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投稿者コメント:
では、これで最後だという話を信じて、気を取り直して論破開始と行きましょう♪

>文明至上主義が正しい事を証明するにはどう転んでも 「自然を遮断」 して実験して頂く以外に道は無いのです。

  素晴らしい迄に話が噛み合いませんな。
  <中略>
 さて、此処に至って漸く何故齟齬が噛み合わないのか、の片鱗が垣間見えた様に思われます。
 どうやら貴殿は、文明至上主義で自然を徒に浪費することによって、資源が枯渇する事を危惧するが故に、当方へ向かって
   自然を遮断して暮らせ
 と、お仰って居られたみたいですね。
 漸く理解が出来ましたよw
 でも、それ、意味がありません。
 そもそも、日本人を含む先進諸国の生活は自然を余りにも浪費し過ぎていて、どの道、先は長くありません。 しかも、今は“グローバル化”という美名の下に、途上国の人間に先進国の生活を教えて、 新たな消費者として育てることでマーケットを拡大する方向へ舵取りされています。
 資本主義経済の本来在るべき姿は、「皆で幸せになろうよ」 ではなく、日本を含む一部の先進諸国 が最大限に豊かで文明的な生活を享受するために、多数の途上国に貧困と飢えを押し付ける物だった筈です。
 それが経済活動の行き詰まりから、途上国へ中途半端に豊かで中途半端に文明的な生活を与えてしまいました。これは、地球の資源が有限であることを考慮すれば完全に誤った選択です。
 地球の資源が有限である事を前提に、世界中の人が“自然と文明のいいとこ取り”をしようと思ったら、我々の生活レベルは恐ろしいレベルで下方修正されることになります。 もちろん、その引き換えに、今現在に貧困と飢えを押し付けられている途上国の人達は、今よりは幾許かマシな生活を手に入れることができるでしょう。 でも、一旦、資本主義経済格差社会の上位に居た我々日本人が、生活インフラもマトモに整備されておらず、ちょっとした農作物の不作で飢え死するのが当然の生活になんか戻れません。
 貴殿は自身の生活ポリシーを“いいとこ取り”と仰っていたと記憶にありますが、世界全体から見れば 日本人の平均的な生活は全然“いいとこ取り”なんかじゃありません。 途方もない浪費です。
 中国13億人が平均的な日本人と同等の生活を得る為には、地球がもう一つ必要だと言われています。 つまり、浪費を罪と感じない私はおろか、中庸を貴ぶ貴殿に於かれても、貧しい国に住む人達から見れば同じ 「資源を不当に浪費する簒奪者」 でしかありません。
 そもそも、故意に資源を浪費しようとしたところで、オイラが如き個人には大したこと等できません。
 水道を開きっ放しにして、水資源を浪費しようとしたら 「 水道代ガー 」 と嫁からグーパンチが喰らわされますし、無人の部屋に冷暖房をガンガン掛けて石油資源や天然ガス資源を浪費しようとしても、やはり 「電気代ガー」 と嫁からグーパンチが喰らわされます。
 ( というか、暑い日に「だけ」掛けているエアコンに掛かる電気代でさえ、ぶーぶー文句言われています )
 オイラの趣味は車道楽ですが、次々と新車を乗り換える程の甲斐性はなく、新車で買えば十年以上は乗り続けますので、“文明至上主義”を名乗るには稼ぎが足らなさ過ぎる様な気もします。
 ぶっちゃけ、オイラの“文明至上主義”ってのは、“存在自体が悪”と同じ次元の話でしかありません。  日本人に生まれただけなのに、百年前の人が見たら
<中略>科学万能の時代に、科学の恩恵を受けて安穏と暮らしているという後ろめたさ故に、自分で自分にネガティブなレッテルを貼っているに過ぎません。
 オイラが少々、無理して故意に資源を消費したところで大勢に影響など微塵もありませんし、貴殿が 中庸の範囲で慎ましく暮らして資源を温存しようとしたところで大勢に影響など微塵もありません。
 そして、無理して故意に資源を浪費しようとしているオイラはもちろん、中庸の範囲で慎ましく暮らして資源を温存しようとする貴殿も、文明とは程遠い世界で暮らす人達から見れば同じ 「資源を不当に浪費する簒奪者」 です。
 貴殿が途上国から送り込まれたテロリストに銃を突き付けられた時に
 「 違う。 私は、この投稿者さんと違って自然の資源を浪費しない様に勤めて暮らしてきた 」
 なんで弁解しても、鼻で笑われてトリガーを引かれますよ。


>「存在自体が悪」 という土俵で交わして来た過去の激論が全て覆ってしまうと思うんですよね。
 <中略>
 それならそれで 「存在自体が悪」 という前提でコメントされた事を全て取り下げて頂く事になりますよ。

 そか、それはすまなんだのう。
 <中略>
 ( ゚д゚)はて?
 実際に罪を犯しているという前提であっても、概念上の ( 現実の法で裁き様が無い ) 罪を犯しているという前提であっても、等しく意味は変わらないと思うんだが。
  ( 人間の知能の範囲で想像する ) 人よりも高位な存在から見て許しがたい犯罪行為に当たるであろうと思われる自然破壊や喰う目的以外の殺戮によって生かされている我々は、その人よりも高位な存在から見れば犯罪者、もしくは、共犯者であろう。
 そういう意味で
   「 大罪を犯して得た文明という名のぬるま湯に肩まで浸かった生活を享受し続けている状態で言うべきではない 」も
   「 人が人の望むように自然を改変する事に対して、同じ人である者が異議を唱えることは出来なくなった 」も
   「 悪の分際で正義の味方ヅラするの止めてくんない? 」も
   「 オイラと同様、貴殿も同じ人間が犯した大罪の上に生かされている身ではないか。 」も
   等々・・・
 も決して翻ることはないと思うのだが。


>野鳥が鳥籠に入った途端に野鳥の姿をした別の生き物に化ける訳が有りません。それは、だんだんペットと化したとしても元が野鳥なのだから同じ事です。時間軸は関係有りません。

 ま、この辺は、どうにも会話が通じていないので書くだけ無駄だと思うのですが、一応。
 『御野鳥サマ』 の部分を 『まだ人に飼われる歴史を持っていない時代の野生の犬』 や 『まだ人に飼われる歴史を持っていない時代の野生の猫』 に置き換えても意味は同じです。
 遥かな昔に、最初に○○という野生動物を飼おうとした者が居て、連綿と続く試行錯誤の歴史の結果、今現在に人の環境下でペットとして暮らす○○が存在する。
 これがどうして○○の中に『野鳥』の二文字が入ってはならないのか。
 既に、文鳥も十姉妹も鸚鵡も同様の道を歩んできたというのに。
 ・・・ というだけの話です。


>ペットを飼いたい気持ちも理解出来るから親切心から妥協案を示しているんですが・・・
  <中略>
 それが嫌なら所詮その程度の欲求なのですからペットを飼うのを諦めて下さい。それが妥当な解決策です。

 “許し難い行為”と見做していないというのであれば、貴殿は”許し得る行為”と見做しているという理解で宜しいですね?
 では飼わせて頂きくことにしましょうかw
 実際問題、( どこまで環境破壊になるのかはともかく ) 野鳥のペット化は ( 法律違反ですが ) そこかしこで普通に行われている行為であって、飼い主がトンデモナイことをしなければ、普通に飼える様に思われます。
 雀なんかは、「あれ? いつの間に飼う事が解禁になったんだ?」と思う程、飼っている事例がweb上 に満ち溢れています。

   <中略>
 もちろん、「 『鳥獣保護法』 で禁じられているのに 」 という余計な御節介をする外野に備えて、動物病院の指示を仰いでいるだの、役所に届け出はしてあるだの、予防線は敷いてありますが、基本的 に、してはイケナイ筈の野鳥飼いを勝手にしています。
 ( ※ 『してはイケナイ筈の野鳥飼い』 というのが、法律を曲解した都市伝説であることが分かりました。 後述します )


>なぜ飼育するのが犬猫文鳥ではなくて新たな野鳥でなければならないのでしょうか?

 飼いたいからですよ。
 もし、 
<中略>タイムマシンを開発して、猫でも兎でも何でもいいですから、タイムマシンで過去へ行き、最初に野生種をペットとして飼おうとした人にこう訊いたとしたら、どんな返事が得られると思いますか。
   貴方はどうしてその○○(野生種)を飼おうとするのですか?
 常識的に考えて返事なんか貰えないでしょう。
 「 ( 何言ってんだ、コイツ ) 」 という目で見られて、棒で追い払われるのが関の山でしょう。
 飼いたいから飼おうとするのです。 感情に理屈なんかありません。


>人類にとって必要不可欠だという確証も無く多大な犠牲を払う事が予想されるのだから
 無益な犠牲は避けるべきではないでしょうか?
 文鳥にしたってどうしても鳥を飼いたいと言う話だから
 犬猫が飼えない人の事情も汲んで妥協案として提示したまでです。

 「 フェラーリ348GTB(1989年 ~1994年)や同F355(1994年~1999年)が欲しいよぉ 」
 と言っているクルマヲタクに向かって
 「 んじゃトヨタ・MR2(SW20 / 1989年~1999年)で我慢しなよ 」
 と返すのを妥協案とは申しません。
 文鳥や十姉妹で我慢できるなら、疾うの昔に文鳥や十姉妹を飼っているでしょう。


>ペットロスで自殺するほどの実例を紹介されたからバードウォッチングを提案したまでです。 それが受け入れられない人には申し訳ありませんがこれまで通りペットロスを覚悟して頂くしかありません。

  では貴殿もバードウォッチングに代えて、大型モニタ ( または、ヘッドマウントディスプレイ ) で観る動画で御辛抱なさいませ。

>ところで鳥をペットとして飼ったとしても実際は籠の中に入れたままその姿やさえずりを楽しむだけであって、犬みたいに頬ずりをして溺愛するという事にはならないんじゃないですか?眺めて楽しむ程度の事であればバードウォッチングで充分その役目を果たせますよ。

  バブル景気の真っ只中に <中略>求人広告にこんなのがありました。
 虚覚えですが、
 「 
<中略>○年間の給料で新車のフェラーリが買えます」
 ( すいません、○に入る数字はド忘れしました)
 「でも乗る時間はありません」
 「それでも、自宅へ帰ってガレージに佇む愛車を見る度に『明日も頑張ろう』とやる気が起きます」
 ・・・ こんな感じの広告でした。
 眺めて楽しむだけの結果にしか成らなかったのだから、彼はフェラーリを買うべきではなかったのでしょうか? 眺めて楽しむだけなんだから、帰路の途中で外車ディラーに寄って、閉店済みのガラス越しにフェラーリを眺めれば其れで良かったのでしょうか?
 違いますよね。
 「所有する」 と 「所有しない」 の間には大きな隔たりがあります。
 それは所有欲が満たされるか否かの違いです。
 だから、バードウォッチングは鳥を飼う事の代わりには成り得ません。
 それに、懐かない鳥は別にして、懐く鳥は野鳥でも手に乗ります。
 スズメを飼った話とか鴉を飼った話などを読むと、体や頭を撫でると犬や猫のように喜ぶという描写が書かれています。 さすがに頬ずりをして溺愛というワケに行かないかも知れませんが、其れに近い 愛玩行為は出来ます。


