメントした通りです。
あと、これは見逃せないのですが
「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
という僕の理論は存在しません。
「人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが(狩猟して喰うのさえ)『それが元々』」
という理論なら存在します。だから「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGなのです。微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに投稿者さんの根本的な誤謬が有ります。自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけませんし前回までの激論を忘れてはいけません。「スリ替えはイカン」のではなかったですか?「反日サヨクのような手を使うのは止めましょう」と言われたのではなかったですか?
なお、ここでも投稿者さんの反駁が成立していないので、
結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
で宜しいですね。
あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。
>同じ場所でバードフォトグラファー同士が横一列に並ぶ程居るんでしょ?そういう状態と同じ様に、原始人もまた、鳥を見る為に日本中のあちこちの山林で、群れを成していたというなら、原始人の存在を以てバードウォッチャーの弁護に使うことが出来るでしょう。
そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。もしかしてこんなものが「新たな(人工的な)恐怖」なのでしょうか?
おっと、「新たな(人工的な)恐怖」の説明をして頂く前に、前述の通り「問題は無い」という前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。
>そういう個体を見たというだけではエビデンスになりません。
<中略>
そのオオルリも病気に罹っているのではありませんか?
そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。
それはさて置き投稿者さんが科学的根拠を要求されたから止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言(もし裁判なら重要な証拠になり得る)を添えて紹介したまでです。少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし鳥類とかけ離れた魚類の例(しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス)より少しはマシな根拠です。病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。投稿者さんは動物実験でもしなければ入手不可能な高レベルの科学的根拠を要求されているのです。しかしこの激論をした結果前回あの画像を公開する事になった訳で、その意味では誰かが問題を認識してくれたかも知れないので無駄ではなかったのだと納得しています。
>一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からないような、スマホで囀りを流すとか、その場限りの餌付け等に、いちいち苦言なんか呈さなければ良い。
>なんだ。ゴマメの歯軋りかよw
>所詮マナー違反はマナー違反。制止する権限なんか誰にも無い。
また「0か100か」ですか。(注意喚起を)「やるならやる。やらないならやらない。」というのは投稿者さんの生き方なのかも知れませんが僕は中間が有ってもいいという考えなので「やりたい時はやるし、やりたくない時はやらない」ただそれだけです。投稿者さんが朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て(※)投稿者さんが積み残しになってしまったとします。そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても何ら文句を言わないのでしょうか?それとも駅の端から見張っていてそういう人を見掛けたら片っ端から注意喚起して回るのでしょうか?もしそうだとしても自分の生き方を他人に押し付けてはいけません。出来る事なら小学生でもわきまえている様な常識をいちいち言いたくはありませんよ。面倒くさい。ただ余りにも目に余る行為を目にした時は文句を言う資格くらいは有るでしょうし、Web上でマナー向上を呼び掛けてもとやかく言われるほどの事は無いでしょう。
なお、「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」とのご指摘については後述します。
(※)大阪以外の読者の人は「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」というマスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。決してそんな事は有りません。どこの出身者か分からない一部の非常識な人を除き僕が知る限りきちんと列になって並んでいます。
>野鳥に知恵があって、人に付き纏われる事を嫌だと感じているなら、( 人間から見てどうであるか、ではなくて、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在は)
人間界のストーカーやパパラッチと何も変わりません。
僕が「人間界のストーカーやパパラッチを野鳥ファンみたいなものだと言っているに等しいです」と言った事に対する反駁になっておりません。つまり人間界のストーカー被害者に向かって「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。
>バードウォッチングが鳥にとって迷惑かどうかなんて本人ならぬ本鳥にしか分からないでしょうに。 どうしてそうも確信めいた表現で「私は無罪」と言えるのでしょうか。
>そういう解釈をする場合は、スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも同様に無罪です。
>「極力影響を与えない」 と標榜されていても、バードウォッチャーが、他の捕食者と違って腹が減っているワケでも、食料を備蓄するワケでもないのに、貴重な生活時間を脅かす存在であることは、揺らがない事実です。
ここでも投稿者さんの反駁が成立していません。「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く「スマホで囀りを聞かせる」のは他人が迷惑すると言っているのです。物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。
「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるのは事実だろうから「極力影響を与えない」様に心掛けるのはせめてもの良識であり飽くまでモットーです。極端な話、ここでの激論とは何の関係もありません。「極力影響を与えない」を仮に放棄したとしても誰に批判される謂れも無く、尚且つ依然として「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」迷惑だからやめてくれと言える事に変わりは有りません。もちろん実際には「極力影響を与えない」を放棄するつもりは有りませんが。
>横一列に並ぶって ( 呆
それじゃ、一般の観光客に対して、眺望に立ちはだかる壁になっているんでしょうに。
>以前にあった 「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」ってのも、その境界線とやらを絶対に侵さない距離を保ってたの?