> 科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能、という事は後に続く野鳥を飼う事は 不可能ですから実験するまでもなく諦めて頂くしかありません。

  ( ゚д゚)は?
 そんなことを言い出したら、全ての科学的な進歩は否定されてしまいますよ。
   科学的根拠を持って最初の1羽を飼う事は不可能
 なのではありません。
   科学的根拠を得る為に最初の一羽を飼う必要がある
 のです。
 クドいようですが、話のスリ替えは止めましょう。


>結果的にたまたまとは言え圧倒的な実績(科学的根拠)の有るペットが既に存在するのに わざわざ野鳥を飼わねばならない理由を教えて下さい。

  飼いたいと希望する人が存在するからです。
 文明が進化してきた原動力は欲望です。
 欲望を叶える為に行動する事は、文明人の基本的原則です。
 今まで散々っぱら、インフラ整備や資源開発の為に彼らの棲家と生活圏を奪い、食料として狩って喰い、あるいは、狩って羽根を毟り取った後で、旨くない死肉を不遜にもゴミとして捨てきた歴史を歩んでおきながら、今更、飼う為の条件を整える迄に犠牲となるかも知れない幾つかの個体が可哀想だなんて、よくもまぁ
、<中略>綺麗事が言えますね。
 いいですか、
 ① 野鳥を飼ってはイケナイという法律がない
   ( ※:実は『鳥獣保護法』が「保護する際は許可を得よ」と規定しているのは、
      狩猟鳥以外の野鳥であって、狩猟鳥には規定がありません。
      したがって、身近にありふれた狩猟鳥を飼う事を禁止している法律は存在しません。
      ⇒ 後述します )
 ② 野鳥を飼いたいと願う人が存在する。
 ③ Youtube や webページ 等を見ると、既にスズメやヒヨドリ,鴉等で、ほぼぺット化に成功していると思われる例が幾つも見られる。
 ④ 既に人間は、犬や猫を始めとして鳥類もペットとして飼っており、少なくとも人の目に見て、 良好な関係を築いていると言える。
 ⑤ 今までに飼おうと試みて失敗した種に再チャレンジするというならマダしも、
   まだペットとして普遍的な地位を確立していないだけの種 ( ③で挙げたような種 ) であれば飼う事が常態化すれば、十分にペットとして確立する可能性が高い。
 此処まで揃っているんだから、( 少なくとも希少種ではないありふれた身近な野鳥に関しては ) 「 絶対に飼うべきではない 」 という主張の方がオイラには異常に思えます。
 別に絶滅危惧種を飼おうってんじゃないんだからさ。
 いいんじゃねーの?


 >野鳥を観察する事=ストーカー行為規制法違反
 だと主張されるなら
 野鳥をペットとして飼う事=逮捕・監禁罪
 野鳥を獲って喰う=人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜=殺人罪・死体損壊等罪
 餌付け=食品衛生法違反・相手が公務員ならば贈賄罪
 スマホでさえずりを流す行為=詐欺罪
 ですね。

  自分の都合の良い様に話をすり替えないで頂きたい。
   ×:野鳥を観察する事 = ストーカー行為規制法違反
   ○:野鳥を観察する事 = ( 人間にとっての人権に類する法律が鳥に与えられているなら )ストーカー行為規制法違反
   ( 人権に類する法律が鳥に与えられていない現状は ) 単にバードウォッチングです


>そもそも人間界に例えてしまうのが間違いなのですが、
 もし投稿者さんの様にバードウォッチングをストーカーに例えるのであれば
 単に野鳥を観察する事は犯罪としては比較的軽い罰則と思われます。
 もちろんストーカーを正当化するつもりはありませんが 「等しくほぼ同じ」 とは言えないでしょう。

  いや、それ、既にオイラが言うてるやん。
  <中略>
   『美少女を拉致監禁して檻に入れて飼う』 と 『美少女に付き纏うストーカー行為』 の比較なら、 前者 が圧倒的に悪逆卑劣な犯罪であることは疑いありません。
   が、しかし。 だからといって、後者が無罪 というわけでもありません。
 ただし、人間の場合は、人を捕らえて喰えば○○君ですからね。
 そりゃもう、拉致監禁やストーカーとは罪状が違います。
 しかし、鳥に対して人が行う行為に関しては、『鳥獣保護法』や『動物愛護法』のような法律しか存在なくて、狩猟鳥になるようなありふれた身近な野鳥に関しては、保護するための規定がありません ( 「一旦飼って、人に依存させてしまったら野に還すな」 という規定はありますが )。
 ですから、人が人に対して行う行為に関しては罪の重さに順位が付けられますが、人が鳥に対して行う行為に関しては罪の重さに順列が付けられません。
 ですから
   等しくほぼ同じ:[野鳥をペットとして飼う事]
             ≒ [犬や猫をペットとして飼う事]
             ≒ [人間の味覚を満たすためだけに殺される家畜]
             ≒ [単に野鳥を観察する事] :順位に意味は無い。等しくほぼ同じなのです。


>ここのテーマは「―― 自然保護の観点を抜きにして ―― 有りか無しか」です。
 最初からそれを踏まえて激論しているのだからいくら何でもそれは分かってます。

 ところが、ですね。
 「 野鳥を飼うのは鳥獣保護法によって禁じられている 」 という大前提が“常識”として周知されているが故に、今まで疑問にさえ思っていなかったのですが、実は、その“常識”というのが、都市伝説の類である可能性が出て来ました。
  
<中略>
 野鳥を飼う時に役所に申請しなければならないという思い込みは、
   「 許可を受けて捕獲をした鳥獣のうち、対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は、
    その者の住所地を管轄する都道府県知事の登録を受けなければならない 」
 を曲解した都市伝説だったのです。
 あくまで
   対象狩猟鳥獣以外の鳥獣を飼養しようとする者は
 であって、
   対象狩猟鳥獣を飼養しようとする者は
 ではありません。
 『狩猟鳥』 というのは、

    <中略>
結構色々な野鳥を飼う事が可能であるように思われます。
  <中略>

>だからその 「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」 というのが 「何の問題も無いよ」 と言った前言を覆していると言うのです。

 前提条件の追加によって結果が分岐するのは極々普通の事であって、覆しているのではありません。
 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」
 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 ↓ ↓
 B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めるような視点に立つのであれば」
 b:「王道のバードウォッチングもまた、狭量な視点から咎められ得る重箱の隅突きが可能」
 「A」to「a」と「B」to「b」は等価に成立します。
 何も覆って等おりませぬ。


>僕は過去のフォトギャラリーも含め僕なりに自分の言葉には責任を持っているつもりなんですが、その責任を放棄してもいいんですかね?

 貴殿は、「前提条件が変われば結論が変わる」 という至極アタリマエのロジックが御理解できていらっしゃらないが故に、矛先違いのお怒りをなさっておいでなのです。
 当方に取り下げなければならない主張など存在しません。


>激論コーナーは相手を言い負かして快感に浸るのを目的とするのではなく
 意見を闘わせる中で何らかの結論か妥結点を導き出す方向で進めたいものです。

 いやいやいや。
 そもそも、こんなことろで、僅か二名の閑談で何らかの妥協点が見い出せたトコロで、世の中は何も変わりはしませんよ。
 我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥は飼ってヨシ 」 という結論が 出たトコロで、「 如何なる『種』であろうとも、野鳥を飼う事は決して許されず、一時的な保護であっても然るべき機関の許可が要る 」 という都市伝説が消えることはなく、都市伝説の元凶になっている法律 が改正されることもなく、今まで通りに、
他人に知られない様にひっそりと隠れて飼う人が居続けることでしょう。
 逆に、我々の間で 「 (絶滅危惧種でも何でもない普遍的なありふれた) 野鳥でも飼うべきではない 」 という結論が出ても『以下同文』です。 な~~~~んにも変わりはしません。
 ですから、
>でなきゃ後に何も残りませんよ。
└→ こんなものは、ディペードの模擬戦でしかありません。


>ぼちぼちこのテーマもまとめに入りたいと思っているのでご協力をお願いします。

 そりゃもう双方歩み寄りの余地なく『ああ言えば上祐』状態ですからね。
 さすがに徒労感が半端ない。
 さっさと終わらせましょう。


>それはそうと 「新たな(人工的な)恐怖」 って具体的に何の事ですか?
 今なお謎です。捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?

 ですから、自衛隊の訓練を例に挙げて説明致したのですが、御理解頂けませんか。

>捕食の為に野鳥を観察する事と余暇で野鳥を観察する事との間にどんな違いが有ると言うのでしょう?

 違いが無いから問題だと申し上げているのです。
 鳥は捕食者と観察者を区別できません。
 したがって、鳥は不審に近付く人間を発見する度に回避行動を取ります。
 観察者という存在がいなければ、( 観察者が居る場合に比べて ) 鳥は平穏な時間をより多く持つことができます。
 つまり、捕食者とは別に、観察者という存在がいることによって、鳥は余計な警戒をしなくてはならないということです。
 ウチのガキンチョで喩えて言うなら。
 学校の休みの日に母親が買い物に出掛け、「 さぁ、この隙にゲームすんぞ 」 と思ったのも束の間、 父親 ( =オイラ ) が自室から出て来て 「 コラ、この糞ガキ。宿題終わらせる前にゲームなんかするんじゃねぇ 」 と怒るような 『迷惑な存在』 ・・・ それが野鳥にとってのバードウォッチャーです。
 ガキンチョにしてみればゲームが後回しになるだけの些細な悲劇ですが、鳥にしてみれば下手をすれば死に直結するサバイバルですからね。 そりゃ願わくば、そういうのは止めて欲しいんじゃないですか?


>そうだとしても
 その後「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」という決着を見たのは
 厳然たる事実です。

 ですから、それは
 A:「邪道のバードウォッチングに罪がないというおおらかな視点に立つのであれば」
 a:「王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 です。
 自身が鳥に対する迷惑行為 ( ただし合法 )をやっておきながら、スマホで囀りを鳴らすとかその場限りの餌付けで鳥を集める様な、貴殿が迷惑に感じる行為 ( ただし合法 ) を咎めるのであれば、卓袱台がひっくり返されるのは仕方がありません。


>その結論を踏まえてコメントしているので
 「 『元々そこに有る恐怖』 なんかじゃねーよ。 『新たな(人工的な)恐怖』 だよ。」
 などと後出しジャンケンで覆されても議論が大混乱をきたしますし反駁は成立していません。反駁している様に見えるだけです。

 ですから、早い段階からバードウォッチングが鳥にとって迷惑な行為であるという主張を当方がしていたにも関わらず、
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 という妥協点を見い出したからには、理由があったと考えるべきです。
 理由ではなくて前提条件ですが。
 もともと、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道理がありません。
 だから、バードウォッチャーが野鳥にとって恐怖の対象であっても
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 のです。
 しかし、その論で言うなら、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で呼び寄せたりする行為もまた、罪に問われるモノではありません。
 これを貴殿が認めるのであれば、オイラと貴殿の間で ( 実に意味のない狭い範囲の話ですが )
 バードウォッチングは
   「『元々そこに有る恐怖』なんだから何の問題も無い」
 が成立します。
 しかし、貴殿は
   B:「如何なる法規にも抵触しない邪道のバードウォッチングを咎めてしまう視点に立っても」
   a:「 ( 自分がやっている ) 王道のバードウォッチングは何の問題もない」
 と仰られる。
 さすがにそれは、ご都合がよろし過ぎるのではありませんか ・・・ と申し上げているのです。


>結論:「 僕が捕食者だろうがバードウォッチャーだろうが
      野鳥にとっては 『元々そこに有る恐怖』 なんだから何の問題も無い 」
 で宜しいですね。

(※1)
 もちろん、鳥にとって捕食者も観察者も同じであるという点に異論はありません。
 しかし、現実問題として、バードウォッチャーは捕食者ではありません。
 そして、捕食者でないが故に、何度も野鳥に恐怖を与え得ることが鳥にとって問題となります。
 捕食者は腹が満たされれば、新たな餌に興味を持ちません。
 ですから、誰かが襲われて犠牲になれば、しばらくの間、その捕食者の周囲は安全地帯になります。  腹の膨れた捕食者は獲物を目で追うこともしません。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間 は、そうやって作り出され、その短い時間の中で弱者はセックスして子を産み育てて眠るのです。
 しかし、捕食者で無い観察者は、飽きてとか疲れてとか日が暮れてとか、そういう状況になるまで 延々と野鳥の姿を追い求めます。 弱肉強食の日々の中に訪れる安寧の時間を観察者が奪うのです。
 これに問題が無いか?と問われるなら、「 全く問題は無い 」 と断言するのは無理があるように思います。
 しかし、前述した通り、人間は鳥類よりも高位の存在で、人の法は下位の存在に対する生殺与奪権を認め、狩ろうが喰おうが飼おうが自在です。 したがって、鳥に恐怖を与える如きが罪に問われる道 理がありません。
 ですから、余計な恐怖を味わう事で野鳥の頭がストレスで禿げようが、セックスする時間が無くて個体数を減らそうが、知ったこっちゃありません。
 でも、だからこそ。
 そこまで許すなら、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとか、そういうのも許されて然るべきで す。

(※2)

>投稿者さんの 「問題は無い」 というのは
 バードウォッチャーが善い奴でなければ人間に慣れてしまって狩られ易くならないので
 「問題は無い」 だった筈。
 「“邪道のバードウォッチング”も等しく微罪」 と認めれば 「問題は無い」 ではなかった筈です。
 同様に 「存在自体が悪」 に比べれば 「微罪」 だから 「問題は無い」 でもなかった筈です。

 極言するなら、そもそも前提条件があろうとなかろうと何も問題はありません。
 普遍的なありふれた野鳥( 狩猟鳥 ) が狩られ過ぎて絶滅危惧種になってしまうような大量殺鳥でもやらかさない限りは、絶滅危惧種でも何でもない狩猟鳥に対する行為に於いて、他者から咎められる謂れは何も存在しません。
 だから、バードウォッチングを問題視すようとするなら、条件で縛る必要があります。
 その一つは、人と絡む事に因る環境の変化、つまり、鳥が 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、 近くまで寄っても安心だね♪ 」 と捉えるようになってしまうことで、狩られ易くなる。 あるいは、人に飼われたスズメを見た野生のスズメが 「 あれ?人間って怖くないんだ。 じゃあ、近くまで寄っても安心だね♪ 」 と捉えるようになってしまって、人の威を借りて天敵のスズメを避けていたツバメが危機的状況 に追い込まれる ・・・ こういう変化の可能性です。
 最初に掲げていたのはコレです。
 コレは解決されたワケではありませんが、バードウォッチャーが鳥にとって悪い奴であるならば、鳥は 「 あ、やっぱり人間って怖い存在なんだな。近付かないでおこう 」 ということになり、問題はクリアされたことにされました。
 これで最初の縛りは一応の解決を見た形になりました。
 で、話を終わりにしても良かったのですが、
  思い起こせばその一つ前、
<中略>頂戴した反駁の中に
フォトギャラリーにも書きましたが最近バードウォッチングをしていると、
   手っ取り早く撮影する為にスマホなどでさえずりを流したり餌付けしたりなどして
   野鳥をおびき寄せる行為がごく一部の人に見受けられ (フォトギャラリー第212回参照)
   個人的に快く思っていないため特にそういった事を意識したコメントになりました。
   僕も人間ですから主観が混ざってしまうのはやむを得ません。
   野鳥ファンなら誰しも野鳥のいい写真が撮りたいという気持ちは分かりますが
   そんな自分勝手な動機で必要以上に野鳥を翻弄する権利が人間には有るのでしょうか。
 とありましたので、
 「 え~、そんな些細な事を問題視するなら、そもそもバードウォッチングという行為自体が
  そんなに褒められた代物じゃないと捉える事も可能じゃん 」
 という思考でこう書きました。
   ではなぜ、バードウォッチャーの存在が恰も野鳥の警戒を解いて
   彼らを危険に晒しているが如き主張を、オイラは書いたのか。
   それは、スマホで囀りを鳴らす行為やその場限りの一時的な餌付けが
   野鳥に及ぼす影響が、オイラが書いた
   「バードウォッチャーの存在が野鳥の警戒を解いて彼らを危険に晒す影響」
   と大同小異な杞憂なのではないか?と問いたいのです。
   そうした行為が野鳥の生活環境を微小に変化させ、その変化がバタフライエフェクト的に
   ドミノ倒しの 影響を及ぼし、最終的に野鳥はおろか、人間様の生活環境にまで
   悪影響を及ぼす可能性は、ゼロと断言することが出来ません。
 で、この後に、科学を思い込みで判断すると間違いに辿り着く例を挙げ ( 人工甘味料否定 )、
 「 邪道のバードウォッチングを否定されるなら科学的根拠を寄越せ 」
 と求めたのです。
 その後は、御自身も覚えておられると思いますが、「科学的に」 という要求に対して 「常識ガー」 とか 「常識に科学的根拠なんてフヨウ」 とか言って煙に撒こうとされて今に至っております。
 前の議題をすり替えたのではありません。
 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしているのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。
 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」
 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」
 と。
 それだけの話です。


>新たな設題を投げかけるのであれば前述の通り、自らも認めた 「(元々そこに有る恐怖なんだから)何の問題も無い」 という前言を覆すに足る根拠を示した上でなければばなりません。それは例えば 「元々そこに有る恐怖だからこそ問題が有る」 という根拠でなくてはなりません。つまりこの理論の根幹である 「元々そこに有る恐怖だから」 という根拠を崩さねばならないのです。それをせず「『元々そこに有る恐怖』なんかじゃねーよ。」というのは前言を覆すに足る根拠でも何でもありません。

 元々其処に在る恐怖であっても、捕食者だけから受ける恐怖と捕食者プラス観測者(=バードウォッチャー)から受ける恐怖では、恐怖の頻度が異なります。
 恐怖の頻度が増えれば、野生動物は生活時間を奪われる事になります。
 したがって、猛禽類や狩人のような捕食者しか居ない環境と、其処へ更に観測者と云う余計な恐怖 対象が加わった環境を同一視することはできません。


>なお、「餌付けやスマホで囀りを流す行為」 は <中略>単に他人の迷惑です。
 因みに 「バードウォッチャーが善い奴」 であっても、合法的な狩猟に何の問題も無いとしたら「鳥を人に狩られ易くする行為」 にも何の問題も無いという事はもうだいぶ前に論じた通りであり投稿者さんも反駁されていません。

 ですから、大局的な物の見方をするなら、法で禁止されていない行為をする限りに於いて、法的な問題など生じ様が御座いません。
 解禁期間内に特定の場所ならば狩猟して喰う事も許され、狩猟鳥のリストに在る物に関しては飼うことも可能。 なのに、バードウォッチング如きが咎められる道理はありません。
 ですが。 だからこそ。
 自分の気に入らないという極めて低次元な理由で、他人の行動を制限しようと考えるのは止めるべきでしょう。
 そういう狭量な人物の行為に対しては、重箱の隅を穿り返して難癖を付ける様なイチャモンが纏わり付くのも致し方のないことです。


>① 「王道のバードウォッチング」も「邪道のバードウォッチング」も
   野鳥から見れば 「ハンターである原始人と同じ事をしているだけ」 であり
   (野鳥から見て) 何の問題も無い。
 ② 上記にかかわらず 「邪道のバードウォッチング」 をしている人は
   非常識な人の事であり少なくとも 「王道のバードウォッチング」 をしている人にとって迷惑である。

 まず、①。
 貴殿の事だから 「 また新説ガー 」 って火病られるのでしょうけれども、実は以前にも
   たとえば、エゲレスの王室を追い回すパパラッチが5人居て、
   そこに6人目のパパラッチが加わった らとしたら、
   それは 「元々そこに有るパパラッチ」 でしょうか? 違いますよね。
   新たに加わったパパラッチですね。
 と触れたことがあるように、数が増えるという問題は厳に存在します。
 バードウォッチャーという観測者の存在は、( 鳥にしてみれば ) 捕食者や猟師のような 『本当に警戒しなければならない敵』 と区別できない 『敵もどき』 であり、そういう存在が加わる事に因って多大なストレスを受けるハズです。
 したがって、何も問題は無いというのは、あくまで、喰ったり防寒着の材料として羽根を毟って殺したりすることさえも問題ではないのだから、バードウォッチング如きは問題にならない、であってバードウォッチングという行為に如何なる些細な問題も生じてはいない、という意味ではありません。


>「少なくとも『王道のバードウォッチング』をしている人にとって迷惑である」という事(上記②)に対する反駁が成立していません。

 「 俺が迷惑だと言ってるから迷惑なんだ 」
 にどう反駁するんですか。
 あくまで個人の感想じゃないですか。
 そういう話で終わりなら、それはそれで結構です。


>「ストーカーやパパラッチ」 は前回コメントに何らマトモに反駁されないまま同じコメントを繰り返されています。

 いやいやいや、法律を抜きにすれば、ストーカーやパパラッチは個人に対する迷惑行為であり、バードウォッチングは野鳥に対する迷惑行為であるというだけの話を貴殿が御理解して下さらないので 「 大切な事なので二回言いました 」 状態になってしまっただけです。
 「 いや、バードウォッチングは、ストーカーやパパラッチとは違う 」 と仰られるなら、どのような点が違うのか具体的に御指摘下さいませ。
 なお、ストーカーは、感情の高ぶった犯行者から暴行を受けたり強姦されたりする可能性を秘めていますが、ストーキング自体は物理的な被害を与えてはいません。 パパラッチにしても、不倫現場や恋愛の縺れからの修羅場だの泥酔して狼藉を働いただの、そういう劇的瞬間を写真に撮られてしまう迄は、周囲に集る蠅のような存在であり、物理的な被害は生じておりません。
 したがって、ストーカー行為やパパラッチ行為というのは、それを取り締まる特別な法律や迷惑行為禁止条例などの法的な制約で抑止できない場合には、単なる迷惑行為でしかありません。
 それは、鳥類に十分な知能があった際に、バードウォッチャーに対して感じるであろう嫌悪感と何も変わらないだろうと思われます。


>「ストーカーやパパラッチ」 であっても 「何の問題も無い」 という事(上記①)に対する反駁が成立していません。

 おおらかな心で大局的に見れば何の問題もありませんが、スマホで囀りを鳴らすのが許せないだの、餌で誘き寄せるのが許せないだのという狭量な心で見るならば、バードウォッチャーの存在は野鳥にとって大変迷惑な存在であるという点を見逃すワケにはいかなくなります。