だからバードウォッチングの現場を知らずに頭の中だけで観念的に考えるからそういう的外れな発想になるんです。野鳥ファンなら誰でもイメージ出来ていると思いますよ。「眺望に立ちはだかる壁に」なる様な立ち方にならない様に配慮するのもまた「常識」の範疇です。もしそういうシチュエーションでうっかりではなく「眺望に立ちはだかる壁に」なっていたらそれこそが非常識でしょう。その事を言っているのです。投稿者さんの空想の世界の住人を批判されても困りますので是非実際の現場に足を運んで自分の目で確かめてからコメントして下さい。
僕は道から逸れて藪の中に立ち入る事はほぼ有りません。里山においては大抵そこは私有地ですから。仮に公園内などでそういう場合も他人に迷惑が掛かる様な状況であればやるべきではありませんし、状況次第では諦める事も当然有ります。くどい様ですが通行の邪魔になる様な立ち方も以下同文です。上記の「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから「境界線」も存在しません。因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。
>「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」 ですか
はー・・・慰安婦問題まで飛躍しますか・・・
居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりもバードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。自分の目で確認出来ますし。
>すごすごとその場を去って、そんな邪道のバードウォッチングなんかする奴が居ない山林へ行って孤独にバードウォッチングを愉しむしか他に手はありません。
言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。
>だから
行き過ぎた行為の結果、周辺の野鳥たちが混乱し
本来の生態とは異なる挙動を見せたり不自然な体型になってしまったり
↑こういう根拠のない、可能性の話に意味なんかないんだよ。
<中略>
ほうほう。 ではそうなってしまったスポットを教えてくれたまえ。
異常な挙動を示した野鳥の動画と不自然な体型になってしまった野鳥の画像でも構わんぞ。
科学的な根拠を示す事が難しい事を承知の上で僕なりに乏しい画像を紹介したのだから「そういう可能性も有るなぁ」と考えて教訓とするのは非科学的ではないでしょう。そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は時々刻々と分かっているはずです。
なお、非常識の例としては図らずも投稿者さんが示してくれました。「眺望に立ちはだかる壁」も「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」のも非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?それと同じです。非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。
しかし投稿者さんご指摘の通り「制止する権限なんか誰にも無い」のですから飽くまで「呼び掛け」するしか有りません。そもそもマナーに無頓着な人が簡単に他人の声に耳を傾けるとは期待出来ません。これは「ゴミを捨てるな」という立札みたいなものです。そんな立札が立っていたとしてもゴミを捨てる様な人は捨てるでしょう。
>確実に迷惑を被っている人と云うのは他の誰でもない“王道のバードウォッチャー”ということになります。
結局、“王道のバードウォッチャー”が“邪道のバードウォッチャー”を嫌って排斥しようとしているだけ でしかないのではありませんか?