>「人が生まれながらにして持っている原罪」 という旗は降ろしたんではないですか?
 また都合良く復活ですな。

 ( ゚д゚)は?
 旗を降ろした? 誰が? オイラですか? とーんでもございません。
 森林を薙ぎ払い、河川を埋め、鳥獣の棲家と生活空間を奪い、人類の終焉まで到底持たないペースで資源を無駄遣いし続ける人類。 その人類に生まれ、生まれた時から文明の恩恵を甘受して、今後 も死ぬまで自然と資源を搾取し続ける ・・・ これが『(先進諸国の) 人が生まれながらにして持っている 原罪』でなくて何だと仰られるのでしょうか?
 もちろん、貴殿が 「 私はそんなことを罪だとは微塵も思わない 」 のであればそれはそれで構いません。

  <中略>お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中で はな 」 ということです。

>「バードウォッチングなんて罪は微罪にすぎない」などというフォローなんか要りませんよ。「微罪にすぎない」どころかそんな罪は存在さえしない(上記①)というのが現時点での結論です。

 他人の合法的な行為を許さない狭量な心を持つ者は、やはり他人から狭量な物の見方をされなくてはならないとオイラは考えます ( 貴殿に於かれましては、オイラのこの考え方は間違って見えるのかも知れませんが )。 そう考えると、たかがスマホで囀りを鳴らすだの餌で誘き寄せるだのという些細な行為に眉を顰めるような狭量なバードウォッチャーに対しては、
 「 バードウォッチングは元々野生に存在していた恐怖にプラスされた余計な恐怖であるのだから、野鳥にしてみればトンだ迷惑行為である 」
 という烙印を捺さざるを得ません。


>「存在自体が悪」 であろうがなかろうが人間が地上に存在する限り
 野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無いからです。

(※1~※2くりかえし)
(※3)
 つまり、
   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い
 のであっても、バードウォッチャーという招かざる客が加わる事に因って、野鳥が被る恐怖は増えて、 彼らの生活時間が削られてしまいます。
 そもそも、狩猟に解禁期間が存在して、いつでも好きな時に狩って良いのではない理由は、解禁期間 以外に狩猟鳥を狩ることが、狩猟解禁期間に狩るのとは意味が違ってくるからではないのでしょうか?
 セクロスとか産卵とか子育てでひがな一日餌を運び続けるとか、そういう時期に狩りを行ってしまうと、死ぬのが撃たれた個体だけではなくて、雛鳥の餓死という形で子孫にも及んでしまうから特定の期間以外は禁止されているのではありませんか?
 でも、バードウォッチングに禁止期間はありませんよね。
 ということは、本来ならば狩猟禁止期間は、人間に狩られるいうリスクは存在せず、人間以外の食物連鎖の上位にいる捕食者だけが恐怖の対象であったはず。 だからこそ、野鳥は安心して ( とはい え、野生の捕食者と云うリスクは尚も存在していますが ) セクロスして産卵して子育てすることが出来ているのです。
 もちろん、太古の時代に於いては、法で定められた禁猟期間なんて物は存在しませんでしたから、年がら年じゅう、食物連鎖の上位にいる捕食者に襲われるリスク+人間に狩られるリスクだったことでしょう。
 しかし、その頃は人間の数もホンの僅か ( なにせ天変地異で絶滅危惧種になる程度に少ない )でしたし、その頃に バードウォッチング などという高尚な趣味なんぞ存在しませんでしたから、野鳥は、野生の捕食者と云うリスク+狩人に襲われるリスクの中で、セクロスして産卵して子育て出来ていたのだと思われます。
 このように想いを馳せれば、必ずしもバードウォッチングは
   野鳥は人間に恐怖し迷惑するという関係に何の違いも無い
 のだから完全無欠に無罪だとは言い切れない様に思われます。
 いえ、もちろん、法的な問題は何も存在しません。
 巣の近くにバードウォッチャーが居る所為で、親鳥が雛に餌を与えることが出来ず、ひっきりなしに入れ替わり立ち代わりするバードウォッチャーの影響で雛鳥が飢え死にするとしても、人の法的には何の問題もありません。
 ただ、人としてそういう可能性についてどう捉えるか?という話です。

(※4)

>またまた一面からしか物事を見ずに早合点してしまう投稿者さんの悪い癖ですね。
 人間は鳥獣よりも上位の存在なのだとしても鳥籠から受ける苦痛は自然界とは無関係。

 自然界に有ろうが / 無かろうが、人工で無かろうが / 有ろうが、苦痛は苦痛です。
 温泉で受ける放射線被曝や放射性花崗岩などによるバックグラウンド被曝は、天然の被曝だから健康に良いというサヨクのトンデモ理屈じゃあるまいし、自然だから良くて人工だから悪いと云う発想は狂っている様にしか見えないので止めましょう。
 自然なら良いというのであれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に、野鳥が嵌り込んで、 脱出不可能になったとしても、それは自然だからOKということになりますよ。
 そりゃあ、農薬や食品添加物を忌避する自然教の信者にしてみれば、そう見えるのかもしれませんが、当の野鳥にしてみれば、葦等の植物が絡んで恰も籠状になった空間に嵌り込んで、餌が獲れずに飢え死にするくらいなら、人工の鳥籠に捕らえられて衣食住と安全が保証される方が余程マシでしょう。
 ・・・ とはいえ、当の野鳥は知能が低いので、そういう判断は期待できないんですけどね。


>バードウォッチャーから受ける苦痛は元々自然界に有ったものです。

 (※1~※2くりかえし)
 (※3~※4くりかえし)

>しかも前回のコメントで「捕まえて」まではともかく「ペットとして飼おうとも」の部分はNGという激論を交わしたばかりです。

 それが双方の合意に至った話ですか? 違いますよね。
 オイラの意見は、あくまで 「ペットとして飼おうとも構わない」 であり、それは揺らいでおりません。


>スマホや餌で誘き寄せる行為は野鳥と言うより周囲の人間( 少なくとも「王道のバードウォッチング」をしている人)が迷惑するからNGというのもこれまで繰り返しコメントした通りです。

 だから法的に抑止する事が出来ない行為であり、スマホが鳴らす囀りや御馳走に誘き寄せられて野鳥が近くへ寄って来れば、( たとえ王道のバードウォッチャーにとって不快であろうとも ) 長玉を構えて遠方の野鳥を捉えることが出来ない観光客は喜びます。
 観光客にとって、山林を歩くことのメインは運動であって野鳥観察ではありませんが、それでも、とある山林へ行けば野鳥が近くに寄って来るという噂が立てば、観光客の増加が期待できます。そうなれ ば、地元の観光産業も潤うことになるのですから、これはもう、win - win の関係でしょう。


>あと、これは見逃せないのですが
 「人間は鳥獣よりも上位の存在なのだから、脅かそうが追い回そうとも人間の勝手である」
 という僕の理論は存在しません。
 「 人間は元々そこにあるハンターだから野鳥にとって迷惑だろうが恐怖だろうが
  ( 狩猟して喰うのさえ) 『それが元々』 」 という理論なら存在します。

 あー、ま、なんだその。
 (※1~※2くりかえし)
 (※3~※4くりかえし)
   狩猟して喰うのは
   『それが元々』
 ですが、バードウォッチングは
   『それが元々』
 ではありません。


>だから 「捕まえて」 まではともかく 「ペットとして飼おうとも」 の部分はNGなのです。
 微妙な違いの様に見えて全然違いますよね。
 あるがままの自然界の食物連鎖における順位をそのままペット化に準用しているところに
 投稿者さんの根本的な誤謬が有ります。
 自然界のハンターは鳥をペットとして飼う事は有りません。

 鷹匠がスズメを愛玩動物として飼っている例を前のページで挙げているんですけどネw
  <中略>
 スズメを狩る際の囮として、生きたスズメを飼っている例です。
 他にも ( スズメ以外でも ) 狩猟鳥を誘き寄せる囮として生きた狩猟鳥を狩っているハンターは居ると思いますねぇ。 まぁ、囮は愛玩対象ではありませんから、厳密な意味ではペットとは違いますが。


>結論:[ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 すなわち「ペットとして飼う事を目的として野鳥を捕まえる事はNG」
 で宜しいですね。
 あら、今回のテーマの結論が出てしまいましたね。

 ( ゚д゚)は?
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =NG
 は、貴殿の結論であって、オイラの結論ではありませんよ。
 オイラは、最初から今に至るまで ( そして、おそらくこの先も )
   [ 野鳥をとっ捕まえて、籠に入れて野鳥の姿をした別の生き物として飼う ] =OKOK!
 であり、一歩も譲った覚えはありません。
 まさしく、
   勝手に都合良く人の理論をスリ替えてはいけません
 ですね。
 それに、そもそも、譲らなきゃならなくなるような隙のない完璧な理論武装を貴殿から見せて頂いた記憶も御座いません。
 「 既にペットになっている種が在るのに、わざわざ野性をペットにする理由がない 」
 という子供の我儘みたいな屁理屈武装しか拝んでおりません。
 単純な愛玩動物がペット化された時と同じ理由 ―― 単純に可愛い動物に癒されたいから飼うのです。
 ところが貴殿は、其れに対して 「 では、バードウォッチングで代用しろ 」 と仰る。
 見るだけで我慢しろ、って小中学生にオモチャを買ってやらない親の良い分そのまんまじゃありませんか。
 先に、
<中略>述べた通り、人の所有欲を無視した理論に意味なんかありません。
 欲しいという欲望に「No!」を突き付ける為には相応の説得力のある“理由”が必要です。

 <中略>狩猟解禁期間内に、自宅の敷地内で飛び道具以外の手段で狩猟鳥を捕まえて飼う事に法的な制限はあません ( 正直、ちょっち意外でしたが )。
 もちろん、この事実は、今回明らかにされた物であって、前回の段階ではオイラも貴殿も知らなかったのですから、これを切り札にはしませんが、ありふれた狩猟鳥を飼う事を許さない法的な根拠は存在しません。
 どうか、( 絶滅危惧種の類ではない ) ありふれた狩猟鳥を飼ってはならないという“理由”をお聞かせ下さいませ。
 既にペットと成っている種が、野生種からペットに至る過程を今現在の野鳥に与えてはいけない理由 ―― リスクの可能性があるから等と云う糞みたいな屁理屈ではなく ( 動物のリスク如きの為に、人間 の欲望が抑制されなければならないなんて不条理は受け入れられません ) 同意せざるを得なくなるような説得力のある理由を ―― お聞かせください。
 ・・・ って、ああ、そういうば、今回で終わりなのでしたね。


>そもそも現代人は原始人より人数が多いのだから当然野鳥が人間と遭遇する機会も多くなっていると思われます。で、そこに何の問題が?何の問題も無い事が起きる回数が増えただけではないですか。

 はい、もう一回。
(※1~※2くりかえし)
(※3~※4くりかえし)
   狩猟して喰うのは
   『それが元々』
 ですが、バードウォッチングは
   『それが元々』
 ではありません。


>おっと、「新たな(人工的な)恐怖」 の説明をして頂く前に、前述の通り 「問題は無い」 という前言を覆すに足る根拠を示した上でそれまでの主張と合わせて取り下げて下さいね。

 - - ちょっち上からのコピペ此処から - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - -
 前の議題をすり替えたのではありません。
 前の議題を強制終了して、「 じゃあ、もう何も問題はないんだね 」 という大団円に持ち込もうとしてい るのに、スマホで囀りを鳴らすとか餌で誘き寄せるとかそういう第三者から見て、取るに足らない行為 を禁忌にしようとされたので、次の議題が立ちあがったのです。
 「 邪道を批難できるほど王道は立派なのか?」
 「目糞鼻糞なんじゃねーのか?」
 と。
 それだけの話です。
 - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - - ちょっち上からのコピペ此処まで - -


>そうですね。変な餌を食べさせられた結果食中毒を起こしている可能性も有りますね。

 なんで食中毒で腹が膨らむんだよ。
 食中毒を起こしたら、毒素を一刻も早く体外へ排出する為に酷い下痢を起こすだろ。
 食中毒なら痩せなきゃおかしいじゃん。


>それはさて置き投稿者さんが科学的根拠を要求されたから止むを得ず主張の根拠となるオリジナル画像を目撃証言( もし裁判なら重要な証拠になり得る ) を添えて紹介したまでです。

 食料が食べ放題である状況下で、しかも飛翔能力を有する鳥にとって最もカロリーを消費する行為を制限されている鳥 = ペットとして飼われている鳥が肥満体にならないことから、飛ぶ為に特化している ―― つまり、重量物を体に貯め込み難い身体構造に成っている ―― 飛ぶ鳥は安易に太ることは 起こり得ないと考えるのが理に適っています。
 また、以前にオイラが示した通り、たかだか邪道のバードウォッチャーが連日持ち込む小さなタッパに詰めたワーム如きで、( その邪道のバードウォッチャーが居ない時間帯や来ない日は、自力で餌を捕らなければならないのに ) 野鳥が餌撒きで太るということは、ロジック的に考え難いことです。
 したがって、実際に太っている鳥 ( 飛翔能力を持つ鳥 ) の存在を以て否定する為の証拠とするためには、そういう例が普遍的である事を示さなくてはなりません。
 此処は個人同士の言い合いの場ですから、そこまでの下衆の勘繰りはしませんが、もし裁判でこんな一羽の写真だけで反論の根拠にしようとしたら、それこそ
 「 異議あり!
  この画像の鳥が特別なクスリを配合した餌で無理矢理肥えさせられていたり、
  あるいは、画像を加工たりしている可能性があるので、証拠として採用はできません 」
 と言われるでしょうね。


>少なくとも何も根拠無く主張している訳ではありませんし
 鳥類とかけ離れた魚類の例 ( しかもネットから拾って来ただけの伝聞によるエビデンス ) より少しはマシな根拠です。

 ネットから拾ったからエビデンスが低い ・・・ 正気ですか?
 別に金魚でなくても腹が膨らむ病気に罹れば、腹が膨らみます。
 それこそ酷い便秘をすれだけで、人間のお腹は膨らみます。

  <中略>
 便秘だけではありません。
 女性では、卵巣嚢腫や卵巣癌,子宮癌,子宮筋腫,子宮内膜症などでお腹が膨らむ症状が現れます。
 男女問わずでは、肝硬変,大腸癌,腸下垂などでお腹が膨らむ症状が現れます。
 ですから、人間と違って、中年太りした野生種の鳥やペットの鳥がそうそう見られないにもかかわらず、お腹が出ている野鳥の画像を見て 「 これは邪道のバードウォッチャーが撒いた餌を食い過ぎて太ったに違いない 」 と考えるのは、変なフィルターが掛かった人だけです。
 そう、貴殿の様な、ね。


>病気に罹っているかどうか解剖でもしなければ確認出来ないのは百も承知です。
 投稿者さんは動物実験でもしなければ入手不可能な高レベルの科学的根拠を要求されているのです。

 そもそも当方の主張は、鳥類は飛ぶ為に特化した進化を遂げており、また、飛ぶこと自体が異常なまでにエネルギーを消費する為に非常に太り難い、に主軸を置いている。 実際に、餌が食い放題で、 飛ぶ機会に恵まれない籠の鳥 ―― 文鳥や十姉妹など ―― でも人間の中年太りのような体型に成る個体はほぼ存在しない。
 したがって、人間の中年太りのような体型に成った個体が目撃された場合は、食い過ぎで太ったという推測よりも病気で体型が変わったと推測するのが妥当である。
 また、鳥類と魚類では身体の構造が大きく異なるが、それでも金魚に多く餌を与えたからと云って太ってしまうという例は寡聞にして知らない。 ガキンチョが幼稚園児や小学校低学年の頃は、夏祭りの 金魚掬いで持って帰ってくるモノだから、何度も飼わされた ( しかも、水槽の掃除という一番面倒臭い 仕事がオイラの分担という理不尽 ) が、餌をやり過ぎて太った事は一度もない。
 金魚の場合は、餌を多くやれば早く大きくなって早く死ぬ ・・・ 基本的にそれだけだった。
 そしてネットで調べれば、案の定、人間の中年太りのような体型に成った金魚は病気であるという情報が得られた。 だから反駁として掲載した。
 何が気に入らぬのか分からないが、一応、ロジックの基本は踏んだつもりだぞ。


>投稿者さんが朝夕のラッシュ時に電車待ちの列に並んでいる所へゾロゾロと非常識な連中が割り込んで来て投稿者さんが積み残しになってしまったとします。 そういう事が繰り返されて終電に乗れずとうとう帰宅出来なかったとしても何ら文句を言わないのでしょうか?

 異議あり!と云うか待った!と云うか。
 その手のマナー違反に関しては、他でもないオイラがやらかしているんでね。
 なんせ、最寄駅が終点のホン手前なんでね。
 web上じゃ悪逆卑劣厚顔無恥の極みみたいに言われている“折り返し乗車”をしています。
 マナー違反の際たる物だと思いますが、実はコレ、合法です。
 通勤定期の場合、( 経理課に領収書を提示しなければならない厳しい会社を除いて普通は ) 不足分を自腹で叩いて、終着駅から目的地までの区間の定期券を買ってしまえば、鉄道事業法上も鉄道営業法上も折り返し乗車を規制していません。 最寄駅から目的地までの通勤定期で折り返し乗車をすればキセルになりますが、ちゃんと乗る区間全体の定期券を持っていたら、法的に文句を言われる筋合いはないんですw
 ちなみに、マナー的には弩級のアウトなので、例えば阪急烏丸駅などでは、乗車位置よりも一旦手前で電車が停止して、乗客を全員下ろしてから正規の乗車位置に移動して、待っている客を乗せるという荒業で“折り返し乗車”を拒否しています。
  ちなみ、この場合の法的な根拠は、
  鉄道の運営上、車掌の権限を大きなものにしてある → だから車掌の言うコトには従え、
  という割と無茶なモノです。

    <中略>
 オイラ自身がこういう『悪いコト』 をやっとりますんで、横から割り込まれて積み残されても笑って済ますしかないわいなw

>大阪以外の読者の人は 「大阪の人は電車待ちの時に並ばない」 という
     マスコミ情報を鵜呑みにしている人も居られるかも知れないので補足しておきます。 決してそんな事は有りません。

 いやいやいや。
 首都圏の電車待ちの行列は、ナチス軍でも斯くや有らんと思うレベルで、アレを基準にされたら、関西人の電車待ちの行列は無法地帯に見えても仕方がないと思いますよ。
 関西は、待ち列はグチャグチャで、乗るのはムッチャクチャに詰め込みますからね。
 もう三十年ばかし前に、名古屋の某特殊鋼メーカーにコネ入社した際、格好ばかりの面接を受ける為に東京の地下鉄に乗った時の話なんですけどね。 大阪だと本当に物理的に乗車が不可能になるまで乗り続けますけど、東京は ( 関西の感覚で ) 一つのドアあたり余裕で後5人は乗るだろうという時点で、もう誰も乗らなくなるんですよ。 関西人から見ると 「 なんでやねん。 まだまだ乗れるやんけ、もっと奥、詰めろや 」 って感じなんですけどね。 諦めが良いのか、恰好を付けているのか、無理に乗ろうとしないんですよ。 関東一帯で四千万人も人が住んでいるのに、あんな格好付けマナーで、交通機関がよく回るよな、と不思議に思いますよ。
 まぁ、三十年も前の話なので、今は昔と違って、東京も大阪と大差のない待ち列グチャグチャ&ムッチャクチャ詰め込みに劣化しているのかも知れませんが。


>人間界のストーカー被害者に向かって
 「ストーカーなんて野鳥ファンみたいなものだ」
 などと言えばどんな反応が返って来ると思いますか?と問うているのです。

 そもそもパパラッチはともかく、ストーカーは法に抵触する犯罪行為です。
 したがって、此処で話し合っている内容を前提にした仮定を一切抜きにして、単純に
 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」
 と無辜の第三者に問えば、そりゃあ予想される返答は、
 「 ストーカーとバードウォッチングは違う 」
 になるでしょう。 至極あたりまえの話です。
 しかし、ストーカー行為は、被付き纏わられる側に対して物理的な接触 ( 手紙やプレゼントの送付から、実際に腕を掴んだり抱き寄せたりする、あるいは、それ以上 ) に至らない限りは、周囲をうろちょろするだけであり、付き纏わられる側にトラウマになるような記憶が無ければ、鬱陶しい存在でしかありません。
 もちろん、ストーキングされるに至るまでの経過に於いて、付き纏われる側に思い出したくもないおぞましい体験があれば、ストーキング行為は、( たとえ物理的な接触に至らなくても )付き纏わられる側 にとって、紛れもない犯罪行為です。
 これを取り締まるのは、『ストーカー行為等の規制等に関する法律』 という 「 ヒトがヒトの為に作りし、 人の行動を制限する法律 」 です。
 一方で、人間に対する人権に類する権利が鳥に対しては認められておらず、絶滅危惧種の類でない ありふれた野鳥に関しては、狩猟解禁期間内に規定された場所で許可された方法で狩るのであれば、 狩って殺すことさえ許されており、人が人を殺せば問答無用で殺人罪と云う重罪犯になるのとは余りに扱いが異なります。
 もし、人間に対する人権に類する権利が鳥に対して認められていたらどうでしょう?
 野鳥にとって人間は、人が狩りを始めた太古から連綿と続く捕食者であり、その姿を見ただけで背中に張り付いた死を覚悟させる恐ろしい存在です。 もちろん、バードウォッチャーは単なる観測者であり、鳥を狩る者ではありませんが、鳥から見れば狩人も観測者も見分けが付きません。
 したがって、もし、人権ならぬ鳥権が認められたなら、狩猟解禁期間外に狩猟鳥に対して狩られる恐怖を与える行為は法律で禁止されるでしょう。 そうなれば、当然の事ながら、バードウォッチングもまた、法律で禁止される行為と成り得ます。
 ・・・ という解説を無辜の第三者に対して行った上で、
 「 ストーカー行為はバードウォッチングと同じか否か? 」
 と問うたのであれば返答が、
 「 もしかしたら、ストーカーとバードウォッチングは相似しているかも知れない 」
 となる可能性は決して低くないハズです。
 何も知らない無辜の第三者に対して、犯罪行為と犯罪行為以外を比較させたら、犯罪行為だけが避難されるに違いない。 だから、犯罪で無い行為は完全無欠に何の問題もない ・・・ というのは、物事の本質を度外視した詭弁です。
 そもそも、法に触れるから / 法に触れないから、であるならば、疾うの昔に結論は出ています。
 現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、餌で野鳥を誘き寄せようが全く無罪であると。
 それに対して貴殿が
   「 それでも、やっぱり邪道のバードウォッチングは許し難い 」
 と仰るから、
   「 んなこというなら、王道のバードウォッチングだって目糞鼻糞じゃねーか 」
 と当方が申し上げているのです。
 其れに対して、
   何も知らない第三者に問うたならば、
   犯罪行為が有責と返答され、犯罪以外の行為は無責と返答されるであろうから
   ストーカー行為は悪だが、バードウォッチングは悪ではない。
 という理屈で反駁して来るのは意味がありません。
 なぜなら、合法 / 非合法の話であれば、
   現行の法で裁けないのだから、スマホで囀りを流して野鳥を誘き寄せようが、
   餌で野鳥を誘き寄せようが全く無罪
 で終わっているからです。


>ま、野鳥の目から見てバードウォッチャーという存在が人間界のストーカーやパパラッチと何も変わらないとしても何の問題も無いというのは既に論じて来た事ですからどうでもいいんですけどね。

 はい、もう一度。
(※1~※2くりかえし)
(※3~※4くりかえし)
 Is there anything unclear to you?