バードウォッチングに限らずどの社会においても「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは人間社会の持つ当然の行動です。前々回のコメントで「社会秩序維持の為に法律や条約が有り、明文化する必要性が低い事柄が『しきたり』や『ならわし』であり、その根底に有るのが『常識』や『良識』であったりする訳です」と述べたのが正解だとすると「非常識」とは「社会秩序を乱す行為」ですから社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。
>一般車両の運転者に向かって「お前は邪魔だから、此処から出て行け」なんてクチが裂けても言いませんよ。
自覚しておられる様に、この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだからサーキットに行く事をお勧めします。
>スマホでも検索はできますから、検索して、呼び寄せる音声データを選んでダウンロードしていると思いますよ。
それは投稿者さんの希望的観測に過ぎませんし、僕が指摘したのは飽くまで想定し得る弊害の「一例」です。想定し得る弊害の全てをいちいちここで検証しますか?「一般ピープルから見て何のマナー違反なのか分からない」とのご指摘を頂きましたので、もう一つ「一例」を言えば以前コメントした通り本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとってスマホの囀りなど騒音でしかありません。ライブコンサートの客席でラジカセ(死語)の音声を流す様なものです。更に「一例」を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。まだ「一例」を言いますか?
>だいたい自然なんかツマランもん。
邪道のバードウォッチングのおかげで、退屈なハイキングにエンターティメントが加わるならありがたいこっちゃ。
>ベテランと素人は求めるモノが違うのです。
話を整理しましょう。
まず「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。世界中の珍鳥が確実に見られますから。そういう人にハズレの多い自然界は残念ながら向いていません。ただし「観光客」がフィールドに足を踏み入れてはいけないと言うつもりは毛頭ありません。実際野外ではトレッカーと出会う事が多いです。常識的なトレッカーとは軋轢を経験した事がほとんど有りません。互いに常識をわきまえ相手を気遣っていれば何の問題も無いのです(必死にカメラを構えてシャッターを切っている時に執拗に話しかけられて閉口した事は有りますがそれも気遣いや常識の問題ですね)。
「初心者」の人は動物園では満足出来ない人でありバードウォッチングを今後本当に体験したい人と仮に定義しましょう。こういう人たちが野鳥ファンの間で認識されている暗黙の了解について良く把握出来ていなくても止むを得ないでしょう。しかし常識さえわきまえていれば郷に入っては郷に従えではありませんが、誰しも初心者の時は自分は新参者だという意識で周囲の空気にアンテナを張り「やっちゃマズイ事」を覚る様に気配りするものです。それは結局「他人に迷惑を掛けない」とか「常識で考える」という事に尽きます。たったそれだけの事です。
「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は、どうすれば野鳥をおびき寄せられるかを知っているのだから、少なくともそこそこ経験者の人です。右も左も分からない様な「観光客」や「初心者」とは明らかに別物であり本来ならば「やっちゃマズイ事」のボーダーラインが分かっていなくてはならない人です。仮に全く常識の無い人であっても、既にネット上などで餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を認識する機会は有るはずです。
中には「鳥類写真愛好家」とも言うべき大ベテランも見受けられます。何と望遠ではなくて広角レンズを装着したカメラを三脚にセットしレンズの直前に生き餌を仕込みご丁寧にレフ板まで敷いてリモート撮影している人も居ます(機材の扱いぶりを見ればとても「観光客」や「初心者」とは思えません)。ここまで来ると完全に野鳥を私物化しておりペット化していると言っても過言ではありません。こういう謂わば「鳥類写真愛好家」が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。
>それをたまたま横から見てた「観光客」が受動的利益として喜ぶなら喜べばいい
なんですよね?
「観光客」レベルの人がたまたまそこに居て喜んだというのなら「観光客」には責められる謂れは無いという意味です。いちいち解説しなきゃ分かりませんかね?それとも「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為にボランティアでお仕事をされているんでしょうか?