>「鳥にとって傍迷惑な行為に及んで」 いるとしても問題は無く
 「スマホで囀りを聞かせる」 のは他人が迷惑すると言っているのです。
 物事を一面からしか見ずに一緒にしないで下さい。
 毎回同じ様なコメントを繰り返していますよ。

 毎回同じ様なコメントを繰り返しているのは、オイラの主張が貴殿の主張によって論破されたとは到底思えないからです。
 そもそも、上で書いた“折り返し乗車”という凶悪なマナー違反であっても、
   車掌に見つかって
   電車の運行を妨げる行為だと車掌が判断して
   車掌が一旦降車して、待ち列の最後尾に並ぶように命じる
 というパターンに嵌らない限り、( 車掌以外の誰も ) 私の“折り返し乗車”を阻むことは出来ません。
 「スマホで囀りを聞かせる」 のも 「餌で誘き寄せる」 のも、例え貴殿がそれらの行為に対して、どれほどトサカに来ようとも行為者を制する権限を貴殿は持ちません。
 以前にも書きましたが、「 ( 法的な根拠は何も無いが ) 迷惑だから止めろ 」 という主張が通るので あれば、「 そのミルク缶みたいなバカデカいレンズを付けたカメラをブラさげてウロチョロするのは目障りだから止めろ 」 もまた成立する主張となります。
 「 そんな馬鹿な主張をする奴が居る筈がない 」
 なんて戯言は止めて下さいよ。
 基本的にオタクは嫌われるんです。
 一般乗客の動線を邪魔して、ちょっと鉄道が好きな一般乗客の視界を遮って、ホームに入って来る電車を見えないようにしてしまう鉄道ヲタクは、「 いやいや、そこまで嫌わなくても 」 という位に世間一般から嫌われています。 それはもちろん、一部の鉄道オタクの行動が常軌を逸していて、その所為で 無害な鉄道オタクまで十派一絡げで嫌われているのですが、鉄道オタク全体が嫌悪の対象になっていることは事実です。
 キャンペーンガールやコスプレイヤーを撮るカメラ小僧も嫌われ者です。
 改造車ショウは、改造車を披露してその技術力をアピールし、改造を依頼する顧客を集める為のショウです。 ところが、それだけじゃ盛況に成らないから、マスメディアが取材に来た時に閑古鳥が鳴いていたら恰好が付かないので、オヘソ丸出しのキャンペーンガールを立たせて精子タンク満杯のアンチャンや古女房に欲情しなくなったオッサン連中を集めています。 もともと、改造車好きの人間が来るの で、改造車を撮るという目的でのカメラの携行は規制されておらず、その延長としてキャンペーンガールを撮る事も規制されてはいません。 しかし、それを幸いとカメラ小僧が来るわ来るわ。 キャンペーンガールが現われると通路にカメラ小僧が鈴生りになって、通路は完全に機能を失います。 純粋にクルマを見に来ている客にとって、迷惑千万な存在であることは明白です。
 ( 斯く言うオイラも最近はカメラ小僧と化していて、ショウに来るまともな客に迷惑を掛けまくりです )
 コスプレイヤーを撮るカメラ小僧も同じ。毎年春に行われる大阪日本橋の 『ストリート・メッセ』 は、 年を追う毎に来訪者が増え、二つの大通り、延べ2キロメートル未満の歩行者天国に数十万人がひしめき合います。そんな中で、そこいらじゅうで、コスプレイヤーの周りに空間を置いてカメラ小僧が終結するのですから、満員電車に車椅子やベビーカーが入ってくるようなモノ。
 コスプレイヤーの写真を撮るのではなく、単に眺めに来ただけの観光客にしてみれば、やはり、迷惑千万な存在でしょう。
 まぁ、さすがに野山に居るバードフォトグラファーが、鈴生りになって道を塞いだり、野鳥を取り囲んでコロニーを作ってしまうようなことは ( フォトグラファーの人数的に ) 起こり得ない事だと思いますが、 それでも他の観光客からすれば、バードウォッチャーは異質な存在です。
 波風が立てば排斥される側であることを重々承知された方が宜しいのではないでしょうか。


>「スマホで囀りを聞かせるのも、その場限りの餌付けを行うのも」 迷惑だからやめてくれと言える事に変わりは有りません。

 迷惑と感じているのは、“王道のバードウォッチャー”だけですよ。
 貴殿もご自覚しておられる通り、野鳥というのは、基本的に人の居る所へ寄っては来ません。
 趣味として捉える限りは、そういうハードルの高さ故に遣り甲斐があるのでしょうけれども、趣味じゃない一般の観光客にしてみれば、スマホで囀りを聞かたり、その場限りの餌付けを行ったりすることで、 野鳥の方からコッチへ寄って来て、リアルタイムに生の囀りを聞かせてくれて、御姿を間近に拝見する ことが叶うのです。
 其処に “迷惑” の二文字は存在しません。
 迷惑と感じているのは、貴殿等“王道のバードウォッチャー”だけです。


>「野鳥から見えない位置で隠れて撮った」時は周囲に誰も居ませんでしたから
 「境界線」も存在しません。因みにこの時も藪の中に入った訳ではなく草ぼうぼうの池の畔の通路部分でした(通行人ゼロ)。

 それは失敬。

>居るか居ないか分からない様な元慰安婦に会いに行くよりもバードウォッチングの現場を知る事は断然容易ですよ。

 ま、この話と慰安婦問題は全く関係がないので簡潔に。
 慰安婦は存在します。
 慰安婦は七十余年前に、売春も管理売春も合法だった時代に、侵略 ( 侵略ではないのですが、まぁ、便宜上 ) した土地を統治しなければならなかった日本帝國は、兵士が強姦をしたのでは、統治に支障をきたしかねないので、業者に委託して慰安所を営業させました。 この慰安所という名の売春宿で働いていたのが“慰安婦”という名の売春婦。 七割がたは日本人で、貧乏な東北の農村から売られてきた女性です。
 七割がたは日本人 ・・・ ということですから、日本人以外の慰安婦も居ました。
 大半は日本人と同じ境遇で、貧乏人は飢饉が起これば死ぬしかなかった時代に家族全員が飢え死から逃れるために、親に、あるいは、夫に売られてきた女性でした。
 ( 実際に、今は 「日本兵に攫われて慰安婦にされた」 と言って憚らない自称元慰安婦の婆さまも
  最初は 「親に売られて慰安婦になった」 と証言していました )
 で。
 「 お前等、以前は 『親に売られた』 って言ってたじゃねーか 」
 って突っ込むと
 「 慰安婦問題を否定するなら、可哀想なお婆さんに会って話を聞いてからにしろ 」
 と返ってくるんですな
<中略>
 なんだか、似てませんかw ・・・ という話です。


>言われなくとも現にここ数週間それに近い状況です。

 よかったですね。
 それが棲み分けです。


>そもそもそんな極端な餌付け等をしている本人には他人から証拠を突きつけられるまでも無く「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」の姿は時々刻々と分かっているはずです。

   「異常な挙動を示した野鳥」や「不自然な体型になってしまった野鳥」
 が存在するなら“邪道のバードウォッチャー”じゃなくても、同じ場所に居る貴方達“王道のバードウォッチャー”にも
   時々刻々と分かっている
 んじゃないんですか?
 スマホで囀りを鳴らしたり餌を与えたりする立場で無いにしても、貴殿達は、同じ野鳥を邪道のバードウォッチャーと同じ様に観測しているのではありませんか? そんな貴殿等が、杳として掴みあぐねている野鳥の変化を、どうして、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしている当事者なら掴んでいる に違いないと断言できるのでしょう?
 逆に、スマホで囀りを鳴らしたり、餌を与えたりしても、野鳥は異常な挙動を示す事も体型が不自然になってしまうこともない ・・・ だから、貴殿等にも邪道のバードウォッチャー達にも野鳥の変化が掴めないのだ。
 ↑こう考えるのが普通でしょうに。
   スマホで囀りを鳴らせば、野鳥は異常な挙動を示すに違いない。
   人の手から餌を貰えば、野鳥は不自然な体型になってしまうに違いない。
 残念ですが、それは妄想です。


>「眺望に立ちはだかる壁」 も 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも非常識の例であり他人に迷惑をかけている人の具体例ですね。 これに文句を言うのに非常識だと証明する必要が有りますか?

 「眺望に立ちはだかる壁」 は、壁に成っている人にとってはどうでもいい話であり、壁に眺望を阻まれていない立ち位置に居る人にとってもどうでもいい話です。それは、壁に眺望を阻まれている人にとって『のみ』問題になる話です。
 「人が往来する通路に留まって観光客の邪魔をする」 のも同様に、往来する通路に留まっている人にとってはどうでもいい話であり、通路を通ろうとしない人にとってもどうでもいい話です。これもまた、 通行の邪魔をされた人にとって『のみ』問題になる話です。
 同様に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 もまた、それを迷惑と思っている人と思っていない人がいます。
 そして、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に於いては、単純に運動の為に歩きに来たり、風景を愉しむ為にハイキングに来ている人にとって迷惑でも何でもありません。それどころか、むしろ、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 に因って運良く野鳥が間近に寄って来てくれれば、彼等、観光客にとって嬉しいハプニングに成ります。
 つまり、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為 」 を迷惑と思っているのは、少数という捉え方ができると思います。
 もちろん、少数だから間違っている / 多数だから正しい、とは申しません。
 しかし、改造車ショウに群がるカメラ小僧が排斥されないのも、ストリートフェスタに群がるカメラ小僧 が排斥されないのも、主催者側の意図とカメラ小僧の存在が合致するからです。 改造車ショウに群がるカメラ小僧の存在は 『枯れ木も山の賑わい』 であり、取材に来るマスメディアに盛況であることを見せる材料になりますし、ストリートフェスタで撮られた画像は ( 建前上、主催者側は 「画像や動画を webやSNSへ上げないで下さい」 というスタンスを取っていますが ) webやSNSへ上げられる事によって、こういう愉しい事をやっていると広報する結果となり、次回の客が増える要因になり得ます。
 だから、カメラ小僧が看過されるどころか、 カメラ小僧が居なくなったら困るというのが本音です。
 野鳥の居る山林にしても、
<中略> 食堂や土産物屋でお金を落してくれる観光客が神様です。
 野鳥が遥か彼方にしか居なくて、エンターティメント性に欠ける山林と、なぜか野鳥が向こうから寄って来て、その鳴き声を聞かせ、姿を見せてくれるというエンターティメント性に富んだ山林。
 観光客の目に魅力的に映る山林は、果たしてどちらの山林でしょうか?