>そもそも歩道が整備されている山林へ野鳥を見に行くこと自体が、『(自然に)あるがままの野鳥を見る』 という行為ではないような気がするんだがね。
>全く以て人工の環境に在る 「不自然な野鳥」 を観て撮って悦んでいますよね。
ひょっとして投稿者さんは僕がその程度の事にも気付かずに今までバードウォッチングして来たとお考えですか?今さらこんな次元で勝ち誇られても、一言で言って(関西弁で)「難儀やなぁー」ですわ。まさかそんなとこから話さなきゃならんのですか?先が思い遣られますわ・・・気が重いですがもう少し頑張ります。
以前コメントした様に日本には純然たる自然はほとんど残っていないと言わざるを得ません。巷の人々が「大自然」と呼んでいるのは大部分が初歩的な「勘違い」です。「あるがままの自然」などほとんどどこにも見当たりません。本物の自然が無いのだから泣こうが喚こうが仕方が有りません。もちろん里山や埋立地の干潟も例外ではなくむしろ典型的な人工物でしょう。しかしそこに集まる野鳥はその環境に適応した自然界の生き物です。もちろん「あるがままの自然」そのものではありませんが、それなりに命懸けの本物の生態系です。
因みに大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません(これについては鳥の巣箱も同様だと思います)。潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います(投稿者さんはお得意の本質論で同じじゃないかと言うでしょうが)。むしろここは「観光客」の人にお勧めの手軽な観光地と言って良いでしょう。また、ここが事実上「動物園」みたいなものだとしても野鳥ファンが「動物園」に行って喜んではいけないという道理は有りません。これはこれで貴重な体験だと思います。このへんの僕の考え方はフォトギャラリー第99回などで触れた事が有ります。
>プロなら良くて俺達はダメなのかよ
普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」などとは言っておらず、むしろ「プロがそんな事をしていいのか」という問題提起である事が読み取って頂ける筈です(逆に「アマなら良い」と言うつもりも有りませんが)。
「そんなに都合良くカメラの前に獲物が飛び出し、そこに都合良く主人公が登場して狩りなどしたりする訳が無い」(フォトギャラリー第219回参照)
まだ話が飲み込めない人が居たらいけないので、折角だからこの話を展開させて頂きます。テレビ番組などでよくこういうシーンが放映されますが、現実の自然界はそう簡単に素顔を見せてくれません。日常的に自然界に接している野鳥ファンなら誰しもうなずけると思いますがこういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。つまりあらかじめ餌付けされた主人公に狙いを定めておいて、カメラの前に犠牲となる小動物を仕込み狩りをさせているのではないかという疑惑です。飽くまで物的証拠の無い疑惑レベルではありますが特定のチャンネルの特定の番組を名指ししている訳ではありませんから名誉棄損にはならないでしょう。一度でもバードウォッチングを経験してみれば実感出来ます。まず「主人公」自体が簡単には見つかりません。何日も続けて空振りというのが当たり前の世界です。そしてようやく見つかっても「主人公」はカメラマンを警戒し一瞬で姿を消してしまいます。それが猛禽類であっても同じです(フクロウ科はそれほどではありませんがタカ科は対人警戒心が非常に強いです)。カメラをカモフラージュするなら先回りして待ち伏せ出来る状況でなければなりません(神出鬼没の野鳥が相手ですからその方が難しいはずです)。「獲物」も野生ですから簡単には姿を現しません。付近に猛禽が居ればなおの事です。その状況で「主人公」が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。
追記:
どうにも投稿者さんとコメントのキャッチボールが上手く行ってない様に感じます。一つのテーマで投稿と回答を繰り返すうちコメントが尋常ではないほど長文になり訳が分からなくなって来ているのも原因かと思います。前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。まだまだ言いたい事はいっぱい有ると存じますが何が何でも相手を論破するんだという事ではなく意見の擦り合わせをして行きたいと思うのですが如何でしょうか?このまま続けてもどぉーせ互いに「ああ言えばこう言う」に決まっていて決着なんてつきませんよ。もう少し早くこの事に気付くべきでした。もし人類よりも知能の高い宇宙人がこのコーナーをモニターしていたら「地球人ってアホやなぁ・・・」という評価になっている事でしょう。もちろん次回コメントは投稿者さんの言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。それで差し支えが有る様でしたらそのご意見もコメント下さい。そんな段取りでぼちぼち締めたいと思います。これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割にはそのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・
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