>非常識な人にいちいち迷惑である事を証明する必要なんか無いのです。

 「悪いことをするな」 という呼び掛けは、あくまで 「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せるZ行為 」 が ( 不法ではないけれども、普遍的な観点から見て許し難い ) マナー違反であるという前提でしか成立しません。
 もちろん、貴殿達、“王道のバードウォッチャー”にとって、“邪道のバードウォッチャー”の行為が許し難いというのは重々承知しています。しかし、それは普遍的な物の見方ではありません。
 実際問題、オイラ達のような ( 自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルが、「野鳥なんか遥か遠くに居るだけの山林」 と 「野鳥がなぜか向こうから寄って来て、近くで鳴き声を聞かせてくれて、 枝から枝へ飛び交う野鳥の姿が見られる山林」、どちらへ行きたいですか?と問われれば、断然後者 です。
 そう考えれば、( 少なくとも自然に在る野鳥なんかどうでもいい ) 一般ピープルから見れば、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達」 が “目に余る悪い行為” をしているのではなく、 むしろ、逆に、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりしている人達に対して、止めろと呼び掛け をしている人達」 の方が ( 目に余る悪い行為ではありませんが ) 「余計なことをして、野鳥が寄って来 ないようにしている嫌な奴等」 に見える可能性を憂慮すべきではないでしょうか。


>バードウォッチングに限らずどの社会においても
 「常識」で考えて「他人の迷惑になりそうだ」と認識出来ない人を排斥しようとするのは
 人間社会の持つ当然の行動です。
 <中略>「非常識」 とは 「社会秩序を乱す行為」 ですから
 社会秩序を維持する為に非常識な人を排斥しようとする行為は正当だと評価されるべきです。

 果たしてそうでしょうか?
 これは、オイラが異常な偏見に基づいて脳内で創り上げた幻想なのかも知れませんが、何の知識も持たない無垢な一般ピープルにとって、歓迎すべきは 「野鳥が遥か彼方で囀っていて、影も形も見えない、《自然にあるがまま》」 ではなくて、「野鳥が向こうから寄って来てくれて、その囀りを近くで聞くことが出来て、あまつさえ、その姿までも拝むことが叶う」 ような山林だと思います。
 もし、オイラの幻想が正鵠を射ているのであれば、「(観光客にとって都合の良い) 社会秩序を乱す行為」 をしているのは、野鳥が寄って来ない方向へ変化させようとしている貴殿達の方になるでしょう。
 絶対的な視点から観察した絶対的な『正』と『邪』などというモノは物語の中にしか存在しません。
 同じモノを見ても、立場が変われば見えるモノが変わります。
 山林に於ける 「社会秩序」 が 「野鳥が寄って来ない、本来在るべき秩序」 であるなら、貴殿の仰られる通りに、「スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せる行為」 を行っている輩は悪であり、排除され るべき存在でしょう。 しかし、野鳥に興味がない人にとって野鳥は、追い求めるハードルが高ければ高い程に燃える趣味の対象ではなくて、たまたま運動不足解消の為にやって来た人やハイキングでやって来た人にとっては、「わぁ、野鳥がスグ近くまで寄って来たよ。可愛いなぁ」 という素敵なパプニング が再々起こってくれる状態の方が好ましい 「社会秩序」 となるでしょう。
 そう考えるなら、「(観光客が好む様な、観光客にとって都合の良い)社会秩序」 を維持する為に排斥されるべきは、“邪道のバードウォッチャー”ではなくて“王道のバードウォッチャー”ということになります。


>前述の「列に割り込む人」の例を思い起こして頂ければ容易に理解出来ると思います。
 これは差別でも何でもなく本人が常識をわきまえれば済む話です。
 「常識」の説明なんか何度もさせないで下さい。

 だから、再三に渡って、その 「常識」 とやらがバードウォッチャーにとっての 「常識」 だと指摘させて頂いておる。
 閑静な野山でスマホを鳴らす行為自体は、非常識と捉えて間違いはなかろう。
 しかし、その結果、本来であれば、余程の幸運に恵まれない限り、その囀りを間近で聞くことも、その 御姿を間近で拝見することも叶わない野鳥が、なんと!向こうからコッチへやって来て、リアル生囀りを 聞かせてくれて、肉眼で拝見を賜ることが叶うのだ。
 これを歓迎しない一般ピープルが居るでしょうか?
 「 野鳥なんて、本来は遥か彼方に居て、囀りが微かに聞こえるのがデフォルト。
  姿なんて見えなくて当然。
  囀りの聞こえる方向へ向かって歩いて歩いて歩き倒して、それでも出会えないのが普通で。
  でも稀に、努力の結果、近くに野鳥の姿を捉えて、囀りも真傍で聞くことが出来る事がある 」
 ↑こんなストイックな趣味、普通の人は御免被りますよ。
 普通の人は、野鳥の為に努力なんかしたくないんだから、向こうからやって来て、近くで鳴き声を聞かせてくれて、その御姿も肉眼でしっかりと見せてくれる方が良いに決まっています。
 これが、貴殿達、野鳥ファンとやらが把握してない、一般ピープルの野鳥に対する 「常識」 です。


>自覚しておられる様に、
 この場合は交通ルールをあからさまに無視する人の方が非常識なのだから
 サーキットに行く事をお勧めします。

 そう。 その通り。
 違法行為をしている者に、遵法行為をしている者を責める権利は無い。
 しからば
 スマホで囀りを鳴らすとか、餌で野鳥を誘き寄せる様な“邪道のバードウォッチャー”は、違法行為をしていない者なのだから、誰にも責める権利はない。
 のですよ。


>本物の野鳥の囀りを聞きたい人にとってスマホの囀りなど騒音でしかありません。
 ライブコンサートの客席でラジカセの音声を流す様なものです。

 その例はオカシイ。
 ライブコンサートの会場の席は、これから始まる登場するアーチストを待っている席であり、その席で ラジカセを鳴らそうが鳴らすまいが、開演時間に成ればアーチストが登場して演奏が始まる。
 しかし、山林にあっては、基本的に野鳥の囀りは、余程の幸運に恵まれていない限り、近くで囀りを聞くことはできない。 遠くの方で囀っているのを、閑静な環境で耳を澄まして聞くのが精一杯だ。 ところが、スマホで囀りを鳴らせば ( どのくらいの確率なのかは知らないが、少なくともそうしないよりは高 い確率で ) 野鳥の方からこちらへ寄って来て、リアル生の囀りを聞かせてくれる。
 これをライブコンサートに喩えるなら、
   ライブコンサート会場外の駐車場で、ラジカセ(死語)の音声を流していたら、
   なんと! アーチストがやってきて歌いだした!!!
 という状況です。
 遠くに在って聴き取り難い野鳥の声を、間近で聞けるようになることに対して、不快感を催すのは“王 道のバードウォッチャー”だけです。


>更に 「一例」 を言えば探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かりになります。
 そんな時にスマホで囀りを流されては混乱し迷惑です。

 だから、それは、“王道のバードウォッチング”側の理屈だっちゅうの。
 「 なんか、アッチの方から鳥の囀りが聞こえて来る 」
 といっても、『アッチ』 というのが、整備された道路沿いでなければ、鳴き声を間近で聞いたり、御姿を間近で拝見することは叶いません。 『アッチ』 というのが整備された道路沿いでなくても、せめて近くから聞こえてくのであれば、まだブッシュに足を踏み入れる覚悟があれば、近付くことが叶います。 でも、深い谷の向こう側から聞こえて来るような状況では、“王道のバードウォッチング”は諦めることしか出来ません。
 ところが。
 それが “邪道のバードウォッチング”という魔法の手に掛かれば、野鳥の方からコッチへ来てくれるのです。
 なんと素晴らしい! ハラショー!!
 無垢な観光客に言わせれば
   探鳥において野鳥の声は存在を知る重要な手掛かり?
   ・・・ 知らんがな。
   そういうマニアックなことは、一般観光客の居ない場所で、マニアだけでやってろ。
 だと思いますよ。


>まだ 「一例」 を言いますか?

 あるならどうぞ ・・・ と言いたいところですが、このディペード模擬戦を終わりにしたいというお申し出 があり、当方も其れに同意しますので、もう終わりにしましょう。

>「観光客」ですが「初心者」とも言えない様な、バードウォッチングを疑似体験したいレベルの人と定義すれば「手っ取り早く見慣れない鳥を見たい人」と思われますから、そういう人には動物園や華鳥園に行く事をお勧めします。

 なんで観光客が野鳥を見に来ている前提なんだよ。
 都会の喧騒を離れて精神的にリフレッシュとか、会社の健康診断でメタボを指摘されて運動不足の解消とか、単に友達と、あるいは、親子でハイキングとか、そういうのが 「観光客」 だろ。
 観光客にとって野鳥の存在は、
<中略> 決してメインキャラクター<中略>じゃない。 野鳥は、運が良ければ見られる程度のオマケだ。
 逆に、貴殿達 ( 王道も邪道も ) バードウォッチャーが山林に求めているのは野鳥。

 <中略>観光客にとってはそうではないのだよ。
 変な思い込みは慎みたまえ。


>既にネット上などで餌付け等を批判する意見が散見されるのですから、そういう目で見られているんだという事を認識する機会は有るはずです。

餌付け等を批判する意見が散見されているからといって、其れに従わなければならないという道理は何処にも存在しません。
 それに、餌付け等をしてはイケナイという科学的な考証を、現時点で貴殿が何一つ挙げることが出来ない事から推測して、その批判する意見もまた、感情論に終始している 『聞く価値のない意見』 である 事が明白である。
 ( ちゃんと科学的・統計的根拠があって餌付け等をしてはイケナイと批判しているサイトが存在するなら、疾うの昔に貴殿は、其処から得た情報でオイラに邪道のバードウォッチングが責められる科学的な根拠を突き付けているでしょう )
 子供の躾けじゃないんだから、何の根拠も示さずに、合法な行為を勝手な思い込みで制限する権利なんか誰にもありません。


>謂わば 「鳥類写真愛好家」 が野鳥ファンとは似て非なる別種のものだとしても、その世界のベテランならば他人の迷惑を顧みる節度というものが有って然るべきです。

 誰に迷惑を掛けているんですか?
 観光客ですか?
 既に説明させて頂いた通り、観光客にとって、そういう 「本来なら肉眼で見ることが困難な野鳥を間近で見させてくれる 」 のは、“迷惑” じゃなくて “歓迎” ですよ。
 それとも、バードウォッチングの初心者ですか?
 そりゃあ、初心者を王道のバードウォッチング側へ引き込みたい人間にとって、そう考えるのは当然だと思いますが、邪道がなぜイケナイのかを誰も科学的・統計的に説明できていません。
 したがって、初心者が王道を選ぶのか、それとも邪道を選ぶのか、は彼自身が決める事です。
 もしかしたら、広角レンズを装着したカメラを三脚にセットし、レンズの直前に生き餌を仕込み、レフ板まで敷いてリモート撮影している 「鳥類写真愛好家」を見た初心者が、「 ああ、あれイイな! よし、俺 も 」 と考えたとしても、誰にも彼の行動を制止する権利はありません。
 ・・・ 結局のトコロ、邪道のバードウォッチャーを迷惑だと思っているのは、貴殿等王道のバードウォッチャーだけです。
 貴殿等が、囀りを鳴らしたり餌で誘き寄せたりする行為を迷惑だと思って白眼視することは構いません。それも個人の自由。 妨害する為に相手の腕を掴んだり、罵詈雑言を浴びせる様な違法な手段 に訴えない限りは、頭の中でどう想おうが自由です。
 しかし、それはあくまで貴殿等にとっての正義でしかありません。
 普遍的な正義であるが如き言い様は止めましょう。


>「餌付けしたりスマホで囀りを流す人」は「観光客」を喜ばせてあげる為にボランティアでお仕事をされているんでしょうか?

 ( ゚д゚)は? 何言ってるの?
 邪道のバードウォッチャーが、スマホで囀りを鳴らしたり、餌で誘き寄せたりするのは、アタリマエだが、自分の為だ。 自分が省労力で野鳥の生の囀りを聞いて、その御姿を拝見する目的でやっているに過ぎない。
 ただ、その行為の結果として
   野鳥は飢えから解放され、
   邪道のバードウォッチャーは、願望通りに、野鳥の生の囀りを聞いて、野鳥の御姿を拝見でき、
   偶然居合わせた観光客も、普通だったら囀りが遠くに聞こえるだけで、姿なんか見えやしない
   野鳥の生の囀りを聞いて、その姿を見ることができる
 のである。
 win -win ならぬ、win - win - win の関係である。


>大阪南港野鳥園では餌付けなどは行われておらず野鳥の生息に有益な環境が提供されているに過ぎません。潮の干満によって干潟が生じ野鳥の餌となる甲殻類やゴカイなどが自然発生的に生息しています。

 そうか。 大阪南港にある野鳥園の干潟は、野鳥の為にゴカイ等の多毛類を人工的に撒いてはいなかったのか。 それは知らなかったわ。
 とはいえ、まぁ、まるっきり自然状態というわけでもなさそうだけどな。

<中略>
 ここまで整備してるというのは、ある意味、餌を撒いているのと変わらないような気がしますけどね。

>出水市におけるツルへの餌付けは以前コメントした通り特異なケースですが
 僕個人としては諸手を上げて賛同している訳ではありませんし、かと言って
 江戸時代にまで遡及して批判出来るほど僕は偉くありません。
 カメラマンが己の個人的な都合で餌付けしているのとは次元が違います。

 江戸時代から続いている似たような事に関してはクチチャックで、今から始めるのは咎めるってのも、ちょっとご都合が宜しすぎやしませんか。
 それに、どの程度管理された餌付けなのか知りませんが、鶴の首にドッグタグを付けているワケじゃないでしょうから、同じ鶴が何度も飛来して餌をたらふく食っていても、「 あ、こいつ、また来てやがる。 追い払え! 」 とは成らないでしょう ( 幾ら専門家でも鳥の顔が見分け出来るとも思えませんしw )。  フードファイターみたいに食ってる個体が居る可能性だってあると思います。
 更に言えば、人から鶴へ手渡しで餌を配っているなら良いのですが、餌を干潟に撒いているのだとしたら、鶴以外の野鳥にも其れを啄むことが可能ですから、それでは邪道のバードウォッチャーがやって いる餌撒きと何も変わりません ( 数量が大きい分、コッチの方が悪質かも知れません )。
 しかし、現実には、餌を配られた鶴も、お零れを頂戴した他の野鳥も、肥大化したり不自然な体型に成ったりはしていません。
 これが意味する事は、フォアグラの生産に見られる様な強制給餌でも行わない限り、自由に飛翔して 自由に活動することが出来る野鳥は、労せずに餌を食べられる環境に置かれたからといって、肥大化したり不自然な体型に成ることはないという事です。
 自然界の限られた量ではなく、人工的に与えられた餌を食うと太って飛翔能力に影響が出ると言われても、北海道や鹿児島県の鶴センターで発生していないんだから杞憂だと捉えるのが常識的な考え方だと思いますよ。


>普通に読んで頂ければ、「プロなら良い」 などとは言っておらず、むしろ 「プロがそんな事をしていいのか」 という問題提起である事が読み取って頂ける筈です

 幾ら脳に障害が残るような病気をやったからといって、オイラは、さすがに其処まで読解力がなくなっ たワケではありませんよ。
 そうではなくて、そういうことをプロがやっているという現実を、邪道のバードウォッチャーが見たら、
 「 ほらほら、プロがやってるんだから、俺達がやってダメな理由なんかないじゃん♪ 」
 と考えるのは当然でしょう。
 また、バードウォッチングの初心者が見たら
 「 お♪ そんな手があるのか、こいつは楽チンだね 」
 と考えるでしょう。
 そんな風に考える邪道のバードウォッチャーや初心者に対して、
 「 そういう行為はマナー違反だから止めろ 」
 と諭そうとしたところで、
 「 俺にヤメロという前に、あそこでやってるプロに文句言えよ、糞チキン 」
 と返されるのがオチだ。
 ・・・ と申し上げているのです。


>こういうシーンの大半はズバリ言ってしまうと「仕込み」である疑いが濃厚です。

 T豚Sですね、知ってますw
   <中略>

>「主人公」 が目の前で狩りをするにはよほど条件が揃わなければならない事は、一度でもバードウォッチングを経験してみれば嫌と言うほど容易に理解出来ますよ。

 で?
 貴殿が 『こう在るべき』 と考えるバードウォッチングが、艱難辛苦の道程であることは判ったよ。
 だからなに?
 これこそが唯一無二のバードウォッチングだから、“邪道のバードウォッチング”なんかすべきではな い、と。 そう仰りたいの?
 いやまぁ、貴殿が艱難辛苦の道程を求めるのは構わないよ。 凄いね、大変だね、と思うよ。
 でも、それは、「 お前がそう思うならそうなんだろう、お前の中ではな 」 でしかありません。
 全然話が違いますが、例えばオイラはクルマのトランスミッションに関して所謂 『MT派』 です。
 「 ちょ~、おめ~、自分名義のクルマがATじゃねーか 」 という厳しいツッコミが入ることは覚悟しています。 正直、サブスロットルが余計な電制をされると知っていたらTC-SST仕様なんか買いませんでしたよ。 ああ、MTにしておけば良かった ( 激しく後悔 )。
 でも、だからといって他人がクルマを買う時に、「 免許が限定じゃないならMT買え、MT 」 なんて野暮なアドバイスはしません。 やれ、ヒールアンドトゥだの、クラッチ蹴りだの、シフトロックだの、普通の 人はそんなことしませんもの。 クルマが趣味の対象ではなくて、タダの道具でしかない人にとってはM Tなんて疲れるだけのクソですからね。
 でも、だからといって、オイラはATユーザーを貶しはしません。
 余程の好き者か、お金持ちでなければ、一家に二台も三台もクルマは買いません。
 ( オイラは異常な好き者なので複数台所有です。 安い国産車ですけどw )
 一台限りのクルマが日常使いで、しかも、嫁さんも運転するとなれば、そりゃあ、MT車なんか買えません ( 稀に奥様がクルマニアで、旦那がAT車を買おうとするのを制止して、無理矢理MT車を買った という微笑ましい逸話もありますが )。
 普通は買うならAT車。 MT車なんて好事家だけが買ってりゃイイんです。
 バードウォッチングも同じではないでしょうか。
エビデンスは低いかも知れませんが、既知の情報から類推する限りに於いて、スマホで囀りを鳴らす事も、餌を用いて誘き寄せることも、統計的有意なレベルで野鳥に悪影響を与えているとは考えられません。
 で、あるならば、ライトなバードウォッチャーは、省労力でバードウォッチングを愉しめる方法を採れば良くて、ヘビーなバードウォッチャーは、艱難辛苦の上に成し遂げる喜びが得られるような方法を採れば良いのではありませんか。
 自分達にとって、バードウォッチングというものが、ハードで高尚な物だったとしても、其れを他人に強 いることは間違っているとオイラは思います。


>前述しましたがこのテーマもそろそろまとめに入りたいと思います。
  もちろん次回コメントは投稿者さんの言いたい事を全て出し切って頂いて構いません。
 それに対する僕のコメントは回答と言うより落とし所を提案する様なものになると思います。 <中略>
 これを言ってしまうと身も蓋も無いのですが消耗戦の様な激論を闘わせている割には
 そのテーマが人類の将来を左右するほどの物でもない様な気がするので・・・

 人類の将来を左右するも何もw
 貴殿が折れて、野鳥のペット化を認めたからといって、それで 「野鳥を飼う」 という項目が欠損している 『鳥獣保護法』 が補完されるわけでもありませんし、貴殿が折れて、邪道のバードウォッチングを認めたとしても、他の王道のバードウォッチャーが白眼視する状況は全く変わらないでしょう。
 逆に、オイラが折れて、野鳥のペット化を諦めたとしても、今まで通りに飼いたい奴は飼うでしょうし、 オイラが折れて 「邪道のバードウォッチングはダメだ」 という主張に与したとしても、山林でスマートフォンを鳴らしたり、ジプロックから多毛類を取り出して野鳥を誘き寄せる輩は出没し続けるでしょう。
 結果なんか出したって何も変わりはしません。
 延々とやってきて、今更言うのもアレですが、こんなもの、完全に時間の無駄ですよ。
  ・
  ・
  ・
 で.“落し所” って話なんですけど。
 そんなものは要らないと思いますよ。
 「野鳥を飼って善し」 と 「野鳥を飼うのは許されざる」 の中間点に、「ドーム球場を買い取って、野鳥 が自由に飛び回れる環境を用意するなら飼っても善し」 なんて落し所を用意しますか?
 そんなもん、だれもせんでしょw
 今でもそうですけど、飼いたい奴はこそこそと狭いゲージに入れて飼うでしょうし、飼いたくない奴はそ もそもどんな条件であれ飼いません。
 「スマホで囀りを鳴らし、餌で誘き寄せる」 と 「そういう省労力目的な姑息な手段は一切禁止」 の中間点に、「スマホの代わりに『バードコール』、餌はワングループに50グラムまで」 って制限を掛けましょうか?
 そんなもん、だれが守るんすかw
 スマホを鳴らそうが、バードコールを鳴らそうが、どちらも合法である以上、より効率の良い法を使います。 量の制限なんて 「もうちょっとあったら、もっと寄って来たのに」 というシチュエーションが一回で も有ったら、誰も守らなくなるに決まってます ( とはいえ、重いので無制限だからって何キロも持って来 るワケではなく、どの道、常識レベルに収まると思いますが )。
 こんな ( 余程の暇人以外 )誰も訪れないようなところで、老いさらばえたオッサン二名が言い合っただけなのですから、もう 「そういうことがあった」 でイイじゃないですか。
 こういうのが、死ぬ間際に走馬灯のように流れる記憶の一コマに成るんですから、下手に弄らないで 《あるがまま》 にしておきましょうや。
 さて、綺麗にオチたところで、これにて終了。
 それでは皆さん。 さ~~よ~~う~~な~~ら~~
<以下略>

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